命なきものの生涯

  親の役目は、いなくならないことである。

  地球の裏側にいても、亡くなっても、

  一度も会ったことがなくても、

  いなくならない親がいる。

  同じテーブルで食事をしていても、

  いない親がいる。

  

  (尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成29年9月30日(土)」より引用)



 日傘をたたみ、悪魔さんたちと一緒に、私は「審判センター」という不思議な建物に入りました。なぜか、建物の中に入ると、少しだけ頭がすっきりしたような気がしました。床も壁も天井もぴかぴかに磨き上げられた廊下を進んでいくと、やがて急に視界が開けた場所にでました。


「わあ……」


 思わず声をあげてしまうほど、そこは広い広い部屋でした。反対側の部屋の壁が、遠すぎてよく見えません。そして部屋を埋め尽くす、ずらりと並んだ不思議な机と、その前に座る顔色の悪い、私と同じ死んだ人、人、人たち。

 私は学校に行ったことがありませんが、授業中の教室というものを何百倍にも広げたとしたら、同じように見えるかも知れません。


 彼らはみな小声でぶつぶつと呟いているので、その音が集まったうわーんという反響で、広い部屋じゅうが震えているように感じました。

 見上げるほど高い天井近くには、建物に入る前から見かけていた不思議な画面(ウィンドウ、と連れの人が言ってましたが)が、いくつもいくつも開いていました。


 空いた席があれば、座ってください。

 空いた席がなければ、奥に進んでください。

 空いた席は必ずあります。

 絶対に通路で立ち止まらないでください。


 見知った文字と、たぶん外国の文字で、何度もそういう表示を繰り返すウィンドウの下、おおぜいの死者たちが歩いています。

 私たち3人もまた、人の流れに逆らうことなく、机と机の間にある通路を歩いていくと……


「いったいここはどこだ! 説明を要求する!」


 私たちのすぐ前を歩いていた、眼鏡をかけた年配の男の人が、立ち止まってそう騒ぎ始めました。


「おやおや、このかたは想像力に欠けているようですねえ。どう見ても文句を言って何とかなるような状況じゃないのに」


 悪魔さんがそう呟くと、まるでそれが合図だったかのように、男の人の足元に穴が開きました。人が入れるほどの大きな穴が。そして男の人は悲鳴をあげながら、穴の中へと落ちてしまったのです。深すぎてその奥が真っ黒にしか見えない穴は、すぐ、まわりの床が集まるかのように縮んで、あっというまに塞がりました。そばにいた人たちはそれを見て、ある人はあわてて急ぎ足になり、またある人はきょろきょろと必死であたりを見回して、空いた席を探すのでした。

 私はなんだかとても不安になって、悪魔さんに尋ねてみました。


「あの……ああいう人は……どうなってしまうんですか?」

「いま落ちた人のことですか?」

「はい……いまのこと、忘れたら……何度も繰り返してしまうんじゃ……」

「なるほど。お嬢さんの言いたいことは判りました。でも、大丈夫、大丈夫!」

「……大丈夫?」

「まず、あの人は、イベントのセーブポイントみたいな、あー、審判センターの入り口に戻されるだけですから。それにね、あんまり……そう、何百回も逆らうような、ここ、ここ」


 悪魔さんは自分の頭を、自分の指で何度もつつきました。


「ここに問題ある人は、そのうちバスに乗せられるんですよ。そうそう、騒ぎまわるお子様もね。それより……あ、お嬢さん、ほら、ここ空いてますよ。さあさあ、座って座って」


 空いたばかりの席、そう、目の前に座っていた人が、急に立ち上って部屋の奥に去ったために、偶然空いた席を指さして、悪魔さんが言いました。

 言われたとおりに私がその椅子に座ると、目の前にあるのは机のウィンドウ。そう、まるでけ反った鏡台のように、机にはウインドウが張り付いているのです。


「それじゃあとは、この画面の指示に従ってください」


 悪魔さんはそう言って、私の肩をぽんぽんと軽く叩くと、連れの人と一緒に通路を歩いて行ってしまいました。悪魔さんたちは、時折、席についている他の死んだ人たちに話しかけながら、どんどん部屋の奥に進んでいくのです。


 置いてかれた……

 私は途方に暮れて、しばらくうつむいていました。


 ぽーん。


 突然聞こえた短い音楽に顔を上げると、机のウィンドウに、様々な文字が表示されています。そのほとんどは読むことができませんでしたが、やがて、私にも判る文章が浮かび上がりました。


 画面に触れてください。


 画面に?


「きゃっ」


 おそるおそる画面に触れた私は、突然ピリッと指先が痺れたような気がして、小さく悲鳴をあげました。指を胸元に引き寄せて、びくびくと震えながら画面を見ると、そこにはまた読むことのできる文章が表示されています。


 審判を始めます。


「審判……ですか?」


 貴方の義務です。

 ある程度の判断ができる人は、審判を下す義務があります。


「だ、誰の……何の審判なの……?」


 貴方と最も価値観が近い人を、貴方が審判するのです。


 私はそこで、画面と会話していることに気付きました。いくつか言葉を交わして、私が何をしなければいけないのか、教えてもらいました。


「あの世」に来た人は基本的に(赤ちゃんとか判断ができない人を除いて)、誰かひとりの死後の審判を行う義務があるそうです。その審判を下すまでは、席から立つことができないとか。天国行き、地獄行き、善行や罪の重さによる加減、すべて私が決めなければいけないのです。


「そ、そんなこと……と、とても私には無理……です」


 判断を放棄する、ということでよろしいですか?

 その場合は、その人は自動的に最上位の天国行きとなります。


「天国行き……ですか?」


 私は少し考えてみました。私が何もしないことで、うんと悪い人が神様のみもとに行ってしまったとしたら……


「判り……ました。審判します……あ!で、でも間違いしたらごめんなさい」


 貴方の判断は、それがどのようなものでも尊重されます。

 貴方の思うがままに審判を行ってください。

 貴方が審判を下すべき人は、この人です。


「女の子……?」


 画面に現れたのは、白いフリルのある黒いドレスを着た、人形のように整った顔の少女の姿でした。青く見えるほど白い肌、長い睫毛が印象的な大きな目の下には黒いくまがあります。最も価値観が近い人というだけあって、とても私によく似てますが、私本人であるはずがありません。その子の愛称はビーチェ。本当の名前はベアトリーチェ。苗字はありません。


 その姿に続いて、彼女、ビーチェの記録が次々と画面に現れました。


 最初は数行の文章だけですが、もっと詳しく、というと、どんどん詳しい記録が表示されます。映像も音声も、彼女が読んだことのある本の内容まで、まるで本人の記憶を直接覗き込んでいるような迫真的な記録でした。しかも、こういうことは何回したか、そのときの映像はどうか、とか、ここは省略して早送りしてほしいとか、そういう曖昧なお願いでも、まるで本人が見せてくれているかのように的確に表示してくれるのです。


 彼女、ビーチェは、「少女」としていきなり生まれました。

 普通の人間ではなかったのです。


 ビーチェの父ギョエテは、不思議なチカラを持っていました。そのために、それを恐れた人々に、ベアトリーチェという名の実の娘を殺されてしまいました……

 ギョエテは嘆き悲しみ、その持てるチカラをすべて使ってベアトリーチェを生き返らせようとしました。そして生まれたのがビーチェ、ベアトリーチェの死体を部品に作られた、生きる人形であるこの女の子です。


 やがて、ギョエテはある種のゾンビであるビーチェが、どれほど愛らしくても、同じ記憶を持っていても、亡くなったベアトリーチェとは別人に過ぎないことに気付きました。表面上は自分の本当の娘のように接していましたが、日々の言葉の端々には、何となく絶望の匂いが感じられたのです……


 ふたりは人里離れた山奥でひっそりと暮らしました。しかし、その生活も長くは続かず、神様の名を叫ぶ人々にまた追われて、アジアの片隅まで逃げ延びたのでした。


 そしてそこでも、追手は現れました。ギョエテは殺され……ビーチェはバラバラに切り刻まれて土に埋められました……が、ビーチェはそれでも生きていました。長い長い時が過ぎ、ギョエテの不思議なチカラが尽きるまで。


 なんて……なんて可哀そうな女の子でしょう……


 私も似たような経験をしていますが、この子のほうがずっと辛かったはずです。

 なんといっても私は、おとうさまに本当に愛されていました。やさしく微笑みかけてくれたり、たくさんのご本を読んでくれました。そして、ひどい人たちに同じように暴力をふるわれたときも、私はこんな「腐った化け物」とか「地獄に落ちろ」とか酷すぎる言葉を言われた覚えはありません。私が埋められたのは一瞬のことでしたが、この子は普通の人の寿命の何倍も長く、冷たい土の下にいたのです。


 辛かったでしょう……苦しかったでしょう……

 この子にはぜひ天国に行って、安らかに過ごしてほしい……


 でも。


 本当にそれで、よいのでしょうか……?


 私が気になったのは、この子が神様の名のもとに殺されていたことです。こんなふうに、神様ご本人ではなく、私のようなものが審判しなければいけないのは……ひょっとして……

 おとうさまが読んでくれなかった本には、ある国に生まれてきたというだけで、会ったこともない人々から憎しみを向けられる、という話がありました。自分がどれほど罪なき者だと思っても、憎まれることが罪のあかしだとするならば……

 ただ生まれてきただけで、何も悪いことをしなかったとしても、地獄に落ちるべき罪深き魂というものが、あるのかも知れません。


 酷い考え方だとは、思いますが……


 座っていた椅子の背を大きく後ろに倒して、私は隣の人の画面を覗いてみました。他の人がどのように審判を下すのか、知りたくなったのです。


 隣の人は、若い男の人でした。その人は頭をがしがしと掻きながら、「たりいし、めんどいし」と言いながら、びしっ、と、彼そっくりの人が笑っている画面を指さして、「地獄千万億年!決まり!」と叫んで席を立ってしまいました。彼の足取りを目で追うと、どうやら、審判が終わると次に行くべき所が判るようでした。


 また別の人は、「どうしよう……決められない。ダーツとかないの?」と画面に尋ねていました。そのまま私が見ていると、ルーレット状の選択ボタンがその画面に現れました。選択ボタンは次々と順番に色が替わり、「ストップ」と言うと、そのひとつに決定されるようでした。その人は決まったはずのボタンを見て「たわし、って何だよ……」と呟いて、もう一度選択をやり直すようでした。


 身体をひねって後ろを見てみれば、年配の女の人が呟いていました。

「天国の街に行くのは決まりとしても、なんとかして、お友だちには会わせてあげたいわねえ……」

 女の人と目が合ってしまい、彼女がびくっと震えて驚いたので、私は慌ててまた自分用の画面に向き直りました。


 いろいろな審判の下し方が、あるようです。


 私は考えました。考え続けました。それは一時間だったかも知れないし、一週間だったのかも知れません。そして、ついに、私は決めました。


 この可哀そうな女の子、ビーチェは……天国に行く。行くべきです。

 でも……

 この子は確かに悪いことを何もしていないけれど、神様のために何もしていない。

 だから神様のお名前で裁かれたのかも知れない。それなら、神様のお役に立つことをしてから、天国に行くべきです。


 たったひとつでも、いいから。


 そして、できることなら。一方的であれ、こんなにも愛してる「おとうさま」に一目会わせてあげたい……





 その審判で、よろしいですか?



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