幼刀物語

缶太朗

プロローグ 解決屋


 相川南美(あいかわみなみ)の携帯に見覚えのない電話番号から着信が入った。いつもなら無視をするところだが、今日は彼氏とデートをした後で高揚していた所為か、つい電話に出てしまった。


「会いたい」

 電話から聞こえてきた男の声は、湿った呼吸音が混じった気持ちの悪いものだった。すぐに電話を切り、電話番号を再確認するが、やはり見覚えのないものだ。

次の日メールが届いた。


――会いたい、僕も好きだよ南美

 なぜ相手が自分の名前を知ってるのか、全身が見られているような恐怖を覚えた。すぐさまメールアドレスと電話番号を変えたが、男からの着信が止むことはなかった。迷惑になると思い、彼氏の長谷雄太(はせゆうた)には連絡していなかった。しかし、得体のしれない恐怖に耐えきれず今朝学校で教えてしまった。

正義感が強く周りからも慕われる雄太は、サッカー部のキャプテンという役も自ら志願し務めている。満場一致で彼に決まったことが、彼が魅力的な人物である他ならぬ証拠だろう。

 南美はサッカー部のマネージャーとして彼を支えてきた。そして、三年生に上がるこの春に彼からの告白を受け、晴れて彼氏彼女の関係になった。一方的な片想いが実り、天にも昇る気分で過ごしていた。

 だからこそ、彼との関係に少しの波も立てたくはない。

 打算で付き合いたいと思っていたわけではないが、雄太との関係から受ける恩恵は大きかった。クラス内での地位が雄太と関係を持つことで相対的に上がっていき、今ではクラスの中心として生活できている。勿論、同性からの嫉妬は山ほどあったが、それでも見返りの方が大きかった。


 雄太は彼女から助けを求められたことにうれしさを感じていた。しかし同時に彼女を狙っている犯人に腹を立てた。

 人望に熱い雄太が情報を集めることに、さほど苦労することはなかった。


「犯人、突き止めたぞ」

「え!」

 学校に登校するなり雄太から報告を受けた。


「ここのOBの古賀礼二って言う先輩らしい」

 南美には聞き覚えのない名前だった。


「俺らが一年の時、三年だった人。先輩たちに聞いて回ったら、電話番号知ってる人がいたんだよ。その人に確認してもらったら、その番号は古賀先輩で間違いないって」

 古賀礼二。記憶をたどってみるが南美のなかで該当するものはない。こんなストーカー紛いの行為をされるほど接触した男子など雄太を除けば他にはいなかった。


「なんか先輩たちが言うには大学に入ってから人が変わったらしい。昔は付き合い良くて野球部でも部長だったらしいけど、だんだん付き合いが悪くなって、今は大学にも滅多に来ないし、やばい噂が立ってるって」

「やばい噂って?」


「信憑性は薄いんだけど、薬に手出して、裏の組織と関わり持ってるとか。……南美、俺が良いって言うまで古賀先輩と連絡は絶対に取るなよ」

 いつも笑顔以外の表情を浮かべることが少ない雄太だが、今は南美が見たことのないほど険しい顔に変わっていた。


「……わかった。でも雄太も危ないことはしないでよ?」

「ああ、分かってるって」


 南美はいつ鳴るか分からない携帯に意識を削がれ勉強どころではなかった。警察に届けようと思ったが、「警察に行ったことがバレたら、何をしてくるか分からない」と雄太に止めれた。十分な睡眠も取れず、疲弊していく一方だった。

 こんなはずじゃなかったのに。


 南美が想像していた雄太との華々しい生活は訪れず、待っていたのは自分の身の危険に神経をすり減らす日々。精神的にも肉体的も疲労はピークに達していた。そんな中で再び事の元凶である男からメールが来た。

――今から、会いに行くね


「ひぃ」

 体を電流が走るように恐怖が駆け抜けていった。携帯が手から零れ落ちる。拾おうにも体は床に張り付けられたように動かない。

――坂嶺(さかみね)商店の前まで来たよ、待っててね

 家から見える距離にある店だ。あの男が近づいてくる。心臓の音が耳から聞こえる。聞こえないはずの男の足音さえ聞こえてくるようだった。今すぐ助けを呼ばなきゃ。そう思い携帯を拾うが、思ったように指先を動かすことができない。男の声が指に絡みついてくる。


