障害者と幽体のパラドックス

 東大の猫理学ネコロジー研究所では、何かの精神エネルギーの「場」が存在する、という仮説を掲げています。


   (尻鳥雅晶「ネコの育て方」より引用)



 貴方はご存知ですか?

 手話ができる人の中には、手話で思考できる人がいることを。


 平成30年度、私たち夫婦は、自治体が行った「手話講座」を受講しました。妻は試験に合格し進級しましたが、私はそうではありません(笑)。

 習った手話は挨拶程度ではありましたが、講義は聴覚障害者について深く考えるいい機会となりました。言葉と思考について興味のある人なら面白く感じるであろう前述の知識も、そこで得たもののひとつです。


 貴方は考えたことがありますか?

 聴覚障害者の「幽体ゴースト」は、どのような聴覚を持つのかということを。


 ※ご注意 このテキストでは、死後の(自意識を持つであろう)主体(本当の自分)を「ゴースト」と呼称します。


 ※ご注意 すべての健常者は「未」障害者です。また、老いることも含めて、完璧な人間がありえない以上、人は誰もが障害者であり、ただ日常生活や人権や法的に難があるレベルかどうかの差でしかない、という考えもあります。ウツ病で苦しんだ私もこの考えを支持しますが、このテキストにおいては法的に重度障害者レベルの「障がい者」を「障害者」と呼称します。


 宗教観によっては、「もう聞く能力は必要はない(だから心配しなくてもいい)」という安心な答えがあります。

 私自身のことですが、私の母は長いこと、母の母、つまり祖母(母方)が亡くなったとき、彼女の眼鏡をお焚き上げしそびれたことを嘆いていました。私は母に「おばあちゃんはもう汚いものは見なくてもいいから眼鏡は要らないんだよ」と、気休めを言ったものです。


 また別の宗教観によっては、「障害は自分やら親やら前世やら祖先やらの罪によるもの」という不安すぎる解釈に基づいた、「入信とかお布施とかアイテム購入とかしない限り死んでも生まれかわっても障害者のまま」という、笑ってしまうほど冴えたセールス・トークがあります。


 しかし、最もポピュラーなのは、聴覚も含めて「ゴーストは健常な知覚を持つ」という答えだと思います。一般的な、宗教観、フィクション、スピリチュアル的感性であってもそうであろうと思います。「幽体離脱をした弱視の人が完全な視覚を得た、と語る」という実例もあります。


 私が「検索ググって見つけた実例(笑)」だけどね!


 さて、その答え、ゴースト能力スキルついて、もう少し補足します。


 ゴーストには、発声能力とか触覚には難があっても、壁や他人の肉体を抜けたり、距離や重力に関係なく移動できる場合があるようです。

 現代科学が「ゴースト」の実在を確認できないのは、上記の論理的帰結である「ゴーストは物理的障害を超える」からと言えるでしょう。


 加えて、いわゆる「幽体離脱」や「臨死体験」という現象を考えるなら、生前の肉体にもゴーストがあり、それが人間の主体(本当の自分)である、と考えられます。

 そして霊能力とは、生前でもゴーストのスキルを駆使できるパワー、とも言えるでしょう。文字通り「霊」の「能力」ゴースト・スキルなのですから。


 ※ご注意 以後、このテキストにおいては、上記の「あの世が実在とされる証拠」のことを「あの世エビデンス(証拠)」と呼称します。また、「あの世エビデンス」を支持される宗教観やスピリチュアル系感性を持った人を「あの世サポーターズ」と呼称します。もちろん私も「あの世サポーターズ」のひとりです。

 また、霊能力を「ゴースト・スキル」、霊能力者を「ゴースト・スキラー」と呼称することにいたしましょう。


「あの世エビデンス」も含めてまとめると、「人間の主体であるゴーストは、ほぼ健常な知覚を持ち、物理的障害を超える」というのが「ゴースト・スキル」と言えるでしょう。


 実に完璧な定義ですね(ドヤ顔)! 「あの世サポーターズ」様も大満足ですよ!


