6-1 意外な人物
「ええと、こういうのなんて言うんだったかしら? 踏んだり蹴ったりってやつ?」
初音が不機嫌そうな表情のまま言った。
「どちらかと言えば、骨折り損のくたびれ儲けってやつじゃないのか?」
缶ビールを持った敬一郎が、別の諺を口にする。
「そうだっけ。木村。どっちだと思う?」
「ええと、篠原さんのほうが正しいですね。踏んだり蹴ったりというのは、悪いことが重なるって意味ですから」
木村がサキイカを口に入れながら答えた。
「あっ、そう。でも変な言葉よね。それなら『踏まれたり蹴られたり』って言ったほうが正確じゃない? 言い易いから?」
「ああ、それはですね。戦国時代に、大名の飼っていた犬のウンコを踏んだ武士が、『お犬様のウンコを踏み、さらに蹴りつけるとは何事ぞ』と切腹を命じられて、そのとき読んだ時世の句が『踏んだり蹴ったりで切腹とは散々だ』だったからなんですよ」
「あーはいはい。木村のつくり話おもしろい」
「――って、つくってないですって」
初音たちは今、敬一郎の部屋で打ち上げを行っている最中だった。
夜通埼神社の呪いについて調べたあと、すぐさま弘瀬に連絡したのだが、弘瀬が言うには、呪いの件はすでに知っていて、さらには殺人事件ということで、警察が動いているらしかった。
そのうえ、あの弘瀬に思いっきり論破されてしまった。犯人なんかいないと。
正直、初音の中で張りつめていた何かが切れてしまった。もう、自分にやれることは何もないのだ。
「警察が動いているなら、ある意味お兄さんを護るという目的は達したんじゃないのか」
敬一郎からそんなふうに言われ、それが本日の捜査打ち切りの合図となった。
とりあえず明日の予定を話し合うという名目で、一度敬一郎の家に戻ることにして、そのついでに打ち上げを行っているのだ。
「まったく、これじゃ私たち馬鹿みたいじゃない。わざわざこっちまで来て調べたことが、弘瀬に電話したらすんなりわかっていて、挙句には誰も犯人じゃないなんて言い出すのよ」
「ある意味一番良識的な意見だとは思うけど」
「でも、大丈夫なんですかね? 今日教えてもらった二件の事件は、明らかに殺人だったんでしょ?」
「もう知らないわよ」初音は酔った口調で不満をぶつけた。
「一応警察が動いてくれてんでしょ? ならばそれでよし。確かに冷静に考えてみると、あんな突拍子もない方法を実行する馬鹿なんていないかも、ってのはあるわ。殺人だって、呪い騒ぎとサイトの情報を知っているまったく無関係の人間が、サークルメンバーのせいにして、殺人を犯している可能性だってあるわけだし。もう、訳わかんないわよ」
「言われてみればそうだよな。警察だってあの情報は手に入れるだろう。とすると、あまりにもまっすぐな犯行だ。呪いから逃れることに目が行き過ぎて、捕まることまで頭が回ってないのかな?」
敬一郎の疑問に答える者はいなかった。今持っている情報では、推測以上のものは出てこないからだ。
「しかし、ほんとにこの子、笑った写真がないわね」
初音は、高校のときに敬一郎が撮ったという写真を見せてもらっていた。体育祭や文化祭、その他部活動の風景を映したものだ。
初音はアルバムのページをめくっては、陽奈の写真を探した。写真の中の彼女の顔は、どれもまるで人形のように表情がない。
初めて会ったときは少し気味悪く思ったのだが、敬一郎から聞かされたイジメの内容が本当ならば、こうなってしまうのも無理はないのかなと同情してしまう。
打ち上げがはじまってから、早くも三時間が経過していた。今では三人共々、思い思いの時間を過ごしている。
特に目的があって、アルバムを見ていたわけではない。ほんの手慰みのつもりだった。しかし思いがけず、初音の手の動きが止まった。
どこかで見たような顔を発見したからだ。
愁然館高校卒の知人は何人かいる。知人でなくとも記憶に残る顔というのはある。だが初音の記憶の糸は、そういった人物でないことを伝えてくる。
糸をゆっくりと手繰っていく。だんだんと写真の人物が思い出されてきた。
一気に酔いが醒める。悲鳴に近い声で敬一郎を呼んだ。
「どうしたんだ?」
「いたのよ。例の眼鏡のイケメン。間違いないわ。私の店に来てた奴よ。波佐見優一っていったっけ? あいつやっぱり愁然館高校の卒業生だったんだわ」
初音は指差して、彼が写っている写真を示した。体育祭や文化祭をメインに集められた写真なので、当然上級生や下級生も写っている。
卒業アルバムにも目を通していたが、そのときは気づかなかったので、優一は学年が違う可能性があった。
「どれどれ」
敬一郎と木村が覗き込んでくる。そして二人同時に眉を顰めた。互いに顔を見合わせたあと、訝しげな表情を向けてくる。
「なに?」
「立花がイケメンと言ってる男ってこいつか?」
「そうよ。あと弘瀬も」
「あのな、人のことは言えた義理じゃないが、この男はそこまでイケメンってわけじゃないぞ。普通くらいだろ。目も細いし」
「そこがいいんじゃない。昼も言ったと思うけど、私こんな顔が好みなの」
「じゃないだろっ!」
急に敬一郎が声を荒げたので、思わず悲鳴をあげそうになった。怒鳴られた意味がわからない。
「これは重大なことだぞ、立花。お前の趣味は世間一般から大きくずれている。おそらく君の兄さんが言う眼鏡のイケメンと、この人物は別人だ。それとも兄妹だと美的感覚が似てしまうのか?」
科白の途中で、敬一郎は首を傾げた。
「とにかく、この人をイケメンだと評する人はまずいないですって」
木村が語彙を強めて、断言する。
敬一郎と木村に指摘され、遅ればせながら初音は理解する。顔の好みというのは人それぞれ違う。物体は一つでも、認識は一つではないのだ。
イケメンという極めて主観的な言葉は、必ずしも他人と情報を共有するものではない。これらは曖昧なプロフィールでしかなかった。
「立花さんの言うとおり、この人物が真白陽奈さんと店で怪しい会話をしていたというのなら、いろいろ話が変わってくるんじゃないでしょうか?」
「とにかく、この人の名前を調べよう。協力してくれ」
敬一郎がほかにもアルバムを持ってくる。先輩や後輩などから、譲ってもらった物らしい。
初音たち三人は、卒業アルバムからその人物の名前を調べはじめた。
しばらくして、その人物の名前が特定できた。
――小鳥遊大輔。
それがあの日、『フェアリーサンデー』で陽奈と会っていた人物の名前だった。そして真っ先に死んだ人物の名前でもある。
「私の推測だけどいい?」
初音が口を開く。二人は黙って頷いた。
「私の店に来たときの会話で、確か『死んでよかった』みたいなことを話していたわ。それは間違いなく、轢死した小田博子のことだと思う。それだけだと事故か殺人かはわからないわ。だけど、小鳥遊大輔が殺されたのだとすれば、話は別。彼が殺されたとすれば、その理由は一つ。目撃者のいないあの事故の真実を知っていたからよ。二人がどんな仲で、何が起こったのかは分からないけど、過去の犯罪を隠すために殺人を犯すって、割と定番なんじゃない?」
「定番と言えば、その殺人を知った人物が、犯人に強請りをかけたりしてまた殺される、ってのもあるよな」
「順番で言えば、皆川歩さんって人ですかね」
「二番目は確か蕾さんって女性だったはずだわ。発見が遅れただけで。強請りとか関係なしに、事実を知っただけでも殺される理由にはなるでしょうね」
「二人や三人も人を殺してしまったら、動機を誤魔化すためだけに、次の殺人を犯すのを躊躇わないかもな。要するに呪いのせいにしようって魂胆さ」
敬一郎が真剣な表情で言った。
「呪われないために八人殺すよりは、理解し易い動機ね」
「でも、呪いのせいになれば、本人も容疑者の一人になりますよ。それは避けるのではないでしょうか?」
木村が疑問を投げかける。
「逆の考えもできるわ。動機のある人間を何人もつくりだすことができる。そして、他の誰かに罪を着せたまま、自分は被害者のふりをできる」
「そんなに上手くいきますかね?」
「いかせちゃ、駄目なの。二年前の件からも、疑われながらも図太く生きてきた人物よ。誤魔化し通す自信があるんでしょうね。とにかくこのことを弘瀬に伝えるわ。真白陽奈のそばにいることは自殺行為よ」
言い終わる前に、初音はスマホを取り出して弘瀬にかけた。しかし、まったく通じない。電池が切れているだけならば、まだいい。だが、今は最悪の可能性だってあるのだ。
「木村、車を出して」
「駄目だ。木村さんは酒を飲んでいる」
「なに言ってんのよ、こんなときに」
「こんなときでもどんなときでも犯罪は犯罪だ。俺がそういうこと絶対許せないって知ってんだろ? もう少ししたらオヤジが帰ってくる。連れていってくれるよう頼むから、我慢してくれ」
初音は憤然とした表情のまま承諾した。頭のどこかでは自分が無駄に焦っていることは十分理解できていた。今はただ弘瀬の無事を祈るしかないのだ。
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