貴方へ望む永遠
天国やら地獄やら作る余裕があるなら、
もうちっと現世を良くすることもできるんじゃないの?
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成29年10月14日(土)」より引用)
エレベーターの扉が開くと、そこは凍てついた世界だった。
半日か、それとも半月か、飽きるほど長時間エレベーターに乗って、ようやくたどり着いた地の底。
そこは無音のまま吹雪が舞う、どこまでも広がる氷の大地。あの「
まったく寒くないのに、見渡す貴方の背すじが、ぞくりと震えた。貴方と悪魔は、微光を放つベールのような何かに包まれて、「
貴方たちは薄暗い空の下、凍てついた大地を歩き続けた……それは5分ほどか、あるいは数日かも知れないが……やがて悪魔は、何もない氷の平原の終わり、氷塊が立ち並ぶ「森」で、その散歩のように緊張感のない足取りを、ふいに止めた。
「氷の下を見てください」
凍てついた地面を悪魔が指差すと、突然、今まで白く濁っていたぶ厚い氷が、まるでガラスのように透き通り、その下に隠れていた巨大なモノを
はっ、と息を呑み、周囲を見回した貴方は……この氷の大地に、びっしりと隙間なく異形の怪物たちが埋まっていることに気付いた。
「ご紹介いたしましょう。わたくしの上司たちです」
執事姿の悪魔が、大げさにお辞儀をしながら言った。
彼らはここに封じられているのか、と貴方が問いかけると、悪魔は手のひらを顔の前で振りながら言った。
「強すぎて動けないのですよ。強力な悪魔が活動するためには、莫大な
悪魔は急に頭痛を感じたかのように顔をしかめ、額を手で押さえた。
「……ったく地獄耳なんだから。我が敬愛する上役の皆さんは、こんなふうにお小言とか、簡単な命令とかしかできないのですよ。ああ、もちろんこの地獄にいるのは、我らが同胞ばかりではありません。なんと言っても地獄ですから。本来の
すぐそばに盛り上がる巨大な氷塊、城壁のごとく張り出した氷壁の中には、確かに、普通サイズの
「そう、凍っているのは実は時間なのです。苦痛はそのままですが。彼らは、よせばいいのに永遠の罰を科してしまったのですよ」
悪魔はそう言いながら、罪人が詰まった氷壁をぱんぱんと叩いた。
本当に永遠にこのままなのか、と貴方が尋ねると、悪魔は困ったように眉をしかめて言った。
「いやあ、それなら面白いんですけどねえ。まあ、そのうち適当な名目で、現世の終身刑と同様に、数十年で赦されるのです。……ほら、ちょうどその人みたいに」
悪魔を指差したのは、ひび割れた氷の壁から転がり出た、ひとりの罪人だった。その首にある黒い
小ぶりな翼は大きく羽ばたくと、目をつぶって震えている罪人の身体を引き上げ、まっすぐ上空へと飛びあがった。やがて罪人は、吹雪に白く塗りつぶされた空を突き抜けて、雲の彼方へと消えていった。
「ほう、あの勢いだと
悪魔は嫌なものを見たと言わんばかりに、はあっ、とため息をついた。
「昇天」していく罪人から視線を下した貴方は、広大な氷原の向こうに、あの審判センターが丸々入ってしまいそうなほど巨大な穴が開いていることに気付いた。
悪魔は貴方の視線の先を、ちらり、と見ると、興味なさそうに言った。
「ウソかホントか、あそこには昔、恐ろしく強大な存在が埋まっていたという話です。おそらく自己消滅したのだろう、と言われています。さあ、そろそろ次へ行きましょうか」
そこは確かに「海」だった。
ただし海水は一滴もない、悪魔の話では数億の人間が
「水平線」まで罪人で埋め尽くされた「海」を見下ろして、なんという地獄らしい地獄だろう、と貴方は思った。
「
「海」には「雨」が降っていた。人間の「雨」が。
はるか上空の灰色の雲から染み出すように、絶叫をあげながら、ぱらぱらと無数の罪人が落ちてくる。彼らは手足を振り回すが成すすべもなく海へと落ち、文字通り人の波に飲まれていく。
貴方が広大な海を見渡せば、罪人の雨とは逆にごく少数ではあったが、海から飛び出て「昇天」していく罪人も見つけることができた。彼らの首には、あの黒い翼を生やした
