無名人故録 天国編

 どこにでもいる天国の住人、それが私です。


 生きていたころ(笑)は、OLオーエルでした。

「OLって、どういう意味なんですか」と、会社の先輩にたずねると、

「オフィス・レディの略や」と、教えてくれたものです。


「オフィスはともかくとして、淑女レディってどうなんでしょう」

「ありがたいから、そうしとき」

「それもそうですね」


 忙しいスキマに交わした会話も、今はただ懐かしい。

 もう先輩にも会えないのかな……


 いやいや、しっかりしなくちゃ。

 ここ天国では、私のほうが先輩、指導する立場なのですから。

 かわいい後輩……ビーチェちゃんのためにも。


「あっ、ビーチェちゃん、極楽軒の屋台でてる! 並ぼう!」

「……遅刻しませんか」

「大丈夫大丈夫、私なら許すもん」


 指導といっても、こんなことばかりしてるんですけどね。

 さすが天国。


 天国のお店は、すべて個人営業です。

 故人営業……って、えー、やりたいからやっている、そんな凄い人ばかりが店を出しています。つまりアートなんですね。

 配布センターに細かくリクエストしても、望郷獄ホープレスから届くのは、資材や食材だけ。そこからこうやって、たったひとりでお店を創り上げるなんて、私にはとてもマネできない情熱です。素晴らしい。


 ゆっくり行列が進むにつれて、スープの匂いが漂ってきました。どうやら隔離野かくりよに入ったようです。アートなのでまわりは見えているままですが。


「ビーチェちゃん、い~い香りだよね~」

「たまりませんね」


 行列のすぐそばを、おそうじ隊の皆さんが通って行きました。並んでいた人たちは、私たちも含めて隊の方々に手を振って挨拶します。

 私もやったことがありますが、毎日するのはホント大変。頭が下がります。


 平凡圏ヘブンのインフラは資源リソースが作ってメンテしてますが、お掃除は人の手でないとできないので、ああやって有志の人が集まってしてくださるのです。素晴らしい。


 天国の住人の中にも、お掃除なんて見るのも嫌な人はいますが、そういう人はたいてい申請を出して他の場所、羊雲圏シープ絵空圏エトセトラに行くようです。隔離野かくりよも活用されています。


 おそうじ隊も通り過ぎ、私たちはまた談笑しながら、噂のラーメンを食べるために待つ時間を楽しんでいたのですが……


「お客をいつまで待たせるんだ! それでもプロか!」


 突然、眼鏡をかけたおじさんが、大声で怒鳴りました。

 私たちはお客じゃないのに。

 行列が不愉快なら、屋台ごと見えない設定にしとけばいいのに。

 そう思いましたが、おじさんは急に顔を青くして、「失礼した」と呟いて列を離れていきました。


 きっと、自分の法輪ハイロゥから警告があったのでしょう。

「自分で決めた良心」に、ちゃんと従うことができるのだから、あの人はとても偉い人です。素晴らしい。

 自分のことを棚にあげるような人がいないだけで、こんなに心安らかになれるなんて、平凡圏ヘブンに来るまでは思いもしませんでした。

 まあ、意地を張りすぎて結局「堕ちちゃう」人もいるんですけれどね。


 そして、ついに私たちの番がきました。わくわく。

 私たちの体に食事は必要ありませんが、食べる楽しみは捨てがたいのです。

 ヌーハラ隔離野かくりよON!


(ズルズルズル……) 


「うまっ、うまーっ!」

「ほんとっ、美味しいですねっ」


 ビーチェちゃんも、表情が少ないので判りにくいけど、笑顔です。

 ゴスロリ美少女が無音でラーメンをすする姿は、けっこうシュール。

 素晴らしい! あ~、ビールが飲みたい。


 笑顔の店主さんと握手してから、私たちは屋台の隔離野かくりよから出ます。ぽん、とお腹が引っ込んで、口や服の匂いもなくなりました。

 名残りおしいけど、いい思いができて嬉しい。


 私たちと同じように隔離野かくりよから出た人たちが、飛び立ったり、姿を消したりしています。消えた人たちは、食後の一服のためにタバコ隔離野かくりよに入ったのでしょう。視覚から匂いを想起する人もいるので、自分から消える設定にしているんですね。優しい人たちです。


 さあ、私たちも気持ちを切り替えて、仕事だ!


 私たちの「会社」は、映像関係。

 具体的に言うと、絵空圏エトセトラで暮らす皆さんのために、その二次元世界のクオリティを高める仕事をしています。

 AIさんたちだけにお任せしていると、ちょっとばかり物語が「平板」になってしまうので、テコ入れしてドラマチックにするのです。


 絵空圏エトセトラから採れる喜びの資源リソース量アップの報告があると、部署全体がお祭り騒ぎになります。資源リソースにはある程度の指向性があるので、喜びの資源リソースはどの天国圏でも使いやすいそうです。

 私にとってはお役所なんかよりも、とても「やりがい」のある仕事です。

 最近では私の企画も通るようになってきています。美形キャラたちに誉められまくる絵空圏エトセトラとか、けっこう評判がいいんですよ。

 素晴らしい。


「どう、お父さんの消息、判った?」


 仕事終わり。


 ぷしゅ、と2本目のビール缶を開けながら、私はビーチェちゃんにたずねました。

 ふたりが座っているのは、会社上空の雲中公園です。

 家に帰る前のこのひととき、幸せ。


「……いいえ、まだ」

「そっか……」


 この子はちょっと無愛想だけど、実は本当にイイコなので、いつかお父さんに会えるといいなあ、と思っています。


「それに、もうすぐ、例のお仕事が決まりそうなんです。そうしたら忙しくなるから、もう諦めなきゃいけないのかも……」

「あ、そうだ! だったら、手紙を書いて局留めにしたら? ひょっとしたら向こうからも手紙が来るかもよ?」

「いいですね、それ。……やってみます。でも……読んでくれるでしょうか」

「大丈夫大丈夫。カワイイ娘の手紙だもん」


 いいアイデアが浮かんだことに安心して、私は雲のベンチに寄りかかり、夕焼けに染まる眼下の雲を眺めました。


 ……ああ、なんて綺麗。


 ふいに、私の目から涙がこぼれました。

 ビーチェちゃんが心配そうに私の顔をのぞき込みます。


「どうかしたんですか?」

「……ううん。なんでもないよ。ただ……そう。この世界が素晴らしすぎて、私なんかがこんなにも幸せであっていいのかなあ、天国にふさわしい人なんて、いくらでも他にいるだろうに、って……そう思ったら、何だか泣けてきたの……」


 そのとき、私の心の中で、何かがハジケました。

 たぶんそれは、私が今まで見送ってきた人たちに起きていたこと、それが今、とうとう私にも起きたのです!


「あ、あ、あ、私、判っちゃった」

「えっ?」

が来たみたい」


 それを確認するように、私の頭の中で法輪ハイロゥからのシステム・メッセージが響きました……!


「条件が達成されました。昇天アセンションモードに移行します」


 強く輝く私の法輪ハイロゥに照らされて、ビーチェちゃんのもともと白い顔がさらに白くなっています。


「……行ってしまうんですね」

「うん。ごめんね。会社の人たちによろしく」


 私の体は、まっすぐ上に浮かび上がり、雲を突きぬけ向かうのです。

 羊雲圏シープ永劫圏エターナルさえ通り過ぎて。


 神様の御許みもとへ、と。





「他の人々のために席をゆずるがよい。かつて、お前たちがこれを譲られたように」


(国書刊行会・関根秀雄訳「モンテーニュ随想録」より引用)




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