迷宮の管理者

猫乃手借太

第一話 契約交渉

「では、契約更新のための交渉を始めます」

 上半身が人型で下半身が蛇型の女、ラミア族のフィオラがめがねを指先で定位置に戻しながらその場を仕切る。

 雑多に書類が積まれたデスクの椅子に腰掛ける。対面しているのは契約している部下のアルゴリウス七世。今回契約更新の交渉がしたいという申し出を受けてこの場を設けることになった。

「こちらとしては現状維持の給与で契約期間を延長したいと考えています」

 いくつかの書類に目を通しながら雇用主側の希望を伝える。しかしそれは叶わないだろう。現状維持で契約更新に応じるのであればわざわざこのような場を設けてほしいなどと言っては来ない。どのような要求が来るか、無意識のうちに身構える。

「その件だが、給与のアップと支払い方法を月払いから週払いへの変更をお願いしたい」

 アルゴリウス七世の体が震える。事情はわからないが彼なりの事情があっての申し出だろう。雇用主としては彼の要求に簡単に応じるわけにはいかないが、その事情を考慮するかは聞いてみなければわからない。

「こちらとしてはその要求はのめません。ですがあなたは契約している部下です。抱えている事情による場合もありますので聞きますが、何かありましたか?」

 手元の書類にはアルゴリウス七世の現在の契約内容が記されている。月払いの給与額、成果による手当の内容、契約年数と契約破棄条件など。それとは別に彼の今までの活躍が記されている書類もある。それらの情報を照らし合わせて契約内容を決めている。例外は基本的には認められないが、それは雇用主の胸先三寸だ。

「実は……」

 アルゴリウス七世が体を小さく震わせながら、ゆっくりと事情を説明し始める。

「この前、休暇をもらった」

「はい、休暇の申請を受けて許可を出しました」

「そのときに家に帰った」

「普段は寮生活をしていますからね。里帰りは大切です」

「そこで妻や子供達と楽しく過ごしたのだ」

「妻子持ちでしたね。家族サービスはいいことです」

「そこで、だな。まぁ、何というか……夫婦水入らずの時間もあったわけだ」

「それはそうでしょう」

 アルゴリウス七世が何を言いたいのか、この時点でわかった。彼は過去にも同じ内容で給与アップを願い出ている。書類にも記されているし、記憶にも残っている。おそらく間違いはないだろう。

「簡単に言えば、子供が増えたのだ」

「……だと、思いましたよ」

 無意識のうちにため息が漏れる。夫婦仲むつまじいのはいいことだが、彼は無計画に子供を作りすぎなのだ。

「頼む! 現状維持ではこれ以上子供を養って行くのは難しいのだ」

「計画性を持って行動してくださいよ。給与も高くないのに大家族になって、それをさらに増やすのはさすがに同情の余地がありません」

「一生の頼みだ! 俺の子供達を助けると思って、今回だけは!」

「前回も同じ理由で一生の頼みと言われた記憶がありますけど?」

 給与アップの契約更新を受け入れる気はない。そういう態度をわかりやすく示す。無計画な一家の大黒柱には多少きつくお灸を添える必要がある。

 するとアルゴリウス七世はぴょんとデスクの上に飛び乗ってきた。鬼気迫る雰囲気で、より雇用主の近くで、自らの意見を訴える。それでなんとか給与アップの申し出に首を縦に振ってもらおうという考えだ。

 前回の契約交渉時と全く同じ展開。ワンパターンだ。地面から膝下くらいまでしかない半透明の液状球体が波打つように、デスクの上ぷるぷると震えている。

「だいたいスライム族は子供ができやすくて、さらに一度で多数生まれるのは常識ですよね? そのスライム族である当人が無計画に子作りしないでください」

 デスクの上でぷるぷると震えているスライム族のアルゴリウス七世。七世と言っても彼は名家の跡継ぎというわけでもなければ、七代目というわけでもない。名前を継ぐ習慣がある家の出自でもない。

 彼は最初の面接時に緊張でテンパってしまい、兄弟の中では七番目と言わなければならないところを七世と言ってしまったようだ。後で修正しようと思ったのだが、本人がそのミスをなぜかかっこいいと肯定してしまったため、このような登録名になってしまった。

「す、すまない。だが俺の嫁は実に綺麗でかわいくて、な。夜にこう、せがまれるとどうしても断り切れず……」

 スライム族は正直見た目ではほとんど区別がつかない。彼の言うスライムの綺麗でかわいいという表現は理解できなかった。しかしそれはスライム側から見た他種族も同じ。美醜の感覚は種族ごとに異なる。同種族でも環境や文化が違えば変わるのだ。

「そ、そうだ。あるじはまだ独身だったな。だから大好きな嫁にせがまれたときの感情というものがわからない……」

「あー、はいはい。こっちの話は関係ないからな」

 自分が独身だということはひとまずこの契約交渉には関係ない。大好きな嫁にせがまれて断れるのかどうか、それは確かにわからない。しかしわかったところで契約は数字や実績が全てだ。

「とにかく、給与アップは受け入れられない。今以上の給与がほしかったら他所に移籍してくれ」

「くっ……あるじは酷だな」

 スライム族のアルゴリウス七世。彼はすでに実績を詳細に記して移籍市場リストに載せてある。現状以上の待遇で契約してくれるところがあれば移籍したい。そういう当人の希望を聞き入れてのことだが、移籍市場リストに名前を載せて早三年。彼にはまだオファーが届いていないのだった。

「けど、俺も鬼じゃない」

「確かにあるじは鬼族じゃないな」

「いや、種族の話じゃない。考え方の話だ」

「わかっているぞ」

「だったら黙って聞いてくれ」

 アルゴリウス七世の合いの手のようなチャチャをため息一つ分の間を置いて、契約について可能な最上の条件を提示する。

「週休払いには応じます。しかし給与アップには応じられません。ですがその代わりに成果報酬手当の方を優遇します」

 手元にある書類の一枚。アルゴリウス七世の契約内容が記された紙。彼の目の前に突きつけて成果報酬手当の部分を指さす。

「今までキル数に応じて支払われていた手当を少し上げます。これでどうですか?」

「そ、それはつまり……」

「はい。頑張れば頑張るほど収入が増えます」

「よっしゃーっ! ひゃっほーいっ!」

 デスクの上の液状球体が上下にぽよぽよと弾んでいる。どうやらかなり喜んでいるようだ。当初の目標であった給与アップは無理だったが、少なくとも契約内容は多少よくなったのだ。あとは頑張れば収入が増える。その結果に満足しているようだ。

「あるじよ。恩に着るぞ」

 アルゴリウス七世はデスクから床に飛び降りる。多少形状を崩しながらも数秒で液状球体に元通り。上機嫌さが見てわかるくらいぷよぷよと揺れながら、契約交渉が行われた執務室から出て行った。

「……妥当な判断かと」

 傍らにいながら交渉中は一言も話さなかったラミア族のフィオラ。彼女は今回の契約交渉の内容を評価してくれているようだ。

 スライム族は妊娠から出産までの期間がほぼ全ての種族の中でもかなり速い。さらに一度の出産で多くの子供を産む。スライム族は一部を除いてほとんどが脆弱。外に出れば雑魚の野良モンスターとして数多くのスライムが人間に狩られるのは、雇用主が必要とするキャパシティを大きく超えてしまう数のスライムが出産により世の中に供給されるから。よってスライム族に多額の給与を支払うのは基本的にはあり得ない。

「成果報酬に目をつけ、その額を少し増やすことで納得させたのは最善の判断です。支出は増やさずに士気だけをあげることができます」

「スライム族全体のキル数がここ数ヶ月でほとんどゼロだからな」

「当人は契約内容がよくなったことで満足しているようですが、よくよく考えれば収入が増えないということにいずれ気づくでしょう」

「まぁ、あいつのことだからな。今月はまだ月払いだけどその次からの週払い、それも数回もらった辺りまでは気づかないだろうな」

「はい。彼は愛すべきバカですからね」

 アルゴリウス七世は愛すべきバカ。その認識は共通している。なぜ彼がそう言われるのかと言えば、戦闘要員としての役割には実直に向き合い、仲間内では明るくムードメーカーのような役割を果たしている。だがムードメーカーが向いているというわけではなく、存在と行動と判断の成否にかかわらずそのほぼ全てが後々に笑い話となるからだ。

「来月には文句を言ってくるかもしれませんが、三ヶ月もすれば仲間内での話のネタとなります」

「天性の才能なのか、天然のただのバカなのか、判断に困るんだよな」

「ええ、明確な能力なのか本人の持って生まれた特性なのかは疑問です。ですが戦闘技能以外に目を向ければ移籍の話が三年間まるでないのは理解しがたいかと」

「スライム族という数は野良でも簡単に確保出来る種族で、戦闘要員としての能力が芳しくないとなれば仕方ない部分もあるけどな」

 雇用契約を結ぶかどうかの判断材料は何も戦闘技能だけで決まるわけではない。戦闘要因以外にも同種族や異種族間の関係性、組んだチームや戦術における役割、仕事に従事していない時間帯でも仲間内に与える影響の善し悪し、そういったものが総合的に判断されて雇用主は判断する。

「スライム族に生まれたことが足かせになっているかもな」

「そうかもしれませんね」

 スライム族という重視されにくい種族だ。それだけでどうしても獲得候補者リストの中でも優先順位は下がってしまう。当人には悪いがこれは持って生まれた者として受け入れてもらわなければならない。

「本当だったらもう少し給料を支払ってやりたいんだけどな」

「そうですね。彼はかなり古参のようですから。しかし契約の数字は実力で決まります。甘えさせてはいけません」

「わかってるよ」

 長く勤めてくれている。その恩には報いたい。しかし経営者として感情に振り回されて支出を増やすわけにはいかない。数字にはシビアに向き合わなければならないのだ。

「では契約交渉はこれまでです。次は私から運営についての報告を行います。今後の方針を決めましょう」

 アルゴリウス七世の契約内容が記された紙などはひとまとめにされてファイリングされた後、引き出しの中へとしまわれた。

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