10 組事務所

 意識が戻った児玉は冷たいコンクリートの床に転がされていた。破鬼田が安っぽいソファの真ん中にどっかと座ってタバコを吸っていた。鷹目組の縄張りを奪った山伊田一家の事務所だなと児玉は察した。

 「おい、目え覚めたか」児玉を見下ろしながら破鬼田が言った。

 「ここはどこすか」児玉は関節の動きを確かめながら言った。骨に異常はないようだった。

 「1つだけはっきりさせてえことがある。オメエ、見たのか?」

 「なんのことっすか」

 「鷹目親分が生き埋めんなったとこだよ。オメエ見たんだろう」

 「いえ、見てませんよ。助けを呼びに行ってるうちに、自然と穴が崩れちまったんすよ」

 「ほんとだな」

 「警察になんべんも話してることっすよ」

 「あの穴にはもう2度と近づくなよ。おかしなまねしやがったら、ただじゃおかねえぞ」

 「もう、ゴミはこりごりっすよ」

 「1度ゴミを触ったやつはよ、一生抜けられねえんだ。こんな割のいい仕事はねえからな」

 「破鬼田のあにい、見損ないましたよ。鷹目組のショバ、どうするつもりすか。あにいが仕切るんすか」

 「てめえにあにい呼ばわりされる覚えはねえわ。それによう、鷹目親分のショバは俺のもんじゃねえわ。俺もよう、潮時だからヤクザ辞めんわ」

 「あ? どういうことすか」

 「若頭はクビだわ。オメエの言うとおり、俺が鷹目組を横取りしたとか、仁義にもとるとかって語るもんがいてよ。だったらヤクザ辞めたるわと思ったわけよ。もうじきに組長会で破門状が出るわ」

 「破門すか。それでこれからどうするんすか」

 「とりあえずゴミ屋を1つ任された。しのげるかどうかわかんねえけどよ」

 「フェラーリはどうしたんすか。破門されるっつうのに」

 「社長が餞別にくれたのよ」

 「それ、すげえすね」

 「そうだオメエ、原発で働けや」破鬼田がタバコの火を床で揉み消しながら言った。

 「はあ?」

 「爆発した原発だよ。東北に居たんだから知ってんだろう」

 「あれっすか」児玉は青い光を思い出したが、爆発を間近に見たとは言わなかった。

 「そうだよ。知ってんじゃねえか。そこで働いてけりをけえせや」

 「なんの借りっすか」

 「組をつぶしたけりだろうが」

 「俺がつぶしたわけじゃねえっすよ」

 「たわけが。せっかくだからよ、鷹目親分の最後を聞かせろや。原発に行っちまったら2度と会えねえかもしんねえからな」

 「俺、原発なんか行かないすよ」

 「そうはいかねえんだ。オメエにはもう川崎に居場所はねえんだ。原発に行ってくればよ、これまでのことは帳消しにしてやるって社長にとりなしてやらあ」

 「さっきから社長って誰すか」

 「まあいいわ。女がどうなってもいいのかよ」

 「訳わかんないすよ。女なんかいねえし」

 「おい」破鬼田が目配せするとチンピラの1人がビデオカメラを持ってきた。破鬼田がプレイボタンを押すと、小さな液晶画面にナオが襲われるシーンが映し出された。

 「やめてよ。なにすんだよ、あんたら、あたしを誰だと思ってんのよ。す…」破鬼田は停止ボタンを押した。

 「なんすかそれ。俺の女じゃねえし」児玉は平静を装った。

 「そうかい。栃木の穴でオメエがしでかしたこともこっちは聞いてんだ。朱雀隊とか言っていきがってる女のダンプ軍団だろう。まとめて売り飛ばしたろうか」

 「破鬼田さん、変わりましたね」

 「あんだとこの野郎。自分の立場わかってんのか」

 「朱雀隊には手え出さねえほうがよかないすか。とんでもねえバックがついてるみてえだから」

 「ほう、まんざらバカでもねえんだな」

 「いいすよ、原発っていくらになんすか」

 「あん」

 「いくらかって聞いてんすよ」

 「梶原組の縁本さんがよ、原発で働くやつを800人集めてんだ。一人工(いちにんく)8万だとよ」

 「それは日当っしょ。あにいにはいくら入るんすか。1人何百万か入るんすよね」

 「さあな。俺は知らねえよ。縁元さんに人集め頼まれてんだけだ。オメエはオペができっから重宝すると思ってよ」

 「いいすよ。8万もらえんなら行きますよ」

 「ほう、女の鳴き聞いたとたんに殊勝じゃねえか」

 「そうじゃないすよ。川崎にいたってしのげねえから。俺は落合みたいな黒服はいまさらできないすから」

 「あっちで一旗上げてこいや」

 「女はどこにいるんすか」

 「おい」破鬼田が目くばせすると、チンピラが隣室からすっかりしょげきったナオを連れてきた。自慢のバストにアザができていた。

 「あんた、だいじょうぶ」猿轡をはずされたナオが、ぼろぼろになった児玉にかけよった。

 「オメエこそ平気かよ」

 「明日の朝5時にここを出んぞ。生きてはけえれねえ覚悟だぜ。それまで女と別れをおしんでこいや」破鬼田は児玉に興味を失ったように、火を点けたばかりの煙草を床に投げて立ち上がった。

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