第4話

五条宮では使いをやったまま、宮中から何のご沙汰もないことに困惑していた。中宮職大進・平昌生は、半べそ顔で邸内をおろおろ徘徊している。その姿を見とがめた中宮の兄・藤原周伊が、

「おい、いったいどういうことだ!中宮様のご崩御であるぞ!帝のご弔意どころか、今後の沙汰も届かぬではないか!」

 色白の瓜実顔を赤紫にして平昌生を叱りつけた。

「へいへい。おかしゅうございますなあ。もうしばらくお待ちでしたら、必ずや、もったいなくもありがたい御言葉がご到着したしますこと、昌生、請け合いましてございまして…」

 本人としてはどうにも困り果てて泣きそうなのに、いや、泣いているのに、ハタから見ればニヤついているように見えてしまう昌生の顔が、周伊のいらだちに油をそそぐ。簀子にひれ伏す昌生の前に仁王立ちの周伊が、

「お前の言葉など信じられるか、役立たず!その卑しい姿を私に見せるな」

 怒鳴りつけられて、

「へい、へい」

 昌生は欄干にしがみついて、周伊に畏れ入るばかりである。

 このとき使いに立った昌生邸の家人は、とっくに蔵人所にいた。しかし取り次いでくれる役人が出てこないのである。奥に人の気配はするのに、声を張り上げて何度呼ばわっても、誰一人やって来ない。殿上の間のほうでは子供のはしゃぐ甲高い声がしている。このまますごすごと邸に帰るわけにもいかず、家人は雪混じりの凍える風に吹かれながら庭に座し、「もうし!」「もうし!」と叫んでいた。


 冬の鈍い日が、長い影を引きながら高くなっていく。周伊にも思うところはある。

「大臣の手が回っているのかもしれない。兵部卿、あなたが参内してはくれまいか」

 周伊は弟の藤原隆道を使者に立て、直接に殿上の間に乗り込ませた。それでやっと帝のお言葉が五条宮に届けられたものの、中宮の崩御から、はや半日が過ぎようとしていた。

 帝のお手紙は深い悲しみと悔やみを述べたのち、弔いのことはすべて取り計らうと記してあった。帝のお言葉に、周伊はともかくも胸をなでた。

 一方の清涼殿では、日が暮れても殿上人が誰一人出仕しない。いつもなら、何か事がなくとも、殿上の間には誰れかれ控えて噂話に興じているのに、一大事の今日、誰も姿を見せないのである。成行はすでに帝の命を受けて退出している。尊い身分ゆえに帝は身動きならず、時の重さに耐えていた。清涼殿は静かに、巨大な悪意に満ちていた。


 昨日からまだ寸暇も取れない成行がようやく宮中に戻って来た時、帝の居間には内侍の手で灯りがともされていた。

取り次ぎの声を聞くが早いか、帝は御帳台からお出ましになった。その顔には御簾ごしながら、苦悩と疲労の色がありありと浮かんでいる。成行をとがめ立てする気持ちはなくとも、しかしその声は怒気を含んでいる。そして落胆の色がにじむ。

「公卿が誰も出仕しないというのは、どういうわけか。左大臣は、どうしたのだ。右大臣は、どうした。内大臣は……」

 お言葉はとぎれとぎれで、心を納めようとしておられるのがわかる。

なんとお応えすればよいか成行が思案するところへ、枇杷門邸から使者が到着との案内の声がした。

「女院のお加減がひどく悪くていらっしゃいます。危ないようでございます」

帝は息を呑んだ。最愛の妻の悲報に続いて、最強の母の危篤の報。そば付きの女房たちは悲鳴を上げ、清涼殿の内は大騒ぎである。先ほどまでの静けさがうそのようだ。

 しかし二十一歳の帝は、

「み仏が私をお見捨てになろうはずがない」

 それでも懸命に平静を保とうとしていらっしゃる。

 左大臣殿の偽情報だなと成行は思った。

 禎子中宮崩御に長道はどこまでも無視をきめこむ。長道が動かないから、右大臣も内大臣もそれにならう。誰もが長道の権勢を恐れていた。長道が腰を上げない限り、中宮の死は意図的に放念される。今上帝の中宮の薨去であるのに。






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