第二話 お茶目な天使と大損害

 書類が亡くなったデスクの上にフィオラが用意した次の書類を並べていく。収支報告書と収支の詳細が記された書類だ。

「やっぱ、赤字か」

 殺した人間の死体は資源となり、殺した人間の装備は収入源の一つとなる。侵入してくる人間の数に対し、キル数が著しく少ないのが原因の一つだ。

 一方で侵入してきた人間により荒らされた迷宮の補修、負傷した者の治療費、戦死した者の蘇生費、迷宮内に用意した人間を呼び込むための宝物準備費、人間に宝物があると周知させるための情報拡散用の宣伝費などが支出として計上される。さらに給与の支払いもあるのである程度の収入がなければ赤字となってしまう。

「収入を増やす、か。キル数は増やせるか?」

「無理でしょう。立地条件が悪すぎます」

 人間の中でも武闘派な考えの領主が納める大都市が最寄りの人里。やって来る人間のほとんどはある程度戦闘訓練を積んでいる。戦闘訓練を積んでいない素人も実戦訓練を積むために来るため、保護者となる腕利きの戦士が同行している場合が多い。財政的な余裕がないため、高値が必要な強い戦闘要員を雇用できない。腕利きの保護者を連れてこない思い上がった素人くらいしか狩れないのが現状なのだ。

「難しいな。なんとかして収入を増やさないと……」

 デスクの上の書類に何度も目を通す。収入に対して支出が多すぎる。しかし支出はもうできる限り押さえている。それでも支出が多いのだ。つまり収入がそもそも少ない。財政再建には収入を増やすために何かしらの作戦を講じる必要がありそうだ。

「上層部がコンサルタントの介入を命じたらそれに従わなければならなくなります。その前になんとかして収入を増やさなければ、最悪経営者解任となる可能性もあります」

「それだけは避けないとな」

「はい。魔王様のためにも」

 フィオラと一緒に書類に目を通しながら、収支改善と財政再建の話し合いが始まった。

「……小手先だけではもう改善は見込めないか?」

「そうですね。そもそもの収入に見込みがありませんので、そこを改良しなければ何をしても一時しのぎになってしまいます」

「そもそもの収入か」

 人間を狩らなければ収入は得られない。しかし侵入してくる人間を狩るのは難しい。その理由の多くは人口の多い人里に近すぎるという点にある。


 定期的な収入として一定期間に何人を狩れば採算がとれるという数字もフィオラは出してくれている。その数字を満たすためにヴィンセントが狩りを行う許可が出されている範囲が決められている。その範囲内であればどのような手段を講じても基本的にはかまわない。しかしその範囲のほとんどが人間達の支配領域と重複しているのだ。

 人間に害をなす存在が確認されれば当然人間は警戒する。人間にも支配領域であったり支配地という概念があったりする。人里が近すぎると人間の手が届きやすく、人口が多い都市であればその密度も濃い。人の行き来がある場所のほとんどは警備や巡回が万全のため、ヴィンセントが狩りを行える場所が与えられた範囲内にはほとんどない。

 ならばどこかに人を誘い込んで狩るしかない。その場所は『迷宮』と呼ばれる。魔王配下の者達にとって拠点や基地でもあり、居住地や職場でもある重要な場所だ。

 多くの魔王配下にはそれぞれに地位や任務が与えられており、ヴィンセントのように迷宮という拠点の管理権限を与えられている経営者がいる。彼らは人間達から「人にあらざる存在」と見られていて、なおかつ人間に敵対する「モンスター」と言う存在を世界各地からスカウトしてきては迷宮に住まわせる。迷宮の経営者は集めたモンスターを使って人間を狩っていく。

 しかしモンスターをスカウトしてきて迷宮内に住まわせるのもタダではない。衣食住の提供に居住地の確保、モンスターにも家族や親類縁者がいるため給与や定期的な休日の提供も必要だ。それらはモンスター一体ごとに契約が結ばれ、モンスターはその契約に基づいて人間を狩る。経営者はその契約をはじめとした支出ができるだけの収入を得られるように、迷宮を運営していかなければならない。しかしヴィンセントは今、迷宮の内外ともに狩りがうまくいかない現状に直面している。


「迷宮外では人間の警備が厳しくなっていますし、迷宮内にやってくる人間は人里から近いと言うこともあるのでしょう。保護者役がつとまるベテランや熟練の戦士が胎動している場合が多いです。選択肢としては強行して迷宮外で狩るか、迷宮内を強化して侵入してきた人間を狙うか、二つに一つでしょう」

「どっちもつらいな。迷宮外で狩りを強行すれば人間の警備がさらに厳重になる。そうなるとさらにやりにくくなる。だからといって迷宮内の強化は元手がなくてやりたくてもできない」

「ここしばらくは赤字続きですからね」

 フィオラがめがねの位置を指先で修正しながら書類に目を通す。

「人間のキル数に対して死傷した者達の蘇生費や治療費がかさんでいます。また復帰まで戦線を離脱している期間は給与だけが生じてしまうのは致し方ありませんが、強力な仲間を得られなければ戦線に立てる者よりも負傷離脱をしている者達の数が多いという最悪の事態にも陥りかねません」

「わかってはいるんだけどな。戦闘技能に長けたやつは市場価値が高い。移籍金や契約金だけじゃなく、給与や成果報酬手当も高額になるだろ」

「はい。赤字続きの現状では優秀な戦闘要員を抱えられるだけの余裕はありません」

 まさに八方塞がりだった。人間を狩るには優秀な戦闘要員が必要だが、優秀な戦闘要員を手に入れるには多額の費用が必要で、多額の費用を用意するには人間を狩って収入を確保しなければならない。この循環が悪くなってしまうと元に戻すのは難しい。経営者の手腕の見せ所と言いたいが、迷宮の内外のどちらも詰みに近い。頭を抱えてため息が漏れる日々だけが続く。

「ならばここはいっそのこと、懸賞金か催し物に賞金狙いで出場してみるのはいかがでしょうか?」

「あー……それしかないかな」

 懸賞金とは、同業者達が手痛い目に遭っている人間を狩ることで得られる特別報酬。賞金首となっている人間を狩ることで、同業者達の迷宮運営を助けたという功績に対して賞金が支払われる。

 催し物とは大手の迷宮の経営者、場合によっては魔王が直々に、何かしら催し物を開催する。ただの祭りや宴から、結果を出せば賞金が出る大会など多岐にわたる。その賞金が出る大会に出場して、賞金で赤字の補填と収入の確保をしようということだ。

「懸賞金、手に入ると思うか?」

「まず無理でしょう。我らの現状の戦力は地の利がある迷宮内で駆け出しの冒険者や新米の戦士を相手にするのが精一杯です。総力を挙げたところで勝ち目はないに等しいといわざるを得ません」

「じゃあ賞金は?」

「出場する大会にもよる、というのが正しいかと思います。大会では上位入賞でなければ賞金が出ないところもあれば、一回でも勝てばわずかとはいえ賞金が出るものまで様々です」

「上位入賞は厳しいから、一回でも勝てば賞金が手に入る大会が狙い目か」

「そうですね。ですがそういった大会は下位の方は賞金額も少額です。出場したモンスター達の負傷度合いが激しければ、賞金を上回る蘇生費と治療費がかかることにもなりかねませんし、参加費も先に払わなければなりません」

「失敗したら懐事情がさらに悪くなる、か」

 ノーリスクでハイリターンなどあり得ない。それはわかっている。しかしなるべくリスクは少なく、そして手堅く収入を得られる方法が望ましい。しかしそんなに都合よく収入を得られるなどあり得ない。多少の冒険や賭けは必要だ。

「フィオラ、ひとまず一回でも勝てば賞金が手に入る大会関係で近々開かれるやつを片っ端からリストアップしていってくれないか?」

「かしこまりました。世界規模で大会ごとに遠征費や宿泊費等々も様々な可能性を考慮して算出しておきます」

「頼もしいな。どれくらいでできる?」

「通常業務を行いながらになりますので、一両日中に」

「さすがだな……わかった。じゃあ任せた」

 フィオラの優秀さが二つの苦悩を生む。


 一つは彼女が持つ純粋な事務処理能力の高さ。膨大な書類の山を瞬く間に的確に処理していくだけでなく、どれだけ必要な事務処理が増えようともミスが一つもない。完璧に最短時間で処理してくれるのだ。契約上は戦闘要員を兼ねない専業事務職を務めているフィオラ。今は事務職員が彼女一人しかいないのだが、それでも十分すぎるだけの業務をこなしてくれている。

 もう一つは彼女が抜けたときの穴を補充するだけの余力がない現状。彼女ほどの能力を持つ人員を補充するにはかなりのコストが必要となる。その彼女に事務作業は全て頼り切りになってしまっているのだ。これだけ能力の高い者を雇う力は今のヴィンセントにはない。彼女は魔王直轄の配下で優秀なエリート。ヴィンセントの元には魔王軍の人員育成計画における研修のために出向という形でやってきている。そのため契約金も給与も手当も一切かかっていないのだが、研修期間が終わってしまえば問答無用でいなくなってしまうことが確定している。

 フィオラの研修期間が終わるまでに、彼女に変わる事務職の人員を見つけなければならない。そしてその人員の能力次第では複数の雇用契約が発生することもあり得る。支出を考えるだけで頭が痛くなる。


「では作業に取りかかります」

 下半身の蛇の部分がうねうね動いて彼女用に割り当てられた机へと向かっていく。蛇の部分は蛇らしく地を這い、人の部分は人らしく背筋が地面から垂直に伸びている。自分の席に人の部分がたどり着くが、まだ長い体と尾は長く地面に這ったままだ。それらを器用に上半身の下へと納めていってとぐろを巻く。その上にちょこんと座るかのように彼女は制止し、デスクワークを始める。ラミア族の彼女は体が理由で椅子はいらないのだ。

 研修期間中になんとか事態を好転させたい、そう考えるとひとまず現状の戦力把握と確認が重要だ。どのような催し物に出るにしろ、自分が雇用している配下の実力以上の結果は得られない。

「現有戦力はスライム族、アンデッド族のスケルトン型とゾンビ型、コウモリ族、ゴーレム族……ってところか。高い能力を持っているやつはいないから、同族の平均かそれ以下と考えて……」

 催し物の大会賞金狙いとなれば、大会の内容によって種族特性や各個の能力が生きてくるものがあるかもしれない。現在契約している者達の資料の束を取り出してチェックしていく。

「速度を争うレース系はダメだな。飛行速度もコウモリ族くらいしかいないから勝ち目は薄いか。力比べだとゴーレム族がいるのはありがたいけど、能力的に同族の中でも平均以下だと考えると厳しいな」

 高い能力を持っていると高い給与を要求される。いい実績を持っていても同様だ。他所から引き抜いてくるには移籍金や契約保護のための違約金を支払わなければならない。お金をかける余力がないため、ほとんどが野良をスカウトしてくるというシステムで数を補っている。必要最小限のコストで数をそろえられるのはいいことだが、逆を言えば優秀な者にはそうそう巡り会えないということにもなる。

 能力の高い者や実績のある者はその迷宮で用無しとなったとしても、その能力や実績がほしいと考える他の迷宮から誘いがやってくる。野良となった者はそういった引き取り手や欲される能力や実績がないという証でもある。しかし安さにはかえられない。戦力が寂しいのは、懐事情とコストをかけられない現状が原因だ。

「やっぱ、戦闘技能を争う大会に一回戦突破狙いで出るしかないかなぁ」

 大会ごとに特化した一芸で争うなら到底勝ち目はない。様々な要素を求められる戦闘技能であればまだ比較的チャンスはある。しかし勝率は低い。低いがそこに懸けなければこのままジリ貧だ。なら行動を起こすしかない。

 ひとまず方針は頭の中である程度決まった。後はフィオラが作ったリストと照らし合わせて、新しい方針を考えるか現状維持のままで行くかを考えることにする。

 頭の中で方針が決まり、一息ついた時だった。ドタドタと慌ただしい足音が遠くから近づいてくる。まだ音が遠く小さい時からその足音の主が誰だかわかる。

「あー……フィオラ? ちょっと騒がしくなりそうだ」

「かまいません。私は騒音が気にならないタイプなので」

 一瞥してくるフィオラはめがねの位置を指先で修正した後、再びデスクの上の書類に視線を戻す。近づいてくる足音など存在しないかのように、彼女は事務作業を再開する。

「ヴィンセント! ヴィンセント! ヴィンセント!」

 足音がかなり近づいてくると、足音の主はヴィンセントを連呼する。そして何度目かの連呼の後、部屋に足音の主が飛び込んできた。

「ヴィンセント! お掃除が終わりました!」

 執務室に飛び込んできたのは一人の人間と同じ体を持つ女。白い肌と長い金髪、そして何より大の大人の手に収まらない胸元が象徴的。彼女本体の動きに一瞬だけ遅れて着いていこうと二つの大きな塊が動く。そんな彼女だが人間と同じ体を持っているからといって人間というわけではない。彼女の背中にはカーテンの代わりにもなりそうなほど大きな白い翼が生えている。

 彼女はヴィンセント達が忠誠を使う魔王の配下や眷属達とは全く違う。種族は天使族であり、魔王やその仲間達とは決していい仲であるとはいえない。むしろ敵対関係であった時代も長い。そんな天使族の彼女がなぜヴィンセントの元にいるのか。それは彼女が好奇心旺盛で変わり者だから。

「ご苦労様、ベアトリクス。もうここでの生活にもずいぶん慣れたみたいだな」

「はい。部屋もあってお仕事もあって、毎日が楽しいです」

 綺麗な顔がにっこりとかわいらしい笑みを浮かべる。天使族であるベアトリクス。彼女は少し前に山中で見つけて保護した。好奇心旺盛で変わり者の彼女は天使族の里を飛び出して辺りを散策していた。その時、人間達に捕らえられてしまったらしい。


 人間は天使族を崇拝や畏敬の念を抱いている。しかしだからといって天使族に対して全ての人間がそういうわけではない。多くの人間が崇拝や畏敬の念を抱いていると言うことは、そういった象徴としての需要が少なからず存在する。そして宗教団体や国家の上層部はその象徴を欲している。天使族はほとんど目にすることがない貴重な存在であり、当然希少価値がとてつもなく高い。故に宗教団体や国家の上層部の人間は手に入るのであれば大金を投じる。その金を目当てに宝探しのように天使族の里を探す冒険者もいるくらいだ。

 ヴィンセントが彼女を見かけたのは人里離れた山の中。人間の手に捕まって人里まで運ばれる途中だ。五人ほどの人間がベアトリクスの手足と翼を縛って運んでおり、日暮れとともに野営地を決めていたところだった。ベアトリクスを捕まえた人間達は大金を山分けしてどう使うかという話で盛り上がっていた。すでに大金を手に入れたつもりでいた人間達を出し抜くのは簡単で、隙を見てベアトリクスを保護して自らが受け持っている迷宮に連れてきたのだ。

 天使族は人間側だけでなく魔王側にとっても希少価値の高い存在だ。野良モンスターを探していたときにたまたま見つけたベアトリクス。彼女を魔王側の上層部に引き渡すことでヴィンセントも金を手に入れようという魂胆があった。しかし人間の手から助けてくれたヴィンセントに彼女は心からのお礼を言い、迷宮内部の仕事で出来ることはないかと言い始めたのだ。最初は商品のつもりでいたため適当にあしらっていたのだが、人手が足りない中で給与も契約も無しに彼女は仕事をしてくれていた。無給で使える人員として使っている間に情が移ってしまい、いつの間にか魔王の支配下にある迷宮の仕事を天使族の彼女が行うのが日常となってしまっていたのだった。


「今日は隅々までピカピカにしてきました」

 満面の笑みのベアトリクス。日々充実していて満足そうな彼女を見ていると実にほほえましい。迷宮の経営に四苦八苦している自分の心が少しほっこりするのがわかる。

 心がほっこりと和んでいたその時だった。執務室内に甲高いベルの音が一瞬響く。その瞬間和む時間は終わり、仕事モードへと切り替える。

「迷宮に人間の侵入だ。フィオラ、映像を頼む」

「わかりました」

 事務作業を即座に中断したフィオラがとぐろを巻いた体に据わる体勢を解く。執務室の壁に白いシートを貼り、その前に距離を置いて水晶玉が載せられた台を設置する。

「迷宮内の様子を映し出します」

 白いシートへ、水晶玉は迷宮内に設置された視点となる魔力を帯びた石からの映像をリアルタイムで映し出す。

「人間が四人ほど侵入していますね。装備を見たところ簡素ではありますがまだ真新しいように見えます。おそらく我々が目当てとしている駆け出しの冒険者か新米の戦士で間違いないでしょう」

 フィオラの推察は自分の考えと全く同じだ。熟練者の付き添いがない新人一行。これを待ち望んでいた。数も力も決していい状態ではない現状にとって、唯一勝てる見込みがある人間。つまり収入源。それが四人もやってきてくれたのだ。たった四人で財政状況が改善するわけではないが、それでもここで人間四人分の収入は大きい。この期を逃さず確実に仕留めたい。

「新人の四人組か。作戦番号三番で行こう。各員に確実に仕留めるように通達してくれ」

「かしこまりました」

 指示を聞いたフィオラが通話用の魔法石を通じて総員に伝達。久しぶりの格好のターゲットだ。逃してはならない。自然と拳に力がこもる。

 水晶玉から映し出される光景は薄暗い洞窟の中。壁には所々人工の明かりを放つ魔法席が埋め込まれているため、侵入者からすれば身の安全を図りやすい。洞窟自体も狭く入り組んでいるわけではなく、数人が横一列に並んで歩けるほどのスペースがある。明かりの設置や入り組んでいなくて見通しやすく動きやすい。多くの人間が初心者用だと判断する理由である。

「明かりのおかげで見やすいですね。ヴィンセントがつけたのですか?」

 映し出される映像が明るくて見やすい。執務室で見るときに快適に見られるように明かりをつけたのか、というベアトリクスの疑問。それに自然とため息が漏れながらも即座にその疑問を否定する。

「そんなわけないだろ。暗い方が奇襲をしやすいし、こちらの動きがぎりぎりまで見つかりにくい。本来なら暗くしておきたかった。でも人間が侵入してくる度に明かりを設置していく。最初の頃は明かりを撤去していたけど、今じゃ明かりを撤去するのは諦めた」

 人間からしてみれば都市部から一番近い迷宮。入りやすく敵も強くない。初心者の練習や肩慣らしにはちょうどいい。その練習や訓練の場をもっと充実させようと明かりを設置していく。自分が管理運営する迷宮であるにもかかわらず、明かりの設置という人間の手が深くまで入ってしまっている状況なのだ。

「では入ってくるお客さんに優しい、ということですか?」

「お、お客さんって……いや、優しくしているつもりはない」

 別に集客を求めているわけではない。やってくる人間が多いに越したことはないが、現在保有している戦力では人が多くなると数が圧倒的に足りなくなる。負傷した者達の戦線復帰が追いつかなくなるからだ。人には来てほしいが、来てほしいのは倒せる余地のある新人のみ。ただ単に多すぎるのは逆効果だし、熟練者だとただ荒らされるだけになる。だがそう都合よく新人だけが来てくれることはなかなかない。だからある程度の戦力を持つ人間までなら不意打ちで効果が出るように、人間自身が設置していった明かりを利用してやろうという考えに至った。

「明かりは撤去してもすぐにまた設置される。外す手間だけ面倒だ。でもただ単に明かりを放置しているわけじゃない。その明かりの場所を計算して陰を作ったり、明るい場所と暗い場所のギャップを作って一瞬だけでもこっちが有利になる場所を作ったり、まぁそれなりに工夫はしているよ」

 熟練者はそうそう引っかかってはくれないが、初心者や新人なら十分通用する戦略だと自負している。

「あ、お客さんですよ」

「いや、だから客じゃないって……」

 映し出されたのは真新しい装備に身を包んだ若い男女四人組。前衛二人と後衛二人、後衛は一人が補助や治療を魔法で行いもう一人が遠距離攻撃で前衛の援護。前衛は速度重視の軽装備とパワー重視の重装備というバランスのとれた役割分担。人間側ではおそらく教科書通りの組み合わせなのだろう。

「バランス重視の四人組だ。まずはそのバランスを崩すのが最優先だ」

 映し出される迷宮。限られた状況の中でぎりぎりのやりくりと最小のコストで最大限の効果を求めて工夫をした。その迷宮の風景がいつもと少し違う気がする。

「あれ? なんだ? いつもより……見やすい?」

 与えられた迷宮は一般的な洞窟。足元を照らす明かりを人の手によってつけられたのは百も承知。それでも洞窟という形状を生かした迷宮は人を狩ることが出来る可能性がちりばめられていたはずだった。

「あ、出入り口が汚れていると見栄えが悪いのでピカピカにしておきました」

 満面の笑み。にっこり、かわいらしい笑み。一切の罪悪感を持たない、自らの仕事に達成感を感じている様子。そして恩人の役に立ったという自信と自負。それらがベアトリクスの表情から簡単に見て取れた。

「あ、歩きやすくなっている?」

「はい、小石は取り除きました。凹凸もできる限り平らなるようにしておきました。じめじめしていたので風も通して、苔や滑りやすいところも綺麗にしておきました」

 侵入者の意識を足元に集中させる、もしくは足元を取られることによって体勢を崩させる。限られた中で出来る小さな工夫。考え出して実行に移すのにも少なからず時間がかかったものだが、それがいとも簡単になかったことにされていた。

「歩きやすくなっているからでしょう。ためらわずに奥へと進んでいきますね」

 一緒に迷宮内の様子を見ていたフィオラの言葉。その言葉を聞いただけで彼女の表情や様子が呆れているというのが手に取るようにわかる。

「隠れていたスライム族の奇襲部隊が簡単に見つかりましたね」

 フィオラが状況を説明してくれる。どうやら計算が大きく狂ってしまい言葉が出ず現状を飲み込み切れていない自分のためのようだ。

「あ、スライムさん達が魔法でやられてしまっています」

「前衛で牽制しながら後衛の魔法で攻撃、ですか。的確ですね」

「あ、アルゴリウス七世さん!」

「あれは……しばらく負傷離脱かもしれませんね」

 心の中で「いや、お前のせいだから」とベアトリクスに言いたい。言ってしまいたいが、それを言う気力すら出てこなかった。新人四人組という格好のターゲットを狩るどころか、逆に調理台に載せられた魚の気分を十二分に体験させられている。

「いや、まだ初手がダメになっただけだ。次はコウモリ族の奇襲部隊が……」

 スライム族の集団による奇襲はベアトリクスの掃除のせいでダメになってしまった。しかしそれだけでこの迷宮に行った工夫の全てがダメになったわけではない。

「明るさが増していますね。隠れているはずのコウモリ族の群れが丸見えです」

「陰になっている空間があったので、危ないと思って明かりを増やしておきました」

「コウモリの外見、艶がありますね」

「砂埃で汚れていたので綺麗にしてみました」

 体を砂埃などで汚せばより洞窟の岩壁と見分けがつきにくくなる。さらに人間達の頭上を飛べば砂埃が目つぶしにもなる。

 奇襲するためにはまず隠れなければならない。そのための空間は見通しをあえて悪くして明かりをそこだけこまめに減らしておいた。そこからコウモリの群れが奇襲で飛び出せば、岩壁に似た色合いと目つぶしも相まって新人程度なら十分にひるませることができる……はずだった。

「飛び出したコウモリ族の群れが的確に迎撃されていますね」

「あ、大変です。痛そうです」

 表情をゆがめるベアトリクス。迎撃されていくコウモリ達の痛さを目で見て、心からその痛みを感じての表情だ。彼女は自分のやったことの全てに悪意が全くない。

「治療と、明日からは代わりのメンバーを離脱者のポジションに配置する必要性があるので手配しておきます」

 今回の出来事で明日以降必要なことを先に手を打とうと、フィオラはすぐさま行動を起こす。彼女は現状以上の被害が出ることもおそらく計算済みだろう。最悪、今迷宮内に配置されているメンバー全員が離脱することまで考えているのだろう。

「あまりにも進みやすくて人間達も困惑していますね」

 映し出された映像から音声も届く。人間達の「思ったより進みやすいな」「そりゃ、練習用だからだろ」「油断しちゃダメだよ。怪我するから」という会話が聞こえてくる。

「お前達の練習用じゃねぇっての……」

 言葉にならない声が、精一杯の抵抗として漏れる。

 がっくりと力なくうなだれていて、今にも倒れそうだった。そこに「あ、何かある」という音声が聞こえてきて急いで映像に視線を移す。

「あ、あれは隠していたはずのアイテム? どうしてあんなにわかりやすいところに?」

「あの辺りは掃除しにくい場所だったので、通りやすくするために岩の位置を少しずらしたら、見にくいところに落ちていました。落とした人が見つけられないと困りますから、見つけやすい場所に置いておきました」

 倒れそうになる体をなんとか踏ん張りながらも、思考が真っ白になる気がした。


 迷宮にやってくる人間は何もモンスター狩りだけが目的ではない。迷宮内にある希少価値の高い宝物や装備品やアイテムを求めてやってくる盗賊やトレジャーハンターも少なくない。彼らは噂話や目撃情報などからどこの迷宮にどのような希少性のある物があるかを調べてやってくる。

 希少性の高い物が迷宮にあるという噂話や情報は、その迷宮に潜った人が生きて帰ってきたかどうかが重要になる。迷宮内に侵入して帰ってこなければその人の装備品や所持品は全て迷宮内に取り残されていることになる。盗賊やトレジャーハンターの狙いは直接人から物を奪うのではなく、死んだ人間の所持品をうまく手に入れて換金するために日夜手広く情報収集を行っている。

 迷宮の管理側はその情報網に一枚かんでいる。侵入した人間が持っていた物でなくてもよい。どこかで手に入れた物を迷宮内に設置しておき、迷宮内に希少性の高い物があるという情報を流す。獲物となる人集めの方法の一つだ。

 しかしこのとき、嘘の情報を取り扱って人を集めることもある。その場合、その情報網自体の信頼性が失われてしまうこともあり、情報を取り扱う者からは真実以外の情報は求められない。もし嘘の情報を流してほしいならば、かなりの大金を上乗せしなければ取り扱ってはもらえないのだ。

 ヴィンセントとしては嘘の情報を流せるだけの金は持ち合わせていない。よって真実の情報を流す以外に方法はなく、だからといって希少性の高い物をそう簡単に手放すわけにはいかない。だから普通ならほとんど見つけられないような場所にアイテムを隠していたのだが、ベアトリクスがそれを掃除の際に探し出してしまったのだ。


「あれ……仕入れるのに結構かかったんだけどな……」

 真実の情報を提供し、アイテムは取られないように工夫して隠す。一つのアイテムだけでコストもかけず、長期間人を集める情報として役立っていた手法。それが今日、ついに敗れ去ってしまった。

「いや、まだだ。まだ終わっていない。アイテムが取られても脱出させなければいい!」

 まだ人間の手にアイテムが渡ったに過ぎない。そのアイテムを持ち去られる前に、人間を迷宮内で討ち果たして取り返せばいい。彼らが身につけている真新しい装備品も希少価値はないが使い道はある。

「この先の道にはアンデッド族が控えている。動きは遅いがしぶといゾンビ、体力はなくて脆いけどスピードのあるスケルトン。この波状攻撃で一気に取り囲んで一網打尽にできる」

 弱い部下しか手に入れることが出来ないのなら弱いなりに使い道がある。タフなゾンビで取り囲んでスピードのあるスケルトンで確実に倒していく。この連係攻撃には今まで以上に自信があった。いや、むしろ今まで楽に侵入できたことから、新人達は多少油断しているはずだ。失敗が伏線になる。掃除程度ではアンデッド族は無力化できないはずだ。

「……え? スケルトンが……岩壁に打ち込まれたフックに引っかけられている?」

「はい。綺麗に洗ったので干しておきました」

 フックに骨組みを引っかけられているスケルトン。彼らは磔にされて身動きがとれない死刑囚のようになっていた。

「ゾンビが干からびていて動けなくなっている……」

「洗ってもぬめぬめした感触や臭いがなかなかとれなかったので、乾かしたら表面もさらさらで臭いも気にならなくなりました」

 乾燥して動けなくなったゾンビが洞窟の片隅に等間隔で綺麗に並べられている。

 動きたくても動けないスケルトンと動くことすらままならないゾンビ。侵入してきた人間四人組はスケルトンとゾンビを一体ずつ確実に行動不能な状態になるよう攻撃。安全を確実なものにしてからさらに奥へと進んでいく。

「ま、まだだ。まだ最深部にはゴーレムが控えている。ゴーレムなら……」

 最後の頼みの綱であるゴーレムに全てを託すしかない。ゴーレムがやられてしまうと迷宮内の全てのモンスターが全滅したことになってしまう。

 ゴーレム族は攻撃力や耐久力に定評がある。能力の高い者でなくてもそれなりに戦闘力が期待できる。まだ若輩者の新人四人なら十分に勝算がある。

「ゴーレムが……全く隠れてねぇ……」

「砂埃や土にまみれていたのでかわいそうだと思い綺麗に洗い流しました」

「あ、見つかった……って、そりゃそうか」

 本来なら砂埃や土で覆い被した状態から不意打ちの先制攻撃を仕掛ける予定だった。戦闘経験の浅い新人ならそれだけで十分に重傷を与えられる公算だった。しかし隠れ蓑になるはずの砂埃や土は全て取り除かれてしまっており、ゴーレムがそこにいるということは誰が見ても明らかであった。

「でもゴーレムなら、新人四人くらいなら一度に相手をしても勝ち目はある」

 大の大人二人分くらいの大きさのゴーレムが動き出す。振り上げた拳が一撃でも当たれば人間は重傷だ。もし当たり所が悪ければそれだけで死んでしまう可能性もある。ゴーレムはそれだけ攻撃力に定評がある。そして耐久力も高い。一人でも重傷を負わせることが出来れば新人四人組など簡単に瓦解する。

「行け! ゴーレム……え、転んだ?」

 ゴーレムが一歩踏み出したその瞬間、なぜか盛大に転んでしまった。

「地面に艶を出すためにワックスをかけておきました。床もピカピカです」

 ベアトリクスの言葉にとうとう足腰から力が抜けて行くのがわかる。執務室の床にへたり込みながらも、責任者としてゴーレモの行く末を見守る。

 立ち上がろうとしたゴーレモの手はまたしても滑り、地面に倒れ込んだまま起き上がることが出来ない。人間達はしばらくゴーレムの様子を見て、ピカピカの床のせいで立ち上がることすらままならないことを察した。すると彼らは一斉にゴーレムに攻撃を仕掛け始める。武器や魔法でゴーレムはどんどんダメージを負っていく。盛大に転んだときの衝撃で体にひびが入ってしまったこともあり、ゴーレムはさほど時間もかからずにたこ殴りにあって行動不能となった。

 最深部に到達した人間四人組。彼らはしばらく最深部を探索してもう一つ希少性の高いアイテムを手に入れ、モンスターが完全に全滅してしまった迷宮内を安全第一に引き返していった。

 迷宮内には人間にやられたモンスター達の哀れな姿と、迷宮となっている洞窟内とは思えない綺麗な内装だけだった。

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