2-1 彼女の秘密

 車から降りると、太陽に焼かれて熱を帯びた空気が襲ってきた。


 今日は嫌味なくらい晴天だった。鮮やかな夏色の空に、白い絵の具の塊のような入道雲が聳え立っている。


 小石が地面を覆う庭を、コンクリートで塗り固められた一本の道が、瓦屋根の民家へと続いている。


 玄関の両脇に立つ太い木の柱の横には、葬儀花が飾られ、黒と白の幕が垂らしてあった。


 弘瀬は今、サークルのメンバーと葬式に参列しているのだが、全員が来ているというわけではない。


 一番の理由が交通の便だ。大輔の実家は公共交通機関で行きやすいような場所ではなかったので、車に乗れる人数を考慮して、二年だけが行くことになった。


 一年は入った時期がバラバラで、大輔とは数回しか会っていないメンバーも多いので、行かない方向で話がついたのだ。


 だが、一人だけ二年で来ていない人物がいた。黒岩都巳だ。


 歩の話では、肝試しでの幽霊騒ぎと今回の事故とを結びつけてしまって、随分とショックを受けているらしかった。




 ――昨日の夜半過ぎ、大輔は宣言通りにバイクに乗って、出かけていたらしい。


 K大の東を南北に走る高速道路の下道を、H県方面へ走るのが、彼のお決まりのコースとなっていた。


 そのちょうど県境、豊悦川の渓谷と平行に県道が走るようになる区間がある。


 その区間の中で最も急なカーブのある場所で大輔は、何かしらの要因で転倒した。そして首をガードレールに強く打ちつけ、死亡したらしい。


 大輔が死んだのは呪いのせいだ。そう思う人がいても仕方ないのかもしれない。


 偶然も三回続けば必然、という言葉がある。たまたま肝試しを行い、そこでたまたま幽霊騒ぎが起き、その直後にたまたま事故に遭う。

 その確率はいかほどのものだろう? 


 もう一つ、この事故と呪いを結びつける不気味な事実がある。いや、むしろそれこそが、大輔の事故死に対する最大の違和感なのだ。


 大輔の死に方は普通の死に方ではなかった。

 その死に方とは――。


「ねえ、聞かれました? 息子さんのご遺体、頭が行方不明なんですって」


 弘瀬の心の声を代弁するかのような、ひそひそ声が聞こえてくる。


 そうなのだ。大輔の遺体からは首がなくなっていたのだ。


 昨日警察の人がやってきて、事故前日のサークル活動などを聴き取りにきた際に教えてくれた。


 それによると、大輔は目の前にあった何かを避けようとして、ハンドル操作を間違えたらしい。

 道路に残ったタイヤの跡から分かったそうだ。おそらく野生動物の類だろう、というのが警察の見解だ。


 その際ガードレールの上に倒れ込むような形となり、ちょうど反り返っていた部分に首が当たって、頭部を切断してしまったらしい。


 元来、交通量の少ない場所なので、今のところ目撃者などはいないそうである。


 そして未だ見つかっていない頭部の行方だが、ガードレールの向こう側は谷になっていて、状況から判断すると、そこに落ちた可能性もある。

 またその辺りは猿や狐なども生息していて、それらの動物が持ち去ったかもしれないとのことだった。


「弘瀬、行くぞ」


 呼ばれて弘瀬は、自分が人の流れから遅れてしまっていたことに気付いた。


 式場の前には、生前大輔が描いた風景画や押し花絵、彼がつくったキーホルダーやキャラクターマグネットなどが数点、生きた証を示すかのように並べられていた。


 葬儀は淡々と進み、それ自体がとても事務的なものに思えて、大輔の死をうまく実感することができなかった。




   * * *




「えっ、なんでよ。オッケーだったんでしょ? 連れてきなさいよ。弘瀬が成功したのは私のアドバイスがあったからなのよ。わかった? いい?」


 初音は半ば強制的に弘瀬を言いくるめると、一方的に電話を切った。


「店長、今から弘瀬来るって。デザートを奢ってやるくらいの度量はみせてくださいよ。私の分まで」


「なんで立花ちゃんの分まで。それよりもそんな無理言っていいのかい。さっき葬式から帰ってきたばかりなんでしょ?」


「だから今は時間があるってことですよ。これでも一日、待ってあげたんです」


 初音は腰に手を当てて憤慨した。弘瀬からすぐに感謝の電話がこなかったことが、おもしろくないのだ。


 一昨日の夜は連絡がないのも仕方ないかなとは思っていたが、次の日も来る気配がなかった。だから昼過ぎに、気を利かせてメールのほうで訊ねてみたのだ。すると友人が事故死したということで、警察に質問を受けている最中だという。


