ベアトリーチェ

 人の歩みは螺旋を描く。

 回り回って結局元の場所に戻ったと思っても、その高さは前とは違う。


 (尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成30年7月21日(土)」より引用)



「ベアトリーチェ!」


 が力の限り少女の名を叫ぶと、神が宿った娘の首は、その目を閉じた。

 そしてまたゆっくりと目が開くと、その瞳はふたたび私が覚えている、無機質だけれども温もりのある光をたたえていた。もう、神はそこにいなかった。

 花びらを思わせる小さな唇が開かれ、ビーチェは私に優しく語りかけた。


「自分が無くなるのが怖いんですね」


 少し恥ずかしくなり、うつむく私に向けて、少女はかすかに微笑んだ。


「大丈夫ですよ。貴方をつくりあげたものは、そして貴方がつくったものは、何ひとつ無くなりはしないのです」


 ふいに、私の右手を暖かな何かが包んだ。それはビーチェの右手首だった。

 その首と同じく、まだ光に溶けてはいなかったのだ。

 小さなその手首は、つい、と私の崩れ行く手を取り、光の大地へといざなった。


「行きましょう、私と一緒に」


 私の身体と少女の首は、しだいしだいに光の粒へと変わり、降りしきる雪のように、輝きを振りまきながら神のうちへと注がれていった。


 光の中に消え去る寸前、半分だけの顔でビーチェは呟いた。


「郵便局に行くのを忘れてました。どうしましょう……」


 神のうち

 そこは、光の都市、光の螺旋、光の大海。

 無限が風まく光の永遠だった。

 光輝く無数の可能性たちがそこにいた。

 いままで寄り添ってくれた、ありえざるものだった少女と共に、私も彼らと同じ、光輝く無数の可能性たちへと形を変えた。


 かつてそうだったように私たちは無数の私たちになり、何ひとつ消えはしなかった。私たちがひとりの人間であったころに新たに得た可能性もまた、何ひとつ消えはしなかった。


 ふたたび、私たちは可能性ありえるものたちとしてった。


 やがて、私たちは新たに人として生まれることをみずから選び、ふたたび神の守りを振り切って、ふたたび神のもとを旅立つだろう。


 無数の、別の私になるために。


 私だけにしか得ることのできない、

 新しい可能性のために。


 私だけにしか得ることのできない、

 そして私だけにしか与えることのできない、

 愛と救いを求めるために。




 それではまた、お会いしましょう。

 会うべき時、会うべき場所で。




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