第四話 野良と確執
迷宮を裏口から、魔方陣を使って転送で出る。道があると人間に見つかってしまう恐れがあるため、こういった出入りの手段をとるのは常識だ。
目を開ければ広大な自然の中に一人、ぽつんと立った状態。木々が生い茂る山林。ちょうど迷宮の真上に当たる場所だ。
「さて、野良探しと言っても出せる給料は限られているわけだし、大物は見つけても手が出せないんだよな」
ドラゴン族のような大物をいずれ部下として契約してみたい。何百と階層があり一階層もものすごく広い大迷宮を管理してみたい。そういった思いは当然野心として心の中にある。淡々と冷静でいることを心がけてはいるが、実は野心家でもある。その野心が実る気配は微塵も見当たりはしないが、野心家ではあるのだ。
「とりあえず給料の額から考えて……スライム族やコウモリ族が中心かな」
値の張らない相手としか契約が出来ないのはつらい。しかしそういう現状に身を置いているのだからそれは受け入れなければならない。
「できれば……高い移籍金が手に入るやつがいてくれますように」
特に神を信じているわけではない。しかし幸運というものに祈ってしまう。厳しい現状を打破できるきっかけがほしいのだ。
ひとまず山林の中を探し回る。見た目は人間と大差ない。そのため獲物と勘違いしてモンスターが出てくる可能性もあるし、魔族として保有している魔力を察して敵ではないと判断して出てきてくれるかもしれない。もちろん接触を拒んで隠れられてしまうこともあり得る。野良探しは体力と運が全てなのだ。
「……はぁ、そう簡単に見つからないか」
山林をとにかく探し回った。日は暮れ始めたが、未だに収穫はゼロ。いや、野良のスライムなら何体か見かけた。しかし雇用したいと思えるレベルのスライムがいなかったのだ。しかしこうなると雇用したいと思えないレベルであっても雇用しなければならないかもしれない。
「次にスライムが見つかったら声でもかけてみるか」
雇用しているモンスターが全滅してしまい、代わりを担えるほど数もそろっていない。順繰りで休みの日も時間もぎりぎりで回しているのだ。背に腹は変えられない。
そう覚悟を決めてしばらく山林を歩き回る。もう山林の中のめぼしいところは全て探した。日も暮れて月明かりに頼って歩きながら、山林以外の場所に足を向けるか日を改めるかを考えていたその時だった。
近くの茂みが音を立てる。そして間髪入れずに一体のスライムが飛び出してきた。
「……お前、人ではないのか」
日が暮れた夜道を人間が歩いていると思って飛び出してきたのかもしれない。スライムは退治した相手が人間ではないと知るや力が抜けたのか、球体から水溜まりのように形状を変えてしまう。
「お、おい! 大丈夫か?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。少し……疲れただけだ」
水溜まり状態になってしまったスライムは抱きかかえることも出来ない。迷宮に連れて行くには当人の力で多少なりとも形状を固めてもらわなければならない。
「何かあったのか?」
「……人間に襲われた、それだけだ」
ありふれた理由だ。特に人里に近い場所なら日常茶飯事。人間に襲われたモンスターがいる一方で、モンスターに襲われる人間もいる。何も珍しいことではない。
「そうか。俺はこの近くで迷宮の管理者をやっているんだ。お前、野良か?」
水溜まり状態になっているスライム。彼がどこかの迷宮に所属していると契約は出来ない。もしそれでも欲しいと思うなら移籍金を支払う必要が出てくる。
「あんた……管理者なのか?」
「ああ。管理者といっても弱小零細迷宮だけどな」
「そう……か。そこは……安全か?」
「安全? まぁ、人間が立ち入れない場所はある」
「……すまないが、そこへ連れて行ってもらえるか? 少し……休みたい……」
スライムは少し頑張って球体の形状を取り戻そうとする。それでもまだ平べったいが、これが今の彼が出すことの出来る最大限の力なのだろう。
「ああ、かまわないぞ」
動きの遅いスライムを連れて、迷宮の中へ転送出来る場所まで移動する。そして迷宮へ客人としてこのスライムを迎え入れる。
迷宮に戻ると執務室ではフィオラが事務処理を行っていた。
「スライム族ですか?」
「ああ、人間に襲われて疲労困憊らしい。少し休ませてやりたい」
「かしこまりました。部屋を手配しましょう」
フィオラは事務作業の手を止めて執務室を出て行く。迎え入れたスライムを客室へと案内して休ませると、執務室に戻ってくる。
「負傷離脱者の一覧です。復帰までの時間とコストも表にまとめてあります」
「相変わらず仕事が早くて完璧だな。助かるよ」
負傷したモンスターの名前と復帰までの期間、そしてコストをかけて復帰させる場合用に、自己治癒期間で変わるコストの差分まで完璧にまとめられている。
「出費が痛いな」
「全滅ですからね。戦死者がいなかっただけ不幸中の幸いです。蘇生ともなればこれ以上にコストがかかります。熟練者の人間がいたと考えるだけで頭が痛くなります」
基本的に迷宮内のモンスターが全滅するなどと言うことはない。迷宮は広く入り組んでいるし、中にいるモンスターの数も多い。その全てを討ち果たせるようなレベルの人間はそもそもその迷宮へと足を運ばない。もっと危険度の高い大きくてモンスターの強い迷宮へと向かうからだ。
小さくて入り組んだ作りになっていない迷宮では時たま全滅はある。しかし全滅したとしても人間側にも損害があるのが普通だ。人間が無傷で全滅というのは極めて希有な事態なのだ。
「彼女……ベアトリクスですが、このままここに置いておく気でしょうか?」
手渡された負傷離脱者の一覧表を見ていると、フィオラの声のトーンが少し低くなった。
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
「売却すべきでしょう。天使族なら高い値がつきます。現有戦力の支出で考えれば千年は何不自由なくやっていける額です。戦力補強も迷宮の改修も思いのままです」
「……そっか」
フィオラの様子は真剣だ。天使族と言うだけであまりいい感情を抱いていないのは知っていた。だが彼女はあくまで事務方の人間。人事などの最終決定権はない。だから黙っていたのだ。
しかし今回の件でベアトリクスをここに置いておくべきではない。そういう判断に彼女は至ったようだ。
「でもベアトリクスは契約をしているわけじゃない。だから移籍とかはない」
「では契約をすればよろしいかと。市場価値もあります。種族ごとで基準となる給与もあります。ですが当人が安価で契約を受け入れればそのような基準や市場価値は関係ありません。あなたにならそれが可能だと、私は思います」
ベアトリクスは恩人のために無給での労働を自ら申し出てきた。この性格や関係性を契約に利用すれば安価な給料で契約できる。後は即刻売りに出せば、最小の支出で最大限の収入が得られる。フィオラはすぐにでもそうするべきだと主張している。
「彼女は今回の件で負い目があります。今なら何の問題もなく……」
「フィオラ、言いたいことはわかった」
真剣にベアトリクス売却に取る高収入を考えているフィオラの進言。それを止めてまっすぐに彼女の目を見る。
「確かに収入は欲しい。多ければ多いほどいい。でも、それはしない。ベアトリクスは自分で天使族の里を出て、人間に捕まった。自業自得かもしれない。それにたまたま俺が助けたってだけだ。保護した客人なんだ。今日、ここに連れてきたスライムと一緒だ」
「……そうですか。わかりました。管理者であるあなたがそう判断したというのならそれに従います」
フィオラはそう言うとそれ以上ベアトリクス売却については何も言わなかった。彼女は自分のデスクに行くと紙の束を手に取り、その束を丸ごと手渡してくる。
「これは?」
「催し物の一覧です。本当はもっと遠方のものも多くリストアップする予定でしたが、今回の出費で遠方は除外すべきと判断しました。近隣で出費が少なく、賞金が手に入りやすい催し物だけを新たにリストアップしなおしました」
仕事は早くて完璧。野良探しで迷宮外に出ている間にリストアップの方針を変更して新しくやり直した。そしてその作業がもう終わったのだ。
「さすがに早いな。助かるよ。ありがとう」
紙の束を受け取ると、彼女は自らのデスクを片付ける。
「急ぎの業務は終わりました。通常の事務作業も明日の分までは終わっています。では本日は休ませていただきます」
フィオラはそう言うと執務室を出て行った。少々機嫌は悪そうだったが、期限と仕事は関係ないと本人が割り切っている。仕事には私情を挟まず最速で完璧に済ませるのが彼女の考え方だと理解している。
「ベアトリクスともめないでくれればいいんだけどな」
彼女の性格上大丈夫だとは思うが、一抹の不安がぬぐいきれないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます