絶対に押さないでください。
死ぬまでに何回、「しかたない」って言うのかなあ。
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成30年1月10日(水)」より引用)
妙な悪魔に導かれた、貴方とゴスロリ少女ビーチェは、死者たちの大行列に加わることなく、その
「繰り返しますが、貴方がたは特別な存在ですから」
行列に並ばなくてもいいのか、という貴方の質問に、悪魔はそう返した。
灰色の服を身につけた、文字通り老若男女の死者たちは、7、8人ほどの横並びで、特にお喋りすることもなく、おとなしく歩き続けていた。
その顔色はビーチェと同じように悪かったが、悲しみや怒りなどの感情を浮かべているようには見えなかった。まだ自分に起きたことをよく判っていない、だけなのかも知れないと貴方は思った。
荒野を進むものは、彼らのような歩行者だけではなかった。
時折、そういった大行列の横を、大型バス(らしき何か)が猛スピートで走っていく。アニメのキャラクターが大きく描かれたバスの窓からは、バスケットボール大の明滅する光の玉や、やはり顔色の悪い赤ん坊や幼児の姿が見てとれた。
すぐそばを大型バスが通行した刺激のせいなのか、ようやく、この光景が普通ではないこと気付き始めた死者たちの間から、ざわめきが広がった。ここはどこだ、この行列はなんなの、誰か説明して、そんな小さな声がいくつも聞こえてきた。
ピンポンパンポーン!
気の抜けるようなチャイムがあたりに響いたかと思うと、突然、行列の真上にウィンドウ、そう、パソコン画面のウィンドウにしか見えない巨大な画面が現れた。
先ほどの大型バスぐらいの大きさのウィンドウは、ひとつだけではなく、ある程度の距離をおいて無数に、大行列を見下ろすかのように開かれていた。
皆様の安全のために、お願いします。
絶対に走らないでください。
絶対に前の人を押さないでください。
絶対に立ち止まらないでください。
様々な言語で、ウィンドウにはそんな文章が書かれていた。また、それぞれのウィンドウの真下まで行列が進むと、死者たちはその文章と同じ内容のアナウンスを、やはり様々な言語で耳にするのだった。
「きゃあ!?」
ビーチェが、小さな悲鳴をあげた。巨大な画面を見つめているうちにいつのまにか、岩だけの大地が大きく変化していたのだ。
貴方たち一行、そして大行列と大型バスは、道なき荒野を進んでいたのだが、いまやそれぞれの足元に確かな道、舗装された道路が出現していた。
まるで真っ直ぐな大河が幾筋も並んでいるかのように、いくつもの大行列の通りとバス通りが平行に並んでいる光景が、地平線まで続いているのだった。
そして道のないところは……
死者たちが進む手すりもない道のすぐ脇は崖下、一歩足を踏み外せば、真っ暗で何も見えないほど深い谷底へ、真っ逆さまに落ちてしまうことだろう。
「ああああ……」
大行列が進む道路のあちらこちらで叫ぶ声が聞こえた。
不注意が原因なのか、それとも誰かに押されたのか、谷へと落ちていく死者と、それを見てしまった死者があげる悲鳴だった。
「大丈夫、大丈夫。落ちた人たちは行列の後ろに回されるだけですから。もちろん落ちたことは忘れてしまうんですがね。要するにこれは管理の一環なんですよ」
にこやかに微笑みながら、執事姿の悪魔、メフィストフェレスはそう言った。
数分ほど歩くと、いや、ひょっとしたら一週間ほど歩いたのかも知れないが、彼らの前に別の光景が広がった。
それは巨大なダムだった。
灰色のコンクリート(らしき何か)で作られた巨大な建造物。それはまるで城壁のごとくそびえ立っていた。死者たちが進む舗装道路は、ダムに近づくにつれて登り坂になり、やがてダムの頂上へと達していた。しかし、バス通りだけはダムの中腹にあるトンネルへと続いていた。道と道を隔てる谷へ、ダムの放水口から吹き出た水が、巨大な滝のように轟音を響かせて流れ落ちていった。
皆様にお知らせします。
水の中に安全に渡れる道があります。
絶対に道以外の場所を歩かないでください。
巨大ダムの頂上で現れたウィンドウには、そう書かれていた。
そこは広大な湖、いや、さざなみが立つ大河だった。河は大きくカーブを描いて、果てしないダムとほぼ平行に、地平線の彼方から流れてきていた。
死者たちの足元を見ると、ダムの水を透かして、足首までつかる程度の深さにコンクリートの道があった。行列の死者たちはそれぞれ前の人に続いて、河の中の浅い場所、水面下にある道路に、じゃぶじゃぶ水音を立てて踏みいった。水中にある道路もまた、はるか彼方の対岸まで延びていた。
時折、足を滑らせた死者が深みにはまり、水底へと吸い込まれた。悲鳴がダムの外側から聞こえたから、おそらく放水口から噴き出されたのだろう。
「貴方がたはこちらですよ。ここを渡ってください」
悪魔は橋の
貴方は橋から身を乗り出して、
「気を付けてくださいね。
悪魔は貴方にそう声をかけたあと、ビーチェにも同じ注意をするべく彼女のほうに顔を向けた……
「お、お嬢さん、何してるんですか!?」
「……あの、言われた通りに渡ってるんですけど……」
いつのまにか欄干によじのぼっていたゴスロリ少女は、平均台で演技する新体操の選手よろしく、日傘を差したまま歩き出そうとしていた。手すりを叩いた悪魔の言葉を、どういうわけか素直にそのまま受け取ってしまったのだ。そして彼女は、何もないところで
「わあ、あぶない!」
声をあげたメフィストフェレスは、あわててビーチェのもとへと飛び出した。少女が日傘を持っていないほうの手をつかもうと、貴方もまた自分の手を伸ばした。
その冷たい手を握った、と思うまもなく、ゴスロリ少女はフリルを舞わせて橋の外側、河の中に落ちていった。貴方の握り締めた手のひらの中に、その小さな手を残したまま。それはビーチェの、なぜか取れてしまった手首だった。
ばしゃーん。
大きな水音を立てて、落ちたビーチェは水底に吸い込まれた……と、貴方は思ったが、悪魔と共に見下ろしてみると、ゴスロリ少女は長い睫毛をぱちくりと
貴方と悪魔の共同作業で、ビーチェは橋の上に引き上げられた。濡れたはずのゴスロリ服は、どういう仕組みか、すでに乾いていた。メフィストフェレスは貴方から少女の手首を受け取ると、ビーチェのぽっかりと開いた袖口にそれを押し込んだ。
ぽこっ、という軽い音がした。
「えーと、お嬢さん。自分の名前が言えますか?」
「……ええ、もちろん……あれ、名前? 何、だったかしら……」
「お嬢さんの名前はビーチェ、です。貴方が自分で名乗ったんですよ」
「ビーチェ、ビーチェ……いえ、私、なぜか今、自分の名前が出てこないのですけど……ビーチェなんて名前でないことだけは確か、だと思います……」
「あちゃー、やっぱりダメだったか……」
少女といくつか言葉を交わした悪魔は、頭痛を感じたかのごとく額を押さえ、貴方に向き直った。
「
頭を振り振り歩き出した悪魔の後を、貴方はビーチェの手を慎重に引いてついていった。彼女はもともとぼんやりした表情ではあったが、いまはさらに何も考えていない雰囲気を漂わせていた。遠目で見る限り、その点では他の死者も同様だった。
やがて、長い長い橋を渡りきると、先ほどのダムが小さく感じられるほどの巨大な建造物が見えてきた。死者の行列がいくつもいくつも、宙に浮かぶウィンドウのお知らせに促されて、その建物に向かっていく。
その建物は、巨大な四角錘、ピラミッドのように見えた。
いや、窓が無数についているところを見ると、ピラミッド形の高層建築と言ったほうが正しいかも知れない。その建物の異様さはそれだけではなかった。その尖った頂上から天上に向かって、サーチライト、いや、直進する光のビームが発せられているではないか。
普通のビルほども太いその光のビームは、厚い雲を貫き、果てしない虚空を射つづけていた。
執事姿の悪魔は、なぜか誇らしげにピラミッドを指さして言った。
「あそこが第一の目的地、『審判センターNo.55』です」
ビルに近づくにつれて、大理石の質感を持った外壁や、ガラスとステンレス(らしき何か)が輝く広大なエントランスが貴方の視界に入った。行列の死者たちは、とてつもなく幅広の階段を数段ほど登り、開けはなれたままの、象でも入れるほど巨大な扉を抜けて、ぞろぞろとピラミッドの中に入っていった。
そして扉のすぐ上には、ある種の美容院の看板のようにネオンサイン風の、とある文章が輝いていた。
ビルの中で何をするのか、という貴方の問いかけに、悪魔は答えた。
「貴方は見学です。誰に声をかけてもかまいませんよ。お嬢さんは……そう、
いわゆる関係者出入口らしき普通サイズの扉、その自動ドアの前にまで来たとき、貴方はふと立ち止まって、ドアのすぐ上を見上げた。他の扉と同様に、そこにもまた、とある文章が輝いていた。ウィンドウと同じく、その文字もまた様々な言語に変化し続けていたが、その内容は同じだった。
『この門をくぐる者、すべての不平等を捨てよ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます