太った豚の弁明-貴方が貴方である確率
物差で月を計る。
掲げた物差ごしに月を見て、ただ数字を読み取ればいい。
たいていの人がそうやって、他人を計る。
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成30年6月11日(月)」より引用)
それはまだ昭和の時代。
あまり自分のことを話さない父が、家族の前でふと呟きました。
「東京に出るとき、どこに住もうか迷ったんだ。
親戚がいる土地か、お得意さんがいる土地の、どちらか。
……ここか、それとも田園調布にするかって」
父の若いころは、田園調布は畑も残る普通の住宅街だったのでした。
その言葉に食いついたのは、当時学生だった妹です。
「えっ、じゃあ、田園調布にすれば良かったのに!
田園調布のお嬢様になりたかったなァ……」
そこで生まれたならば、確かに田園調布のお嬢様になったでしょう。
しかし妹よ。それは甘すぎるぞ。
父はこの土地で母と知り合ったのだから、父が田園調布に住んだのなら、娘が生まれたとしても、そのお嬢様はお前ではないのだぞ。
私はそう思いましたが、そう言いませんでした。
さて。
今回は番外編として、「貴方が貴方である確率」を考えてみたいと思います。
なぜこんな番外編を書くのか、その理由はこの回の後半にて語りましょう。
昔、恋愛モノのマンガで、こういう表現を目にしたことがあります。
「50億分の1の確率で出会った」
まあ、言いたいことは判ります。
それほど稀な確率にしか起きない、男女の「かけがえのない」出会いであるから、大切にしてほしい、ということですね。
でも、正直言ってこれは大ざっぱすぎるし、第一間違っています。
50億、というのは当時の人類の人口ですが、そのほとんどの人にはそもそも絶対に会えないでしょう。
また、恋愛の話だから、赤ちゃんや老人が相手ではたいてい無理ですし、それでなくても男女の出会いなのだから25億分の1の確率でなければなりません。
※ご注意 現在(令和元年の時点)の本当の人口は約80億人だそうですが、このテキストにおいては少し前の「約70億人」として色々計算しています。その理由は、その数字から派生したデータのほうが検索しやすいからです。
では、日本において普通の男女が出会う、そう、貴方の父親と母親が出会う本当の確率は、どのくらいになるでしょうか。
※ご注意 貴方のご両親が超セレブとかで幼少時から婚約していた、という場合もありえます。そのとき、彼らの出会う確率は100パーセントです。
しかし、それはあまりにもレアケースだと思うので除外します。
※ご注意 また、以下の試算はすべて平均を元にしています。ほとんどのデータに幅がありますが、どれも「貴方が貴方である確率」が高くなるように計算します。
ひとりの日本人が、一生のうちに出会うことのできる人数は、約3万人だそうです。
なお、このデータをまず提示したワケは、この数字に根拠があるからではありません。ネットで検索した結果、この人数が一番少ない(要
3万人のうち、異性は半分、さらに半分が生殖に難がある年齢です。そのまた半分が既婚です。
じゃあ、残り約3700人が出会いの確率の元になるのか、というと、決してそうではありません。なぜなら、3700人のほとんどは単なる「通りすがりの他人」であり、その中から自由に選べないし、選びたくもないからです。
選ぶという行為の可能性がないのに、確率の計算ができるはずはありません!
もちろん、最初は「通りすがりの他人」だった人とつきあって結婚にいたることは、決してめずらしいケースではないと思います。しかし、「通りすがりの他人」同士が、通りすがって即、結婚を真剣に検討する場合は、ほとんどないでしょう。
そこにいたるまでは、「おつきあい」の時間が必要になるのです。
したがって、今度は逆に考えてみましょう。
親が結婚せずに生まれる子ども(婚外子)の割合は約2パーセント強(要ググ)。
つまり、たいていの人は結婚してから子どもをつくることになります。
したがって、ある相手と結婚するまでの時間が、出会いに使える時間となります。
結婚して子作りが可能な年齢を、仮に18歳(法的限界)からとします。
平均結婚年齢は男も女も約30歳(要ググ)なので、平均的人生において出会いに使える時間は、30マイナス18で、人生のうちの12年間だけです。
そして、「おつきあい」から結婚するまでの期間は、平均で約3.3年(要ググ)だそうです。また、プロポーズから結婚するまでの結婚準備期間は、平均で約1年(要ググ)だとか。したがって、出会いからプロポーズまでの「おつきあい」期間は約2.3年ということになります。
この数字は、せっかく出会っても、2年ぐらいの検討の時間を経なければ結婚に至ることはない、と解釈できます。
つまり、自称「出会い」がたくさん会ったとしても、そのほとんどは結婚を検討さえしない、もしくは検討した結果として選択肢から外れた相手である、というミもフタもない事実の証拠でもありますね!
もし2年以下で別れたとしたら、試験を途中退席したように本気あるいは全力ではなかったことになります。2年以下の「おつきあい」は選択肢ではありません。
選択肢から選ばなければ、選ぶとはいえません!
したがって、両者合意のもとで結婚を真剣に検討できるレベルの人と出会える人数は、12年割る2.3年で、最大で4.8人です。
たいていの人は、多くても4.8人の候補から結婚相手を選ぶことになります。
これは、一般的な感覚的にも符号する人数だと思います。
この時点ではじめて、確率が意味をなすのです。
最大でも4.8人なら、確率なら4.8分の1。
したがって、日本において貴方の両親が出会う確率は4.8分の1。
約21パーセントです。
微妙~
続けます。
同じ両親から生まれても、兄弟姉妹はそれぞれ別人です。貴方は両親の特定の遺伝子の組み合わせ、遺伝子のシャッフルによって生まれています。
そのシャッフルが行われる期間は、30歳で結婚してから母親が肉体的限界を迎える43歳(要ググ)までとします。43マイナス30で、結婚して子作りが可能な平均的期間は、平均的人生のうちの13年間だけです。
そして、遺伝子的に貴方が貴方である確率には、以下の2つの要因が含まれます。
※ご注意 ここからはザックリしすぎなので、もう「約」も「パーセント」もつけません。
13年間の父親の精子数。
1日に5000万から1億(要ググ)だそうですので、5000万とします。
365日で182億5000万なので、13年で2372億5000万です。
13年間の母親の卵子数。
1ヶ月で1つとして、12掛ける13で、156です。
したがって、日本において貴方が貴方である確率は。
4.8掛ける2372億5000万掛ける156で……
チーン! 177兆6528億分の1、です!
おそるべき確率です。
おそるべきすぎて、これがどれほどの確率なのか、さっぱり判りません。
そこで、非常に珍しいと言われる三毛猫のオスが生まれる確率(要ググ)と比較してみましょう。
その確率は……3万分の1。
かすりもしない~
では、宝クジの一等が当たる確率と比較してみましょう。
これなら!
年末ジャンボ宝くじ(2018年調べ)の当たる確率は、1枚買って2000万分の1。
宝クジの細かいシステム(ロットとか)はおいといて、普通に20枚買うとしたら……
確率は100万分の1です。
全然及ばない~
では、もし、宝クジの1等が当たった場合のみ、もう1回買えるという自主ルールにして、また1等が当たる確率なら!
この確率はその自乗になるから、とんでもない確率ですよ。ありえない、と言っていいでしょう。
100万分の1の、さらに100万分の1だから……1兆分の1。
1兆分の1なら、さすがに!
177兆6528億分の1よりもずっと……ずっと……高いです。
重要なことなので、もう一度、書きましょう。
貴方が貴方である確率は、177兆6528億分の1。
宝クジの一等が当たる確率のさらに自乗よりも、177倍以上ありえない。
さて。
ここで貴方に問いかけたいことがあります。
上記の私の計算過程において、不満を感じませんでしたか?
人によって色々な場合があるはずだ、そういう要因を考慮せずに、平均などという曖昧なデータを使う算出方法は間違っていないか? と。
その通りです。
なぜなら、私は貴方を、ワザと私の
「月を物差で計る」ように。
私自身がそうであるように、貴方自身の本当のデータが、ここで提示したすべての元データの範疇に収まっているとは限りません。むしろ、そうでない場合のほうが圧倒的に多いでしょう。
私があえて軽視あるいは無視したデータは、いくらでもあります。
婚活を本格的にする人は、結婚を真剣に考える同士が集まる場所に行くので、選択肢となるお相手は数10人から場合によって数100人に及びます。すごくモテるのにもかかわらず結婚に真剣に取り組む人も同様です。
20歳や40歳の初婚で子を成す人も大勢いるでしょう。
身体的なことに限っても、私は様々な数字の操作を行っています。
たとえば、最も総数に影響している精子数を、平均が判らないなら中央値にすれば良いものを、わざと最小値にしています。卵子数も、もう少し多いはずです。だいたい、遺伝子が同一である一卵性双生児(要ググ)が、似ていても別の個性を持つ人間であることを考えるなら、遺伝子が違うことだけを重要視するのはダメでしょう。
また、人体の細胞は数ヶ月ごとにほとんど入れ替わって(要ググ)います。身体的に、去年の貴方は、今年の貴方と同一ではない、という事実も考える必要があります。
環境の違いもまた大事な要因です。
千の家庭があれば、千の家庭環境があるはずです。経済状況も社会クラスも食べるものも違うでしょう。生まれた地方によっても、生まれた季節や生まれた時代によっても違うでしょう。
もっとも重要な要因は、家族も含めた他人の存在です。
最も貴方を貴方たらしめているのは、貴方が接した他人がもたらす、考え方や情報や体験そのものによる影響です。そしてもちろん、貴方が出会うことのできる「3万人の他人」もまた、それぞれ、「その人がその人である確率」の上に存在しています。
加えて、重複や強弱もあるでしょうが、その他人も、そのまた別の他人の影響を末広がりに受け続けているのです。
私がワザと隠したそれらの要因、実は、それはすべて、貴方が貴方である確率を非常に低く、そう、ありえないほど非常に低くする要因です。
最初から聞かされたら、とても認められないほどに。
だからこそ私はまず最初に、ツッコミどころの多い数字をワザと提示して、貴方にダミーの疑念を持ってもらうことにしたのです。他の要因が存在することを、貴方自身に悟ってもらうために。
貴方が貴方である本当の確率は、たかが177兆6528億分の1ぽっちではありません。
その確率に、計算不能の莫大な下方修正をした上で、さらに他人の影響として「3万乗(ひょっとするとそれ以上)」するという、とんでもない確率になるのです。
宝くじの一等がなんだって?
HAHAHAHAっ! ばかばかしい!
貴方が貴方である本当の確率は、宝くじの一等が生涯連続で当たり続け、三毛猫のオスのもふもふハーレムを入手する確率よりも、ずっとずっとありえません!
貴方は、想像を絶する天文学的な確率を見事にクリアして、今そこにいるのですよ!
そして。
世の中には、珍しいだけで、尊び、高い評価をする価値観が実在します。
ありふれた無数の猫の中から、中身が猫じゃないのならともかく、たかが体表の色と性別の組み合わせだけが珍しい猫に、高い値段をつけ、特別に可愛がり、幸運のシンボルとして尊ぶ価値観のことです。
そのような価値観で貴方を見たとしたら。
貴方はまぎれもなく「かけがえのない」存在です。
愚かにも周囲が貴方にどれだけ低い評価を下そうとも、貴方は地球人類の中で唯一無二の貴重な存在であるという事実は、まったく揺らぎません。
貴方は本当に「奇跡の子」です。
あなたのかわりは、絶対に、永久に、見つけることはできないでしょう。
……他のすべての人間と同じように。
さて。
私はなぜ、この番外編を書こうとしたのか。
それは私の中に、「このテキストを、このまま書き続けていいのだろうか」という疑念が生まれたからです。
「あの世サポーターズ」の中には、設定に穴がある「あの世」観であっても、それ無しでは生きていけないほど悲惨な現実に虐げられているとしか思えないような、とてもかわいそうに「見える」人が実在します。
私は、私のテキストは、かわいそうに見える彼らをさらに追いつめる非情な仕打ちではないか、と考えてしまったのです。
特に、スピリチュアル系の「あの世サポーターズ」の皆さんに対して、そう思ってしまうようになりました。
たとえば、スピリチュアル系の「あの世サポーターズ」の皆さんにとって重要な概念のひとつに「ツインレイ(要ググ)」というものがあります。「魂の片割れ」の意だそうですが、なぜか「魅力的に感じる異性」のことなのだとか。
これだけで相当クるものがあるのですが、ネットに散見するツインレイについての記事(要ググ)には、「ひと目で判る」「付き合うには障害がある」「社会的格差がある」「ふたりの意見が正反対」「抱き合えば安心する」という場合が多い等の解説があります。
世俗に穢れた私には、「ツインレイ」のこの設定って「ストーカーの理論武装」じゃないの、としか感じられないのです。
他にも、当テキストにて前述した「人類アバター説」もそのように感じられる部分があります。例えば、この世界は実はゲームだと信じているのなら、「働いたら負けだと思う」という極端な主張だって理があるというものです。そこまで思っちゃうスピリチュアル系の人は少ないとは思いますが。
もちろん、これらの「設定」を貴方が実際に読めば私と違う感想を持つかも知れないし、間違っているのは馬鹿な私で、正しいのは利口な彼らかも知れませんよ?
