第10話 「精霊器使い」


 翌日はアキラにこの島のことを教えることに時間を割いた。



「ここは見た目が怖いひともいると思うけど、俺と一緒にいたら大丈夫だから。なるべく俺から離れて行動は控えること」

「うん」

「あとで、おまえが刺した奴のところにいって謝ろう」

「うん」



 今朝早くここへ来た鴻衆によると、アキラが刺した男たちは、幸い急所は外れていて、傷こそ深いが命に別状はないとのことだった。

 ちなみに、その鴻衆が来た時に驚いたアキラに刺された。七本ほどの白刃がその体から生え、背後から秋の体を串刺しにしたのである。ここに至るまで、声をかける瞬間を間違えたとき一回、広場から聞こえてくる怒声に驚いたとき三回、玄関の扉に誰かがぶつかる音に驚いて一回、そのほかにもあと七回くらい刺されたため、さすがに慣れた。刺されるなど慣れたくなかったが。

 あの刃のことについては、アキラ自身どうして出るのか、わからないようだった。今のところは出ることは無いが、外に出たら分からない。おそらく、感情の高ぶりなども関係してくるのだろう。



 しかし、ここで篭っているわけにもいかない。沙月は教えてくれなかったが、アキラの正体は正しく理解しておくべきだろう。知ることは、アキラのこれからに必要になる。

 沙月は呪い持ちでも獣人でもないと言った。魔力の因子が残りやすく、この世界に生まれやすいのはその二つであるため、他の可能性というと、あと一つくらいだろう。



「アキラ、今から少し出掛けるけど、大丈夫か」



 遅めの昼食を終え、満腹でぼんやりとしているアキラに声をかける。のろのろと秋のほうを振り返るが、その顔は眠そうだ。昨日一日中寝たくらいでは疲弊した体は戻らなかったらしい。因子を持つとしても、やはり幼子だ。

 このまま夕食まで寝かせ、その後出掛けるのもいいが、それでは目立つ。この部屋の外に、この島に慣らすには皆が寝静まる昼間の方がよいだろう。

 まあ、急ぐことはない。心当たりの人物はどこへ行くこともなければ気分屋であるということもない。いつでもいいのだ、実際。



「アキラ? 別に今日じゃなくてもいいから、昼寝するか?」



 呼びかける。体に触る、いきなり近づきすぎるなどすると驚かせてしまう可能性があるため、少し距離を取っている。



「……ううん、いく」

「そうか、わかった」



 そうと決まれば、さっそくだ。アキラに履かせる靴は今のところ秋が前に履いていた布製のものだけである。それを出しておいたのだが、実際に履いてみるとぶかぶかだ。



「歩けそうか、アキラ」

「うん」



 靴紐を少しきつめに結んでやり、せめて脱げないようにしてやる。アキラは立ち上がると、その場でぱたぱた足踏みをした。よし、大丈夫そうだ。

 ドアを開ける。時刻は三時過ぎ。晴れているし、まだ明るい。柵を乗り出し、下の方を見てみると、やはり人の気配は無い。

 戸惑っているアキラを呼び、家のドアを閉めた。

 坂を降り、階段を下っていき、まっすぐ降りていくと最終的に広場のほぼ中央へ降りることが出来る。今日もそのように降り、広場へたどり着いた。そこから目抜き通りを島の奥へと向かう方に進んでいく。目抜き通り、といっても広場から奥へ行くと、その上には建物が上へ上へと連なっているので、道の上でも屋根がある。

 この広場に近い下の方や目抜き通りに立ち並ぶ店は食べ物屋やら飲み屋やらが多く、夜になるとさぞ賑わう。アキラは閉まっている店を興味深そうにきょろきょろしているが、やはりまだ怖いのだろう。秋の袖を握って離さない。

 道なりに進んでいくと、途中から賑わう店は減り、徐々に特定の客のみ迎える店であったり、小物屋やら呉服屋などになってくる。それらの店を通り過ぎていくと――一際大きな門に、行き当たる。沙月の屋敷である。

 門の傍の呼び鈴を鳴らす。こちらに呼び鈴の音は特に聞こえないが、すぐに迎えが来て扉が開く。



「秋様。沙月様への面会ですか」

「いや、今日は……来たからには顔出さないと嫌味を言われそうだから、あとで顔だけ出すけど。メグムに会いたい」

「メグム様ですね、わかりました。ご案内します」



 迎えは一礼し、屋敷の中へと二人を招き入れた。アキラは女性をじっと見ては袖を掴む力が強くなるが、女性が必要以上にアキラに興味を示さない所為か、刃が生えることはない。

 この屋敷はとても巨大である。この屋敷のちょうど真ん中あたりに沙月のいる間があるのだが、それも玄関からすれば大分奥だ。

 今回用事のある人物の部屋はこの屋敷の右側にある。あまり外に出る奴ではないため、徐々に縄張りを広げ、今では屋敷の右側約三分の一を陣取っている。



「こちらになります」

「ああ、ありがとう」



 なにやら綺麗な襖絵の描かれた襖は少し開いていたし、知らぬ相手というわけでもないので、「入るぞ」とだけ声をかけて襖を開けた。


「あ、秋……」

トモリ



 開けた目の前、アキラよりも小さな背丈の少女が部屋の隅に丸くなっていた。か細い声に出迎えられる。橙色の双眸が一瞬驚きに満ち、そして安堵に落ち着く。黒い厚手の外套にすっぽり身を包んだ彼女は、アキラに負けず劣らず控えめだった。



「忙しかったか?」

「あ……主、は今、イノリたちと、新しい子とお話してる」



 そろそろと外套の下から伸ばした指を、奥の襖へと向ける。なるほど、トモリはここで留守番のようなことをしていたのだ。

 間が悪かっただろうか。ここに新入りが来るのなんて、あって年に数回だし、予測できなかったのは仕方ないが。



「出直そうか」

「ううん、今、呼んでくる」



 トモリはとてとてと隣の襖の奥へ消える。普段出直すか、と訊ねてそうしてくれ、と返されることも少なくはない。つまりトモリも、主をそろそろ休ませた方がよいと判断したのだろう。それならば遠慮なく待たせてもらう。

 しかし、休憩の合間に相談事を持ち込むのならば、手土産の一つでも引っさげてくればよかった。

 秋は勝手知ったるといった様子で雑に詰まれた座布団を二枚とってくると、適当な位置において座った。迷っているアキラは隣に呼び、座らせる。



「秋」

「どうした、アキラ」



 アキラは不安げにしている。秋の袖をぎゅっと掴み、周りをきょろきょろと見回していて、落ち着きがない。



「なにするの、ここで」



 どうやら何かされると思って、怯えているらしい。

 この世界において、因子を持つ者は化け物と呼ばれる。幼いうちに周囲にそれが分かればひどい扱いを受けることもある。それが高じてこの島にたどり着く前に死んでしまうこともあるし、体のどこかをなくしてしまうこともある。

 アキラもそうした過去を持つのかもしれない。

 秋は努めて優しく、アキラの頭をなでた。傷ついた因子を持つ幼子を預かることは初めてではないが、どうにも苦手だ。

 この、自分が何を言ってもいけない気がして。



「いや、怖いことはないよ、おまえに危害をくわえたりすることはない」

「……うん」



 秋の袖をさらに強く握ってくる。それで安心するのであれば、袖がのびるくらい安いものである。

 ばたばたと急ぐ足音が聞こえてきて、その音に肩を震わせる。掌から少し刃が出たらしく、腕にちくっと痛みが走った。



「アキラ。息吸って、刃を仕舞うんだ。できるか?」



 よしよしと頭を撫でてやり、言い聞かせる。足音が響くせいでおびえているが、意識して呼吸を整えようとしている。四度目の深呼吸において、刃はきちんと仕舞われた。



「悪い、待たせたね、秋」



 と、奥から部屋と顔色に合わない騎士服を来た人物が出てくる。疲れきった表情をしていた。それだけに留まらず、踵で裾を引き摺りながら頭をがしがしと掻き、疲れている様子が表情以外からもあふれ出ている。

 どうやら、新人とやらがなかなか手強いらしい。



「ずいぶん手古摺っているんだな」

「ああ、まあ。見てくれ、この浸蝕の後。ひどいもんだろう、これほど抵抗されたのは数えるほどだぞ」



 そういって、青年――メグムは上着を脱ぎ、半身を露出させる。。手首から上を覆う大きな入れ墨のような痕。確かに、ここまで大きなものは久しぶりに見た。よほど抵抗されていると見える。