「ゆ……ゆ…うた……た…す…」

 震える体を抱いて精一杯の声を上げた。喉が恐怖で固まり上手く音にすることができない。

届くはずもない声も、もしかしたら雄太なら来てくれるかも、という淡い期待に最後まで縋りたかった。そうでもなければ壊れてしまう。

 自分が言い出して高校から一人暮らしを始めたのだ。当然、家族は家にいない。身近で助けを求められるのは雄太以外にいない。

 アパートの階段を駆け上がる音がいた。

 音は南美の部屋の前で止まる。ガチャガチャと鍵を開ける音がした。


――会いたい

 男の声が頭の中でしつこく流れ続ける。青白くなった手で祈るように携帯を握った。

 がしゃりとドアが開く。

 何も悪いことなんてしていないはずなのに。どうして私ばかりがこんな目に合わなくてはいけないの。他の人じゃなくて、なんで私なのよ。もう、なんでよ。

 憎めるものを手当たり次第に憎んだ。

 三和土(たたき)から靴の脱ぎ捨てる音。


「南美!」

 雄太は南美の震える体を強く抱きしめた。南美の体は冷たくこわばっている。

「……ゆう、た」

 南美の頬に涙がつたう。

 私は雄太を彼氏にして良かったと今日ほど思う日はないだろう。


「なんで電話に出ないんだよ、心配しただろ!」

「……ごめん。気づいてたんだけど、出ようとしたらメールがきて……」

「まさか、アイツからか!」

 南美の握る携帯を開き、メールを確認する。

――さっき走って行く人が見えたけど、南美の知り合い?

 文を読むなり痙攣するように南美が震えた。


「大丈夫、大丈夫だ。絶対にお前を守るから。それに、こっちだって手は打ってる」

 一瞬、雄太の顔に余裕が生まれた気がした。しかし、すぐに険しい表情で施錠したドアを見つめた。


「……南美……ねえ…いるでしょ……」

 低く湿ったあの男の声が、ドアから染み出すように聞こえる。

 あの男がすぐそこに立っている。


「……あれ? なんで靴がふたつあるの?」

 地面との隙間からぎょろりと黒い瞳が動いた。


「しかも、男の……もしかして、さっきの男かぁ!」

 がたりと軋むような音がした。男がドアにたいあたりをしている。


「ねえ、南美ってばぁ!」

 ドンッ、とひと際大きな音と共に部屋が揺れる。


「あぁ、そうだ鍵……管理人からもらったんだぁ」

 管理人は見知らぬ人に鍵を渡すわけがない。それに、これだけの音を立てても駆けつけないところを見ると既にやられてしまっている可能性がある。


「部屋の中に入られる前に俺がアイツを倒してくる!」

 あらかじめ用意していたスタンガンを取り出し、玄関へ向かう。


「南美、絶対にお前だけは助けるから」

 恐怖で怯える南美を背にドアノブに手をかける。

 俺は誰かの為に行動するのが好きだ。今だって、死の恐怖を感じつつもどこかで楽しんでいる自分がいる。誰かの為に死ねるってかっこいいだろ。死に様くらいは自分で選びたい。いつ死ぬか分からない毎日を過ごすなら、今日彼女を救うために使った方が有意義だと思わないか。


「……南美……中にいるの、誰……ねえ……ねえ…答えてよ!」

 男が開錠すると同時にドアを引く。

前のめりに立っていた男の身が雄太に向かって倒れこむ。


「くらえ!」

 すかさず脇腹にスタンガンを当てる。バチバチッという音と光が散った。

 確実に当てた感触がある。

 しかし雄太に訪れるべき男の重さは、いつになっても来ない。

 男はボリボリと、スタンガンが当てられた脇腹を掻いていた。並み以上の人間でも致死量ぎりぎりの電流を流したはずだ。それでも男は蚊に刺された程度の反応。いかに体を鍛えようとも電撃に耐性をつけるのは難しい。しかし、こうして目の前で男は平然としている。理解が追いつく暇もなく、男の腕から強烈な一撃が脇腹を襲った。肺が押しつぶされ呼吸ができなくなる。必死に空気を取り込もうとする間に、追撃。右足の蹴りで部屋の中へ飛ばされる。そこからは男の一歩的な暴力。肩に噛み砕き、腕の関節をあらぬ方向へ折り曲げ、鼻を正面から潰した。

 きっとこれは悪い夢なんだ。そうだ、そうじゃなきゃありえないもの。

 雄太が男によって蹂躙されている間、南美は呼吸することさえ忘れていた。人の暴力がここまで恐怖を与えるものだと今日まで知る由もなかった。あたりまえに過ぎていく日常が全てで、テレビで流れる強盗や殺人事件はどこか違う世界の話だと思っていた。可哀相に、でも私のことじゃないし、どこかでそう考え続けていた。しかし今、目の前で起こっている事件は他人事ではなく、私がその中心にいる。可哀相だと言われる側に自分がなってしまった。


