第二話 刀人 ー弐ー

 高校入学と同時に解決屋の仕事を始めてから様々な依頼をこなしてきた。

 解決屋と言っても表向きは地域支援ボランティアだ。商店街のごみ拾いや、草むしり。小学生の送り迎えに、草野球の助っ人。基本的にはそんな依頼ばかりだ。しかし、今回のような事件を扱ったりすることも、月に一回はある。警察が介入するような事件に発展する前に、未然に防いだり。事件が起きてしまった場合、警察と協力したりする。

 毎日小さな依頼は尽きない。剣術の鍛錬以外の時間の暇つぶしでもあるが、伊織のなかでは町への恩返しという気持ちの方が強かった。

よそ者である自分を、温かく迎えてくれたこの町の人々。そして、赤雲町はその人々が暮らす街だ。恩はあっても恨みはない。自分が貰った恩を返すためにも、人々や町の役に立ちたいというのが本音だった。


「おう、伊織。今帰りか?」

 赤雲軒からの帰り道にあるコンビニの前で、同級生の幸村鷹近(ゆきむらたかちか)に会った。

染めた髪、耳にはピアス。普通にしていればイケメンと呼ばれる顔。鷹近で間違いない。


「しけた面してんじゃねえよ、ほれっ」

 鷹近から缶コーヒーを受け取る。ポケットに入れていたはずの手は冷たくなっており、コーヒーの温かさが手から全身に伝わる。


「何があったか知らねえし、あっても聞きたきゃねえよ。俺は男と話すより、女の子たちと話していたいからな」

「鷹近らしいね。で、今はまだあの娘と付き合ってるの?」

「それ聞いちゃうかあ」

「別に言いたくないなら……」

わざとらしく額に手を当て、食い気味に話す。


「ほらあの娘、清純そうに見えただろ。でもさ、何か独自の世界観を持ってるつうの? なんか不思議な娘だなって思ってたらさ。まあ、とんでもねえメンヘラだったのよ。一緒に死のうとか言いだして包丁持ってくるし、可愛いのに彼氏がいなかった理由が分かったよ」

