フリーライダー幽体仮説

 俺は気付いた。

 俺と同じような目に会ったすべての盗賊たちが、

 かならず気付く答に、俺もようやく気付いた。

 たったひとつの、残酷な答。


  (尻鳥雅晶「闇よ盗むなかれ」より引用)



 最近、何かと話題になるAI自動運転カーですが、この国では、高速道路や専用道路以外の一般道で走らせるには無理がある、と私は思っています。


 AIはイレギュラーな事態に迅速な対応はできないのに、日本は道路工事による交通障害が多すぎるからです。でも、届け出のあるすべての道路工事の情報をAIが利用できるようにすれば、改善は可能だと思います。また、別に自動運転でなくても、工事情報をカーナビが受け取れるようにすれば、劇的な渋滞解消とそれに伴う事故減少が期待できるのに、いまだに、それに着手していないということは……


 たぶん、したくないんでしょうね! 色々な理由で!


 高齢者事故を追い風にして、AIカーはこれからガンガン発売されると思います。が、安全というにはあまりにもドンくさい運転のせいで、ドライバーも他車もイライラが爆発、渋滞はもちろん、かえって事故を拡大させるという本末転倒な結果になると思いますよ~私は。


 さて、テキトーな社会批判(笑)はこれぐらいにして。

 ひとつ、貴方に仮定の質問をさせてください。


 貴方が車の免許を持っている、と仮定したとして……


 もし、貴方の運転する普通の車に、貴方という人間を超高性能のAIが、こっそり搭載されていたら。そして、ハンドルなどの手動操作装置も運転と同時に、(例えば自動演奏ピアノのように)操作されるように動いたとしたら……


 貴方は自分の車が、「自動」運転されていることに気付けるでしょうか?


 目的地に向かってただ運転する、というだけではなく、急にコンビニに寄った、とか、飛び出したネコを避けたとか、そういった事態も含めた運転を、AIが完璧にコントロールしていたとしたら、貴方が真実に気付くことはできないでしょう。


 なぜなら。


 AIが貴方の意志通りに車を動かす。しかも運転すると同時に、ハンドルは勝手に切られ、ブレーキは踏まれたかのように沈む。運転する意思を持ち、その操作を同時に行う貴方は、現実に自分の思う通りに車が動いている、と思ってしまう。そんな「自動運転」を「受動」することで、「自分は確かに運転しているという錯覚」を、してしまうからです。


 あ、ワザとムチャクチャな運転をしてもその秘密はバレません。高性能AIなら貴方の気まぐれ屋さんな性格も計算しているはずですから。


 それを確かめる実験は、以下のようなものとなるでしょう。


 貴方が運転する車の前にネコが飛び出してきたとき(ネコチャンカワイソウ!)、貴方がハンドルを切って避けるまでの時間を計測する。

 もしその時間が、貴方の反射速度よりも早かったら。明らかに貴方がハンドルを切るよりも早く、車がネコを避けたとしたら(ネコチャンヨカッタネ!)。

 貴方の車を運転しているのは、貴方ではなくてAIだとバレてしまうでしょう。


 仮定に仮定を重ねた、バカバカしい思考実験だって?

 いいえ。実はこの話、カリフォルニア大学のリベット博士による実際に行われた実験(ご存知かもしれませんが)の、例え話なのですよ。


 その実験はAIカーは使っていません(ネコチャンも)。

 実験はまず、合図に合わせて、被験者にある反射的行動をさせます。もし、その行動または行動準備のための筋肉や神経の変化が、自分の意思を表す神経の変化よりも、わずかでも早く現れたとしたら……


 被験者の身体は、その人の自意識ではなく、無意識が動かしたことになります。


 人間の自意識は、その身体をコントロールできている、自分には自由意志がある、と錯覚している。

」ことになります。


 仮定で述べたことに置き換えると。

 AIという「無意識」が働くことで、ドライバーという「自意識」が、車という「肉体」を、何もしていないのに操作しているという「錯覚」を得ること。

 すなわち「能動的ではなく、受動的に自意識がある」……


 これが、その実験の「成功」によって導かれた「受動意識仮説」(要検索ググ!)です。


 ※ご注意 「受動意識仮説」という言葉の提唱者であるとされる慶応大学の前野隆司教授は、その「行動後に発生した錯覚」そのものが自意識の正体である(という大意であると私は解釈してます)と主張しておられますが、それについては私は同意しかねます。実験と直接結びついた結論ではないからです。


 この仮説に出会って、私は一時ひどく落ち込み、やがて立ち直るのですが、その過程と結論については拙作「自分というモノ」をご笑覧ください。


 ※ご注意 ネットでは、この仮説について否定する者(あるいは否定しない者)を激しく糾弾する向きがあります。しかし、自由意志があろうがなかろうが、人権がなくなるわけでもなく、その人が人間として機能するなら、他人や社会にとっては本質的に「どうでもいい」問題です。この仮説の受け止め方は、自殺に対する考え方のように、プライベートなものであると私は思います。


 さて、そろそろ。


 前回(前々回)のエッセイで述べた、私の自説を披露する時間となりました。

 いま、名付けよう、その自説を!(タイトルでもう出オチしてるけど)


「フリーライダー幽体ゴースト仮説」!


 ※ご注意 これは、前回(前々回)で紹介した「人類アバター説」と、「受動意識仮説」から発展させたシリトリ説です。なお、使用する用語については、私の信念に基づくチョイスであることを前もってお断りしておきます。



 普通の人間は、自意識を持たない「天然人ナチュラル」と、自意識であるゴーストのふたつの要素から構成されている。ゴーストは自意識としてナチュラルをコントロールし、その行動を自分の意思によるものだと思う。


 ……が、それは錯覚である。


 受動意識仮説で示されたように、自分に自由意志がある、と、ゴーストは受動的に思っているだけである。

 ゴーストとは、ナチュラルという乗り物に勝手に乗っていて、その風景の感動を横から楽しみつつ、しかも自分がドライバーだと勘違いしている、「タダ乗り客フリーライダー」である。


 実は「天然人ナチュラル」は、自意識ゴーストがなくても、動物としても現代人としても、自立的に生きることができる。また外部からは、自意識ゴーストの有無は判別不可能である。


 ※ご注意 この手の知識がある人なら、「天然人ナチュラル」が、いわゆる「哲学的ゾンビ(要ググ!)」のことだと看破するでしょう。その通りです。


 生前にゴースト・スキルが使えない理由、すなわち「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」が発生する理由は、ゴーストとそのスキルを構成する物質が「微細な存在」だからである。


 そう、物質。それはまぎれもない物理現象ヤツさ!


 障害者も含めた普通の人間の体内では、ゴースト・スキルが絶え間なく発動しているが、非常に微弱なために、肉体ノイズ(体温放射や鼓動や筋電位)にまぎれて、実感することはできない。また、生前のゴースト本体を外部から観察できないのも同様の理由である。


 天然人ナチュラルが死亡(あるいは臨死体験や幽体離脱)してその肉体からゴーストが離れると、肉体ノイズが無くなるために、ゴースト・スキルが使用できるようになる。


 ゴースト・スキルが物理現象を「超える」ように見えるのは、そのパワーが優れているからでも強いからでもない。北風の冷気が薄い壁を抜けるように、タンポポの綿毛が風に乗って遠くまで行くように、単に他の物質に影響されにくい、中性微子ニュートリノ特性を持っているからである。


 ※ご注意 上記の様々な観点は、「人類アバター説」の傲慢な選民思想を反面教師とすることで、始めて得ることができました。ありがとう、「人類アバター説」!


 また、「霊能力者ゴースト・スキラー」がスキルを使える理由は、クイズ王のクイズ能力のように単なる物理的才能である。

 加えて、ゴーストが別の生者に、その肉体ノイズを越えてメッセージを伝えることができる理由は、ある種の「カクテルパーティ効果(要ググ)」だと思われる。


 死後の自己同一性アイデンティティの疑問である「消えたクオリアの謎」については、「人類アバター説」と同様に、「傷つき、痛むことによって形成される肉体的な自意識じぶん」など、単なる錯覚である、という解釈となる。


