第2話 とびきりの美女
「なんにせよ、奴は良くやったよ」
課長が、そう言ってテーブルを叩いた。
「暗殺未遂までされたってのに、それでも和解案を通しちまったんだからな。おかげで、見ろ。今じゃ日本が、地球でも上位の対火星貿易国だ」
「そうですねぇ」
俺は手拭きを探すと、お猪口からこぼれてしまった日本酒を拭きながら、適当に相づちを打った。課長は、かなり酔っぱらっている。こんな時は、聞き役に徹した方が無難だ。
「曽根原首相は、やり手でしたからね」
「だろ? そこへ行くと、なんだ、あの遠山って野郎は。政策は骨抜き、言うことは馬鹿の一つ覚え。奴は、テレビになんか出ない方がいいな。あの間抜け面が映るたんびに、支持率が下がる一方じゃねぇか」
「へえ。投票ネットに加入されたんですか?」
「おお、よく聞いてくれたな。あれは面白いぞ。山ほどあるカテゴリから選んで、音声入力でぽい、よ。『権力無き民草の声』ってのが、なかなかだな。題目にセンスがある」
「賛成していた政治家も、結構気にしてるって話ですからねぇ」
「影響力の有無じゃないんだよ。分かるか?」
課長は、真っ赤な顔でにんまりと笑った。
「エンタメ欄に『えこひいき』ってのがあってな。ドラマとか歌番組なんかに表示されるんだが、題目がまたいいんだ。単純明快、ずばり『長崎夕子は、かわいい? イエスかノーか』それだけよ」
「長崎夕子って、女優さんでしたっけ?」
「かわいいと思うか?」
「かわいいんでしょうねぇ」
「ところがどっこい。ノーが六十八パーセントで、勝利したんだ」
課長は、その結果が嬉しくて仕方ないらしい。俺は、どうにか思い出せる程度の女優、長崎夕子に同情したくなった。
「長崎夕子は、あの鼻と喋り方が気に入らなくてな。いや、あれは気分が良かった」
「でも、投票している人数とか、年齢層にもよるんじゃないですか?」
「なんだ。お前は、長崎夕子がかわいいと思うのか」
「いや、そうじゃなくて、ですね」
俺は、しどろもどろになりながら、課長の渋面を見返した。まったく、どうして課長の隣になんか座ったのだろう。
「あんまり知らないんですよ。女優とか、アイドルとか」
「今、一番のかわいこちゃんは、鈴木友恵に決まってるだろう!」
なるほど。課長は、それが言いたかったのか。
「友恵ちゃんは、いいぞ。すごくいい。なんと言っても、気品がある」
「そうなんですか?」
「ありゃあ、大成するぞ。今までにいないタイプだ」
「そうですか。覚えておきます」
俺は、せいいっぱい真剣な顔で請け負うと、課長がそれ以上なにか言う前にとトイレに逃げ込んだ。
そもそも、忘年会なんぞに出たのが間違いだった、と思いながら。
二次会は遠慮して、俺はモノレール駅へと急いだ。
今夜は、古い洋画のリバイバルがあるのだ。録画予約もしてあるし、あと半年も経てばまた、どこかで放映するのだろうが、やるからにはリアルタイムで観たい。課長のように、投票ネットの類いに加入するほどのテレビ好きではないが、コメント欄で同じ映画好きと実況し合うのが楽しいのだ。
深夜でも明るい繁華街を抜けると、ひときわ目立つ新国道に、ニューステロップが流れていた。
『……鈴木友恵が、新年大型ドラマの宣伝のため、共演した草加佑司とともに……』
これはまた、面白い偶然だ。
立ち止まって待つと、新国道の長細いモニタに、はっとするような美女が映し出された。
色白の顔は、絵に描いたような卵形。すっきりとしたあごの線と適度に突き出した唇が、まるでキスをねだっているようだ。流行に関わらず受けのいい黒髪は、肩の上でゆるくカーブしている。
しかし、なんといっても、その目だ。
はにかんだように微笑む彼女の目は、一重とは思えないほどぱっちりとして、瞳は日本人でもめったにいない、吸い込まれるような黒だった。
確かに、かわいこちゃんだ。
純和風美人。大和撫子。いやいや、そんな言葉では追い付かない。課長の台詞ではないが、すごくいい、のだ。
そこまで考えたところで、俺ははっとして周囲を見渡した。芸能ニュースを見上げて、ぽかんと口を開けている自分に気付いたからだ。雑踏の中には他にも数人、頭上の美女に見入っている男がいた。その間抜け面を見て、さらに恥ずかしくなった俺は、ちょうど青になった信号を駆け足で渡った。
それにしても、かわいかった。
しばらく歩いて、俺は先ほどの美女を思い出し、にんまりした。年齢は定かでないが、美少女といえるほど若くはないだろう。可憐な容姿でいて、どこか色気もある、まさに美女なのだ。
自分の語彙の少なさに、歯がみしたくなる。
俺は元来、アイドルや女優といったものに、大して興味を持たない。
女性の容姿にはうるさいし、好みの美人に会えば一度お願いしたい、と思う程度には好色だ。しかし芸能人となると話は別で、絵に描いた餅は食えんと、冷めた目で眺めるのが常だった。こんな風に顔を思い浮かべただけでにやつくなど、今までなかったことだ。
鈴木友恵、か。
今度、どんな番組に出ているのかチェックしてみよう。
それきり、彼女のことは忘れていた。
やはり性格というものは、一朝一夕には変わらないらしい。
年末年始の予定もなく、狭いアパートでごろごろしていたとき、枕元の携帯端末が鳴った。
『やあ、私だよ。今、暇かね』
驚いたことに、相手は課長だった。
俺はつい、布団の上で正座してしまった。
「はあ、暇ですが。どうしたんですか」
『いや、大したことじゃないんだがね。この間、話しただろう。ほら、友恵ちゃん』
「ともえちゃん、ですか? ああ、女優の」
『そう。あの子の出るイベントがあるんだがね、君、私の代わりに行く気はないか?』
「イベント……いったい、なんのことですか」
俺は、困惑して聞き直した。これは、本当に課長の声だろうか。普段は、おい、お前と偉そうに呼びつけるくせに、君などと呼ばれては疑いたくもなる。
『ここだけの話にしてくれよ……実はなあ、友恵ちゃんの出演する生番組があるんだよ。で、観覧希望のメールを送ったら、だね』
課長の話はあちこちに脱線し、十分ほどもかかって、ようやく終わった。
俺は、家族で遊園地へ出かける課長の代わりに、友恵ちゃんほか、豪華女優陣が出演する番組を観覧することになった。認証チケットは、課長にしては手際良く、譲渡サイトを通じて昼過ぎに届いた。
収録は夕方からだ。俺は、のんびりと風呂に入り、路線情報を確認することもなく家を出た。
モノレールを終点で降りて、俺は心底から後悔した。
車内の一時間ほどを寝ていたのが、そもそもの敗因だ。もっと早く周囲の状況に気付いていたら、俺は途中で引き返し、万年床に潜り込んで、友恵ちゃんのことなど忘れ去っていただろう。
暑苦しい人込みを抜け、収録現場である公園型スタジオへの道から逃げ出すと、俺は歩道の手すりにもたれて息をついた。
スタジオへ向かってじわじわと歩くのは、様々な年齢の男たちだ。中には、初老の男性もいる。オタク丸出しの野郎から、こざっぱりとした今時の青年まで、皆がみんな、嬉々として同じ方向へと流れて行くのだ。
恐ろしい光景だった。
俺はコートのポケットから携帯端末を取り出し、認証チケットを確認した。チケット内臓のデータを呼び出すと、イベントのスケジュールがホログラムで表示される。前座に出るお笑い芸人まで、顔写真付きで紹介している親切ぶりだ。
スケジュールの最後の方には、こう記されている。
『金森エミー/長崎夕子/鈴木友恵 サイン会および握手会』
サイン会、および、握手会。
頭の痛くなる文章だ。
しかも、俺の認証チケット……正確には、課長が獲得したチケット……には、オレンジ色の文字で『サイン会/参加整理番号084』なる、悪夢のような記述があったりする。
つまり俺は、これから男ばかりの観覧席で、うんざりするような年末番組の収録に耐え、あろうことか、最後の『鈴木友恵サイン会』に並ばなければならないのだ。
これを悪夢と言わずして、なんと言おう?
実際、悪夢だった。
番組の収録は、野太い歓声の響き渡る中、プラスチックの椅子にしがみついて過ごした。団体様の美少女アイドルが、限定チップ(立体グラビアほか、豪華プレゼント内臓)入りのカラーボールを投げたときなど、頭を抱えてうずくまっていた。
この場の誰よりも、俺は不幸だった。
そうして、とうとうサイン会が始まった。
妬ましさと恨みのこもった視線を投げられながら、俺は小さくなって列に並んだ。番号が早かったのが、せめてもの救いだ。ステージに上がり、目の前に三人の美女が見えても、気分はさっぱり良くならなかった。
スタッフジャンパー姿の係員に、課長の名前が薄く印字されたサイン色紙をもらい、俺は横並びで待つ三人の美女へと向かった。これで、ようやく全てが終わる、と思いながら。
金森エミーは、俺よりも背が高かったが、俺よりも字が下手らしい。くねくねとした暗号のようなサインをして、骨張った手でしっかりと握手をしてくれた。
長崎夕子は、課長が言うほど、おかしな鼻でもなかった。にっこりと白い歯を見せて明るく笑い、課長の名前にハートマークを付けてくれた。
そして、鈴木友恵の番になった。
実物は、映像など足下にも及ばない、華やかなオーラを放っていた。俺はぽかんとして、その場に立ち止まった。前の男がサインを終えてステージを去ったが、俺はただひたすら、彼女を見つめていた。
「すみません、早くして下さい」
背後から気弱そうな声で注意されたが、足を踏み出すこともできない。
これは、なんだ?
