第5話

 中宮禎子は五条宮の一隅で静かに横たわっていた。白一色の部屋、身内とわずかな女房に囲まれた、人少なの産屋に、この世の苦汁を微笑みのうちに飲み尽くした佳人は、身一つに負った苦しみからようやく解き放たれていた。

 周伊は手を尽くして僧を求めたが、主だった寺はどこも気まずそうに僧たちの不在を告げるだけだった。中宮には実弟の円隆僧都がおり、彼が心をこめて無音の読経を続けている。長道に追従する阿闍梨1千人の経よりも、中宮にははるかに大きな救いになろう。

 内裏からは遠い、身分の低い中宮職大進の邸。中宮の行啓先としては考えられない粗末な五条宮。世間の年の暮れの賑わいの中で、そして西二条院の火事とそこを焼け出された皇太后の危篤騒ぎの中で、禎子の死は、意図的に置き去りにされていった。

 翌二十七日、禎子中宮の出産も死もまるでなかったように、宮中ではただただ皇太后の容態だけを案じて騒がしく時が過ぎていた。長道から手配された高僧が、ここでも声を限りに病気平癒の加持を続け、女房たちもそれに習い、夜を徹して平伏していた。その中で八条帝だけが気も狂わんばかりに悲嘆にくれていた。

この日も殿上の間には誰一人出仕しない。一方、たゆまぬ加持祈祷の甲斐あってか、女院はどうにか死地を抜けられた、と長道から知らせが届いた。しかしまだ物の怪が心配であるからと、長道は僧を自邸に留め、本人も物忌みで出仕はできないと言って寄こした。右大臣にいたっては、

「今日は歯が痛くて出仕できません」

と返答してくる始末。すでに長道と話は通じている様子である。

 そうして、帝からの再三の出仕の命に、長道がようやく腰を上げたのは、翌二十八日も暮れてのことだった。あまり体が丈夫でない帝は、悲嘆と心労とが重なり床に伏してしまった。そうなると、長道も放っておくわけにはいかなかったのだ。

 帝は五条宮に正式の使者を遣わすよう長道にお命じになった。ところが、使者に立った源賢俊はうやうやしく内裏を出たものの、それきり行方がわからなくなってしまった。長道もいつの間にやら退出していた。

 夜、長道に呼ばれた成行が枇杷門邸に出仕してみると、そこには五条宮への使者に立った中納言源賢俊がいた。

「五条宮に行ったところ、誰も会ってくれようとはせず、身内で后の周りを固めて他の者を寄せつけず、話などできる状態ではなかったのだ」

 賢俊は成行に、そう話した。

「それでやむなくこうして戻って来た次第よ」

 報告を兼ねて、賢俊は帝ではなく、長道に事後の相談に来ているのである。誰もが長道を慮り、状況をうかがい、動くことを避けている。

―まことにお気の毒な帝…

 そう思う成行ではあるが、

「それはたいそうなお骨折りでございました。」

 深々と顕俊に叩頭した。

 成行は幼い時に父と祖父を相次いで亡くした。大切な後見人を失い、貴族社会の底に沈んだ少年は、幼い頃から感情を抑えることに長け、ひたすら学問に励んだ。その彼の秀でた才能に目を留め、出世の道に引き上げてくれたのは、ほかならぬこの源賢俊だった。藤原長道という権力者に彼を引き合わせたのも賢俊である。長道も成行の人品を気に入り、おかげで破格の出世をして今は蔵人頭である。これからも注意を怠らない限り、前途は洋々のはず。

 賢俊に生涯尽くせぬ恩を受けたこと、決しておろそかにはせぬ。底辺の悲哀をなめながら成長した成行は、狭い貴族社会の中で、感情に走った振る舞いがどれほど危険であるかをよく知っている。堪忍できなかったゆえの身の破滅をいくつも見てきた。他意の無い微笑みさえ、曲解され、深読みされ、噂が真実になる社会である。何ごとにも冷静沈着に、時の権勢に乗って誠心誠意仕える……、29歳、従四位下の男は、亡き父亡き祖父の仏前でわが身を律するのだった。



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