4-1 過去への旅
次の日の早朝、初音は友人の木村が運転する車で、H県へと向かっていた。
「しかし、その真白陽奈って子の過去を調べるくらいなら、今起こっている事故との関わりを調べたほうがいいじゃないですかね?」
運転に座る木村が、ハンドルを右に切りながら話しかけてきた。
さらさらの髪を真ん中から分け、眼鏡をかけた地味な風貌の青年だ。
初音とは同じ学部で、H県に車を出せそうな友人を捜したところ、暇を持て余していた木村が二つ返事で了解してくれたのだ。
免許取り立てで、運転が楽しい時期らしい。
「それは私もそう思ってるわよ。だけど仕方ないじゃない。『過去を調べてやる』って、宣言しちゃったんだから」
痛いところを突かれた初音は、ふてくされたように答えた。
正直なところ、判断をミスったかな、とは思わないでもない。
陽奈の過去を調べるよりも、弘瀬の傍にいて、彼を護るほうが確実だろう。
けれども「陽奈の過去を調べて白黒はっきりさせてやる」と宣言した以上、どんな顔をして弘瀬に会えばよいか分からないし、頑固な弘瀬を説得するには、それなりの証拠が必要だ。
今の状態で「陽奈に気を付けろ」と忠告しても、弘瀬は聞く耳をもたないだろう。
騙されやすく、人を疑うことを知らないくせに頑固という、まったく困った気質の兄だ。
「過去を調べる間、お兄さんが無事だといいんですけどね」
「……木村。今度そんな不吉なことを言ったら、鼻の穴に割箸突っ込んでやるからね」
***
初音が陽奈の噂を知ったのは、昨日の夕方。『フェアリーサンデー』で閉店の準備をしているときだった。
各テーブルをまわって、箸や調味料の補充をしていると、すぐ真横で話をしている女性客たちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、知ってる? 夜通埼神社の呪いって。なんか最近、うちの大学でそれやって、死んじゃった人がいるんだって」
「ああ、なんか昨日学校であった転落死もそれ関係らしいよ」
こそこそと囁くような声は、死者に対して気を使っているのではなく、女性特有の話を盛り上げるための演出だろう。
その証拠に、すぐ横で聞き耳をたてる初音をまったく意識していない。
「え、それってあれでしょ? 真白さん……が関わってる奴じゃない?」
初音はその科白にびっくりして、思わず女性客の顔をまじまじと見る。
「誰それ?」
「名前……とか聞いたことない?」
「知らない」
他の三人が首を横に振ると、女性は気まずそうに顔をしかめた。
急にだんまりを決め込んだ友人を不振に思い、話を続けるよう、まわりが促す。
当初はためらっていた彼女も、友人たちに押し切られるような形で「私が話したことを誰にも言わないでよね」と付け加えてから話しはじめた。
彼女の話した内容を要約すると、次のようになる。
彼女のいた愁然館高校には、真白陽奈という人物がいて、ずっと酷いイジメに遭っていた。
けれど二年前の冬に、彼女は虐めっ子の主犯格の一人を、電車に突き落として殺害。
次に、もう一人の虐めっ子を階段から突き落として殺害し、さらには残る一人を自殺に見せて殺害した。
しかも、すべてが事故扱いとなって、陽奈がなんらかの罪に問われることはなかったそうだ。
「三人も殺して、罪に問われないなんて、ヤバいね。向かうところ敵なしじゃ?」
「うん。だから、あんまり言いたくないの。真白さん不気味だし。悪口言っているのを知られたら、マジで消されるかも」
「で、それが、今回の夜通埼神社の呪いとどう関わってくるの?」
「だから、彼女のいるサークルらしいの、肝試しをしたのって。呪いのせいってことになっているけど、実際は真白さんが絡んでいるんじゃないかな。たぶんサークル内で、何かトラブルとかあったんだと思う。あるいは彼女の悪口を言ったりとか。本当、些細な理由で殺されるらしいよ。だから私が言ったこと、誰にも言わないほうがいいよ。本当、マジで殺されるからね」
***
「しかし僕には、肝試しに行く人の心理ってのが理解できないですね」
木村の声で初音は、回想から現実の世界に引き戻された。窓の外を流れる風景が、視覚に刺激を与えてくる。
「さあ? おもしろいからじゃない?」
「そこが分からないんですよ。彼らは果たして幽霊の存在を信じているんでしょうかね? 信じていれば、怖くて肝試しなんてできないでしょうし、信じていなければ、そもそも楽しいなんて思えないでしょう」
「馬鹿なんじゃない?」
「身も蓋もないですね」
木村が苦笑しながら言った。
「たぶんだけど、お化け屋敷に行く感覚なんじゃないかしら。幽霊なんていないけど、刺激はあるみたいな」
「じゃあ、幽霊の存在を信じていない人が行くんですかね?」
「あるいは、信じていない人が信じている人を無理やりに連れてきて、その反応を楽しむんじゃない?」
「迷惑な話ですよね」
「だから、肝試しなんてする奴は、基本馬鹿なのよ」
初音は窓の外の風景を見ながら、吐き捨てるように言った。
やがて景色が田園地帯に変わり、くねくねとした細い道を三十分くらい突き進むと、目的地である篠原敬一郎の家に到着した。
敬一郎は愁然館高校出身で、陽奈とは三年間クラスが一緒だった人物だ。
昨晩、愁然館高校出身の友人に片っ端から電話したところ、敬一郎が協力者として名乗りを挙げてくれたのだ。
「よう、遠いところからわざわざ悪いな」
家の前で待っていた敬一郎が、車から降りる初音たちを労った。肩までの長さの黒髪に、中肉中背の丸っこい体躯をしている。
「ううん。こっちこそ悪いわね」
「いや、なかなかおもしろそうだから、夏休みの暇潰しにはちょうどいいよ」
そして、敬一郎の背中に続くかたちで、彼の家に入る。二階建ての、広々とした一軒屋だ
「これがその当時の新聞の切り抜き。あとニュースで流されたときのテレビの録画もあるから」
敬一郎の部屋に入ると、さっそく彼が事故の資料を持ってきてくれた。
「よくこんなに集めましたね」
木村が驚いたように言う。
「俺、新聞部だったんですよ。だから、この件に関して記事を書いたこともありますし、個人的に調査していたこともあります」
初対面なためか、敬一郎は木村の質問に、敬語で答えた。敬一郎は初音と教養の授業が同じという関係なので、木村との接点はない。
対する木村は、誰に対しても敬語で話す。
「単刀直入に聞くわ。この件に関して、真白陽奈は犯人?」
「警察の見解だと、ただの事故だよ。犯人なんていない」
「あなたの考えは? 独自で調査してたんでしょ?」
「……正直、グレーかな。調べたけど証拠は出てこなかったし、だけど、状況証拠だけなら、彼女は疑われても仕方がない」
「どの点が『疑われても仕方がない』のかしら?」
初音はさらに突っ込んだ質問をする。
「そうだな。まずは一つ目の電車の事故の件。事件現場となった北新地駅は無人駅で、事故当時、真白陽奈と死亡した小田博子しかいなかったんだ。その時点で、真白さんは疑われても仕方ない」
「ちょっと待ってください」口を挟んだのは木村だ。「二人が一緒にいたことは確定なんですか?」
「そこは間違いないです。彼女は警察にも事情を聞かれていますし、俺も、本人から聞きました」
「本人に聞いたの? それで真白さんはなんて?」
「事故があったときは改札を出て外にいたから、事故の瞬間は目撃していない、とさ。まあ、証言に矛盾はない」
「嘘をついている可能性もあるじゃない」
「そりゃ、彼女が犯人なら嘘もつくだろう。でも、それを嘘だと断言できるだけの証拠がない」
「カメラはどうです? 駅にはカメラが設置してあるはずでは?」
木村が鋭い指摘を入れる。しかし、敬一郎は首を横に振った。
「いいえ。あの駅にある監視カメラはダミーで、映像としては残っていません。俺らの間じゃ有名な話で、だからイジメの現場にもなっていたんです」
「オーケー。だいたい分かったわ。じゃあ、次の転落死の件は? っていうか、階段から転げ落ちたくらいで、普通死んだりするわけ?」
「どういう質問なんですか? 実際亡くなったわけだから、死ぬんじゃないですか?」
木村が小馬鹿にしたように、笑いながら言った。初音はムッとなる。
「事実を確認しているの。もしかしたら真白さんが持っていた凶器でぶん殴って、落ちる前にすでに絶命していたかもしれないじゃない」
「立花。お前、想像力豊かだな。そのケースは想定していなかった」
敬一郎が感嘆の声をあげる。
「じゃあ、その可能性があるってことね?」
「いや、ないと思う」敬一郎がすぐに否定する。「転落死した井上真由美の遺体は行政解剖されているから、凶器で殴られたのなら、そうと分かるはずだ」
「行政解剖? 司法解剖じゃなくて、ですか?」
行政解剖と司法解剖の大きな違いは、犯罪性があるかないかだ。犯罪性がないと判断された場合は、行政解剖になる。
「ええ。そうです」
「その行政解剖した医者が無能だったかもしれないでしょ?」
「それを言い出したらキリがないよ」
初音の科白に敬一郎が苦笑し、木村も同じく苦笑する。
「まあ、いいわ。脱線したみたいだから、話を戻しましょうか」
「わかった」敬一郎が頷き、「二つ目の事故。これも真白さんと転落死した井上真由美が、二人きりで踊り場にいたことが判明している。証言したのはもう一人の虐めっ子――柳香織だから、間違いないと思う」
「自宅で自殺した子よね?」
「そう。転落死した場所は屋上へ続く階段だったんだけど、人が来ないよう、見張りをしていたらしいんだ。だから、上に真白さんと井上さんが二人っきりでいたのは間違いない」
「普通に考えるなら、真白さんが突き飛ばした」
「だな。だけど、その可能性は否定された」
「誰に?」
「見張りをしていた柳香織に、だよ。転落したとき真白さんは尻もちをついた状態で、踊り場の上り階段方向――つまり、井上さんが転落した方向とは垂直の位置にいたわけ。物理的に突き飛ばすことはできないし、仮に突き飛ばせたとしても、階段方向に落ちることはない」
「その柳さんとやらは、落ちる瞬間を見ていなかったの?」
「ああ。ちょうどスマホを弄っていて、上を見ていなかったそうだ。井上さんの悲鳴を聞いて、上を見たときには、すでに転落していたらしい」
「なんだか、もやもやしますね」
木村が奥歯にモノが引っかかったような表情で言った。
「で、最後の自殺の件だけど、起こったのが両親のいない平日昼間。そしてそのとき、真白さんもずっと学校を休んでいたんだ。目撃証言もなかったけど、同時に真白さんのアリバイもなかった」
「ちなみに、自殺だけど、どんな死に方だったの?」
「手首を切るオーソドックスなやつだよ。風呂場に水を溜めて。だけど、おかしな点が一つだけあって、躊躇い傷がまったくなかったらしいんだ」
「自分で切ったんじゃないってこと?」
「可能性としてはあるね」
「じゃあ、なんで警察は自殺扱いにしたのよ?」
「遺書もあったし、例の転落事故以来、柳さんは精神的に不安的になって家に引き籠っていたんだ。むしろ他殺の証拠のほうがない。――とまぁ、以上が『真白さんが疑われても仕方がない点』かな」
「見事に状況証拠ばかりですねぇ」
木村がどこか楽しげに言った。
「とりあえず、もう少し情報がほしいわ」
初音は、敬一郎が持ってきた資料に目を通しはじめた。木村もそれに倣い、しばらくの間沈黙が降りる。
***
「言っちゃ悪いけど、めぼしい情報はあまりなかったわね」
それから二時間ほど過ぎて、初音はため息交じりに呟いた。
事件の資料と、テレビの録画を見てみたが、先に敬一郎が言った内容以上の情報を得ることはできなかったのだ。
「そういえば、例の件はどうなったの?」
「まだ返事がこないね。前向きにやってみるって話だったけど」
「なんですか? 例の件って?」
二人の会話に木村が入ってきた。
「篠原に頼んで、もう一人、強力な助っ人を用意してもらってるの。篠原の従兄で現役の刑事。調書を見せてもらうよう交渉しているのよ」
「え? 事故の調書ですか? 無理なんじゃないですか?」
「うっさいわね。やってみなけりゃ分からないでしょ。今んとこ拒否もされてないわけだし」
「とにかく時間がまだあるな。立花。これからどうする?」
「そうねぇ。事故の目撃者に会いに行くってのはどうかしら?」
初音のその科白に、木村と敬一郎は顔を見合わせた。
「なに言ってんだ、立花。この三つの件に関しては、どれも目撃者がいないって言っただろ?」
「確かに、そう聞いたわ。だけど一つだけ、そうじゃないのがある。目撃者がいないと、矛盾が生じてしまうの」
「なんのことを言っているんだ?」
敬一郎が訝しげに眉根を寄せる。
「電車の事故の件よ。現場には真白さんと被害者しかいないって話だったけど、そうじゃないでしょ。そこにはほかにも人がいたはずよ。事故の瞬間を目撃した人物が」
「ああ! そうです。確かにもう一人います!」
木村が感嘆の声をあげた。どうやら気づいたらしい。
「……誰だ?」
「運転手よ。電車の運転手」
敬一郎の顔が、一瞬呆気に取られたあと、深い息と共に弛緩した。
「なんか、頭悪いな、俺。そんなことにも気づかないなんて。確かにそうだ。運転手がいるじゃないか」
「というわけで、次の行き先が決まったわね」
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