第三話 治療室
迷宮内の舞台裏。人間達では侵入することが不可能な魔方陣による転送でしか行くことが出来ない場所。執務室もそこにある。
執務室の他に所属しているモンスター達の寮となる部屋、負傷した者達の治癒を行う治療部屋など、迷宮という職場で過ごすのに必要な部屋がいくつもある。大手の迷宮ともなれば娯楽施設も充実しているのだが、さすがにこの迷宮にそれだけの施設を設置する余裕はない。
その中で今日は治療部屋が野戦病院状態となっていた。
「おーい、みんな具合はどうだ?」
それほど広くない治療部屋では、負傷したモンスター達でいっぱいだった。
「スライム族は時間をかければ自己治癒での復帰が可能です。コウモリ族は半数ほどが自己治癒で復帰可能で、半数は自己治癒だと長期間のリハビリ期間を必要とするのでコストをかけてでも治癒させた方がいいでしょう」
治療専門のスタッフは残念ながらいない。本当はいてほしいのだが、以前いたスタッフは年齢を考慮して引退。安価で雇える新しいスタッフが見つからないため、今は治療部屋のスタッフは誰もいない。ひとまずフィオラが臨時で事務職以外に治療スタッフも掛け持ちしてくれている。
「ゾンビとスケルトンもコストをかける必要がありますね。無抵抗のところを確実に痛めつけられていますから負傷具合がひどいです。ゴーレムはゴーレムの肉体補修専用のアイテムが必要になりそうですね」
「えっと、それを全部するとなると……ざっとどれくらいかかりそう?」
本心では聞きたくない。しかし聞かざるを得ない報告がフィオラから来るのをおそるおそる待つ。
「そうですね。今月の給与支出分の約四割から五割といったところでしょうか。ちなみにこれには迷宮内に設置する新たなアイテム分の支出は含まれていません」
「……あ、そう」
聞いた瞬間、がっくりと肩が落ちる。もう力も気力も尽き果てた。そんな気分だった。
「す、すみません、皆さん。私が掃除をしすぎたせいで……」
泣きそうな顔のベアトリクスが負傷したみんなに謝罪する。本来なら成功していたはずの奇襲作戦をことごとく潰し、侵入した人間四人組を無傷のままアイテムを全て奪われた状態で帰してしまったのだ。さすがのベアトリクスもこの惨状には責任を感じているようだ。
「まったくです。ただでさえやりくりが……」
フィオラがベアトリクスに苦言を呈そうとしたとき、その二人の間に黒い影が割って入る。ベアトリクスの胸に張り付くようにくっついた黒い影の正体、それはコウモリ族の指揮官を任されているアルデロであった。
「んふぅおぉー……おっぱいに癒やされるぜ! 聞きたくもねぇ小言を聞かされるよりもこっちの方が百倍傷の治りが早いってもんだぜ」
ベアトリクスの柔らかそうな大きい胸に張り付いたアルデロ。彼はその柔らかさを十二分に堪能していた。
「小言ではありません。責任の所在と再発防止は必要であって……」
「うっせー! おっぱいの谷間に挟まれるという至高の治療を行っている最中だ! 至高の治療が行えない、おっぱいとも呼べないような貧相な胸しか持っていないやつの嫉妬なんか聞きたくもねぇよ!」
でれでれとした締まりのない顔のアルデロは引き続きベアトリクスの胸の谷間を堪能し続けている。
「こ、ここに挟まると傷の治りが早くなるのですか? 知りませんでした」
アルデロの馬鹿馬鹿しい言葉を信じたのか、ベアトリクスはいやな顔一つせずにアルデロを自らの胸に受け入れ続けている。ベアトリクスには自らの責任という思いがあるのだろう。自分の力で少しでも治療が進むのであれば、そう思っているのかもしれない。
「うひょひょひょ……ひょ?」
ベアトリクスの胸に挟まれて喜んでいるアルデロ。しかし彼はあっけなくその天国から引きはがされてしまう。今にもコウモリを捕食してしまいそうな恐ろしい目をした蛇の手によって……
「へ、へーい、スネークガール? な、何をそんなに怒っているんだい?」
フィオラの手がアルデロの背中をがっしりつかんで逃がさない。自らをにらみつける鋭い眼光にアルデロは和解の道を即座に選択した……が、すでに遅かった。
「私の胸は貧相なのではなく小ぶりなのです! 大きさではなく美しさ、美乳であるかどうかが重要なのです!」
普段冷静沈着なフィオラに似つかわしくない様子。力のこもった腕は大きく振り上げられ、治療室の床に力一杯アルデロを音がするくらい勢いよく叩きつけた。
「はぁ……重傷者が一人増えたか」
アルデロの自業自得とはいえ、悩みの種が一つ増えたこの状況は望ましくない。
「はっはっはっ、相変わらずだね」
アンデッド族のスケルトン型で、アンデッド族の指揮官を務めているカリヤン。彼は割れた頭蓋骨をなんとかくっつけようと悪戦苦闘しながらも、フィオラとアルデロのやりとりを特等席で喜劇を楽しむ観客のように笑っていた。
「カリヤン、笑い事じゃないぞ。さすがに今回のほぼ全滅状態は支出が痛すぎる」
「そうは言ってもね。なってしまったものはしかたないじゃないか」
「しかたない、で済まないんだよ。元々数に余裕はなかったんだ。今回の全滅だとどう考えても数が足りないんだ」
「そうかぁ。じゃあ、休業でもしたらどうだい?」
「その間の給料はどうするんだ? 払わなくてもいいのか?」
「僕はいらないけどねぇ。スケルトンは飲まず食わずでも問題ないからさ。食費がかからないんだよ」
「みんなスケルトンと一緒じゃないんだよ」
カリヤンが楽観的なのは彼がアンデッド族のスケルトン型だからだ。衣食住の全てをおざなりにしても問題ない。そういった特殊な事例が通用するからこその楽観主義的な物言いだった。
「迷宮を休業にしてくれたら嬉しいね。僕としてはそろそろ旅行に行きたいと思っていたところなんだ。遠出して色々見て楽しみたいんだよ」
「長期休暇は申請して取ってくれ。ただでさえ収入がない状態なんだ。迷宮を休業しても支出は減らない。少なくても収入を得られる道を選ばないといけないんだよ」
「へぇー……管理者って大変なんだねぇ」
カリヤンは割れた頭蓋骨のはまりがしっくりきたのが嬉しいようだ。ずいぶんと上機嫌なのがわかる。
「まぁ、僕は雇われている立場だからね。指示には従うつもりでいるよ」
「わかった。戦線に復帰できるようならまた頼む」
カリヤンは「了解」という返事のように骨だけの手を二度ほど振る。そして折れたりひびが入ったりした部分には包帯を巻き付け、外れた関節は無理矢理はめ込んでできる限り自力で元の状態に戻ろうとしていた。
そんなカリヤンの傍らには治療室の中を一人で最大の場所を占有する巨体が横たわっている。この迷宮に唯一所属しているゴーレム族のガンテスだ。
「ガンテス、状態はどうだ?」
大人二人分ほどの背丈、肩幅だけでも大人一人分はある二足歩行人型のゴーレム。材質の基本は岩石。核と呼ばれる本体を中心にゴーレム専用の素材として加工された特殊な岩石を使って形作っている。そのため核の持っている力が強ければ、腕や足などの一部分を違う材料で作るなどの改造も可能。本体の形状も二足歩行人型以外に変えることも可能。もちろん特殊な技能が必要となるが、可変型のモンスターとして管理側からは幅広い用途への使いやすさから重宝されている。
「……核は無事……右腕がかろうじて……動く……」
核が無事だ。ガンテス自らの低い声でそう聞いて安堵の息が漏れる。ゴーレムにとって核とは心臓と脳が合体したようなもの。小さい傷でも核の持つ力が著しく低下することも十分あり得る。傷の具合に寄るが回復が望めない場合もあるのだ。
「そうか。ひとまず核が無事でよかった。なるべく早く修復できるようにするから、しばらくは養生してくれ」
「……わかった……」
生身の肉体を持たないゴーレム族にも自己治癒能力が備わっている。時間をかければひび程度ならゆっくりと修復していく。しかし今回のようにたこ殴り状態にあって被害が大きいと自己治癒にも限界がある。