「しかし、なんで肝試しの後なんかに、わざわざバイクで出かけたんだろうね?」


「さあ? ただ単にそんな気分だっただけじゃないですか?」


「しかし、あれだね。肝試しのあとに事故死ってのは、やっぱ気分が悪いだろうね」


「店長、そういうの信じる派ですか? 幽霊なんていませんよ。霊が見えるなんて人はみんな嘘ついてるだけなんです」


「そうかな? やっぱり僕はいると思うよ。立花ちゃんだって、知り合いに一人か二人、霊を見たことあるって人いるでしょ?」


「いませんよ。それなら店長の知り合いに、まったく嘘をついたことがないって人が何人いますか? 幽霊がいるってことよりも、平気で嘘をつける人間がいるってことのほうが現実的だと思いますけど」


「むやみに人を疑うのはどうかと思うよ。それに幽霊の映像とか、テレビでやってたりするでしょ? あれこそが物的証拠ってやつじゃない?」


「あれは全部CGか、作りも物です」


「じゃあ、昨日やっていたポルターガイスト現象とか。誰もいない場所でドアがガタガタと――」


「あれは、誰もいないと嘘をついているだけで、実際は人がガタガタやっているだけです」


「……。いや、でも幽霊はいると思うよ」


「思う思わないは個人の自由ですが、いる根拠って示せていないですよね?」


 初音はやや憤慨気味に言った。ここまで論破されて、どうして幽霊を信じられるのかが分からない。


「とりあえず弘瀬くんには、僕が使っている霊験あらたかなお守りを紹介しようと思うんだけど」


「店長、そんなもん持ってたんですか?」


「なに、その冷たい目は? そのお守りはすごく効くんだよ。それを買ってから、風邪すらひいたことないんだから」


「それ、いつごろ買ったんですか?」


「半年くらい前かな」


「店長は、よく風邪をひくほうなんですか?」


「いや、普通だと思うよ。年に一回くらいかな」


「ちなみに、おいくらでした?」


「五十三万円。大学生にはちょっと高いかなとは思うけど、大丈夫。学割効くらしいから」


「……奥さんがいなくなった理由がよくわかるような気がします」


「なっ、なんでそういうこと言うの? アレの話は関係ないでしょ? 今は幽霊が存在するかどうかって話でしょ?」


「『幽霊が存在するかどうか』ってことなら、さっきから言ってるとおり、いません。しかしあれですよね。占い師とかスピリチュアルカウンセラーとか、いったいどんな気持ちで嘘をついているんですかね? だって当の本人は、それが人を騙すいい加減な言葉だって知ってるわけでしょ?」


