1-4 最初の犠牲者

 自分の部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。ベッドの薄い敷布団の上に、倒れるようにして身を落とす。

 ぎしりとベッドが、錆び付いた音を立てて軋んだ。


 大学に戻った弘瀬たちは、いつものように圭の部屋で麻雀やボードゲームをして遊ぶ流れとなった。


 しかし大輔は、バイクに乗りたくなったと言ってさっさと帰ってしまったし、陽奈も一人になりたいと言って断った。


 弘瀬としても、陽奈がそういう状態では遊ぶ気にもなれなかったので断った。


 通り道だったので、大輔を除くみんなで陽奈を送っていってから、弘瀬は一人別行動を取り、自分の部屋まで戻ってきたのだ。


 陽奈を一人にしておくべきかどうか迷ったが、部屋まで押しかけるのは強引すぎるような気がしてやめた。


 弘瀬はぼんやりとした頭で、今日の出来事を思い出す。


 陽奈と付き合うことになったこと。あまりにもあっさりしすぎて現実感が沸かない。だけどよくよく考えれば、告白なんてこんなものかもしれない。


 次に幽霊騒ぎ。大学に戻る頃にはだいぶん落ち着いたとはいえ、陽奈のあの怯え方は尋常ではなかった。ショックを受けなかったといえば嘘になる。


 ――私のこと嫌いになると思います。


 その言葉が、今は少しだけ重く感じられる。


 肝試しのセッティングをした大輔は、随分と気にしていたようだ。


 こんなことなら、肝試しをやるべきじゃなかった、と珍しく気落ちしていた。



 考え事をしていたら、そのまま眠ってしまっていたらしい。弘瀬はスマホの着信音で目を覚ました。


 ああ、充電するの忘れてた、と思いながらスマホを手に取る。


 表示を見て眠気が吹き飛んだ。陽奈からの電話だった。部屋の時計を見る。午前四時。

 電話をかけてくるにはあまりにも非常識な時間帯だ。何かあったのだろうか?


 軽い不安を覚えながら、通話ボタンを押した。


「先輩、すみません。寝てました?」


 もともと羽毛で撫でるような柔らかな声でしゃべるのだが、電話越しに聞くと、さらに儚げで現実味がしない。


 弘瀬の思い過ごしだろうか。やけに風のような音が混じって聞こえる。まさかとは思うが、陽奈は今外にいるのだろうか?


「先輩、今日はすみませんでした。気味の悪い思いをさせてしまいましたね」


「いや、そんなこと。……全然」


「私のこと気持ち悪いでしょ? 嫌いになったでしょ? 本当は別れたくなったんでしょ?」


 風の音が強くなった。木の葉が擦り合わさるような乾いた音が混じる。弘瀬はふと、今日行ったばかりの秩父両子山の風景を思い出した。


「真白さん、あんまり気にしないで。俺もほんと全然気にしてないから」


 弘瀬は自分の声が大きくなるのを自覚した。感情的になったのではない。耳に張り付く乾いた音がうるさくて、ついつい大声になってしまったのだ。


「でも、私のこともっと知ったら、絶対に後悔しますよ。でも、その頃には先輩、もうこの世にいないかもしれませんね」


 途端、耳元に張り付く音が激しくなった。まるで笑っているかのようだ。


 弘瀬は煩わしくなって、それを払いのけた。しっとりと水分を含んだ感触が手に絡みつく。予想外の触感に思わずぎょっとする。


 そして気づく。やけに自分の視界が狭くなっていることに――。


 弘瀬はベッドに腰かけて、ややうつむいて電話をしていたのだが、今ではその視界の両脇が何かに覆われて隠されていたのだ。


 髪の毛だ。黒く長くて、土の臭いのする。


 木の葉の擦れるような音は、この黒髪から聞こえていた。そう自覚すると共に、自分の背中にずっしりとした重さを感じた。


 何かが圧しかかってきたのだ。


 そいつの吐息が聞こえる。ゆっくりと舐め回すかのように、息の聞こえる場所が右に行ったり左に行ったりしている。


 弘瀬はまったく動くことができなかった。恐怖で体が竦んでしまったのとは違う。先ほどから力を入れて体を動かそうとしているのに、びくともしないのだ。


「先輩、どうしたんですか?」


 嘲るような陽奈の声が聞こえてきた。左手に持つスマホの感触がまったく違うものになっていることに気付く。


 見せ付けるように、そいつが左腕ごと弘瀬の眼前に移動する。そこにあったのは両目のない、陽奈の生首だった――。



 スマホがうるさく鳴り響いていた。弘瀬はゆっくりと目を開けた。


 見慣れた自分の部屋の風景と布団の感触が、今が現実であることを教えてくれる。体を起こして、もう一度部屋の中を見渡した。


 先ほどまで体験していた気味の悪い現象が、すべて夢だったことを理解した。陽奈のことが心に引っかかったまま寝てしまったせいで、あんな夢を見てしまったのだろう。

 スマホを見ると、ちゃんと充電器に繋がれていた。


 着信音から、それがサークルのメンバーからの電話だとわかる。


 スマホを手に取った。皆川歩という名前が目に入る。麻雀の誘いだろうか? 誰かが眠ってしまって欠員が出たのかもしれない。時計を見ると、午前四時だった。


「もしもし、弘瀬?」


 随分と焦った声だった。正直、嫌な予感がした。


「弘瀬、落ち着て聞いてくれよ。大輔が――今警察から連絡があったんだけど、大輔が事故に遭ったんだって。それで信じらんないかもしれないけど、亡くなったんだ。即死だって。くそ、マジで、なんなんだよ!」


 弘瀬は耳元で、あの乾いた音を聞いたような気がした。

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