そして、上記以外に彼らが色々と主張する他の概念も、同じように「本気で言ってたらかわいそう」な感想を持たずにいられないのです。
※ご注意 もちろん、雑誌に載ってる星占い程度の信じ方レベルなら、夢があっていいんじゃないの、とは思います。私も読みます。でも……「シリトリの宝クジ」を買う
しかし、そんなものに本気で
※ご注意 宗教系の「あの世サポーターズ」の皆さんは、あまりかわいそうだと思っていません。歴史的アドバンテージがあるからです。
もちろん私は、たいていの「あの世サポーターズ」の方々は、私のテキストなど鼻で笑うだろうという現実を理解しています。
また、このテキストに実際に何かクレームがあったわけでもないし、たとえあったとしてもそれなりの大人の対応をするつもりです。
問題は実態ではなく、そう思ってしまった私の心にあります。
世の中には、醜い非難が大好きな人がいます。
もちろん人として、共感や義憤は必要だと思います。
しかし、そんな感情も持たず、当事者でもないくせに、勝手に弱者(と決めつけた)側に立って、横からその矮小な正義感を振りかざす人たちは、確かに存在します。
……そして、私も、彼らのような卑劣な側面を、確かに持っています。
※ご注意 もちろん、それが私のすべてではありませんよ!?
その自覚があればこそ私は、その邪悪さをむやみに振りかざすことのないように、細心の注意を払っているつもりです。
成功しているかどうかはともかくとして。
立ち位置を明確にして、フィクションだと明言して、検索による確認を勧め、当事者である場合はそれをアピールして、できるだけ自省とギャグをこめて、できるだけ相手の利益を守って、私はこのテキストを書いています。
しかし、私の中のその卑劣な側面は、私の「表現」で傷ついた当の被害者でもないくせに、私本人を糾弾するのです。
「それが盗んだものだからって、ホームレスからダンボールを取上げるような真似をしていいのか」、と。
うわっ、誰だ、そんなひどい奴は!? ……あ、俺か。
これを読んでいる貴方は、たぶん、「共感や義憤も感じす当事者でもないくせに正義感を振りかざすような卑劣な人間」ではない、と思うので、私の分裂した複雑な思いを理解できないかも知れませんが。
私は誰と戦っているんだ? ……知らんがな。
だったら止めりゃいいのに、というご意見はごもっとも。
でも一方で、私はこのテキストを、どうしても書きたかった。
なぜならこれは、私自身の、「救いの道」でもあるからです。
そこで私は、この「番外編」を書くことにしました。
私は他人を無条件に肯定できる人間である。
貴方に、ではなく、自分の心にそう言い聞かせるために……
要するに、少し後ろめたくなったので、言い訳したくなったワケですね!
「ぼく悪いモンスターじゃないよ」、と。
さて、次回(次々回)のエッセイは。
「霊能力者」について考えてみたいと思います。
それではまた、お会いしましょう。
今の私ではない私が、今の貴方ではない貴方に。
会うべき時、会うべき場所で。
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