第3話 「面会」
来た道は引き返さず、裏道を進んでいくと、高めの壁に行き当たる。秋さんは一見何もないようなその壁を叩くと、ぎいと内側に開かれた。能面のような顔の女性が出迎える。明らかに入口ではないところで多少の時間もかからずに現れた彼女に少々驚いた。彼女はぺこりと頭を下げ、秋さんもそれに返す。本来の出入り口ではないことは明らかなので、続いて入ることに躊躇われた。島の最奥、ここは島で絶対唯一の規則――沙月様のいるところだ。
本来ならきちんと表へ回らねばなるまい。しかし、秋さんは「表をこんな子ども抱えて、俺とカラスが歩けば嫌でも目立つだろう。カラスはただでさえ目立つんだ」と言って言外に早く入れと告げる。
壁の中は、広い庭だった。上に連なる建物が屋根のように覆いかぶさっているので、日の光は届かないはずだが、緑豊かな庭園だ。あちこちに吊られた提灯の赤がどういうわけか合っている。何度目かの訪問ではあるが、緊張する。
女性の案内に従って、屋敷の中へ入る。大きな玄関を抜け、長い廊下を歩き、襖の部屋をいくつか横切り、障子戸をさらにいくつか越えた先の大広間。
「やあ、よく来たね」
鈴の鳴るような、水晶を転がしたような、かわいらしい声が軽やかに迎える。御簾みすの向こう側に、人影が在った。秋さんよりもずっと細く、小さな人影だ。髪も長いようだ。
女性が用意していった座布団を自分は使わずに、秋さんは白い少年をその上に寝かせた。少年は、耳を澄まさなければ聞こえないくらいの寝息を立てて、体を丸めている。
「今日は手古摺てこずったようだね、アカザ。その後ろの子は、新しい子かな」
「……ええ、すみません」
幼い声に似合わぬ物言いだ。ころころと笑っている。
「前の子は、少し前に亡くなってしまったんだっけ。それなりに年を取っていたからなあ……なあ、君」
「あ……オレですか?」
「そう、君だ。青い顔をしているようだね。怖い目にあったね」
「え……っ」
まるで見透かしているかのような物言いに、部下が身を強張らせる。その様子に、沙月様はころころと笑った。
「ふふふ、冗談だ。アカザがいつまで経っても僕のところへ来るのを緊張しているから、アカザが連れてくる子も怖がりばかりだね」
そうだっただろうか。緊張しているのは確かだけれど。
「……そうでしょうかね」
「そうさ。しかし、あれだね。アカザが連れてくる子が新しくなったなら語っておかないとならないかな」
そうして、御簾の向こうの――沙月様は語り始める。
曰く――
この島が化け物どもの集まるところだというのは、帝都育ちならば知っているだろう。けれど、その化け物が、なんであるのかは知らないんだろうね。
というか、そもそもこの世界が一度滅んでいる話は、もう昔話としても語られなくなって久しいね。溢れる水で満たされて、一度、人も森も大地もすべてが流されている。現に丹本の周りは海に囲まれているだろう? ……いや、そもそも帝都から出たことがない? そうか、そんな子もいるのか。僕も出たことはないけれど。
それで、化け物だけど。
この言い方は新しい世界に生まれた君たちに合わせて言っているのであって、本心ではこの言い方はしたくないことを理解してくれ。
一度滅んだ世界では、魔術が当たり前のように存在していた。そう、魔術。何もないところから水を生み出したり、空を飛んだり、まあ考えられるおおよそは魔術で補われていた。けれど、先に話した通り、世界自体に満ちていた魔力は水に溶けて大半が僕らの手から失われてしまった。
しかし、ごくたまに、旧世界の因子を持って生まれてくる子がいる。魔力の因子だ。この島にいる――そうだな、獣の特徴を持つやつらがいたろ。あれらは旧世界で人の体に獣の特徴を魔術で埋め込まれた奴らでね。なかなか水に溶け切れなかった。そんなふうに体に魔力を埋め込まれたり、強く魔力を持つものたちを、この世界では化け物というんだよ。
まったく、誰が言い出したか知らないけれど。
その化け物たちは、この丹本に多い。海の向こうにいることもあるけれど、ここが一番だ。当然因子を持つ者とそうでない者には圧倒的な力の差があるわけだが、何せ前者は数が少ない。一人では多くが殺されてしまうことは、想像できるかい? 人が自分よりも強い者、違う者を恐れるのは今も昔も変わらないからね。
だから、僕はこの丹本の真ん中に、かわいい旧世界の子達を呼ぶことにした。
それならば双方平穏に暮らせる。まあ、それだけが理由ではないんだけどね。
『帝都の小烏』は、島の外にいる化け物を探してここにつれてくることになっている。君はどうやらそんなことも知らずに入ったみたいで、意外だ。入るにはそれなりに素質――魔力の因子を持たないといけないから、そこは心配いらないけれど。
「……はあ」
私はこの話を聞くのはもう数回目になるが、部下は呆けている。まあ飲み込めなくて当然だ。沙月様はこういうことに慣れているのだろう、「質問はあるかい」などと訊ねている。
「質問……というより、まだ信じられないんで、なんとも」
「そうか。じゃあ信じられるようにしようか」
「え?」
「しかしなあ、秋は見た目じゃあ分からないしな。アカザ、どうせなら見せてやったらどうだ」
「私ですか」
秋さんのほうをちらりと見遣ると、諦めろとそっぽを向かれた。確かに秋さんは見た目にわかる『らしさ』はないが、だからと言って。私を含むカラスの上層部は基本的に指定の制服の上に大きな外套を着ることになっていて、人前で脱ぐことは禁止されているのだ。
まあ、沙月様の言うことだ。
私は外套を脱いだ。
「……えっ、あ」
部下の息を呑む声がする。久々に広げた感覚が背中へ伝わった。
ばさ、とはばたいてみる。
「黒い――翼……?」
そう、黒い翼。私の腰辺りから生え、伸びる大きな翼。空を自由に翔けることの出来る翼。
『帝都の小烏』がカラスと呼ばれる所以。
「カラスと呼ぶに相応しい翼だろう? 彼らもまた、旧世界の因子を持つ者だ」
部下は呆けて、口は開いたままだ。もういいだろうと、さっさと外套を着なおし、翼を仕舞った。そう出しておくものでもない。
「元の翼は真っ白だったんだけれどね。どうだい、信じられたかい」
「信じるも――なにも」
「そうか、よかった。ああ、そうだ、この話は他言無用だ。カラスといえども島に踏み入れることを許可しているのは翼を持つ者ともう一人だけだ」
そもそもこんな風にカラスが島を訪れることはあまりなく、こうした受け渡しもいつもは秋さんがあちらの駅まで。私の連れ立つ供は一人が亡くなれば次を探す、というように受け継がれてきている。
沙月様はじぃっと部下を見て、伝える。
「……わかりました」部下は、呆けたまま返事をする。「誰にも、言いません」
「そうか、話が早くて助かるよ。それじゃあ本題だ」
との沙月様の言葉に、部屋の視線が座布団の上に丸くなる少年に集まる。
私は、その少年について簡潔に報告する。白く輝く刃が生えると。
「なるほど。刃が生える」
「発見されたその傍に、母親と思われる女性が滅多刺しになっていました」
「そうか、母親を……」
秋さんが俯く。少年が母に会いたいと泣いていた様子を思い出したのだろうか。親や身近な人物を傷つけてしまうことは幼いこどもに多く、これが初めてというわけではないのだろうに。
「それでは、秋もその刃に刺されたようだし、ほぼ間違いないな。よし、その子は僕が預かろう」
その言葉を以って、『帝都の小烏』としての私たちの仕事は終わった。
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