3-1 夢が教えてくれたもの
「これで何回目かわかるか?」
じゃらじゃらと牌が鳴る。
「何が?」
弘瀬は牌を積み上げながら聞き返した。
「俺が弘瀬の夢に出てきた回数だよ」
正面にいる大輔が、サイコロを振った。サイコロの目は七を出し、大輔が弘瀬の前の積み牌を取る。
「そういえば、前にも一回見た記憶があるよ。二回目かな?」
答えながら、弘瀬は軽い興奮を覚えた。一巡目のツモで二盃口が確定。
すぐにリーチをしてもよかったのだが、一枚余っているのは字牌だ。これを捨てて数牌で待てば断ヤオもつく。
まだまだ序盤。少し欲張ってもいいだろう。
「はあ、やっぱり覚えてないのか。七回目だよ。七回。当然俺が死んでからの話だ」
言ったのは下家の大輔だ。ここには三人の大輔がいて、弘瀬と麻雀卓を囲んでいる。
「計算が合わなくない? 大輔が死んだのは五日前でしょ?」
次に弘瀬がツモってきたのは南だ。手持ちの字牌は北。
どちらを捨てようか迷ったあげく、北のほうを捨てた。
「そうだな、五日前だ。日を跨いで肝試しの次の日だったからな。だからといって、一日一回しか夢に出てこれないわけじゃあない。人間は一回の睡眠で何種類もの夢を見るんだ。実は朝起きて記憶に残ってる夢ってのは、何度も繰り返し見たからこそ、覚えているのかもしれないじゃないか。とにかく、七回目だ。それ、ポンな」
自分の番になったので、弘瀬は再び牌をツモった。そして落胆する。現れたのは北だったのだ。
前の段階で南のほうを捨ててリーチをかけておけば、一発ツモの二役がついていた。
この判断ミスは痛い。
「なあ、弘瀬。この部屋に見覚えないか?」
言われて、弘瀬は部屋の中を見回した。ここは圭の部屋だと勝手に思い込んでいたのだが、よく見ると全然知らない部屋だった。
縦に長く伸びた1DKのフローリング。向かって左にはクローゼットがあり、その反対側にはテレビが一台、シンプルなボックスの上に乗っている。
そこから玄関に向かって、本棚、タンス、収納ボックスが順に並んでいた。
左手の奥はキッチンで、紺色の冷蔵庫が脇に置いてあった。扉には背中と羽が赤く塗られた、ペンギンのキャラクターマグネットが貼り付いている。
弘瀬の背後はベランダで、葉っぱをモチーフにしたデザインの遮光カーテンが脇に寄せてある。窓から見える景色は、やはり見たことのない風景だった。
「いや、ないけど。ここは誰の部屋?」
「ロン。断ヤオのみ」
上家に座っていた大輔が、下家に座っている大輔に直撃を喰らわせた。高い手を張っていただけに残念な結果だ。
「弘瀬。ちょっと見せてみろ。おっ、リャンペー」
正面の大輔が、弘瀬の牌を倒して感嘆の声をあげる。
「一巡目で揃ったんだ。断ヤオ狙わずにリーチしとけばよかったな」
「すでに満貫じゃん。符跳ねしてんだから。断ヤオついても意味ないぞ」
「そうだっけ? 馬鹿なことしたなあ」
「ああ、ほんとに馬鹿だ」
「すぐ忘れるし」
左右の大輔がここぞとばかりに同意した。
じゃらじゃら。
今度の手はあまりかんばしくなかった。とにかくリーチを目指して、いらない牌を捨てていく。
「弘瀬。お前は人がいいからな。マジで気をつけろよ」
下家の大輔が、発を捨てた。
「人を疑うことを覚えた方がいい。マジで殺されっぞ」
正面の大輔が、筒子の八を捨てる。
「それ、ロン。断ヤオのみ。二千」
上家の大輔が手牌を倒す。
じゃらじゃらじゃら。
「歩も災難だったな」
「あっさり騙されちゃって」
「騙されたって、誰に?」
弘瀬が質問する。しかし大輔たちは答えない。代わりに、
「ロン。断ヤオのみ。千三百」
じゃらじゃらじゃらじゃら。
再び弘瀬の配牌が幸運に恵まれた。すでに暗子が四つ揃っていたのだ。
黙っていてもよかったのだが、ダブルリーチは爽快だ。誰も出していない盤上に、牌を横向きに置いた。
「弘瀬。リーチするのはいいけどさ」
「今度こそ覚えとけよ。何回も繰り返すの大変なんだぞ」
「うんうん。死んだ人間の忠告はちゃんと聞くもんだ」
しかし、弘瀬は自分の順番が待ち遠しくて仕方なかった。大輔たちの言葉は頭の中まで入ってこない。
自分の番が回ってきた。興奮が腕に伝わり、指先が軽く震えた。
「あっ、つ、ツモった。一発。やった。これあれだよね。役満。四暗刻単騎!」
「――それチョンボな」
「えっ、なんで?」
「なんでもなにも、断ヤオじゃないじゃん」
「あっ、そうか。……ごめん」
大輔の言うとおりだった。これは断ヤオではない。
ひとりで勝手に盛り上がってしまった自分を、弘瀬は恥ずかしく思った。
じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃら。
「ほら、弘瀬。早く捨ててくれよ」
「ケジメをちゃんとつけないとな」
「牌を入れ替えないと、役はできない。だろ?」
「えっ、ちゃんと捨てたよ。次は大輔の番じゃないの?」
「「「違う違う。それじゃない」」」
いつの間にか首から上がなくなった大輔たちが、口を揃えて否定する。
「そういえばさ、大輔。首は見つかったの?」
弘瀬は軽い気持ちで質問した。
刹那、――音がやんだ。
気がついたら、いつの間にか誰もいなくなっていた。
明かりが消え真っ暗闇になった部屋は、厳かに夜の吐息を吐き出している。
暗闇に馴染みはじめた目で、改めて部屋の中を見渡した。
大輔たちが消えたばかりか、麻雀セットもなくなっていた。
寒気さえも感じてしまうような静寂と暗闇の中にあって、唯一存在を主張するかの如く、低い振動音を放っているものがある。
冷蔵庫だ。
ドアに赤いペンギンがついている。
吸い寄せられるように、弘瀬は冷蔵庫に向かって歩を進めた。
途端に、冷蔵庫が大きな音を出して揺れた。おそらくは氷をつくったときの音だろう。
長く使っている冷蔵庫などは、そのときの振動が共振して、ガタガタと動くことがある。
だが、冷蔵庫の存在は妙に生々しい。
生物的な気配さえ感じさせる。生きている、と誰かに言われたら、素直に信じてしまいそうだ。
怖気づいてしまったのだろう。
体を見えない鎖でがんじがらめにされたように、前に進むことができなくなった。
できればこのままこの部屋から逃げ出したい。そんな欲求が首をもたげた。
理由はわからないが、危機感みたいなものを感じるのだ。
そんな弘瀬の気持ちを見通したかのように、冷蔵庫の前の闇が濃くなった。
それは人の形をとると、静かに腕を伸ばして冷蔵庫を指差した。
その人物には首から上がなかった。弘瀬は本能的にそれが大輔であることを悟った。
だが今までの大輔とは何かが違う。
これまで出会った大輔の霊は、気兼ねなく話せるような親近感を持っていた。
恐怖などは微塵も感じなかったのだ。
しかし今は違う。
目の前の大輔の霊から感じるのは、悍ましいまでの戦慄。
純粋な恐怖のみを詰め込んで形づくったかのように、心臓を鷲づかみにしてくる。
やばい、やばい。
警鐘が鳴る。
目の前の風景が恐怖によって刻まれていく。
決して夢から覚めても消えないようにと。ずっとずっと深いところへと刻まれていく。
忘れてはならない。
闇が囁く。
忘れてはならない。
大輔の霊が揺れた。
あるべき場所へ。
列車が走るような音を立てて、大輔と冷蔵庫が迫ってきた。
違う。迫っているのは自分のほうだ。
いやだ、近づきたくない。声なき悲鳴をあげる。高いところから落ちるみたいに、体の進む方向とは逆向きに内臓が逃げ出そうとする。
いやだ、いやだ。いやだ!
「おい、弘瀬っ!」
突然大きな声が聞こえて、弘瀬は目を見開いた。
目の前には不安そうな友人の顔があった。
一瞬の混乱のあと、自分が今、電車に乗っているのだということを思い出した。
どうやらまた悪夢を見ていたらしい。
まさか、こんな日の高いうちから、ほんの少し眠っただけで悪夢を見るとは思わなかった。
「なんか、うなされてるみたいだったから。大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ごめん、心配かけて」
心配する友人に礼を言ってから、弘瀬は六人掛けのシートに座りなおすと、流れて線状になる外の風景へと視線を向けた。
ガラスの向こう側の世界は陽気な太陽の光に照らされ、どこか明るい未来を想像させる。
目の前には友人たちの陰鬱な顔が並んでいる。この空気に耐え切れず口を開く者もいたが、それが場違いであることを悟ると、目的なく視線をさまよわせた。
たった今、歩の葬式を終えたばかりだ。
歩の家は駅の近くだったため、電車で移動することになった。
この時間帯は乗客の数も少なく、ほとんどが喪服に身を包んだ葬式帰りの人たちだ。
大輔に続いて、歩までが死んでしまった。
大輔のときは、気にするなと言ってくれた友人たちも、今日は口を閉ざしていた。
肝試しに参加したメンバーのうち、葬式に参列したのは、弘瀬と圭だけだった。
明らかに異質な空気が、弘瀬たちを包みはじめていた。
――呪い。
以前よりもその言葉が重く感じられる。
次々に三人が事故に遭い、うち二人が死んでしまった。
歩の死因は転落死だ。
一昨日の深夜、大学の教育学部棟の屋上から、校舎の裏手に落ちてしまったらしい。
どすん、という大きな物音を聞いた人は何人かいたみたいだが、落ちた瞬間を見た者は今のところいなかった。
遺体の発見も物音を聞いた時間から二十分ほど遅れてのことで、弘瀬がその場所に着いたのは、それからさらに三十分後のことだった――。
見慣れた風景に赤いパトランプの光が走っている。
校舎の一角が眩い照明で照らされ、白く浮かび上がっていた。
現場には野次馬が人垣を作っていて、立入禁止テープの向こう側では制服や作業服に身を包んだ警察官が、忙しそうに動いている。
「弘瀬」
サークルメンバーの元木信也が、立入禁止テープの向こう側、警察官たちがいる場所のほうから声をかけてきた。
ゲジゲジ眉毛とつぶらな目を持った、どこか愛嬌のある中肉中背の学生だ。
そのまわりには圭と、メンバーではないが何度か会ったことのある学生たちが集まっている。みな歩とは仲のよい連中だった。
どうやら警察から事情聴取を受けているみたいだ。信也が警察官の一人と共にこちらにやってきて、弘瀬を中へと連れ込んだ。
「どうも、刑事の中腰といいます」
短く髪を切り揃えた猫背の中年男性が、警察手帳を見せながら自己紹介した。カーキ色のズボンに白いワイシャツを着ている。
弘瀬は刑事の質問に答えながらも、疑問に感じた。
刑事がここにいるということは、歩の死は殺人なのだろうか?
「あの。今回のことは事件なんですか?」
弘瀬と同じ疑問を抱いていたのだろう。質問が終わったあと、信也が刑事に問いかけた。
刑事は笑いながら顎の無精髭を撫でると、そうではないと答えた。
転落死などのときはどちらか分からないので、一応刑事が現場に来ることになっているそうだ。
念のため事故と事件両方の面から捜査してみるとは言っていたが、歩が当時泥酔していて目撃者もいなかったことから、事故扱いになるだろうとのことだった。
「目撃者がいないことって、そんなにあることなんですか?」
信也が再度質問した。彼らは事故の直前まで歩と飲んでいて、最後に歩を目撃したのも信也たちだったらしい。
今はすっかり酔いも醒めているらしく、硬くなった表情の上で、汗の玉が照明の光を反射していた。
「ええ、そりゃありますよ。人がいなけりゃ目撃者もいない。誰か見ていれば、詳しいことが分かるんだけどね」
刑事は疲れたような息を鼻から吐いた。
面倒だな、と言っているように弘瀬には思えた。
「他に、何か気になることがあれば言ってください。どんな些細なことでもいいですよ」
その科白に、弘瀬の心臓は大きく跳ねる。
どうしても、ある事柄が頭から離れない。言うべきか迷った。
「あの、関係ないかもしれませんが……」
前置きというよりは自分に対する言い訳。
「肝試しをしました。一週間くらい前に。彼はそのときの――」
説明を終えた瞬間、どっと安堵感が襲ってきた。
言うべきことは言った。
やるべきことはやったのだという実感が込み上げてくる。
「ああ、そのことね。聞いてるよ。なんでも、そこで幽霊を見た連中が事故に遭っているって」
弘瀬は落胆した。
さらりと言ってのける刑事からは、解決しようとする誠意が欠片も窺えない。突き放されたのと同じだった。
そんな弘瀬の視線を感じてか、刑事はばつが悪そうに言った。
「そりゃ、不安になる気持ちは分かりますよ。俺だって御先祖様の墓参りにはちゃんと行っている。だけど、警察がそういった理由で動くわけにはいかないんですよ。信頼ってもんがある。何かあれば動きますよ。警察はテレビで言われてるほど冷血漢じゃない。ほら、これ名刺ね。電話番号も書いてありますから、何か不審なことがあったら連絡してね。物音がするってレベルでもいいですから」
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