第二章 白い刃と少年、その理由

第9話 「蛍の島、一日目」

 呼んでいる。

 探している。焦がれている。そうして、呼んでいる。

 ひたすら。声にならない声で、声と名がつくのかもあやしい何かで。

 誰を呼んでいるかも分からないのに。

 誰かを、呼んでいる。

 熱に浮かされているようで、肌の裏側が焼けるような苦しさに魘される。

 あいたい。

 あいたい。あいたい。あいたい。

 会うまでは。

 会うまでは。

 会えば消えるその苦しさに負けてはいけないのだと――知っている。




  ◇






 夜が明ける。

 東の空が白み始めると、ひとつ、またひとつと提灯の灯りが消えていく。湖の上にあるこの火螢の御島は年中通して湿気が多いのだが、この日も例外ではない。ひんやりとした水分を多分に含んだ空気が満ちている。

 昨夜は早々に床についたはずだが、妙に早く目が覚めてしまった秋は冷たい空気を吸うべく外へ出てきた。今にも折れそうな手すりに手を掛け、閉まっていく店々を眺める。

 雨は止んだようで、よかった。雨が島の内部に入ると過ごしにくいことこの上ない。

 とりあえず、部屋へと戻ることにする。僅かに濡れた足を雑に拭き、ちいさな台所の横を抜けて畳に踏み入れる。



 部屋の隅には――敷きっぱなしの布団。昨夜は秋が使ったわけではない布団だ。白い布団にくるまって眠る、白い少年がいる。

 布団がいささか日に焼けて真っ白ではないため、その白さが際立つ。



 昨夜、この島に来たばかりの、旧世界の因子を持つ異形。

 秋に会いに来たのだと、よく説明もされないまま押し付けられたのだ。

 沙月の無茶振りはこの何百年かで思い知らされてきたので、今更、という気もするが――

 旧世界の因子はおおよそ獣人や、呪い持ちが多い。それは魂と深く結びついているから残りやすいだとかなんとか聞いた。もちろんおおよそであって、すべてではない。

 沙月の目を誤魔化せるわけはないとすると、あいつが黙っている理由は何なんだろうか。面倒ごとは構わないが、正体が知れないとなると気にもなるものだ。

 視線の先の少年が、もぞもぞと身動きをする。そろそろ起きるだろうか。そういえば、母に会いたいと泣いていたわりには魘されていない。静かに、穏やかに眠っていた。何もないならいいが、夢すら見られないほどなのか。

 体を起こし、ぼんやりとあたりを見回す少年を反対側の部屋の隅から眺める。あまり近くに居過ぎると驚かせてしまうかもしれない。



「どこ」



 と、小さな声で零す。それは誰かを探す言葉だったのかもしれないが、秋は敢えて場所を答えた。



「――ここは俺の部屋だ」

「おれ……?」

「そう、俺は秋という」

「あき」

「そう」



 少年はあき、と何度も口の中で転がしている。暫くそうしていたかと思うと、今度は秋の目をまっすぐに見て、「あき」という。



「どうした?」

「ううん」

「そうか。じゃあ、おまえの名前は?」

「なまえ」



 少年は俯く。どうやらすぐに名前が出てこないあたり、記憶が飛んでしまっているのだろう。親をその手で――となれば、それに関連する一切をなくすのは一種の自己防衛だ。



「覚えてない?」

「……」

「そうか、それじゃあ不便だな」



 少なくともこの子が人の世に戻ることは無いだろう。何せ白刃。体から刃を生やすとなると、秋の元から離れることはあったとしても、島の外ではそう生きられまい。

 困ったことだ――

 と、そこで、きゅるると音がする。少年からだ。



「なんだ、腹が減ったならそう言えばいいのに」



 普段秋は食事はしたりしなかったりであるため、大したものは出せないが、朝飯にすることにした。

 朝飯には、卵を溶いて焼いた。それからハムの残りがなんとも微妙な残り具合をしていたため、それも一緒に焼いてしまった。そんな簡単なものだが、量だけは作ったところ、少年はよくよく平らげた。警戒心も空腹の前には為す術なかったようだ。



「さて」



 食べ終え、食器も洗ってしまったところで、少年と向き合って座る。少年は再び毛布に包まっているが、怯えた様子はない。昨夜は混乱していた、というのもあるのだろうか。



「だいじょうぶか。話、してもいいか?」



 努めて穏やかな声で訊ねる。

 少年はぎこちなくはあるが、首を縦に振った。



「そうか。まず、おまえの呼び名だが」

「よびな?」

「そう、さっきも言ったが、呼ぶのに困るだろ」

「うん」

「だから、俺がつけてもいいか?」

「……うん」



 少し迷う素振りはあったが、無事承諾をもらえた。名前を覚えていないと聞いた時から考えていたため、実はすぐに出せる。



「――アキラ。おまえ、真っ白だからさ、白って書いてアキラ」

「あきら?」



 首を傾げる少年に「そう、アキラ」と返すと、「あきら」と繰り返す。先程秋の名前を教えた時と同じような感じだ。

 十数回呟いて、満足したのか、少年はへにゃっと笑った。



「アキラ。秋と、おそろい」



 ここに来て――初めてまともに笑った姿だった。

 その日は、アキラも昨夜のことでずいぶん消耗しており、一日眠って過ごした。



 

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