第4話 「終わりのはじまり」



 カラスの二人が去った後の広間。



「さて、その子だけど」



 おいで、と沙月が呼ぶ。秋は傍らの少年を抱え上げ、御簾を片手で避けてその奥へと進んだ。



 そこにいたのは、黛や紫紺といった細長い布を幾重にも、細い肢体に巻きつけた少女。目も布で覆って隠しているため、形のいい顎が浮いて見える。。布の間からさらりと流れる長髪は、透ける太陽色をしている。この部屋の灯りに照らされてきらきらと光っているようにも見えた。

 年端も行かないその少女は、ゆったりと肘掛に寄りかかったまま、笑う。

 楽しそうに。嬉しそうに。



「きれいな白だなあ、まるで雪よりも白い。それでいてあたたかいんだから、不思議だね」

「それで、この子は何の因子を持ってるんだ」



 目隠しをしたままだというのに、沙月は見えているように振舞う。実際見えているのだ。――この子の生まれから、今ここに至るまで、恐らく本人の知らないことまで。

 ふうむ、と沙月は唸る。



「獣人ではないし、呪い持ちでもないようだね」

「そうなのか? 体から刃を生やす種族なんて知らないんだが」

「この世界になってからの変異か、あるいは――」



 そこで、沙月は言葉を切った。布越しに、じっと白い少年を見る。白い少年はその視線を感じてか、身を捩った。無理もない、秋だってこの少女の視線は落ち着かないのだ。



「――いや、いい。その子はおまえに会いに来たようだよ」

「はあ?」



 突拍子もない。秋は眉間に皺を寄せる。



「したがって、その子はおまえが預かってくれ。いいね?」

「はあ?」



 確かに、幼い子どもがこの島に一人で住み、生きていくのは難しい。沙月の信頼の置ける住民に預けることは間々あるが――秋が頼まれたのは初めてだ。

 沙月はなんでも見通す眼を持っている所為か、言葉が足りないことが多くていけない。わざと言葉を省いて、すべてを教えてくれないのも沙月の特徴だった――知ってしまえばつまらない、とか言って。



「なに、おまえに会いに来る奴がいたところで不思議はないだろう? 何せおまえは有名人だ。なあ、そうだろ? この僕の右腕たる『螢守』であり――世界を水没させた終末の魔術師よ」

「……あんたは、だから好きになれないんだ」

「はは、悪い。おまえはほんとうにかわいいね」



 沙月はふいと視線を下げた秋へ、手を伸ばす。布が滑り落ち、露になった白い肌が雪洞ぼんぼりの灯りに濡れる。

 沙月が身を乗り出し、その手が秋の顔に触れる。頬を撫で、顎を掬う。



「六百年も前のことを忘れられずにいるおまえは、ほんとうに見ていて飽きないね。もう諦めて忘れてしまえば楽になる」



 奇麗に整えられた爪が、秋の首筋に突き立てられた。じくっとした痛みが走り、艶やかな赤が玉を作る。しかし、その赤はいくらとも経たないうちに透明な液体へと変わる。一点の濁りもなく、血液というには冷たすぎる――水。



「なあ、もう忘れてしまえ。水に巣喰われた哀れな子」



 耳元で、囁くように、沙月は言う。爪が離された傷口は既に塞がった。白刃に貫かれた傷も、もう消えている。



「……それでも、忘れられないから、こうしてあんたの雑用をしている」

「それもそうか」



 半ば諦観の混ざる秋の返答に、沙月はぱっと体を離した。あとはもう、いつものように楽しげな笑みを浮かべて座椅子へと戻った。

 何が楽しいのか知れないが。



「さあ、それじゃあ、もうお帰り。あたたかいお茶でも飲んで眠るといい」

「そうさせてもらう」



 秋は深く眠る白刃の少年を抱えなおすと、踵を返した。白い少年は、母と間違えているのか、秋の服を掴んでいる。意識はないのに、とても強い力だ。これは剥がすのに苦労しそうだと、いや、そのあとも大変だろうと、憂えた。




 屋敷を出る。賑わう表は避け、裏口からだ。この沙月の屋敷は裏口があちらこちらにある。そうだとしても、島の中にわざわざ沙月の屋敷に忍び込もうなどと思う者はいないからだ。



「やあ、秋」



 誰もいないはずの裏口の目の前に、まるで秋がここから出てくることを知っていたかのような顔をしたくゆりがいた。片膝を立て、石段に腰かけている。肌蹴た足の鱗が、手にした提灯の灯りに濡れる。



「寝たんじゃなかったのか」

「いやね、客というのが気になって、寝れなくなってね」



 くゆりは飄々と笑った。この男が、言ったとおりに動かないというのはいつものことなので、さして驚きはしないが。

 とはいえ、くゆりの気まぐれに付き合ってやるほど、暇ではない。背負った少年が目を覚ます前に、他に人のいない自室へと連れて行ってしまいたかった。



「その白い少年。目が覚めたらもう怖がることはないと言ってやりな」

「くゆり?」

「恐れるべきは周囲ではなく、ただ一つ、失うことだけだ、と」



 それだけ言うと、くゆりは袂から棒に付いた飴を取り出し、口に含んだ。そうしてもう何もいうことはないとばかりに立ち上がり、目抜き通りのほうへふらふらと行ってしまった。まさか、それだけを言うために、眠さをおしこめてここへきていたのか。

 くゆりは不思議な奴だが、今日の行動はいつにもまして、という印象を受ける。秋は首を傾げ、そのあとを追うことを検討するも、背中で呻く少年のために、それは控えることにした。





 彼は未だ気づいていない。白刃の少年も気づいていない。けれど。

 ――きっと、この出会いは、特別だった。




 ここから。

     着実に。

        世界は終わりへと近づいていくことになる。



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