 痣の形は、おそらくキリギリスだろうか。精霊器に宿る精霊たちは基本的に虫の姿を冠して現界している。



「弦楽器なんだが、すぐ音をかき鳴らしていけない。あんな美しい音色だ、意識も飛んじまう」



 はあ、と大きくため息をついた。トモリの淹れてきてくれたお茶をぐいと飲み干す。熱いだろうに一気にだ。トモリは空いた湯呑に新しくお茶を注ぎ直す。



「それで、話はなんだ」



 お茶を飲んで、少し頭が切り替えられたのか、青年は問う。

 本題が自分に移ったことに気付いたのか、アキラの体がこわばる。あと少し驚かせば刃を出さん勢いだ。

 メグムはふむ、と頷く。「その白いやつが、精霊器かもしれない、ってことか」

 話が早くて助かる。かいつまんで、アキラがこの島に来た経緯を説明した。特に感情の乱れで体から白い刃が生えることを詳しく伝える。



「で、話は分かった。そうだな、刃が生えるというと刀か剣か。ナイフや鋏もまあ、あり得るか」

「いや、見たところ片刃だった。刀のような」

「そうか。ならそうと仮定しておくか。秋、少し借りるぞ」



 言うが早いか、メグムはアキラの首根を掴み、肩へと担ぎ上げた。突然のことに声も刃も出ないほど驚き、目を見開くアキラの様子はあまりに哀れだ。唐突に親猫から引き離される子猫の顔をしている。とはいえ、メグムの精霊器との対談に、秋は入れない。「荒っぽいだけで怖いやつではないぞ」とだけ声をかけ、見送った。

 襖が閉められてすぐにメグムの低いうめき声が聞こえた。たぶん、視界から秋が消えたことで事を理解したのだろう。数本の白刃が現れたに違いない。まあ、メグムのほうも弦楽器とやらがよほど手強いらしく、精霊器を身に纏っていたので、まあ大丈夫だろう。



「秋」



 部屋の隅でじっと丸くなっていたトモリが声を発する。



「秋、いまは、げんき?」



 また唐突な質問だ。「どうした?」



「いつも、秋、げんきない」



 そうだっただろうか。たまにしか会わない彼女にそんなことを言わせるくらい、自分はひどい顔をしていただろうか。なんと答えればよいか、考え込む。



「ごめん、そんな困らせるつもりはなかった」

「……いや、俺こそ」



 先にトモリに謝られてしまった。大丈夫だとかげんきだとか言えればよかった。これではトモリに要らぬ心配をかけてしまっただけだ。

 しかし。

 とっさにそういえないことも、また事実だった。

 ここに。ここには。この世界には。

 ――もうあのはいない。そしてもう二度と会えないのだ。

 そのことにはとうに蹴りをつけたはずなのに、また思い出してしまった。



「――ッおい、そっちはだめだ、客がいる!」



 そんな慌てた声と、二人分の走る音がこちらへ向かってくる。メグムが出ていったほうだが、メグムではない。そもそも追いかけているほうはメグムの声ではなく、足音も軽い。逃げているほうは――

 と、冷静に聞き耳を立てている場合ではなかったらしい。襖が襖らしからぬ音とともに開け放たれた。トモリが肩をはねさせたのが視界の端に移った。



「おまえ――ッ」



 鋭い目に睨まれ、怒号を向けられる。ずかずかと入ってきたのは、黒髪の男だった。わりあい女とも見まがうような、そんな人物。初めて見る顔だった。となると、先ほど話に出た、弦楽器だろう。

 すごい形相だ。まるで鬼か、修羅か。ともかくどえらい形相をしている。男は秋の胸座を掴みあげた。



「おまえのその魔力、覚えがある」



 男は叫ぶように言う。



「その水の気配、あの日世界を流したあの水と同じ気配だ。おまえ、世界を滅ぼした水の魔術師だろう。おれのエマを殺した、魔術師だろう」



 声が震えている。襟を掴む拳も震えている。おそらくはずっとずっと秘めてきたその怒りが大きすぎて、すぐには出せないのだろう。

 ――だが。



「悪い。おまえのエマがどんなやつだったか、俺は知らない」



 襟が破けるほど強く掴まれた手を、軽く払う。すると秋の手の内から水滴が零れ、男の手に落ちる。水滴は男の肌を灼いた。男は瞬時に手を放す。



「いづ――なにしやがる」



 男が顔を歪め、ますますの憎悪を向けてくる。奥歯が砕けんばかりに歯を食い締め、眼光が刺さる。

 秋はそれを冷ややかな表情で返す。

 それ以上に言い返しもしないが、目を逸らしもしない。そこに、アキラへ向けるような穏やかさは介在していない。

 まるで、知ったことじゃないとでもいうように。



「悪い、秋の旦那。こいつ、来たばかりでな。ほんとうに悪い」



 男が灼けた右手に左手を翳し、その形を変える――その前に。男を追いかけてきた白衣の少年が割り込んできた。男の腕を力強く引っ張り、部屋の外へ押し出した。あれは、イノリか。そういえば新入りとの対談を手伝っているとトモリは言っていた。



「秋、ごめんね。こうなると思ったから、秋にはとうぶん会わせないようにしよう、って主言ってたのに……」

「いや、気にするな。慣れてる」



 イノリが繰り返し謝るように、トモリもひどく謝ってきた。

 いいのだ。ああいうふうに言われるのは慣れている。特に、精霊器の連中に自分がひどく恨まれていることも、知っている。



 

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