無名人故録 天国編
どこにでもいる天国の住人、それが私です。
生きていたころ(笑)は、
「OLって、どういう意味なんですか」と、会社の先輩にたずねると、
「オフィス・レディの略や」と、教えてくれたものです。
「オフィスはともかくとして、
「ありがたいから、そうしとき」
「それもそうですね」
死ぬほど忙しいスキマに交わした会話も、今はただ懐かしい。
もう先輩にも会えないのかな……
いやいや、しっかりしなくちゃ。
ここ天国では、私のほうが先輩、指導する立場なのですから。
かわいい後輩……ビーチェちゃんのためにも。
「あっ、ビーチェちゃん、極楽軒の屋台でてる! 並ぼう!」
「……遅刻しませんか」
「大丈夫大丈夫、私なら許すもん」
指導といっても、こんなことばかりしてるんですけどね。
さすが天国。
天国のお店は、すべて個人営業です。
故人営業……って、えー、やりたいからやっている、そんな凄い人ばかりが店を出しています。つまりアートなんですね。
配布センターに細かくリクエストしても、
ゆっくり行列が進むにつれて、スープの匂いが漂ってきました。どうやら
「ビーチェちゃん、い~い香りだよね~」
「たまりませんね」
行列のすぐそばを、おそうじ隊の皆さんが通って行きました。並んでいた人たちは、私たちも含めて隊の方々に手を振って挨拶します。
私もやったことがありますが、毎日するのはホント大変。頭が下がります。
天国の住人の中にも、お掃除なんて見るのも嫌な人はいますが、そういう人はたいてい申請を出して他の場所、
おそうじ隊も通り過ぎ、私たちはまた談笑しながら、噂のラーメンを食べるために待つ時間を楽しんでいたのですが……
「お客をいつまで待たせるんだ! それでもプロか!」
突然、眼鏡をかけたおじさんが、大声で怒鳴りました。
私たちはお客じゃないのに。
行列が不愉快なら、屋台ごと見えない設定にしとけばいいのに。
そう思いましたが、おじさんは急に顔を青くして、「失礼した」と呟いて列を離れていきました。
きっと、自分の
「自分で決めた良心」に、ちゃんと従うことができるのだから、あの人はとても偉い人です。素晴らしい。
自分のことを棚にあげるような人がいないだけで、こんなに心安らかになれるなんて、
まあ、意地を張りすぎて結局「堕ちちゃう」人もいるんですけれどね。
そして、ついに私たちの番がきました。わくわく。
私たちの体に食事は必要ありませんが、食べる楽しみは捨てがたいのです。
ヌーハラ
(ズルズルズル……)
「うまっ、うまーっ!」
「ほんとっ、美味しいですねっ」
ビーチェちゃんも、表情が少ないので判りにくいけど、笑顔です。
ゴスロリ美少女が無音でラーメンをすする姿は、けっこうシュール。
素晴らしい! あ~、ビールが飲みたい。
笑顔の店主さんと握手してから、私たちは屋台の
名残りおしいけど、いい思いができて嬉しい。
私たちと同じように
さあ、私たちも気持ちを切り替えて、仕事だ!
私たちの「会社」は、映像関係。
具体的に言うと、
AIさんたちだけにお任せしていると、ちょっとばかり物語が「平板」になってしまうので、テコ入れしてドラマチックにするのです。
私にとってはお役所なんかよりも、とても「やりがい」のある仕事です。
最近では私の企画も通るようになってきています。美形キャラたちに誉められまくる
素晴らしい。
「どう、お父さんの消息、判った?」
仕事終わり。
ぷしゅ、と2本目のビール缶を開けながら、私はビーチェちゃんにたずねました。
ふたりが座っているのは、会社上空の雲中公園です。
家に帰る前のこのひととき、幸せ。
「……いいえ、まだ」
「そっか……」
この子はちょっと無愛想だけど、実は本当にイイコなので、いつかお父さんに会えるといいなあ、と思っています。
「それに、もうすぐ、例のお仕事が決まりそうなんです。そうしたら忙しくなるから、もう諦めなきゃいけないのかも……」
「あ、そうだ! だったら、手紙を書いて局留めにしたら? ひょっとしたら向こうからも手紙が来るかもよ?」
「いいですね、それ。……やってみます。でも……読んでくれるでしょうか」
「大丈夫大丈夫。カワイイ娘の手紙だもん」
いいアイデアが浮かんだことに安心して、私は雲のベンチに寄りかかり、夕焼けに染まる眼下の雲を眺めました。
……ああ、なんて綺麗。
ふいに、私の目から涙がこぼれました。
ビーチェちゃんが心配そうに私の顔をのぞき込みます。
「どうかしたんですか?」
「……ううん。なんでもないよ。ただ……そう。この世界が素晴らしすぎて、私なんかがこんなにも幸せであっていいのかなあ、天国にふさわしい人なんて、いくらでも他にいるだろうに、って……そう思ったら、何だか泣けてきたの……」
そのとき、私の心の中で、何かがハジケました。
たぶんそれは、私が今まで見送ってきた人たちに起きていたこと、それが今、とうとう私にも起きたのです!
「あ、あ、あ、私、判っちゃった」
「えっ?」
「そのときが来たみたい」
それを確認するように、私の頭の中で
「条件が達成されました。
強く輝く私の
「……行ってしまうんですね」
「うん。ごめんね。会社の人たちによろしく」
私の体は、まっすぐ上に浮かび上がり、雲を突きぬけ向かうのです。
神様の
「他の人々のために席をゆずるがよい。かつて、お前たちがこれを譲られたように」
(国書刊行会・関根秀雄訳「モンテーニュ随想録」より引用)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます