第11話 「待ち人」

 時間にして一刻程。

 戻ってきたメグムはさすがというか、けろっとしていた。メグムの小脇に抱えられて部屋に戻ってきたアキラは、秋を見るなりメグムの腕をすり抜け、すぐに秋の後ろへと隠れた。



「さて、秋。わりあい長くなっちまったので、手短に話すぞ」

「わかった」



 トモリが淹れなおしたお茶をすすりながら、メグムは話し始める。



「結論から言って、精霊器じゃないな」

「違うのか?」

「違う。理由はいろいろあるけど、まあ、単純にその子に自覚がなさすぎる」



 精霊器というのは、かつての世界にあった魔道具の名前だ。世界を構成する魔力を切り取り、器物に落とし込んだ魔道具である。かつての世界が水に沈み、魔力の大部分が失われた今においても、すでに切り離された存在であるために彼らはその意思を残している。

 彼らの元は純粋なる魔力であり、人とは根本的に違う。外部からの魔力の供給がなければその力を振るえないが、存在の核である大本の魔力が傷つけられない限り、記憶を失うようなことはないという。そもそもその核まで手出しできる魔術師はこの世界にはいない。


「それに、この子は刃を出すだけだ。この子自身にもとのカタチがない」

「カタチがない」

「そう、カタチ。俺ももう百何年か精霊器を見てきたけど、この二つができないやつにあったことはないんだ」



 カタチ。魔力の欠片を落とし込んだ器。たとえば彼が今手を焼いている新入りは弦楽器と言っていたし、トモリは角灯、イノリは薬箱の鋏だ。メグムが今纏っている衣服も精霊器である。筆であったり、太刀であったり、簪であったり、さまざまながら精霊器にはカタチがあるものである。器というくらいなのだ。



「それに、秋。おまえ、魔力を供給していないだろう」



 していない。そもそも契約だってしていない。



「ほら、もうそこがおかしくていけない。精霊器であるなら、誰かの魔力の供給は必須だ。なんの供給もなしに、まして人型を取り続けるなんでおよそ不可能だ」



 確かに、と頷く。精霊器に宿る精霊が、人の姿を取り、契約者以外の目にもうつるようにしているには多大な魔力がいる。それは核から削り補える量ではない。

 メグムはこの世界に生まれたにも関わらず、膨大な魔力を体内に宿している。それこそありとあらゆる精霊器と契約できるほどだ。

 この沙月の屋敷の一角を陣取ることができているのもひとえにその才能のおかげである。メグムは精霊器という遺産の管理を一手に任されている。最近はメグムより劣るものの、精霊器の扱いに長けた少女が島へやってきたため、回収は彼女に任せきりであるが。

その精霊器だが、現在彼の契約下にあるのは五十を超える。そもそも秋は精霊器に無縁な魔術師であったため、それだけの精霊器を知るメグムを頼ったのだ。

 そしてそんな彼が言うのであれば、そうなのだろう。

 アキラは、精霊器ではなかった。



「そういうことだ。俺では力にはなれん」

「いや。助かった。精霊器ではないことがわかっただけでも収穫だ」



 となると、考えられるものはなくなってしまった。

 というのも、かつての世界の名残を持つ者はおおよそ、呪い持ち、獣人に分けられ、そのほかはほんの数人しかいないイレギュラーである。精霊器は先に述べたように、在り方そのものがひととは異なるため、通常は選択肢に入らない。

 呪い持ちというのは、何らかの制約が体、もしくは魂に課されている者のことを言う。制約といっても、自身に都合のよい影響のあるもの、そうでないものは様々である。体重を失くすかわりに多大な魔力を生み出す、人ではないものの姿に変えられる、などのものがあった。

 獣人は、文字通り人と獣の掛け合わせである。魔術によって作られた種族であり、カラスの上層部や御島の自治組織の連中はおよそそれである。

 体内に魔力を混ぜすぎているために、水には溶け切らず、旧世界の因子として残ってしまった、残りやすかったのがその二つである。

 イレギュラーであることも考えられる。そして前者二つが否定されるのなら、残るはイレギュラーだとなるのだが――

 アキラにそこまでの何かは感じない。魔力もさして感じられず、白刃を出すだけに留まる力。いったいなんなのだろう。

 やめよう。ここで考えても切りはない。何より、メグムにも仕事がある。



「ありがとう、メグム。仕事の邪魔して悪かった」

「俺のほうこそ悪かった。ほら、あいつ、おまえにちょっかい出してきたろ」



 先の男。弦楽器の精霊器。あれはメグムが手を焼くわけだ。

 こころを、かつてに残しすぎている。



「問題ない。じゃあ、また来る」

「ああ。また」



 そうして屋敷を後にした。

 後ろを覚束無い足取りで着いてくるアキラを置いていかないように気を使いながら、部屋への帰路を急ぐ。長居しすぎたようだ。日は暮れ、島に灯りが灯り始めた。そろそろ皆が置き出す頃合だ。

 古びた階段を上る。わざわざ広場を通らずとも部屋へ行く道はあるが、そちらはここよりもさらに足場が不安定だった。アキラに上らせるのは、少々酷だ。



「秋」



 ふと。

 アキラが呼んだ。



「秋は、何者なの」

「俺か」

「さっき。大きい声がした。秋に、怒鳴る声」



 そうか。あの弦楽器の男の声が聞こえていたか。メグムが知っているなら、アキラも知っていて当然だ。

 少し考える。隠す理由はない。しかし、喋る理由もない。

 アキラは黙々と歩き、答えを待っている。――ふむ。



「怖がらずに聞いてくれるか」



 階段を上り坂を上り、煙草屋の前を抜けた。部屋の前へ来て、ようやく口を開いた秋は、内緒話をするように言う。



「俺はね、ずいぶん前に水浸しにしてしまったんだ」

「なにを」

「前の世界を」

「まえ」

「そう、前。水に流してしまった。だから新しく作った」



 もう、ずいぶん昔の話。

 未だ夢に見る終末の光景。

 忘れることはできなかった、できないでいる、あの最後の日。

 ――『待っていて、きっと。きっと、会いに行くわ』

 あの言葉。

 水に飲まれていく赤い髪。伸ばして、届かなかった、指先の記憶。

 鮮やかに。明らかに。耳の奥に残る。目蓋の裏に映る。

 あの娘は言ったのだ、待っていてくれと。



「秋?」

「……ああ、悪い」



 少し、思い出してしまった。扉を引き、中へ入る。ほとんど沈んだ太陽の、わずかばかりの光でかろうじて視界が確保されている。

 靴を脱ぎ、部屋の中央へと入る。灯りもつけずに、秋は続けた。



「精霊器の連中の帰る場所や主人を奪ったのは、俺だから。精霊器の連中には大抵、嫌われてる」



 あんなふうに怒鳴られることは、初対面ではよくある。そしてほぼ打ち解けた試しはない。メグムは数少ない長寿者であるから、付き合いはあるし、世間話もしにいくことはある。だが、精霊器と話す機会はほぼない。

 トモリやイノリが秋に対して負の感情を向けてこないのは、彼らの主が心を残させなかったからである。思い入れこそあれど、楽器の男のような激情を宿すことはなかった。そうした精霊器は片手で数えられるほどしかいない。

 そもそも、そもそもだ。

 精霊器でなくとも、旧世界の因子の所為で苦しむものは多い。苦しんで、痛い思いをして、なお生き残ることが出来たものが、この島にいる。

 秋を慮る者はいる。

終末の魔術師と知ってなお、友であろうとする者はいるのだ。

 だが、この世界は。

 すべてを失わせた秋にとって荒野であり、針の筵むしろであり、――地獄である。



「……じゃあ、どうして、秋はここをでていかないの」



 至極まっとうな、今まで何度も問われた質問。アキラの真っ赤な目が煌々と。暗い部屋の中によく映える。

 この質問。いつもはなんと答えていただろう。なぜだろう、それが思い出せなくなった。なんだっけ。



「――待って、いる」



 初めて。秋はそれを口にした。終末の後、目を覚まして以来初めて。

 違う、これではない。これは言ったことはない。言ってはいけない。懺悔するべき自分が言っていい言葉ではないと、ずっと秘めていた。

 半ば無意識だった。言ってしまってから、口を両手でふさいだ。誰にも言ったことはなかったし、思っていることすら忘れようとしてきたというのに。

 トモリにあんなことを訊かれたからだろうか。なぜ、今、言ってしまったのか。



「秋は、待ってる」



 アキラは一度、そう復唱した。そうして靴紐をほどくためにしゃがみ、それきり何も聞いては来なかった。

 秋も、それ以上何かをいうつもりはなかった。出会ったばかり、まだ何も知るところのない少年に、なぜ吐露してしまったのかだけを、ただ考えた。

 夜は更ける。

 島は、今夜も賑やかに夜を迎えた。

ただ、この部屋だけを取り残したかのように。



 

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