 そんな不満を熊谷にぶつけていると、やがて弘瀬がやってきた。


 一度部屋に戻って着替えてきたらしく、バックプリントのTシャツに膝下丈のズボンを穿いている。


 弘瀬の後ろには陽奈の姿。粉雪色の肌に、黒目がちの大きな目がくっきりと浮かび上がる結構な美人だ。

 ピンク系のブラウスに花柄のスカートを穿いている。顔も含めすべてがひと回り小さくて、全体的に儚げな感じがする。


 弘瀬は陽奈のことを紹介すると、カウンター席に座ろうとしたのだが、熊谷が奥のテーブルを使うよう勧めたので、そちらに移動した。


「それじゃ連れてきた意味ないじゃないですか」


「いいじゃない。初めてなんだから」


 奥のテーブルに腰かけた二人は、メニューを広げて一言三言会話をしている。

 弘瀬が口数の多いほうではないことは知っているが、陽奈のほうも見た目どおり寡黙な人物のようだ。


 果たして盛り上がる話題というのが二人の間に存在するのだろうか? そんな疑問を抱きつつ眺めていると、ふとデジャヴを感じた。


 どこかで陽奈のあんな姿を見た気がするのだ。いや、デジャヴではないのかもしれない。実は初め見たときから、頭の隅に引っかかっていたのだ。


 ――彼女を最近どこかで見かけたことがある、と。


「店長。陽奈ちゃんて、前にこの店に来たことないですか?」


 初音は小声で熊谷に尋ねた。彼は客の顔をよく覚えている。


「いや、知らないね。初めてじゃないかな」


 熊谷は団子のような鼻先を、指で擦りながら答えた。


 ちょうどそのとき、弘瀬がスマホを耳に当てる仕草をした。誰かから電話が掛かってきたらしい。


「えっ、上原くんが?」


 弘瀬の声が緊迫した空気を帯びる。何か尋常でないことが起こったのだということは、すぐに理解できた。


 弘瀬は立ち上がると、足元がおぼつかない様子で、こちらにやってくる。


 初音は何か話しかけようとして、ふと弘瀬の後ろを見てしまった。


 弘瀬の後方。そこには陽奈がいる。

 その顔を見た瞬間、初音は心臓が止まる思いがした。


 真っ白な能面がそこにはあった。


 無表情という言葉でさえ、今の彼女の表情に比べれば、まだ人間的な温かみを帯びた表現だと理解できる。

 単に表情がないだけでは、ここまで人の神経を凍えさせることもないだろう。


 不気味なのだ。


 その分厚い能面の下に幾重にも絡まりながら蠢く、百足のような生理的嫌悪を呼び起こす生物の存在を感じる。

 それが目や鼻の穴、顔の縁から溢れ出しているような、禍々しい不快感を覚えた。


 真っ黒でガラス玉のような双眸に、弘瀬の狼狽する姿がはっきりと映っている。次の瞬間、それが消えた。そして次に、新たな人物がガラス玉の中に現れた。


 初音だ。そこには腕に抱いたトレイで心臓を守るかのように立ち尽くす自分の姿が映っていた。

 呆然とそれを見つめ、その理由がわかると同時に、一歩後ずさった。


 陽奈が自分を見つめていたのだ。瞬き一つせずに、じっと。その瞳の中に吸い込もうとするかのように。


「――初音」


 名前を呼ばれて、初音は我に返った。いつの間にか弘瀬の蒼白な顔が覗き込んでいた。


「ごめん、急用ができた。帰る」


 初音はほとんど反射的に頷いたあとで、何が起こったのかを尋ねた。


 また事故が起こったそうだ。その人物も肝試しに参加したサークルのメンバーらしい。

 ただ幸いなことに、軽傷で済んだとのことだ。詳しい話を聞くために皆で集まるそうだ。


「お金は後でいいから、早く行ってあげるといい」


 話を聞いていた熊谷がそう言った。弘瀬は頷くと、陽奈と連れ立って店を後にする。

 彼らが出て行く際、初音は陽奈の顔を見ることができなかった。


「ねえ、店長。……陽奈ちゃん、この店に来たことありますよね?」


 弘瀬たちが去った後で、再度熊谷に質問した。


「いや、覚えてないよ」


 熊谷は鼻を擦りながら答える。


「店長、人って嘘つくと動揺が体に現れるそうですよ。顔は意外と変化ないけど、手足とかの先端部分にはよく現れるらしいです」


 熊谷は何か言おうとして、諦めたように息を吐いた。


「別れた女房にも言われたよ。嘘つくと鼻を触る癖があるって――」


「えっ? そうだったんですか?」


 初音は本気で驚いてしまった。そんな癖があったのか。


「えっ? もしかして気付いてなかったのかい? じゃあ、なんであんなこと言ったの?」


「ちょっと蘊蓄を言ってみただけです。でも瓢箪からダルビッシュですね。教えてください。なんで嘘をつこうとしたんですか?」


 熊谷は自分の迂闊さを呪ったあと、陽奈が店に来たときのことを教えてくれた。それで初音も漸く思い出す。


 弘瀬に好きな人がいると分かった日に、彼と入れ替わりで去っていったカップルがそうだったのである。


 一度認識できると、忘れていた曲のイントロを思い出すときのように、そのときの情景を次々に想起することができた。


 眼鏡でイケメンの男。会話のない二人。「死んだほうがよかった」という発言。イケメンの大人びた声。イケメンの健康そうな肌の色。名も知らぬイケメンの横顔。イケメンの――。


「ああっ、あの男性の連れの! 私としたことが。……迂闊だったわ」


「立花ちゃん、もしかして男のほうばっかり思い出してない?」


「勝手に失礼な決め付けをしないでください。ちゃんと陽奈ちゃんのことも思い出しましたよ」


 熊谷が嘘をついた理由はそれだったのだ。


 二人の態度から推測するに、あれは間違いなく彼氏彼女の関係だ。

 友人にしてはフレンドリーさが感じられないし、家族にしては顔が似ていない。

 付き合い始めの初々しさもないことから、それなりに時間が経過したカップルなのだろう。


 どちらにせよ、あのイケメンが相手では、弘瀬に勝算はない。陽奈が何を考えて弘瀬の告白にOKを返したかは分からないが、すぐにふられることは目に見えている。


(残念だったね、弘瀬。セミの一生よりも短い恋だったね)

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