1-3 ついてきた!

「先輩、あの、一ついいですか?」


「えっ、ああ、うん。なに?」


「先輩のほうから告白していただいたんですが、私と別れたくなったら遠慮なく言ってください。たぶん、私のことがわかってきたら、嫌いになると思います。でも、それは全然悪いことじゃないですから、気にしないでください」


「えっ、いや、どうしてそんなふうに思うの? 確かに先のことは分からないかもしれないけど、俺はたぶん、真白さんのこと嫌いになったりしないよ。あっ、でも、そっちが俺のこと嫌いになったら、遠慮なく言ってくれていいよ」


 予想外の科白に面食らってしまった弘瀬だが、女性は安定と安心を求める存在だから、しつこくそういう確認をしてくると、初音からアドバイスを受けていた。

 「本当に私でいいの?」とか「誰々が好きだったんじゃないの?」と意味のない確認をするのはそのためだそうだ。


 だから、ちょっとずれているとは思ったが、その類の確認だろうと思うことにした。


「ありがとうございます。でも、私の言ったこと、記憶に留めておいてくださいね」


 弘瀬は素直にうんと頷く。それでその話は終わった。


「それじゃあ、行こうか」


 弘瀬は陽奈の手を引っ張って、先に進もうとした。しかし、彼女は動こうとしない。


「真白さん?」


「あの、……このまま帰ったら駄目ですか?」


 弘瀬は予想外の答えに困惑した。途中で帰るという選択肢が、陽奈に言われるまで思い浮かばなかったのだ。


「別に棄権しても問題ないですよね? この先には……、正直行きたくないです。早く帰りましょう。ここからできるだけ早く離れるべきです」


 弘瀬はまじまじと陽奈の顔を見てしまった。やや早口でしゃべる彼女の所作には落ち着きがない。


 そこで弘瀬は、陽奈に霊感があるという話を思い出す。もしかしたら、何かを感じているのかもしれない。弘瀬は、素直に引き返すことにした。


 途中、少しでも陽奈の不安を和らげるため、いろいろと話しかけた。内容は些細なことだ。昨日見たテレビの内容とか、去年の夏にサークルでやったイベントの話など。


 映画の話も出たので、それとなく誘ってみたところオッケーをもらえた。一瞬、舞い上がってしまった弘瀬は、足がもつれて転びそうになる。


「おお、無事に戻ってきたようだな。どうだった?」


 弘瀬たちの姿を見つけた大輔が、尋ねてきた。


「うん、ありがとう。大丈夫だったよ」


「じゃあ、証拠の写真を見せてみろ」


 そこで弘瀬は自分が勘違いしていることに気づいた。大輔が尋ねたのは、肝試しのほうだったのだ。


「ごめん、そっちは途中で帰ってきた。なんかヤバいからって」


 その科白から、大輔は告白が上手くいったことを悟ったようだ。ぐいっと強引に弘瀬の肩を抱いてきた。


「OKだったんだな?」


「うん、お陰様で」


「そっか。……俺の後輩をよろしくな」


 弘瀬はその科白に違和感を覚えた。大輔と陽奈は同じ高校の出身だ。だから後輩という単語は間違いではない。けれどもその声からは、どこか哀愁に似た響きを感じた。


「ヤバいって、陽奈ちゃんが言ったの?」


 茶髪をボブカットにした、今どきの大学生っぽい雰囲気を持つ美花が、少し怯えたように尋ねてきた。


「ほら、もう帰ろうよ。センサーが危ないって言ってるんだしさ」


 美花に縋るように抱きついていた都巳が、青ざめた顔で言う。


「何言ってんだよ。せっかくここまで来たのに、なんもせずに帰るのか? あり得ねえって」


 温和な大輔には珍しく、少し苛立ったように答えた。


「この際だから、残りみんなで行くってのはどう? 単純に計算すると、一組三十分から四十分はかかるだろ? 三組終わるのに、あと二時間もかかっちまう。ちょっと時間がだらけるよな?」


「まあ、そうだな。歩の言うとおりだな。あとは俺ら全員で行くか?」


「ちょっと陽奈ちゃんを置いていくの? センサーなんでしょ?」


 都巳が甲高い声で非難する。


「弘瀬と真白さんは、一度行ってきたんだからいいだろ。それにぶっちゃけ幽霊とかいないんだから、そこまでビビる必要ないって」


「それって陽奈ちゃんが、嘘つきだってこと?」


 美花の科白に、大輔は虚を突かれたように言葉を飲み込んだ。しどろもどろに何か言おうとして、どれも失敗したようだ。


「真白さん、悪い」


 次に出てきたのは素直な謝罪の言葉だった。途轍もない失言をしてしまったかのような罪悪の色が、表情を濁らせている。これまた大輔にしては珍しい反応だった。


「どうでもいいけど、さっさと終わらせよう。そして俺んちで麻雀でもしないか? 俺も大輔も幽霊信じない派ってだけだよ」


 圭が強引に話をまとめる。都巳は最後まで文句を言っていたが、みんなが移動をはじめるとなんだかんだで、後をついていった。


 車寄せのスペースには、弘瀬と陽奈が二人だけ取り残される。大輔が二人に気を利かせたのだと、ややあってから弘瀬は気づいた。


「今日の大輔、どこか変だったね」


 弘瀬はぽつりとそんなことを言った。


「そうですね」


 陽奈がそっけなく答える。


 なんだろう? と弘瀬は思った。彼氏彼女の関係になったはずなのに、何かが変化したという感じがしない。 

 陽奈はいつもどおりの反応だし、自分もどう対応してよいか分からずにいる。


(真白さん、緊張しているのかな)