「……面食い」

「うるせぇ」

「鷹近ってさ、女子にしか興味がない、下半身に脳があるような奴だけど、やっぱ基本いい奴だよね」

「いきなりなんだよ。貶すか褒めるどっちかにしろよ」

 鷹近は本音で言い合うことのできる数少ない友達だ。今だって励ますように気を遣ってくれた。だらしのない性格でも鷹近が女子からモテる理由はここにあるのだろう。


「その娘のこともだけど、何かと物騒だからさ」

 にやっと歯を覗かせて鷹近が笑った。


「お前が言うくらいだ。明日、刺殺されるかもしれねえな、こりゃあ。死亡フラグ立てとくぞ」

 空になった缶を投げ入れてから「気いつけて帰れよ」と言い残して鷹近は去って行った。鷹近はあれで勘の鋭いところがある、直接言葉にしなくても感じ取ったはずだ。

 伊織は底の方の冷たくなったコーヒーを飲み干し、ごみ箱へ入れた。

せっかく温めた体を冷やすわけにもいかず、急いで家へ向かった。


 商店街から離れれば閑静な住宅街が広がっている。

 いつかこの住宅に住んでみたい、と伊織はここを通る度に思っていた。


「雨かよ」

 ぽつりと額に降った雨は、すぐに勢いを強めた。


「やばい、寒い」

 冷たい雨が全身に降り注ぎ、熱を急速に奪っていく。コーヒーの熱はもう残っていない。

 家の近くの公園の前を通る時には、全身ずぶ濡れになっていた。一刻も早く着替えなければ風邪を引いてしまう。こんな時に風邪を引けば、自分の身を守ることすらできない。

 急ぐ足が絡みそうになる。傘もなければ、靴もスニーカーだ。凍るような雨水が足先から染み込む。


「……」

 思わず足を止めて目を擦るが消えない、幻ではないらしい。

 家の前に幼い少女が立っていた。

 頭から雨水を浴び、少女は傘も差さずに佇んでいる。

膝までの濡れた白いワンピースが幼い体を映す。

色の白い足に靴は無く、泥で汚れてしまっていた。

 幼い少女だが、黒く長い髪を水が滴り落ちる姿は、儚さを孕み妖艶だった。

 降る雨ですら、少女自ら受け入れているかのよう。

 少女は伊織に気付き、視線を向けた。

 長いまつ毛に大きな瞳、とても綺麗な子供だと思った。

どこか浮世離れした少女は、ゆっくりと伊織に近づいてきた。

 思わず一歩引いてしまう。

相手は幼い少女だというのに、伊織は気圧(けお)された。


「――貴方が」

 少女の口から言葉が発せられた瞬間、雨音は消え去り少女の声以外の音が伊織の世界から消えた。


「――貴方が、私の所有者ですか」

 その言葉は心に問いかけてきた。耳から入った音のはずなのに、心で言葉が響き、心が返答しようとしている。

自分の知るはずのない答えを口にしていた。


「僕が君の、所有者だ」

「やっと見つけられました。兵藤伊織様」

 少女が微笑むと金縛りが解けたように体に自由が戻る。

自分の体が何者かに乗っ取られたような感覚だった。


「今、勝手に口が」

「今のは伊織様の体が私の言葉に反応したのです。私の所有者である伊織様本人でなければ今の術には掛かりません」

 術という物騒な言葉が聞こえたがそれよりも、少女が何者なのかという疑問が浮かんだ。


「君はいったい……」

「ここで話すのは得策ではないかと、一旦屋内に移動するべきです」

 すっかり忘れていたが今も雨は降り続けていた。体がこれ以上冷えるのも良くない。すぐに少女と玄関の扉を開けた。


「くしゅん」

 可愛らしい音のくしゃみが聞こえた。


「ごめん、すぐにタオル持ってくるよ」

「すみません」

 少女の表情は変わらないが、彼女も相当冷えているはずだ。

 玄関で濡れて重くなった靴下を脱ぎ、急いで脱衣所からタオルを取ってきた。


「……はい、これ使って」

「ありがとうございます……」

 少女にタオルを手渡したのはいいが、自分の体の濡れ具合を見ればタオルでは拭き取り切れないのは明らかだった。


「お風呂、入る?」

「いえ、そこまでしていただかなくとも、大丈夫です」

 しかし、タオルを渡した手は冷え切っていて、寒くないはずがなかった。


「このままじゃ風邪引くよ。準備はすぐだから入った方がいい」

 少し考えた後で少女は「では、いただきます」と頭を下げた。


「じゃあ僕は準備してくるから、そこの茶の間で待ってて」

 少女はこくりと頷き、畳のある茶の間へ向かった。

 

「ではお先にいただきます」

 準備を済ませた後すぐに少女を入らせた。


「そういえば、まだ名前聞いてなかった」

 伊織は着替えを済ませ風呂場とつながる脱衣所へ向かった。

 謎の多い少女だ。雨のなかで伊織を待ち続けていたこと、所有者という言葉。


「僕のことを何故か知っていて、そして僕が彼女の〝所有者〟であると。所有者ってどういうことなんだ?」

 所有者という言葉については少女に直接聞かなければわからない。

 脱衣所で自分と少女の服を乾燥機に掛ける。


「ん?」

 いつまで経ってもシャワーの音が聞こえて来ない。

 浴槽の蓋を開けると音すらない。


「もしかして、シャワーのやり方が分からない?」

 扉越しに声をかけた。


「……はい。わかりません」

 申し訳なさそうに小さな声が返ってきた。


「ええと。椅子の目の前にあるレバーを上にすれば出ると思うんだけど」

「レバーを、上に……きゃあ!」

 シャワーの水が出る音と共に悲鳴が上がる。


「ごめん! 入るよ!」

 扉を開け風呂場へ突入した。

 レバーに手を伸ばし、シャワーを止めるが体に水が掛かってしまう。


「大丈夫だった? 最初に教えておけばよかったね……くしゅん」

 伊織の体も冷え切っており、くしゃみが漏れる。

 見上げるようになった少女と目が合う。


「……一緒に入っていただけますか?」

「そうしようか」

 結局ふたりで風呂に入ることになった。


 ひとつ少女について分かったことがある。

 それは、一人で髪が洗えないということだ。

 シャワーの水を出してあげたのだが、この事実が発覚した為、伊織が少女の髪を洗うことになった。


「目、ちゃんと瞑っててよ」

「……」

 艶のある黒髪が水気を帯びてしっとりと肌につく。


「名前を教えてほしいんだけど」

「……冴村冰昏(さえむらひぐれ)です」

 冴村冰昏。

 目の前にある曇った鏡に字を書いて教えてくれた。


「流すよ。しっかり閉じててよ」

「っ!」

 冰昏の肩がぴくりと跳ねた。


「もしかして目に入った?」

「いえ、大丈夫です」

 目に泡が入ったことを否定した冰昏だがすぐに目を擦ろうとした。


「こら。目に入ったなら水で洗わなきゃ」

「……すみません」

 彼女と出会ってから謝られてばかりだ。人に謝罪されるのは心地よいものではない。それに相手が子供なら尚更そうだ。冰昏という少女には他者との間に高く強固な壁を作っている。子供の人見知りでは片づけることができない、何かを彼女は抱えている。


 冰昏を浴槽に浸かるよう促し、伊織は自分の体を洗った。

 伊織にとって誰かと風呂に一緒に入ることはとても新鮮だった。

一人では大きく感じていた浴槽も、二人で入れば少し窮屈に感じる。しかしそれは、決して不快な狭さではなかった。誰かの体温を近くで感じることができる。自分ひとりが生きているわけではないと、改めて感じさせられる。


「……ねえ、冰昏ちゃん」

 伊織に背負向けて浸かる冰昏に声を掛けた。


「冰昏でいいです」

「わかった。じゃあ冰昏」

「はい。何でしょうか」

「冰昏には聞きたいことが沢山あるんだけど」

「私が答えれることならお答えします」

 ゆっくりと冰昏は振り返った。

 少しツリ気味の大きな瞳が伊織を見つめる。


「まず、君はいったい何者なの?」

「私は冴村冰昏。妖刀です」

「妖刀⁉」

「はい。兵藤家、兵藤真城(ひょうどうましろ)様の名を受け伊織様の元へ参りました」

 兵藤真城。本家の次期当主だ。伊織は過去に一度だけ会ったことがある。

銀髪の麗人。異国の香りが漂う雰囲気を纏い、剣の腕は本家随一。兼政ですら敵わなかった。

真城には本家より、次期当主の証として妖刀〝サエムラ〟が渡されていた。本家にある三本の妖刀の内の一本。触れた全ての物を切り裂くという妖刀だが、真城がサエムラを使うところを見た者はいない。


「兵藤真城の妖刀って、まさか冰昏は」

冰昏は小さく頷いた。


「妖刀〝サエムラ〟……それが私です」

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