「天国は禁煙ですか?」

 あふれる善意と、すばらしい人権と、偉大なる勇者と、そして、まぎれもない破滅の呪文バルスが、実在する現実世界にようこそ。


   (尻鳥雅晶「バルスを覚えた日」より引用)



 平成30年の初夏の話になるのですが、私の妻が帰ってくるなり、


「バリアフリーって、何?」


 と、呟きました。

 もちろんこれは、毒舌を悪癖とする夫(私です)に合わせた、心やさしい妻にとっては冗談半分のセリフだったのですが。


 その日の夜、彼女はいつものように手話講座に出席した後、定例の親睦会に初めて参加する予定でした。

 妻は呼吸器系に難があるので、会場のいつもの店が分煙かどうか、クラスメイトに聞いてみたそうです。


「私たちのテーブルでは、誰も吸わないよ~」


 返ってきたその答えに不安を感じた彼女がくわしく聞いてみると、その店は別に禁煙でも分煙でもなく、他のテーブルでは喫煙する人がいる、とのことでした。


「先生がぜひみんな来てください、って言うから、せめて分煙の店だと思ったんだけど……自分の障害に配慮してほしいと願っている人なら、他人の弱さや病気にも想像力を働かせて、それなりの配慮をしてほしいと思うの」


 結局、親睦会を欠席した妻は、そんなふうに付け足しました。

 そして私は、残念だったね、と答えたのでした。

 まったくデキる夫(私です)であります。


 さて、ここで。

 貴方も「想像力」を働かせて、私のとある質問に、答えてみてください。


「天国は禁煙ですか?」




 貴方のその答えを聞く前に、例によって私の立ち位置と、「喫煙についての一般的な意見」だと私が思う事柄、を述べたいと思います。なぜなら、この問題に対するネットの反応が、どうもどちらか極端に傾く傾向があるように見えるからです。


 私はタバコを吸いません。

 若いころに好奇心で1度だけ吸ったことがあります。

 そして、その理由は複数ありますが、今後も吸うつもりはありません。

 私の職場には喫煙者がいて、マナーと良識を守る彼らに思うところはひとつもありませんが、妻と一緒にいるときにはそうではありません。


 つまり、私は喫煙については、場合によって意見や感情を切り替える、ダブルスタンダード(自嘲)であると言えるのです。


 次に、「喫煙についての一般的な意見」ですが、話を整理かつ冷静に運ぶために、

 喫煙を正当化したい人を「喫煙サポーターズ(喫サポ)」、

 非喫煙を推進したい人を「禁煙サポーターズ(禁サポ)」、

 と呼称しましょう。


 まず、喫サポの意見として、次のようなものがあります。

 もちろん一例であり、また喫煙者のすべてが主張している意見ではありません。


 1. 喫煙は人体に害がない。

 2. 喫煙は人権のひとつだ。

 3. 喫煙者は非喫煙者より多く税金を払っている。

 4. 喫煙は世の中に受け入れらている。

 5. 喫煙者は不当に迫害されている。


 そして、禁サポの意見として、次のようなものがあります。

 もちろん一例であり、また非喫煙者のすべてが主張している意見ではありません。


 1. 喫煙は人体に害がある。

 2. 非喫煙は人権によって守られている。

 3. 非喫煙者は喫煙者より多く国にお金を払っている。

 4. 喫煙は世の中に許されていない。

 5. 非喫煙者は不当に迫害されている。


 いやあ、完全に真っ向から対立していますね~

 一見、どちらかが「嘘または根拠のない主張」をしているように見えます。

 しかし。


 実は、両陣営のこの意見は、どちらも「正しい」のです!



【両者の1の意見について】


 喫煙が人体に害がない、という意見は、アメリカのタバコ会社や日本の医師を含む喫サポが主張しています(要検索ググ)。

 大人を対象にして他の嗜好品と比べた場合、喫煙者本人の人体に変化はあったとしてもそれを即「有害」と呼ぶことはできません。

 また、喫煙は大人にとって好ましい健康状態も引き起こす場合もあります。

 タバコの売上げ減少の割合と、肺ガンや胃ガンの罹患者増加の割合が一致しないことも、喫サポの主張を裏付けるデータです。


 しかし、日常的に副流煙を浴びる場合と、子どもや妊婦の喫煙と、ヘビースモーキングには、あきらかに健康被害があることは、たいていの喫サポが認めています。

 また、これを指摘する人はあまりいないのですが、都会の現実として、喫煙者にも副流煙による多大な健康被害があります。

 タバコを吸う人はタバコを吸う人のいる場所に行くからです。


 ガン罹患率については、統計的な答えが確定するにはもう少し時間が必要である、という禁サポの意見があります。

 また、ガンにならない害がない、という考えを持ったとしたら、それは間違っています。ガンほど死亡率が高くはないがガンよりも健康被害が大きい病気、そしてタバコのように人的物的な原因がある病気が実在するからです。

 それは、薬害による病気や公害病などです。


 最近では、電子タバコ(加熱式も含む)のメーカーが、「電子タバコの喫煙による健康被害は問題にならないレベルである」との報告を発表しています。

 しかし、「電子タバコの副流煙による健康被害の問題」についての報告は、すべてのメーカーがなぜか沈黙しています(要ググ)。

 喫サポはこの事実を、「わざわざ発表するまでもないほど被害が無いからだ」と思います。

 禁サポはこの事実を、「致命的な被害が有ることを隠蔽しているからだ」と思います。



【両者の2の意見について】


 人権のひとつに、「愚行権」(要ググ)があります。

 どのような行為であっても、自由意志によって人間にはそれを行う権利があります。

 本人の健康増進(笑)に問題があろうがなかろうが、喫煙をする権利は人権によって守らなければなりません!

 もちろん、「できる」からって、「する」とは限りませんが。


 しかし、あたりまえの話ですが、愚行権は、他者の財産権や生存権(健康権)より下位の権利です。やりたいから、で何もかも済ましてはいけませんよ。


 すべての不動産所有者は、火災の危険・悪臭の浸透・イメージ低下による資産価値の低下を防ぐために、そこを訪れる喫煙者に禁煙を強いることのできる、より高位の人権を持っています。

 すべての非喫煙者は、副流煙がみずからの健康を損なう可能性がある以上、そばに近づく喫煙者に禁煙を強いることのできる、より高位の人権を持っています。さらに、財産権より健康権のほうが高位の人権なので、たとえ喫煙可の場所であっても非喫煙者は喫煙者に禁煙を強いる人権を持っています。

 もちろん、「できる」からって、「する」とは限りませんが。



【両者の3の意見について】


 タバコには、確かに高い税金がかけられています。

 しかも、年々さらに高くなっていくではありませんか!

 国に支払われた税金は、非喫煙者にも使われます。

 喫サポが、こんな不公平があるか、と考えるのも無理はありません。


 しかし、禁サポには別の言い分があります。

 国民健康保険に払うお金のことです。

 副流煙による健康被害が確定している以上、喫煙による全国民の医療費はいやおうなく増加します。計算方法によってその金額には開きがありますが、タバコの税収より下回ることはない(要ググ)ようです。

 そしてそのお金はもちろん、非喫煙者も払います!

 禁サポが、こんな不公平があるか、と考えるのも無理はありません。



【両者の4の意見について】


 喫煙の規制や嫌煙が年々厳しくなっていることについて、禁サポは世の中が喫煙を許さなくなってきているからだ、と思います。


 しかし、喫煙OKの場所は消えてはおらず、電子タバコは大流行しています。地位の高い年配の人や、流行の最先端を行くアーティストや、普通の若者であっても、自由気ままに喫煙する人がどこにでもいます。フィクションの中でさえも。

 規制が厳しいのにかかわらず、こんなにぎやかな現状がある。なおさら、喫煙が世の中に受けいられている証拠だ、と喫サポは思います。


 ※ご注意 この考え方は、同僚の若い喫サポの意見を元にしました!


 世の中のことを言うのだったら、個人個人の思惑だけではなく、組織についても喫サポと禁サポが存在しています。

 組織の喫サポは、農林水産省、タバコ会社、タバコ会社がスポンサーのメディア、ヘビースモーカーの発言力が高い団体、そしてそれらの眷属の組織です。

 組織の禁サポは、厚生労働省、保険会社、保険会社がスポンサーのメディア、他人の健康に口出しをする人の発言力が高い団体、そしてそれらの眷属の組織です。


 また歴史的に見た場合、喫煙はあきらかに文化です。

 喫サポにとって、それは守るべき文化です。

 禁サポにとって、それはインド政府から見たカースト(要ググ)のように捨てるべき文化です。



【両者の5の意見について】


 マナーと良識を持つ喫煙者は、あきらかに不当に迫害されています。タバコを吸っていないときでさえ、禁サポに敵視されることがあるからです。職場で一服の休憩しているときなど特に、経営者から許されていても、禁サポから冷たい視線を浴びることがあります。さらに、喫煙場所を制限されることによって、気付かずに健康被害を負うリスクがあります。


 また、より高位の人権を守るためとはいえ、就職や結婚に格差が生じるリスクがあります。喫サポにとってそれは差別です。くわえて、喫サポ組織と禁サポ組織の権力格差によって、必要経費は増大します。


 しかも、それらの傾向は年々高まっているのです!


 非喫煙者は、あきらかに不当に迫害されています。禁サポは、無法な喫煙という暴力に出くわすことをいつも恐れています。喘息などの健康に不安を持つ禁サポにとってそれはテロです。したがって禁サポは、自分でも嫌だと思いながら、喫煙者全体を敵視せざるを得ません。同じ職場にいる同僚であってさえも、非喫煙者には許されるとは思えない休憩をとっていることに苛立ってしまうのです。


 さらに、健康被害がほとんどない状況でも、匂いや不安による不快感を持つ場合が少なくありません。さらに、上記【両者の1~5の意見】を都合よく解釈する喫サポの対処に、ひどく悩まされる場合があります。


 しかも、それらの改善はなかなか進まないのです!


 もちろん、マナーと良識を持たない喫煙者や、それを美化するようなフィクションを責めることは不当ではありません。より高位の人権侵害、健康被害、財産被害、世間や子どもへの心理的悪影響等の危険が実際にあるからです。


 同時に、喫煙者全員や喫サポ全員に対して、または逆に非喫煙者全員や禁サポ全員に対して、それぞれ無条件に差別発言ヘイトスピーチするダメダメな人たちを告発することも不当ではありません。


 ※ご注意 もちろん、ただ単なる好き嫌いは、いつだって自由ですとも。




 たかが前置きが、ずいぶん長くなってしまいました。

 エピソード0ってヤツですね!

 さて、話を本筋に戻したいと思います。


「天国は禁煙ですか?」




 ネットなどを見る限り、「あの世サポーターズ」には、自然派のスピリチュアル系、グリーンユーザー系などの人が多いせいか、どうやら喫煙者を敵視している人が多いように見受けられます。

 そういう人がこの質問に答えたら、「禁煙!」と答えるかも知れません。


 しかし。


 天国に行く資格があろうほどの善人にも、愛煙家はいます。

 お気の毒にも知性に問題のある人ならば、いない、と思うかも知れませんが。


 ※ご注意 「私は知性に問題があるが、善人にも愛煙家はいると思う」という方がもしいらっしゃいましたら、ふかくしゃざいいたします。ごめんなさい。


 もし、天国が実在し、善人であることだけがそこに入れる条件であるのなら、そしてそこには不平等という悪がなかったとしたら。




 天国が禁煙であるならば、喫煙者には悪を強いることになります。

 天国が喫煙可であるならば、非喫煙者には悪を強いることになります。




 もちろん、天国に入れる条件が善人だけではなく(お金とか権力とか献身とか)、かつ、不平等を悪だなんて思ってもいない、という素敵な宗教観ならばですけどね!


 ところで貴方は、「アセンション(要ググ)」という単語はご存知ですか?

 ウィキペディアにも出てます。

 色々な意味があるようですが、「あの世サポーターズ」が言うときは、たいてい「魂が進化して高次元の世界に行くこと、精神的かつ高位の天国に昇天すること、またはそのような天国そのもの」です。


 何とも驚くことに、人類全体がもうすぐアセンションする、と主張される方もおられるようです。

 ニュースで世界の現状とか見てると、その「もうすぐ」はどのくらい先かなあ、と思っちゃいますけどね!

 まあ、人類の中で「選ばれし者だけ」というなら理屈は通ります。

 誰か選ぶのかはともかく!


 で。


 高位の天国アセンションは、物質の制約から解き放たれた場所なので、感覚的な喜びではなく精神的喜びがあるのだから、禁煙かそうでないかという問い自体がナンセンスだ、という答えがあるかも知れません。

 タバコがどうこうなんて、そんなことはどうでもいいのだから、と。


 それでは、その高位の天国アセンションに、タバコを神聖視していたネイティブ・アメリカン(要ググ)の善人は行けますか?


 それだけではありません。

 事実として、「天国に行けるほどの善人」の中には、タバコを吸う行為が、自分の重要な価値観や自己同一性アイデンティティとなっている場合があります。

 現代人において、価値観やアイデンティティは魂そのものです。

 その人たちにとって、喫煙という概念がない場所に行くことは、「魂を削る」行為ではありませんか?


 同時に、そして逆に、禁サポの「天国に行けるほどの善人」の中には、タバコを吸わないという選択が、自分の重要な価値観やアイデンティティとなっている場合があります。


 私の亡くなった父は、かつて幼い私たち兄弟のために禁煙しました。

 それは父の誇りでした。善なる行為でした。

 私の父を含めた禁サポたちにとって、禁煙という概念がない場所に行くことは、「魂を削る」行為ではありませんか?


 ああ、もちろん、高位の天国アセンションには、インディアン(非ポリティカル用語で申し訳ありません)や、お前の父ごときの低位な魂は選ばれない、という素敵なアセンション観ならばですけどね!


 それでも、なおかつ、高位の天国アセンションに喫サポも禁サポも行ける、という主張を認めるなら……

 この拙エッセイの第5話(第9話)で述べた、「消えたクオリアの謎」が、ここにも出現してしまうのです!


 ※ご注意 私はこのテキストにおいて、コマゴマと訂正・更新をしております。たとえば上記の第5話(第9話)には、次のような文章で締めくくる1節を、最近新たに加えています。



 でも、もし彼ら商売人が、マジな顔で、


「そんな低俗なデータなど、どうでもいいでしょう」

「これはユーザーのためにやってあげているのです」

「次世代OSは絶対的に正しいシステムです」


 などと、ぬかしたら、私は「薄汚れた銭の亡者め!」とか呟くかも知れません。



 さて、本筋に戻って。


 だったら天国も分煙でいいじゃないか、という意見はあろうかと思います。

 しかし、それは短絡的すぎる考えだと思います。

「分煙」というのは、ご存じの通り根源的解決策ではありません。

 ただ単に喫サポと禁サポの「痛み分け」に過ぎないのです。


 そして、忘れないでください。

 問題は「天国に行けるほどの善人」の意見なんですから。


 今回の話を書くためにネットを漁っていたときに、とあるサイトで見た、とある風刺1コマ漫画カートゥーンの話をしましょう。


 ひとつの水泳プールの真ん中が「網」で仕切られています。

 その片側半分で普通に泳ぐ人々がいて、そしてもう片側半分では……立小便している人がいるのです。

 そのカートゥーンのタイトルは、「分煙」です。


 この過激な表現について、禁サポの妻に意見を聞いて見たところ、

「その通りだと思う」と、いう答えを得ました。

 それが、禁サポのヤニサポに対する忌憚のない感覚なのです。


 さて、「天国に行けるほどの善人」なら、どう思うでしょう?


「天国に行けるほどの善人」の喫サポは、禁サポがそう思うことに共感できます。

 思いやることができます。

 そしてまた、すべての「天国に行けるほどの善人」は、すべての「天国に行けるほどの善人」がそう共感している、ということに共感できます。

 思いやりをしてくれていることを思いやることができます。


 ※ご注意 「私は天国に行けるほどの善人だが、そんな思いやりは持っていない」という方がもしいらっしゃいましたら、どうでもいいです。


 と、いうことは。



 天国が分煙であり、誰かが喫煙していたら、喫煙者は善人であるという魂を削り、非喫煙者は非喫煙者であるという魂を削ることになります。

 天国が分煙であり、誰も喫煙していなかったら、非喫煙者は善人であるという魂を削り、喫煙者は喫煙者であるという魂を削ることになります。



 この、おかしな事態を防ぐためには、どうしたらいいでしょう?


 喫煙者と非喫煙者の間に堅固な壁を作ればよいのです。

 いや、壁とか建物程度の隔たりでは、顔が見える可能性がある限り、向こう側のことを思いやってしまうって?


 それでは、そう……


 天国を2つに分けましょう!


 ペットに対する意見についてはどうしましょう?

 ペットの扱いについても対立する意見があり、そのどちら側にも喫煙者と非喫煙者がいて、そのどれにも「天国に行けるほどの善人」はいるはずです。


 それなら、天国を4つに分けましょう!


 菜食主義は?

 天国を8つに分けましょう!


 アレは、コレは、ソレは……


 現代人が持つ、対立する価値観は無数にあります。

 そして、それらの価値観を持つすべての人の中に、必ず「天国に行けるほどの善人」がいるはずです。そのことを認められるだけの魂さえあれば。

 仮に、対立する価値観の数がたった50個程度(ありえない)だとしても、必要な天国の数は2の50乗。

 その総数は1000兆を越えます。

 全死亡人類の数が1080億人だから……


 ひとりにひとつずつ、大切な天国!?


「国」ですらないじゃん!




 とんでもないオチになってしまいましたが、私が今回、結論として言いたいことを察していただけたでしょうか?


 現代の多様な価値観を尊重する限り、天国だろうがアセンションだろうが、そういったたぐいの「設定」が成り立つはずがないのです。


 どんなに工夫した天国であろうとも、それは単なる押し付け、理想に至らない妥協にしかならないのです。それは、私がこのテキストの小説パートで描く「天国」にも、残念ながら当てはまることなのです。


 いや、おそらく「天国」に限らず……

「あの世」関連のすべての考え方は、現代的価値観とは相容れないものかも知れません……


 ああ、もちろん、私が何度も何度も何度も書いたように、

 現代の多様な価値観を仏恥義理ぶっちぎりで無視してくださる素敵な宗教アセンション観ならばですけどね!


 だから、結局は大丈夫です。安心してください。


「あの世サポーターズ」の皆さんは、少々難があったとしても、それぞれ思いつく限りの素敵な「天国アセンション」を主張されているのですから。

 ほんの少しだけ我慢をすれば、貴方はきっと無事に天国で暮らせますよ。


 地獄行きと比べたら、私だって結局そうしますから!


 さあ、素晴らしい「天国の設定」が山ほどある、素敵な現実世界にようこそ!

 貴方にぴったり合う設定の「天国アセンション」が、きっと見つかるはずです!


 そう、ほんのわずかな代償さえ払えば。


 ……その魂を、1ポンドだけ差し出せば。




 さて。


 次回(次々回)のエッセイは、番外編として、「貴方が貴方である確率」を考えてみたいと思います。


 それではまた、お会いしましょう。

 会うべき時、会うべき場所で。




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