4-3 ナルコレプシー

 待ち合わせ場所であるファミレスには、十分くらいで到着した。


 篠原の従兄である篠原隆文は、やけに分厚いステーキを食べながら、初音たちの到着を待っていた。

 無作法に伸びた茶髪に、濃くて太い眉は、背広さえ着ていなければ、どこぞのチンピラに見えなくもない。


「へえ、あんたがブラコンの初音ちゃんかい。なかなか可愛いじゃねえか」


 紹介を受けた隆文は、挨拶もおざなりにそんなことを言う。


「ぶ、ブラコン!? 私が、ですか?」


 初音は心外だ、と言わんばかりに素っ頓狂な声をあげた。


「ブラコンだろう。もうすぐ二十歳になるような兄を説得するために、わざわざほかの県まで来るような過保護な奴が、ブラコンでなくてなんだって言うんだ?」


「いや、そんなの普通ですって。兄妹なんだし。ね?」


 初音は木村と敬一郎に同意を求める。


「立花は普通にブラコンだと思うぞ」


「僕もそう思ってました。自覚していなかったんですか?」


 しかし、二人は初音の想像に反して、初音ブラコン説に同意を示す。


「そういや、お前らは飯食ったのか?」


 ショックを受ける初音を無視して、隆文がステーキをほおばりながら尋ねてきた。


 そういえば、まだ昼食をとっていなかったことを思い出し、初音は急激に腹がすくのを感じた。


 席に座り、スパゲッティとショートパフェを注文する。

 木村と敬一郎もそれぞれ、ハンバーグ定食と、和定食を注文した。


「で、調書は持ってきてくれたんですか?」


 初音はさっそく本題に入った。


「いや、持ってきていない。さすがにバレるとまずいからな」


 隆文の回答に、初音はがっくりとなる。やはり、そんなに都合のいい話はないか。


「だが、内容ならちゃんと持ってきてやったぞ。ここにな」


 言って、隆文は自分の頭をコンコンとつついた。


「暗記してきたってことですか?」


「ああ、そうだ。細かい数字なんかはメモっているし、たぶん大丈夫だろう。一応守秘義務があるから、誰それに簡単に話したりするなよ」


 警察にあるまじき緩い性格の持ち主みたいだが、今はそれが救いだった。


「まず、北新地駅での轢死事故の件ですが、運転手が事故のすべてを目撃しているはずです。彼の証言はありませんか?」


 初音は興奮ぎみに質問した。


「ああ、運転手か。警察の調書にも書いてあったな。事故のあと、ちゃんと話を聞いているぞ」


「本当ですか?」


 初音は飛び上がらんばかりの勢いで、前のめりになる。しかし、隆文は続きを言おうとしない。


 初音が訝しく思っていると、ウェイトレスが料理をやってきて料理を並べはじめた。どうやら会話を聞かれるのを嫌ったらしい。


 料理が揃うまでの間、会話は止まったままだった。その間に隆文は、ステーキ定食を平らげてしまっていた。


「それで、先ほどの続きですが」


 初音はスパゲティに口をつけることなく、質問を口にする


「運転手はなんと言っていたんですか? 見てたんですよね? 小田博子が轢死した瞬間を――」


「ああ。気がついたときには目の前に女子高生がいて、慌ててブレーキを操作した、とさ」


 その回答に、初音はいささか拍子抜けした。知りたかった内容と若干のズレがある。


「あの、運転手さん目撃したんですよね? 轢死したところも、線路にどのように入ってきたかも」


「轢死した瞬間は見てたさ。だけど、どうやって線路に入ってきたかは不明だ」


「え? どういう意味ですか?」


「そのままだよ。運転手が気づいたとき、すでに被害者は目の前にいたんだ」


「そんなことあるんでしょうか? 瞬間移動してきたってわけじゃないでしょう」


 驚いたように言ったのは木村だ。初音も同じ気持ちだった。


「――ナルコレプシー、って聞いたことがあるか?」


 その科白に、初音は意識が遠くなる思いだった。


 ナルコレプシーとは、場所や時間を問わず、突然眠ってしまう睡眠障害のことである。


「まさか、運転手はナルコレプシーだった?」


「そうだ。だから、被害者がどうやって線路に入ってきたかは見ていない」


 つまり運転手は、駅に入ってきたときは眠っていて、目を覚ましたのは小田博子が線路に入ってきた後で、事故の真実――自殺なのか、誰かに突き落とされたのか、単なる事故なのかを、見ていなかったというのだ。


「隆文兄ちゃん、乗客で目撃者はいなかったの?」


「ああ、なしって書いてあった」


 敬一郎の質問に隆文が答える。


 それが本当ならば、本当に陽奈以外の目撃者のいない、空白の事故ということになる。


「あ、そうだ。運転手。運転手の名前とか住所とか覚えていないですか?」


 初音は思わず手を叩いた。


 運転手は確かに眠っていて、小田博子が線路の上にいた理由は知らないかもしれないが、そのとき陽奈がどこにいて、どんな様子だったかは、覚えているかもしれない。


「その運転手に会って詳しい話を聞きたいってことか?」


「はい、そうです」


「それは無理だな。なぜならこの運転手は、もうこの世にいないからだ。事故が起こった一か月後に、彼は自殺している」


「……自殺、ですか?」


 重い沈黙が降りる。唯一の手掛かりだと思っていた運転手の証言が、得られないことが確定したのだ。

 次に何をすればよいかが分からない。


「隆文兄ちゃん、遺書の内容ってわかる?」


 敬一郎が柳香織の自殺の件について尋ねた。


「ああ、少しはな。原書は親御さんに返しているんで見てないが、遺書に事件性はないと判断されている。本人の筆跡だったし、内容にも変なものは書いてなかったらしい」


「どんなことが書いてあったのかも、わからないんですか?」


「親に対する別れの言葉と、あとは『悪ふざけしてごめんなさい』、だとさ」


「それって、真白さんのこと?」


 初音は勢いよく喰いついた。


「さあな」


 しかし隆文は、泰然とした態度で首を傾げる。


「あの、警察は虐めがあっていたことは、把握していたんでしょうか?」


 尋ねたのは木村だ。


「ああ、ぶっちゃけると把握はしていた。けれども、大人の事情ってやつで公にはされていない」


「そういうの釈然としないわ」


 初音が不満そうに言う。


「気持ちは分かるが、おそらく真白陽奈のほうからも、公にしてほしくないという要望があったはずだ。当人がそう言っているなら仕方ないだろう」


 そのように言われると受け入れるしかない。しかし、どうして陽奈は、虐めを公にしなかったのだろう。


「ですけど、『悪ふざけしてごめんなさい』ってことは、小田博子さんの件と、井上真由美さんの件は、真白さんが犯人ってことじゃないでしょうか?」


 木村が控えめに持論を展開する。


「俺もそう思って、当時担当だった奴に訊いてみたんだ。だけど違うらしい。なんでも柳香織たちは数日前に肝試しをしたそうだ。そこで人形を壊したらしく、それで呪われたと思い込んでいたそうだ」


「なんですって!?」


 初音はガツンと頭を殴られた気分だった。呪い? 呪いと言ったのか?


 嫌な予感がした。はっきりと聞いたわけではないのに、なぜかその単語が思考を染めていく。


「隆文兄ちゃん、その肝試しをした場所って、どこだ? もしかして、夜通埼神社じゃないのか?」


「さあ、そこまでは知らんよ」


「大事なことなんだ。隆文兄ちゃん!」


 敬一郎は必死に食い下がる。


「どうしたんだ? 敬一郎。肝試しと今回の件はなんにも関連がないだろう?」


 隆文が不思議そうな顔をして言った。


「そうじゃないんだ。もしかしたら関連があるかもしれない」


 そして敬一郎は、K県で起こっている肝試しからの連続不審死のこと、そしてそれに真白陽奈が関係しているかもしれないことを伝えた。


「なるほど、そういうことだったのか。でもな、さすがに飛躍しすぎていると思うぞ」


 隆文の冷静な言葉に、敬一郎は水をかけられたように、しゅんとなる。


「なんとか調べてもらえないかな?」


「まあ、調べるくらいならいいぞ。しかし俺も仕事があるんで、すぐってわけにはいかない」


「本当? ありがとう。隆文兄ちゃん」


「ちょっと、敬一郎。今はそんなことどうだっていいでしょ? 呪いなんて存在しないんだから」


 初音は憤慨して言った。幽霊の存在をまったく信じていない初音にとって、今のやりとりは茶番にしか感じられない。


「そんなことよりも篠原さん。K県の不審死。殺人事件ってことで捜査してもらえませんか?」


 初音は建設的な意見を言った。


「それは無理だな。管轄が違うところに、口出しすることはできない」


「知り合いの警察官とかいませんか?」


「いない。仮にいたとしても無理だ。それに事件性があれば、警察は動いてくれるさ」


 そうは言われても、現に動いてくれていないのだから、初音の不満は溜まるばかりだ。


「とりあえず、ほかの事故の調書について聞こう」


 敬一郎が提案し、そのほかの件について話を聞いた。けれども特段、陽奈が犯人だと言えるような有益な情報を得ることはできなかった。


「ありがとう、ございました」


 初音は力なくお礼を口にする。結局、何も進展しなかった。膨らんでいた期待が、一気にしぼんでしまったような気分だ。


「じゃ、俺は仕事があるんで、これで戻るな。敬一郎、ここの支払いは任せていいな。情報料だ」


 言って、隆文はコップの水を一気に飲み干して立ち上がった。


「ああ、うん。わかった。隆文兄ちゃん、ありがとう」


「ああ、それと、ちょっとしたアドバイスだが例のK県で起こったという連続不審死事件のことだが、犯人がいるとして、『動機』はなんだと思う?」


「動機、ですか?」


 初音は訝しげに訊き返した。


「そうだ。捜査に行き詰ったときは、動機の面から捜査するのもありだ。もしかしたら何かわかるかもしれないぞ。うんじゃな」


 隆文はそう言い残すと、軽く手を挙げて去っていった。


「動機……ですか」


 木村が何事か思案するように呟く。


 初音も同じく思案した。確かに、動機の面から、あの例の肝試しの件を考えたことはない。


 呪いなんて存在しない。だから、人がやったに違いない。最も疑わしいのが過去に奇妙な噂を持つ陽奈だ。


 という単純な三段論法でしか、物事を捉えていなかった。


 そこには動機などという、心理的要因は存在していない。


 仮に、例の肝試しの次の日から起こった一連の死を殺人だと仮定するならば、どんな動機が存在するだろう?


 一般的に考えられる殺人の動機としては、利得、怨恨、隠蔽目的などだ。さすがに衝動的という理由は挙げても意味がない。


 一連の事故は肝試しを境に起こっているから、やはりそれが動機に絡んでくるのではないか?


 ならば参加者か、関係者が怪しいとみるのが普通だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る