第一話 刀人 ー壱ー
桜も散り飽きた春終わり。
兵藤伊織はポケットの中で使い捨てカイロを握りしめる。
「……さむい」
雪でも降りそうな寒さだ。一刻も早く暖を取りたい。
街灯に明りが灯る。
赤雲町のメインストリートにあるラーメン屋、赤雲軒(せきうんけん)。鮮やかな赤に染められた外壁がひと際、通行人の目を引く。
「こんばんわ」
暖簾をくぐれば、空腹を刺激する匂いが押し寄せてくる。
「あ、伊織じゃん。おかえりぃ」
「ただいま、夏希。多々良さん呼んでくれる?」
「はいよ」
同級生の志藤夏希(しどうなつき)が赤雲軒でバイトとして働いている。
夏希とは高校の入学式でお互い迷子になって知り合った。初対面にも関わらず親しげに接してくる夏希に対して戸惑っていた伊織だが、すぐに警戒心は消えていた。
入学式後の教室で再び鉢合わせ、しかも席まで隣になった。
「これも運命かもね。私は志藤夏希、夏希でいいよ。君は?」
「兵藤伊織。僕のことも伊織でいいよ。……な、夏希」
最後に照れて噛みそうになった伊織を見て、夏希はいたずらに微笑んだ。
「よろしくね、伊織!」
夏希と初めて出会ってから一年。何事もなくクラスに溶け込めたのも彼女のおかげ。彼女なくしては、楽しいと思える学校生活を送ることはできなかっただろう。多大な迷惑を掛けたが、彼女は笑って「楽しかったから迷惑なんかじゃないよ」と言ってのけるのだった。
「今行くから何か食べてろ、だってさ」
「じゃあ、いつものでお願い」
「赤雲ラーメンね! 了解!」
夕食の時間を向かえ店内が活気に溢れた。
注文の声があちこちから飛び交うなかで、夏希は注文通りに品を届けていく。見ているこちらが疲れるほどに店の端まで動き回る。彼女の健気な姿勢は見ている人を元気にする不思議な力がある。
「夏希の働く姿に見惚れんのか」
「げ、多々良さん……」
「涼香さんと呼べ」
まるでモデルがランウェイを歩くように厨房から出てきたのは、多々良涼香。伊織のバイト先である〝解決屋〟のボスであり赤雲軒の店主だ。その美貌は高貴に満ちていて、とても商店街のラーメン屋の店主とは思えない。
長い黒髪を後ろで束ね、店名のデザインされたバンダナを被っている。特に着飾らずとも彼女の美しさは十分に溢れていた。
涼香の持つトレーの上には真っ赤なラーメンが置かれていた。
「ほれ赤雲だ」
赤雲ラーメン。名の通り赤いスープは舌を破壊する激辛だが、その辛さは癖になるもので大粒の涙を流してまでも食べる者は多い。伊織もそのひとりで、依頼の報告をするために赤雲軒に立ち寄った際には必ず注文するほどのお気に入りだった。
泣きながら赤雲ラーメンを食べている客を背に伊織は汗を流しながらも表情に変化なく食べ切った。
「相変わらずよく食えるな、それ」
「作った本人が言っちゃ駄目ですよ。まあ辛いですけど、それも魅力ですから」
「ならいいが……さて、仕事の話だ」
涼香が伊織と向かい合うように座る。厨房の夏希に向かって涼香が視線を向けて合図を送る。夏希は頷き仕事に戻った。涼香が抜けて厨房を仕切るのは夏希で、バイトながら的確に指示を飛ばし、混乱なく厨房を動かしている。
「今日の件ですよね」
「そうだ、犯人は事前に伝えた通り古賀礼二で間違いない。男のストーカーの延長かと思ったが、どうも違うらしい」
少し溜めるようにして涼香が続けた。
「古賀からは薬物の陽性反応がでた。これは良い、まう出所は押さえてある。だが、代わりに厄介な物が出てきた」
「厄介?」
「……古賀の体を調べた時、後頭部に切り傷を発見した。爪ほど幅でただの傷かと思ったが、それにしてはあまりにも深すぎた。……脳にまで届いていたんだよ。あんな傷、刀か何かを脳に届くほど突き刺ささなけりゃつかないよ。改めてレントゲンで確認したけど、やっぱり脳まで達してた。
「ど、どうして死なないんですか」
脳にまで達する傷なのだ、死んでいないほうがどうかしている。
「そこは私らも調査中だ」
涼香は頬杖をつき、軽くため息をついた。
「まあ、痛みは薬で誤魔化していたんだろうが、頭に穴が開いているのに血の一滴も流れた形跡がない。これも十分おかしな話なんだが、血の変わり傷口から出てきたのが、なんだと思う?」
傷口を思い浮かべても、血以外の物は想像できない。
わざとらしく、大きなため息をついた涼香は「呆れた」と言わんばかりの顔で言う。
「……砂よ。す、な」
「す、砂⁉」
傷と砂。転んでできた擦り傷に砂が入ること、子供の頃なら誰もが経験したことがあるだろう。だが頭の傷だ。しかも、砂が入るような怪我の仕方で。子供ではなく、大人が。キーワードを並べるとますます混乱してくる。
「しかも、傷口を埋めるほど大量に。誰かが意図的に詰め込んだとしか考えられない。いったい何の為に詰め込んだのか、さっぱりだ」
「確かに猟奇的で厄介な事件になりそうですね」
犯人の目的が不透明なだけに進展には時間が掛かりそうだ。
「ここからの話はお前の家に関係する話だ」
「……兵藤家ですよね」
「ああ」
伊織の表情が暗く曇る。
兵藤の一族は名のある武士の家系で、伊織も一族の血を引く一人。本家と分家に分かれているが、伊織は血を濃く受け継ぐ本家に生まれた。幼い頃から剣術の英才教育を受け育った。しかし、その教育は厳しく幼い体で耐えられるものではなかった。教育という名の暴力を経て、伊織の剣術は上達していった。しかし、体と心の限界を迎えていた。そんな時、鬼道園家との抗争が起こる。混乱の中で、伊織は逃げるように家を出た。
「お前に兵藤の話はしたくないが、今回の事件、兵藤家が絡んでいる可能性が高い」
「この事件に兵藤家が?」
「古賀礼二と最近、頻繁に接触していた男が、あの忌々しい物を持っているのが確認された」
「ま、まさか」
指先の震えが止まらない。
「〝妖刀(ようとう)〟の存在が確認された」
その言葉に関連する様々な記憶が濁流のように押し寄せ、意識が飛びそうになる。
「そして、〝妖刀〟を所持していた男の名は……兵藤兼政(ひょうどうかねまさ)」
「な、なんでアイツがこの町に!」
「落ち着け、伊織」
強張った肩に涼香の手が掛けられる。
少しの間を置き、涼香が続けた。
「私たちの考えが正しければ、古賀礼二の頭の傷は〝妖刀〟によるものだ。というか砂の謎はそうでなければ解けない」
砂に妖刀。その言葉から連想されるものに、心当たりがあった。
「……兵藤本家にあった三本の妖刀のひとつです」
「やはり兵藤家が持っていた物か」
「はい。砂の妖刀〝白砂(しらすな)〟兼政が持っていたなら間違いないと思います。あの妖刀はアイツが本家より授かったものですから」
刀に魅せられた家系、それが兵藤家。刀の為に幾つも死をもたらしてきた一族だ。
兵藤兼政はその中でも特に刀に固執している。粗暴な性格で他者を寄せつけない。刀と戦いにのみ興味を示し、刀で斬ることに快感を得ている変人だ。
伊織は兼政に何度も剣術で勝負を仕掛けられてきた。その度に真剣で切りつけられ、生傷が絶えなかった。しかし、そこは兵藤の家だ。人の死を数えることはない。「敗者が死なぬ理由はない」という教えがまかり通る場所なのだから。
兼政の名を聞く度に、今でも古傷が痛む。
「兵藤本家が何をしようとしているのか、私たちも情報を集めているところだ。伊織、お前に接触してくる可能性が高い。今回の事件も含めて、この町で良くないことが起ころうとしている。何かあったらすぐに連絡をよこせ、いいな?」
「……了解です」
「そう暗い顔をするな」
最後に伊織の頭を撫でてから涼香は厨房へ戻った。その後ろ姿を眺めてから、伊織は店を後にした。
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