これは、なにかの冗談じゃないのか?
愕然として突っ立っていると、目の前の彼女も徐々に不安げな顔になる。
周囲が少しざわついた。異常事態と判断してか、長いテーブルの端に控えていた警備ロボットが、ゆっくりとこちらへ近付くのが分かった。
俺は、喉から声を絞り出した。
「……君は、違う」
鈴木友恵の顔が、さっと強張る。
次の瞬間、警備ロボットが俺を取り押さえた。
無針注射器で麻酔された俺は、機械の腕に引きずられながら、あっという間に意識を失った。
目が覚めると、知らない部屋にいた。
真っ白な壁に、クリーム色の天井。だるい体で起き上がると、ベッドの下も真っ白な床だ。
はて、ここはどこだろう。
あぐらをかいて、しばらく考える。俺は、こんなところで、なにをしているんだ?
「目が覚めましたか?」
不意に背後から声をかけられ、俺はびくりとして振り返った。
「お茶でもいかがです。気分が良くなりますよ」
そう言ってサイドテーブルを手で示したのは、ひとりの女性だ。年の頃は三十前後だろうか、長い髪をお団子にまとめて、なかなか知的な風貌をしている。もっとも、その知的成分は、半分がた身に付けた白衣による印象だが。
俺は、はあ、とかなんとか答え、言われるままにサイドボードを引き寄せた。湯気の立つガラスのカップには、ハーブティーらしきものが注がれている。何口かすすると、確かに少し気分が良くなった。
「あなた、ずいぶん落ち着いているのね」
「はあ」
俺はカップを抱えたままうなずくと、白衣の女性に向き直った。ぼんやりとした色彩の部屋で、簡素な事務用椅子に座る彼女は、とてもきれいに見える。血色の良い肌と、好奇心に輝く茶色の目が、なんとも印象的だ。
だが、どこの誰なのだろう。過去に見知った顔ではない。
「えーと。ここはどこですか」
「ごめんなさい。それは教えてあげられないの」
女性は、そう言って肩をすくめると、軽く身を乗り出した。
「あなたは今日、一人の女性に会いましたね」
俺が首をひねってみせると、女性は続けた。
「鈴木友恵という女優に、会いませんでしたか?」
「ああ、サイン会の」
「そう。あなたはそのとき、なにかに気付きましたね」
「彼女が、機械だってことですか?」
たちまち女性は、悲しそうな表情になった。
「……困ったわね」
女性は、本当に困っているようだ。深くため息をついて、また顔を上げる。
「彼女は完璧だったはずなの。どうしてあなたに、それが分かってしまったのかしら」
「ああ、それは簡単です」
俺は胸を張って答えた。
「俺には、人間とロボットを見分ける、一種の超能力があるんでね」
さらに困惑した表情の女性に、俺は得意になって説明した。
子供の頃から、ロボットの類いを前にすると、直感的にそれに気付くということ。脳の片隅で、ちかりと火花のようなものを感じて、たとえ相手が背を向けていようが、指先しか見せていまいが、それが生物ではないと分かってしまうのだ。
「生体機械、とか言うんでしたっけ? あれは、特に分かりやすいんですよ。二メートルもあれば、姿が見えていなくても気付くかも知れませんね。ああ、そこに居やがるな、って。匂いとか、そんな直接的なもんじゃないんです。ただ、それが分かる。昔は、これが役に立ちましてね。不良少年ってんですか? 警備ロボットの隙をついては、こう、色々と……」
とうとうと語っていた俺は、そこで口をつぐんだ。
聞き手が頭を抱えるようにして、うなだれてしまったからだ。
しかし彼女はすぐに復活すると、白衣から取り出した携帯端末で誰かと話し始めた。
「ええ……ええ、そうです。はい、しかし……分かりました。説得してみます」
女性は、俺にはさっぱり意味の分からない話を終えると、真剣な眼差しでこちらを見た。
「私たちは、人権問題には、とても敏感なの」
「はい?」
「だから、手荒な真似はしないと約束するわ」
「はあ……ありがとうございます」
「あなたの記憶を消去するのは簡単だけど、そうもいかないから」
「ご冗談でしょう?」
わざとらしく驚いてみせたが、女性はにこりともしなかった。
俺はなぜだか、不意に彼女の笑顔が見たくなった。
「あなたの能力をテストしたいの。いいかしら?」
「まあ、どうぞ」
そして、俺はテストを受けた。
あれから二ヶ月が経った。
俺は元の会社を辞め、現在、とある企業に雇われている。
給料は、ほぼ倍額になった。狭い賃貸アパートから引っ越し、立派な社員寮の一室を与えられている。大した頭もない平凡なサラリーマンにしては、破格の出世だ。
仕事は、そんなに難しくない。ただ、ぶっ続けに参加させられると、少し頭痛がする。
え? どんな仕事かって?
すまない、詳しくは教えられないんだ。
言わなくても、なんとなく分かるだろう?
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