「……南美ぃ……」

 返り血で濡れた顔がこちらを向いた。瞳孔が開いた大きな眼には、南美の姿がはっきりと捉えられている。


「や、やだ! こないで!」

「ねえ、会いに来たんだよ? うれしいでしょ、ね」

 にたりと、男は嗤った。


「……やっと、会えた」

 ゆっくりと立ち上がり南美のもとへ歩き出す。

 涙も枯れて声さえ出ない。男を拒む力も気力も恐怖によって削ぎ落されてしまった。いっそ壊れてしまった方が楽になるのかもしれない。何もかも忘れて、雄太のことすら忘れてしまえば。……だめだ。雄太の事は忘れたくない。こんな状況になって自分がいかに長谷雄太という人間を愛していたのか気付かされる。

こんなの残酷すぎるよ。


「遅れました!」

 突然の来訪者に視線が向けられる。

 制服に身を包んだ黒髪の少年、その幸薄い顔に僅かに汗を光らせている。


「……」

 一瞬、男の動きが止まったがすぐに獲物を狙う獣の目に変わった。

 少年はすぐ横に倒れていた雄太を見た。表情は変わらない、しかし、状況を把握したのか目線に動きがなくなる。そして、ゆっくりと男に近づき始めた。


「…お前、誰だ……また、違う男…南美の……男か!」

 血走った目が更に濁る。歯茎が浮き上がり、敵意を少年に向ける。


「に、にげて」

 ここで声を上げるのは危険だと理解していたはずなのに、口からこぼれるように吐き出していた。少年がすこし笑ったように見えた。


「死ねっ!」

 大きな肢体を揺らし男は少年に突撃する。なんでもない突進だが男は服の上からでも分かるほど、不自然な付きかたをした筋肉の鎧を纏っている。恐らくステロイドの類の筋肉増強剤を使用したのだろう。男は自分の体を武器として少年に襲い掛かる。見るからに非力な少年には勝ち目はない。雄太よりも深い傷を負うに違いない。最悪、死もありうる。


「……」

 少年は軽く腰を落とし、構えた。

 男の背丈は少年の倍近くある。その巨体を弾として放った。自らが壊れることはないという自信がなければできない攻撃だ。


「……兵藤流戦闘術、伍ノ型〈威心〉(いしん)!」

 互いの距離が零になる一瞬、少年から放たれた一撃が男を捉えた。

 繰り出されたのは、突き。相手に直接触れるわけではなく、顔面を狙い寸止め。その威を以って相手の意識を消し飛ばす技。人間の認識できない速度で繰り出され、情報を処理しきれなくなった脳は麻痺する。

ずしりと音を立て男の巨躯が崩れ落ちる。白目を剥き、口から泡を吹いて倒れた。

 少年は何事なかったように男の手足を縛り、電話をかけた。


「こっちは終わりました。負傷者は一名です、え、僕じゃないですよ。後片付け、よろしくお願いします。後で赤雲軒に行きますから」

 一瞬で終わった攻防に南美の意識が追いつかない。

 終わったの? 助かったの? 全身から力が抜け、床に倒れこむ。


「だ、大丈夫ですか?」

 通話を終えた少年が南美のもとへ駆け寄った。


「あぁ、ダメ来ないで!」

 体の隅に至るまで張っていた気が抜け、筋肉が緩和される。気づけば辺りに水たまりができていた


「……いや」

 止めようと努力しても体にそんな力は残されていなかった。


「……」

 少年は無言でポケットからハンカチを取り出し、床を拭き始めた。一切喋ることなく水分を拭きとり、流しで洗いまたその繰り返し。


「……あ、ありがと」

 お礼を言うと、少年は微笑んだ。


「では、これで。ええと、雄太さんの方も手当しておきましたので心配はないです。もう少しで片付けの方々が来ると思うので、それまで待っててください」

 支度が済んだのか少年は部屋から出ていこうとする。

 改めて確認すると少年が着ている制服は、赤雲(せきうん)高校の物だった。


「そうだ、この件は内密に処理するので、今後のことは気にしないでください。それでは」

「ま、待ってください。あの、名前を教えてください」


「兵藤伊織(ひょうどういおり)、赤雲高校二年。解決屋をやっています!」

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