今は少しでもコストを抑えたい。自己治癒で修復が出来るぎりぎりのところまでは時間をかけて、それ異常の修復にはコストをかける。浮かすことが出来る支出などたかがしれている。しかし塵も積もれば。こつこつとこういった節約を続けることが後のためになると、自分に言い聞かせながら行っていく。
「えっと、スライム族は……」
治療室の隅に固まっているスライム族の一団。負傷らしい負傷は目で見ただけではわからない。なぜなら彼らは肉体が形状を保っていないからだ。傷口や出血という負傷具合が見た目でわからない。しかし確実にダメージを負っているのはわかる。
「アルゴリウス七世。ずいぶんと縮んだな」
膝丈以上はあったはずの液状の球体を肉体とするスライム族。少し前に契約交渉で会っているのでその違いがよくわかる。今は膝よりも下、大きさにして約半分程度にまで縮んでしまっている。
「あるじよ。俺の戦いぶりはどうであったか?」
「いつも通り一撃で戦線離脱だったぞ」
「そ、そうか……」
アルゴリウス七世が何かを言いよどんでいる様子がうかがえる。液状球体も少し揺れ動いているのがわかる。
「どうした? 何か言いたいことでもあるのか?」
「う、あ、あぁ……実は、な」
うまく出てこない言葉を整理する。少しの間を置いて思っていることが言葉となる。
「契約なのだが……キル数の項目をなくして、戦闘回数でボーナスが支給されるようにしてくれ」
支出を抑えるためにキル数を契約条項として用い、契約条件をよくするときもキル数に着目して交渉を進めた。愛すべきバカであるアルゴリウス七世。かれが支出を増やさないようにするという管理側の思惑に気づくのはまだ先だという予想だった。しかしその予想の斜め上、契約内容を更新したその日にもう一度契約を更新したいと申し出てきたのであった。
「今日の今日で、そりゃ無理だ」
「そ、そこをなんとか……無理を聞いてはくれまいか?」
「いや、無理だって」
「お、俺には家族がいるんだ! この通りだ!」
液状の球体がぷよぷよと揺れているだけで何を持って誠意のこもった頼み方なのかがまるでわからない。
「いや、この通りと言われてもわからないんだが……」
「あ、あるじはやはり鬼族か!」
「鬼じゃないし鬼族でもない。魔族だ」
アルゴリウス七世は相変わらずだ。だがその相変わらずの様子のおかげで思考が停止していた頭に少し平静が戻る。評価に値はするが数字には表れないのは彼には悪いとは思うが、今はそこにまで手を回してやれる余裕がない。
彼のどのような状況でも変わらないあり方のおかげとは口が裂けても言えないが、この状況を打破するために動くのが管理する者の役目だ。
「フィオラ。ちょっと外回りに行ってくる」
「野良探し、でしょうか?」
相変わらず察しがいい。数が少ない状況で手っ取り早く数を増やす方法がある。野良でさまよっているモンスターをスカウトしてくるというものだ。迷宮周辺にいるモンスターに声をかけて期間を決めて契約を結ぶ。これが一番早い。
「ああ、そうだ。だからここのことは頼んだ」
「わかりました」
治療にどれだけの時間がかかり、どれだけのコストが必要になるのか。その一覧を出すのもフィオラに任せる。彼女の仕事なら的確で間違いがなく、何より早い。
「ヴィンセント、いってらっしゃい」
今回の元凶ともいえるベアトリクス。胸にコウモリ族のアルデロが張り付いたままで困った顔をしている。起こってしまったことはしかたがない。再発防止のために彼女がする掃除の場所を限定するとして、ひとまずはアルデロの相手を罰の代わりというわけではないが少々苦行を味わってもらうことにする。
それでも見送りの言葉を発してくれるのは彼女の性格故のことだろう。見送りとで迎えの挨拶が当たり前のようにある。それだけで彼女が元凶といってもどこか憎めなかった。
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