 だけど、ちょっと待ってください。そこで大きな疑問が湧きませんか?


「人間の主体であるゴーストは、ほぼ健常な知覚を持ち、物理的障害を超える」のであり、そして誰にでも、「障害者にも平等にゴーストがある」と仮定するのなら。


 使


 と、いう疑問です。

 私はこの問題を、中二病的に「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」と名付けています!


 なお、健常者が生前にゴースト・スキルを使用できない理由は容易に推測できます。健常な大人は卵を割ろうと思えば簡単に割ることができますが、よっぽどドジっ子でない限り、普段は意識せず割らずに持つことができます。


 不要なパワーを人間は無意識にセーブしているのです。まして、健常者は代用になる通常の五感があるのですから、その存在も知らないスキルについては、普通なら使えるほうがおかしいと思います。


 しかし、知覚の障害者にとってゴースト・スキルは不要のパワーではありません。


 では、「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」を「正しい」考えで、どうやって解いたらよいのでしょう。

 各論あろうかと思いますが、私は以下の各説を唱えたいと思います。

 なお、それらを、どう解釈するかは、このテキスト前述の宣言に従います。


 >そう、私が語る「あの世」は、神話や寓話、そして宗教家やスピリチュアルな人々が真実だと語る言葉を元ネタにした、私の想像と信念によるフィクションなのです。


 それではスタート!


 1.そもそも「あの世」なんてない説


 そもそも「あの世エビデンス」など、すべてフィクションだ。

「あの世」も「ゴースト」も「霊能力ゴースト・スキル」も、そして「幽体離脱」も「臨死体験」もありえない。だから「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」も発生するわけがない。

 ただの勘違いか、でなかったら「あの世サポーターズ」の金儲けだか自己承認欲求だか知らないが、すべて嘘かでたらめだ。




 いやいやいや。


 いきなりそれはないよ~

 それじゃもう終わりだよ~


 あー、この説は、私の信念とかけはなれています。

 なぜなら、確かに「あの世エビデンス」の「ほとんど」は、ただの勘違いか嘘かでたらめか金儲けか自己承認欲求だ、とは思っていますが、「すべて」そうだとは信じていないからです。

 私の祖母のビデオだって、可能性はとても低いけれど、「あの世エビデンス」のひとつですから。


 2.物理法則説


 いやいやいや。


 ええと、物理法則であることを確定するためには、正しい科学的アプローチが必要になります。正しい科学的アプローチを行うためには、そもそも対象となる現象が再現可能で、物理的実験による検証が可能であることが必須です。でも、「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」は、そうではありません。


 そもそも起きてないのに再現できるわけないよ!


 しかも、しかもですよ。

「物理的障害を超える」という前提にこだわる以上、物理を使う科学的アプローチが機能するワケがありません。


 ザルで水がくめると思うのはどうかしてますよ!


 まあ、フェアに言うのなら、科学的アプローチは「あの世」にかかわる問題には向いていない、と言うべきでしょう。科学的アプローチが向かない問題(対人関係とか)はこの世にあふれているので、大丈夫、別に恥ずかしいことではありませんよ?


 とはいえ、中世の錬金術が科学の始まりになったように、気象学者が専門外のパンゲア理論を唱えたように、科学的アプローチを行わない素人の唱える説が偉大な発見のいしずえになったことは、歴史上いくらでもあります。


 でも、それを言うなら、同じく素人パンピーである私のテキストに対しても、すべての「あの世サポーターズ」のあらゆる理論と同程度の重きをおかなければフェアではありませんよね~


 このフェアな考え方を、「トンデモ科学の平等原則」と呼称しておきましょう!

「判ってる人」なら、この原則は「分福茶釜とU.F.O,」や「創世記とスパゲッティモンスター」等と同様の問題であることを見抜くかも知れません。

 判らない人は要ググ!


 そしてさらに、科学的アプローチについては、理論がすべてではありません。


 飛行機が飛ぶ原理とされる「ベルヌーイの定理」を始めとした各理論は、それだけでは実際に起きる飛行という現象のすべてを解明できません。しかし、科学的アプローチに耐え抜いた、技術的蓄積に裏付けられた設計による、まともな飛行機はすべて空を飛ぶことができます。飛んだり飛ばなかったりするなら、その飛行機はフィクションと大差ないのです。


 その理論がいかに完璧で、もっともらしく見えたとしても……!


 ※ご注意 ここで様々な「あの世」についてのトンデモ科学理論を引用する予定でしたが、省略~!


 以上、できない方法を頼りにはできませんね!

 さあ、気を取り直してどんどん行ってみよー! 次はまとめて2つ!


 3.生きている肉体や知覚がスキルの邪魔をする説

 4.死という肉体的現象やその自覚がスキル発動のトリガーになる説


 両方とも「障害者だけではなく健常者も」スキルを使えない理由ですね……って。


 いやいやいや。


 当然ながら肉体は、その脳もその知覚もその内部反応も含めて物質であり、壁や他人の肉体や重力や距離などと同じくまぎれもない物理的存在です。


 また、ある種の物質ドラッグが人間の「認識」を変化させるという事実(サリン事件を起こしたとある団体も使用していました)から、「認識」つまり「死の認識」もまた物理的存在であると言えます。


 そして物理的存在である以上、それらはすべて「物理的障害を超える」ゴーストの支障にはなりえません。また、ゴースト・スキラーのかたも、物理的肉体を(たぶん)持っておられると思います。


 5.ゴースト・スキルは人の優劣によって違う説


 いやいやいや。


 そもそも、このパラドックスは「障害者にも平等にゴーストがある」ことを前提にしています。それを無視してはいけません。

「障害者は罪人」と考える宗教観もしくは人間性をお持ちのかたならともかく!


 また、優劣を逆に考えた(これも平等ではない)言葉として、「障害は天が与えた試練であり、障害者はそれを乗り越えられると期待されるほど優れた存在である」という考え方があります。


 もし、私自身が、ウツ病が重いときに「ウツは天が与えた試練であり、ウツ病患者はそれを乗り越えられると期待されるほど優れた存在である」などと面と向かって言われたとしたら……


 親しい人や優しい人がそう言ったとしたら、「この人は私を励まそうとしてくれているんだな」と思って、喜んだかも知れません。


 反感があったとしても飲み込んで……


 でも、赤の他人やネットで見かけた言葉だとしたら、「ウツでもないくせに何を偉そうに」とか「入試じゃあるまいし望んでウツになってない」とか「じゃあ、お前自身はウツ病患者より劣っていると少しでも思ってるのか」とか思うことでしょう。

 機嫌の悪いときなら「この選民思想主義者め!(笑)」とか思うことでしょう。


 ちょっとこの説は私にはムリかな。しかも自己ルール違反だし……

 次!


 6.障害者が独自の超感覚を持っていることは報告されているじゃないか説


 いやいや。


 この説の元となっているのは、視覚障害者が初見の障害物を避けたり、聴覚障害者が音の発生を感じ取ったりする現象です。しかしこのような現象は、他の健常な部分の知覚(皮膚感覚も含む)や優れた想像力がもたらすものであることが実験で確かめられています(要ググ)。

「手話で思考できる聴覚障害者」も、その例のひとつですね。


それらを「超感覚」と呼称してもよいと思いますが、決してゴースト・スキルではありません。

 なぜなら、その「超感覚」では、捉えた対象が「ある」ことは判っても、文字や言葉の内容などの「何か」までは判らないからです。

 また、その「超感覚」は、すべての知覚の障害者が持っている、あるいは会得可能なものではありません。平等では、ないですね~

 では次。


 7.なにが「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」だ!愚か者め!救いようのない懐疑主義者め!そんな低次元の問題など解けなくても「あの世エビデンス」は揺るがない!説


 いやいやいやいや(笑)。


 自分で書いていて笑ってしまいました。この第7説の題名はもちろん冗談ですが、もし実在する他の「あの世サポーターズ」に、このパラドックスと各説を投げかけたら、逆ギレしてこんなセリフを返されるような気がするんですよね~


 それとも、「かわいそうな人」とか人間性丸出しの定番台詞で穏やかに嘲笑されるのかな~

 で結局、中身のある返答はなぜかウヤムヤ~


 しかし……私にはけっこう切実な問題なんですよね……

 ウツを経験し、「未」障害者であるという認識がある私には……


「自分が障害者などになる訳がない」と言えるかたが羨ましい!


 そして、このパラドックスを解きたい理由が、もうひとつ、私にはあります。

 それは、この第7説を認めてしまうと、必然的に発生してしまう、恐ろしい可能性を避けたいからなのです……!


 すべての人に「あの世」やゴーストが「ある」とは限らない、という情け容赦ない可能性を!


 なぜ、そんなバカげた結論になってしまうのか……?


 パラドックスを解く、ということは、それを成立させない「未知の法則ルール」を見つけることでもあります。「ルール」を見つけないで「証拠エビデンス」だけを受け入れるということは、その「エビデンス」に矛盾しないすべての「可能性」を等価として受け入れなければならない、ということでもあります。


 ひとつ例をあげましょう。


「すべてのカラスは黒い」という命題は、もし、白いカラスが1羽でも実在すれば、間違っているという結論になります。


 ※ご注意 これは昔からあってけっこう有名な命題ですね。なお現実には、白いアルビノカラスは実在します。


 しかしその結論は、「すべての黒いカラスが白い」という意味にはなりません。

 白いカラスが1羽だけではなくて、世界中に数千万羽(笑)いたとしても、それは「白いカラスの数が多い」だけの話であって、「すべての黒いカラスが白い、あるいはやがて白くなる」証明にはなり得ません。

貴方がもし黒いカラスだったとして、「ぼくは白いカラスがいることを知っているから、いつかぼくも白いカラスになるはずだ」と思うのは正しくありません。

 それは「軽率な一般化」に過ぎないのです。


 ※ご注意 そんな意図はまったくないことを読解できる能力を貴方に期待していますが、貴方がもし万一この文章を人種差別的だと感じられたなら、不快感を与えてしまったことを謝罪します。


 同様に、「あの世エビデンス」が数千万件(笑)も報告されたとしても、その法則ルールが未知のままでは、すべての人に「あの世」やゴーストがある証明にはなり得ません。

 それは「軽率な一般化」に過ぎないのです。


 宝クジの一等が全員に当たらないようにね!


 そして、臨死体験や幽体離脱やゴースト・スキルを経験した人でさえも、死後に行くべき「あの世」があるかどうか判りません。

 それが同一であるというルールを、まだ見つけていないのですから。


 お試しトライアルが本番と違うのは、めずらしいことではありませんよ!


 極論を言えば、いえ、可能性としては等価なのですが、この「パラドックスなど

解かなくてもよい(ルールなんか必要ない)という説」を認めるならば。



 全人類の中で、

 貴方(あるいは私)ひとりだけが、

 あの世どころか死後のゴーストもない。



というを受け入れる必要があるのです。


 貴方には、それほどの不平等の可能性を背負ってもなお、このパラドックスを無視できる覚悟がありますか?


 私にはありません。



 さて、こうして7つの説を考えてみましたが、残念ながら、私はみずから作り出した「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」を解くことはできないようです。色々とネットやら書籍やら漁ってみましたが、どうもこれら以外に語るべき説は作れないんですよね……


 もしおヒマでしたら、ぜひこのパラドックスに挑戦してみてください。そしてもし、これなら尻鳥も納得さ!という説を見つけたら、私に教えてください!

 ただし、貴方自身の信念と、私の7つの説による検証をお忘れなく。


 願わくば、私自身が「未」障害者ではなくなる日が来たときに、ゴースト・スキルが少しでも使えますように……


 では、次回(次々回)のエッセイは。


 実は、私は……


 ゴーストを現代的に解釈した場合、「生前の肉体にあるゴースト」と「死後のゴースト」が、同じものだとはどうしても思えないのです。


 その解釈とは……?


 それではまた、お会いしましょう。

 会うべき時、会うべき場所で。






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