 ただし、錯覚しているのはアバターナチュラルではなくユーザーゴーストのほうだが。


 そして、ゴーストが物質でありそのスキルが物理現象としたら。


 ゴーストは、物質であっても肉体的な情報処理をしていない以上、類似として「ホログラフィックメモリー(要ググ)」と似たような構造を持つ、と考えられる。


「ホログラフィックメモリー」は膨大な記憶容量と高い冗長性(1)を持つことや、連想メモリー(2)などの機能があり、また、レーザー光で読み書き(3)するが、出力と精度を犠牲にすれば自然光に近い光でも再生(4)できる。


 これは、ゴーストが自我を持ち不滅であること(1)、単体でもある種の情報処理が可能(2)で、天然人ナチュラルのパワーがある脳内環境ではクリアな自意識(3)を保ち、死後環境では曖昧な自意識と独自の知覚(4)を保持すること、と符号する。


 また、ゴースト・スキラーの脳内ではゴースト・スキルが完璧に機能するのに、外部環境においては極めて不安定になる現象とも符号する。


 以上……


 ここで、非常に興味深い「事実」が明確になったと思います。


「フリーライダー幽体ゴースト仮説」において、ゴーストを構成する物質があるとしたら、「それ」は、決して非現実的な特性を持っているわけではなく、実在する物質の特性を備えている、と言えるのです。

「それ」が、実在する物質的特性を持つのなら、実在が期待できるということではありませんか!


 この「物質」を、「ゴーストホロン(あるいは寄生素子)」と呼称しましょう!

 なお、「ホロン」は「ホログラフ」と「ホロン(哲学)」に掛けています!


 あれっ?

 なんだかキレイにまとまっちゃったぞ?


 どうやら、この「フリーライダー幽体ゴースト仮説」(アンド「寄生素子ゴーストホロン」)ならば、「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」と「消えたクオリアの謎」は、そして他の疑問もいくつか自動的に解決するようです!


 なお、私のこの説は、当テキスト前述の「トンデモ科学の平等原則」に従い、いわゆる科学的(笑)説法と同程度に尊重してくださいね!


 で、でも、勘違いしないでよね、私の仮説なら解決されるだけだからね、他の人の仮説でも解決できるとかそんなんじゃないんだからね!


 あと、新たに発生した問題として、「生前のゴーストはその天然人ナチュラルにまったく影響を与えないのか?」という疑問があります。


 私の意見としては、「短期的にはその通り」。

 長期的には……拙作「自分というモノ」を読んでいただければその意見を書いておりますが、ケチケチせずにここでも書きましょう。

 太っ腹な男だとよく言われる私ですから!



 そして自意識は、他の外部刺激と違って、寝ていない限り、常に無意識のそばにあるのです。常に思考というインプットをし続けるのです。

 私の自意識は、私の無意識をコントロールしていないかも知れません。

 しかし、影響を与えていないはずはないのです。

 他人の無意識は、確かに私の無意識に影響を与えているのですから。

 (中略)

 だから、自分は、行くべき方向を指し示す、自分を率いる旗手でいよう。


  (尻鳥雅晶「自分というモノ」より引用)



 あ、そうそう。


 自説がアンチ「人類アバター説」だと言うのなら、ユーザーゴーストの目的も述べなければなりませんね。その目的がゲームとか修行でなかったとしたら、いったい何なのか……でもそれは、各々おのおのが決めるべきことだと思います。


 ただし、私の意見としては。


「どんな生き方をしようが、天然人ナチュラルの最大の理解者がそのゴーストであること」そして「死後にゴーストは自分が傍観者であったことに気付く可能性が高いこと」という点から、論理的帰結としての「ゴーストにしかできない」究極の目的を特定できている、と思っています。


 その目的とは……


 さて。


 こうして、やっと、私の中ではゴーストの正当性を獲得した(世間一般の概念とさほど変わらないのがミソですね!)のですが、次に考えるべきことは。


 ゴーストはどこから来て、どこへ行くのか。


 それは次回(次々回)以降のエッセイにて語りたいと思います。


 それではまた、お会いしましょう。

 会うべき時、会うべき場所で。









 そして。









 貴方じぶんの人生という作品の幕が降りるとき、

 惜しみない拍手を贈ろう。

 そのためにゴーストはあるのだ。

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