「海」には「稲妻」が落ちていた。
いや、それは普通の雷ではなかった。ジグザグに曲がりながら光り輝くそれは、海から発せられて、灰色の雲まで昇っていくのだった。その一瞬の光に照らされて、罪人たちの苦痛にゆがむ顔が、薄暮にくっきりと浮かび上がる。
「あのカミナリが、搾り取られた
悪魔の言葉に、貴方は聞き返した。彼らを罰することが目的なのか、
悪魔は稲光に目を細めながら答えた。
「もちろん、両方です。彼らの望みのために、彼ら自身のパワーを使う。ごくごく当たり前のことでございましょう? 税金のようなものですよ。まあ、他のことにも使っているわけですが。……一般会計より特別会計のほうが何倍も多いみたいに? HAHAHAHAッ!」
何とも理解しがたいことに、そこは「街」だった。
現世のどこにでもあるような、バラックや低層の建物が立ち並ぶ、臭くて薄汚れた街並み。大量のゴミが散乱する街のそこかしこから、何かを燃やしている煙が立ち上っている。
その首に黒ずんだ
貴方と悪魔は、街の一角にある野球場に似た円筒状の巨大な建物、その一室から荒廃した街並みを見下ろしているのだった。「野球場」の中に罪人たちが上空から落ちてくる音と悲鳴が、貴方の背後から絶え間なく響いていた。貴方は街を見回して、他の地獄と同じように「昇天」していく罪人がいないかどうか探したが、なぜかそれは、まったく見ることはできなかった。
「住めば
メフィストフェレスがお茶の支度をしながら言った。豪華なソファを勧められて、貴方が座ったその前にある低いテーブルに、香りのよい紅茶が満たされたカップが置かれる。茶器の載ったワゴンには、他に色々と喫茶セットがあり、そのすべてに「made in hell」の刻印があった。
「お疲れになったでしょう。このへんで少しお休みになってください」
執事姿の悪魔はそう言って大げさなお辞儀をすると、胸元からリモコンを取り出し、部屋の隅にあった大型TVの電源を入れた。
絶叫が響いた。
TV画面に映っていたのは、様々な、オーソドックスな地獄の風景だった。地獄の鬼や悪魔に責められて、罪人たちが悲鳴をあげ苦しみもがく。悪魔が次々とチャンネルを替えても、そのすべてが地獄、それも現世の宗教画などでよく知られた地獄の世界が映し出されるのだった。
メフィストフェレスは懐かしそうに、しみじみと言った。
「こういう、いわゆる古典的地獄しかなかった頃は、
悪魔は悪魔の微笑みを浮かべて、楽しそうに言った。
「実にわたくし好みですねえ!」
しかし、すぐにメフィストフェレスは好きな銘柄のタバコが発売中止になったかのような、少し落ち込んだ顔を見せた。
「……しかし、結局これらは、ほとんど稼動できずに、開店休業状態になってしまいました。そして、該当する罪人たちは天文学的長さの行列待ちも含め、フルモデルチェンジのときに特赦されました。とはいえ、今でも少しは需要があるので、こうやって残しているのです。はぁ……昔の人は本当に偉かった。いい設定だったのになあ」
この古い地獄はどこにあるのか、と貴方は悪魔に尋ねた。ふたたび顔をほころばせて、悪魔はTV画面を指差した。
「ここですよ、ここ。何兆年とかナレーション一発でOKの、ここ。省エネを極めたこの二次元の世界が、そのまま地獄のひとつなのです」
悪魔の話では、これが紹介する最後の地獄だという。
予想よりも地獄の種類が少ないようだ、と貴方が言うと、悪魔が答えた。
「特殊な地獄は
だから審判機もできるだけ既存かつ短期の地獄に当てはめるよう進言しますが、いやあ、他人を地獄に落したい人には、頑固者が多くて困ってしまうそうですよ。それにしても、会ったこともない人に、よく酷いことできるもんだ。まあ、それやったのは結局自分なんですけどねHAHAHAHAッ!」
「地獄」の構造
荒野、
【最上層】
【中間層】
【最下層】
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