あるいは霊でいっぱいの地球
死んだら無になるのなら、なぜ私の悲しみは無にならないの
死んだら生まれ変わるのなら、なぜ私の苦しみは生まれ変わらないの
死んだら安らぎの地に行くのなら、なぜ私の心に安らぎは来ないの
あのひとは死んだのに、なぜ私は生きてるの
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成29年10月20日(金)」より引用)
長男である私には「兄」がいます。いました。
実の兄ではありません。幼いころから兄的存在として慕った、そして同時に憎んだ、従兄弟のTちゃんです。
昔、地方から上京して、ある程度成功した人が、次々と親戚の若者を呼び寄せて、次世代の者たちの生活基盤を作る、そんな習慣がありました。私の父も親戚の世話になって上京、自身も店をかまえてから大勢の田舎の若者を世話しました。
私が幼稚園のころなど、従兄弟の他にも若い女性が4人、私の妹2人を加えると計6人の「女の子」が家にいた時代もあり、お風呂なども一緒に入りました。
こんなふうな言いかたをすると、まるでエロゲの設定みたいですね!
Tちゃんはもちろん女の子ではありません。背が高いイケメンでした。頭が良く弁が立ち、仕事のできる男でした。彼は私の家から高校に通い、父を長年手伝ったのち、私が家業を手伝うのと入れ替わるように独立しました。
そして良家のお嬢さんと結婚、順風満帆の人生が続く……かと思われたのですが、まず離婚。そして不運にもその商売が傾き、最後には大借金で親戚中に迷惑をかけた挙句、爪弾きのまま大病を患って亡くなりました。今でも尻鳥家の親戚筋では、Tちゃんのことはタブー中のタブーです。あの国における天安門事件のごとく。
※ご注意 もし貴方が尻鳥のリアル知り合いならば、私の実家や親戚筋の前では、絶対にこの話をしないで下さいね。
彼が亡くなる数日前、根岸にある大病院に、私は見舞いに出かけました。「兄」に別れを告げたいと思ったのです。私の両親も含めた親戚は、死にかけた彼のもとをほとんど訪れることはなく、私が訪れたのもまたその一回だけでした。
これは偽善だ、自己満足だ、度し難い自己承認欲求だ、と思いながら、私は死の床にあったTちゃんの手を握り、こう言いました。
「今日はね、Tちゃんの新しいチャレンジの話をしに来たんだ」
呼吸器をつけて何も喋れない彼の目が、こいつは何を言っているんだ、というように見開かれました。
「話が分かったら、手を握ってよ」
握られる手。
「僕はね、親戚の人たちが言うように、Tちゃんだけが悪いと思ってないんだ。
もう少しだけ周りの人も親身になってくれたら、もっと色々違っていたんじゃないか、って思っているんだ。
でも仕方ないよね。だって誰にだって事情はあるからね。そうだよね」
握られる手。
「だからね、Tちゃんのチャレンジはね、周りの人を許してあげることができるんじゃないかな。
(親戚の名前をひとりひとり挙げて)……を、許してあげて、そして最後に、最後にね、自分も、自分自身も許すことができたら……きっと新しい明日が来ると思うんだ」
その明日が、たとえ1分1秒だったとしても、と言うことはできませんでした。
「どうかな。チャレンジしてみてくれるかな」
そして、ほんの少しだけ間を置いて、確かに握られる手。
およそ30年前の話です。
私自身が結婚してしばらくして、この話を妻に言いました。
「それは正しいことだったのか、今でも疑問に思うんだ」
「貴方の言葉が、嬉しかったに決まってるじゃないの。正しいかなんて関係ない」
最愛のハニーは、そう言ってくれたのでした。
ある
さて。
人類がこの地球に出現してから、どのくらいの人数の人間が生まれたか、貴方はご存知でしょうか?
ある試算によると、今まで地球に生まれた人間の総数は、約1080億人だそうです。
現在の人口は約70億人ですから、死んだ人はその約14倍ですね。
もし、人間のゴーストが不滅であり、そしてどこにも行かなかったとすると、現在約1000億体分のゴーストが地球上にいることになります……
とんでもない数ですよ!
原宿の表参道を、歩行者天国のときに、私は少し坂の下になっている駅側から、めまいがするほどの密集した人の群れを眺めたことがあります。もし同時に、その14倍の数のゴーストの群れもいるとしたら……
いや、ごく普通の場所であっても、貴方が自分の部屋で一人だと思っていても、どんなところに出かけたとしても、人の死んでいない場所などこの世にありません。どこもかしこも乗車率1000パーセントの満員電車のごとく、ゴーストで溢れているはずです。ゴーストには定番の墓場などはむしろ過疎地帯でしょう。
いやあ、ゴースト・スキラーのかたがたは本当にすごい。こんな風景を見ていながら正気を保てるなんて!
そして、さきほどの「守護霊」の話が本当であり、すべてのゴーストが誰かの守護霊になっているとしたら。
貴方がゴースト・スキラーでなければ、代わりに想像力を働かせながら……
ちょっと振り返ってみてください。
そこには、14人のゴーストが、守護霊がいますか?
貴方と親しくしていた人が、まったく知らない人が、普通の人が、偉そうな人が、貧乏な農民が、落ち武者が、どちらかというと猿みたいな人が、いませんか?
船頭多くして船が山に登るがごとく、彼らは迷える貴方を導くためにケンケンゴーゴーの議論を重ねてはいませんか?
もちろん、ゴーストたちが「どこか」に行くなら、こんな怖いというか迷惑だというかワクワクするというか、妙な事態は起きないでしょう。
たとえば……そう、「大霊界」に行ったとたら。
「大霊界」は、すでに亡くなっている俳優の丹波哲郎氏が「あの世」を語った、その著書や映画のタイトルです。私と同じあたりの世代のかたならば、熱烈な「あの世サポーター」であった彼のことを、ご存知のかたも多いでしょう。
「あの世サポーター」として、彼、丹波哲郎氏は凄いですよ。
「あの世」の存在を疑う人に対しては、
「死ねばわかる」、の、ただ一言。
その真偽はさておき、どこかの誰かさんみたいにグダグダ言葉を重ねないところ(笑)が、潔くて素晴らしいと思えるのです(そこに痺れるゥ)。
残念ながら、私は「わかる」とは思えませんが(憧れないィ)。
生きてるときですらロクに何も判らないってのに、
死んだら急に何もかも判るようになるってのは、
少しばかり虫が良すぎるんじゃないかい?
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成29年10月2日(月)」より引用)
丹波氏の言葉によると、「大霊界」は地上500kmぐらいの高さで、ドーナツ状に地球を取り巻いている領域だそうです。ここがゴーストのたどり着く場所だということですね。その位置・形状からバンアレン帯を連想しますが、何か関係があるのかも知れません。
※ご注意 バンアレン帯は危険な放射能領域です。うっかり死後に間違えて行ってはいけませんよ!
まあ、「大霊界」でも何でもいいのですが、とにかくゴーストが最終的にたどり着くべき「あの世」、いや、ゴーストがいるところはすべて「あの世」なので、その一部である場所、が、あるとします。ややこしいし、著作権的問題も考慮して、その場所のことを「ゴースト
問題は、「ゴースト・ストップ」であってもゴーストに溢れている、ということです。加えて、もし、ゴーストの居場所だけではなく、ゴーストに必要なインフラもゴースト・ストップに用意(誰が?)しなければならないとしたら、必要なスペースはさらに増大するでしょう。しかもゴーストは1年につき全人類の1割というペースで増え続けるのです。
あ、繰り返しますが、すべて「ゴーストは不滅である」という大前提があっての話ですからね!
もちろんこれは、ゴースト・ストップの広さが有限、しかもせいぜいバンアレン帯の内側程度のスケール、というレベルの話であり、実際(笑)は恒星系スケールあるいは無限レベルの話かも知れません。しかし、私もまた丹波氏と同じく、「あの世」に地球スケール程度の制約があるとする見解を持っているので、ゴースト・ストップの広さは有限であり、同時にゴーストの総数も有限だと仮定しての話です。
うーむ……何だか「ゴミ問題」みたくなってきたぞ。
でも、「ゴミ問題」ならまだマシというものです。効率はともかくとして「リサイクル」という方法があるからです。
リサイクル……あっ!
そう、ゴーストのリサイクルが、生まれ替わり……「転生」なのかも知れません!
そうすると人類の意識の高まり、イコール「
もしそうだとしたら、現世またはゴースト・ストップにおける「人類ゴミ問題」は、
しかし……
そのためには逆に相当数のゴーストのストックが必要です。人類の出生数は年間2割なので、現在でも年間14億人分が必要になります。
すべての人類がゴーストになる事態(核戦争とか)も想定しないとね!
つまり、
「死後のゴーストで混雑する」という事態が、「生前のゴーストで混雑する」という事態に変わっただけ、ということです。
オール
もちろん、人口増加に合わせて、ゴーストが補充(どこから?)されている可能性はあるし、人間性に問題のあるかたなら「すべての人間に
まあ、実際(笑)は転生にはそれほど期待できないだろう、と思っています。なぜなら我々「あの世サポーターズ」では常識(笑)なのですが、まず、前述の「守護霊」やら「地縛霊」やらの存在、また、「ある国では高位者の確認に使用される」ほど、
結局、どんなシステムであっても、ゴーストが不滅でその世界が有限である限り、現在はあらゆる場所が大混雑であることに変わりはありません。
これが「人類ゴミ問題」の現実(笑)でしょう。
なお。
「守護霊システム」について、個人的見解を付け加えます。
ぶっちゃけて言えば、このシステムは無いな、と思っています。死んだ人間が生きている人間に干渉ができるとしたら、世界を思いのままに動かすことができるとしたら、そもそも生きている側に意味がありません。最初から全部ゴーストだけいればいいことです。まあ、わざと意味がないようにされてる(誰に?)かも知れないということは置いといて。
少なくとも私には、そんなシステムの必要はありません。
人生の色々な局面に出くわしたとき、「兄」だったらどう思う、父だったらどう思う、祖母だったらどう思う、あの人だったらどう思う……そう考えるだけで、私の背後に確かに彼らは実在しているのです。
そして、貴方もまた、世代や立場や状況を超えた多面的な考え方をしようと試みるとき、貴方の背後には14人の、実在しない「守護霊」が実在しているのかも知れません。
さあ、ちょっと振り返ってみてください。
さて。
次回(次々回)のエッセイは、今回触れた「転生」について、もう少し語りたいと思います。
それではまた、お会いしましょう。
会うべき時、会うべき場所で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます