18 墓標

 左腕のGショックを見ると10時だった。津波被災地で出会った死体の腕に填っていたはずの腕時計は大半が盗まれていた。残っている時計を見つけるたびに卯月は値踏みしていたが、安物ばかりだった。児玉は死体から時計を盗む気はしなかったが、落ちていた時計を1つだけ拾った。ドロボウが捨てたのか津波で流されたかはわからなかったが、文字盤が青く光るのが気に入って腕に着けたのだ。すべてが津波に流された被災地では、デジタル時計のカレンダーがなければ日付すらわからなかった。ただし福島の電波時計基地はシステムダウンしていた。

 夜明けまでに適当な場所を探して積荷を始末するしかなかった。さもないと脇実組に帰れない。帰らなくてもいいが、どこに行ったって同じだ。児玉は腹をくくった。他人の免許証で運転するダンプでどこまでやれるか運試しだと思った。

 土地勘もなく、あてどなく海岸に向かったので、どこにいるのか皆目わからなかったが、津波の被災地には間違いないようだった。地震の翌朝に見た光景と比べたら、水が引いて乾き、目立つ死体も片づけられて、再開発のために撤去された市街地だと言えなくもなかった。だが、ガレキの量が半端じゃなく、おそらく泥に埋まった死体も大半がまだそのままなのだろうと思った。児玉の脳裏にはガレキの中から救い出した城山香夜子の怯えきった顔が浮かび上がった。

 原発には近づきたくなかったので、児玉はダンプを北に向けた。ガレキの撤去は少しずつ進んでいるようで、ところどころ道端にガレキの小山が築かれていた。便乗投棄するならここだと思って、思い切って道路脇の空き地に入り、積荷をダンプアウトした。たったの1分が1時間にも感じられ、心臓がバクバク脈打った。穴のオペは慣れていたが、自分から不法投棄したのは初体験だった。

 荷台が元に戻る間も惜しんで現場を離れ、そのままさらに北へと向かった。前方にハザードランプの点滅が見えた。警察の検問かと肝を冷やしたが、カーキ色に塗装された自衛隊の車両だった。工事車両だと思われたのか、検問されることはなく、徐行しただけで通り過ぎられた。自衛隊員たちはダンプを見飽きているのか、まるで関心がないようだった。

 那酉川警察署に近づくのは危険だとわかっていたのに、どうしても行ってみたくて、児玉はそのまま河口を目指した。夜明けはあっという間に訪れた。復旧作業が急ピッチで進む空港には、警察や自衛隊の車両がずらりと並んでいた。城山香夜子を助けた家がどうなったかも見たかった。検問で職質を受ける危険を承知で、進入禁止の海岸沿いの道を進もうとしたが、ガレキに埋まった細道はダンプでは走行不可能だった。やむなくいったん臨空工業団地まで戻って滑走路の西側を迂回した。海上保安学校や航空学校の校庭が空港から流されてきた何千台という配車の仮置場になっていた。それでも片付けきれないのか、田んぼに流されたガレキやつぶれた自動車が散乱し、ガレキを運ぶ道路だけがわずかに復旧していた。ところどころで自衛隊のチームが、重機でガレキを掘って遺体を捜索しているのが見えた。臨空工業団地が無傷なのだけは奇跡だった。津波に襲われたときには、わずかな土地のアンジュレーションや盛土が奇跡を生むのだ。

 那酉川漁港が近づくと、町の破壊度は想像を絶していた。地震の翌朝にも見た光景だったはずなのに、ダンプの運転席から眺める津波の被害の甚大さにあらためて肝をつぶした。そこが住宅地だったとは信じられないくらい、町は爆撃を受けたようになにもなくなっていた。

 漁港の真後ろにある小高い塚の上に人影が見えた。近づくと、戦没者慰霊塚だった。塚の下に折れた石碑が3枚落ちていた。津波が塚を越えた証拠だった。ダンプをガレキの影に停めて登ってみると、そこはまるでガレキの海に浮かぶ墳墓だった。塚の頂上に何十本も建てられた木目の真新しい卒塔婆越しに、360度なにもなくなってしまった目を疑うような眺望が広がっていた。まるで数十年前の戦災の再現だった。涙を流しながら花束を捧げている人が何人もいた。児玉は言葉もなく、無感動に棒立ちになるばかりだった。死者に花をたむけるやつもいるのに、死体の腕から時計を外したり、指を切って指輪を盗んだりしたやつもいる。自分のようにガレキを便乗投棄するバカヤロウもいる。だけど恥ずかしいとは思わなかった。こんな時には生きるために誰だって必死なんだ。生きなきゃならねえ。むざむざ死ぬよりかましだ。年寄りは泣けばいい。俺みてえなチンピラが泣いたって絵にならねえ。児玉は卒塔婆に添えられた花を見ながら、泥に埋まっていた香夜子の灰色の脚をまた思い出した。ガレキを外すと毒が体に回って死ぬと卯月は言っていた。命は助かっただろうか。きっと助かった。そう祈りたい心境だった。神仏なんか気にしたことはないのに、香夜子の無事だけは祈りたくなった。だけど、助かったところでどうなっただろう。家はつぶれ、ふた親は津波に流され、死体すら見つからねえかもわかんねえ。大学生になると言ってたが学費は工面できたろうか。俺なんかとは違って、親御さんが守ってくれるにちげえねえ。そうでねえとしたって、それでもどうかして生きていくしかねえだろう。あれだけの器量なんだ。脚の1本くらいなくなったとしたって、きっと人より幸せになれんだろう。香夜子のことを思い始めた児玉の目から柄に泣く涙がこぼれて止まらなくなった。

 「バッキャロー」涙を振り払いながら無力な自分に向かって思わず叫んだ児玉に、居合わせた全員が共感の目を向けた。みんなできることなら児玉のように体面を捨てて叫びたい心境だった。

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