 とりあえず弘瀬は、そんなふうに受け取ることにした。早急に弘瀬のイメージする彼氏彼女の関係を押し付けても迷惑なだけだろう。


 それに、陽奈と二人きりで眺める星空は、とても綺麗で、心が洗われる感じがした。今日はこれで充分だろう。


 どれくらい時間が経ったのか。適当に陽奈と会話をしていると、坂道の上のほうから一台のバイクが姿を現した。


 故障でもしたのだろうか、運転手はバイクを押しながら、こちらにやってくる。


 なんとなく弘瀬は幽霊の類ではなかろうかと思い、固唾を呑んでバイクを見つめた。


「すいません、ちょっとよろしいですか?」


 弘瀬たちに気づいたのだろう。よく通る声で、そんなことを言ってきた。どうやら普通の人間のようだ。弘瀬はほっと息を吐く。


「どうされたんですか?」


 弘瀬はバイクの男に近づいていく。身長は弘瀬より一回り高い。


 今はヘルメットを外しており、眼鏡をかけた端整な顔が月夜に照らされていた。男の弘瀬でも、ほうと息を吐くほどのイケメンだ。


「バイクがパンクしてしまって。修理キットでパンク自体は直したんですけど、空気入れを忘れてしまって。もし持っているようなら貸していただきたいんですけど」


「すいません。俺じゃちょっと」


 言って、弘瀬はスマホで時間を確認した。もう四十分近くが経っている。そろそろ大輔たちが帰ってくる頃だった。


「友達がそろそろ来る頃なので、ちょっと聞いてみます。そこの車の持ち主です。少しだけ待ってもらえますか?」


 ちょうどそのときだ。叢林の奥から人の話し声が聞こえてきた。どうやら大輔たちが戻ってきたらしい。


「馬鹿じゃないの!」


 都巳の文句に、「あはははは」と笑う大輔の声。何かあったような感じだ。


「歩」


 弘瀬は奥の道から姿を見せた歩たちの元へ駆け寄った。


「おう、なんだ?」


「空気入れとか持っていないか? あの人が使いたいんだって」


 弘瀬は簡単に事情を説明する。今日は車二台でここにやってきていた。歩と圭の車だ。


「持ってるよ」


 答えたのは圭のほうだ。すぐに自分の車に向かい、トランクを開け、中から空気入れを取り出す。そしてそれをバイクの男性に手渡した。


「空気入れあってよかったね」


 弘瀬は陽奈に話しかける。けれども、いつもの愛想のない相づちすらない。


「真白さん?」


 弘瀬はそこで違和感に気づいた。陽奈が山道の入り口を凝視したまま、動かないでいる。その顔は、驚くほど蒼白になっていた。


「いったい、何をしたんですか?」


 誰とはなしに、陽奈がそんなことを言った。


「え? なんだって?」


 へらへらと都巳たちと雑談をしていた歩が、その声に反応する。


「先輩たちは何をしたんですか? いったい何を【連れてきた:傍点】んです?」


「ちょっとやめてよ。何言っているのよ!」


 都巳がヒステリックな声をあげる。


「いや、来ないで……」


 陽奈が力なく呟き、数歩後ずさった。その華奢な背中が弘瀬の胸にぶつかる。


「え? なになに? いったい何よ」


 都巳がパニックに陥り、陽奈と同じように山道の入り口から距離をとる。誰もが息を呑んで、洞窟のように暗い入り口を見守った。


「来てます。とても恐ろしい存在が! 早く逃げて!」


 陽奈が叫ぶ。しかし、彼女は足に力が入らないらしく、全体重を預けて、弘瀬に抱きつくかたちとなった。


 思わぬ衝撃に、弘瀬は後ろに倒れそうになったが、なんとか持ちこたえる。


「真白さん、落ち着いて。何もないよ」


「うそ! 来てます。すぐそこに!」


「おい、どうかしたのか?」


 漸く騒ぎに気づいたらしい大輔と圭が、こちらにやってきていた。彼は圭と一緒にバイクの男の傍にずっといたのだ。


 見るとバイクの男は、バイクに跨って、ヘルメットを被っているところだった。


「何か来てるって! やっぱりアレ、ヤバいやつだったんだ!」


 都巳が絶叫のような悲鳴をあげる。アレ、とはいったいなんのことだろうと弘瀬は思った。


「何もないぞ」


 大輔が豪胆にも入り口に近づいていこうとする。


「駄目! 駄目です。近づいちゃ駄目!」


 大輔は、陽奈の剣幕に気圧されたように足を止める。しかし彼のその表情は戸惑いよりも、悲しいものでも見るような、悲痛な感情が色濃く出ていた。


「来てる。そこにいます!」


 次の瞬間、陽奈を抱き締める弘瀬の腕の下から、ぬうっと一本の腕が一本生えてきた。それはカタカタを震える陽奈の腕で、山道の入り口を指差す。


「え、うそうそ!」


「マジかよ。何もいないぞ!」


 都巳が悲鳴をあげ、歩も陽奈の言葉を否定する。


「います! 背の高い女性の悪霊が! 生首の髪を手に掴んでいて、ほら、こっちを見て、にたりと笑って――いやああああああああああッ!」


「きゃあああああああああああああああああああ!」


 陽奈の絶叫に続き、さらに甲高い悲鳴が轟いた。都巳の悲鳴だった。


 彼女は半狂乱になって車に駆け寄ると、乱暴に車のドアを開けようとする。ロックがかかっているのだから当然だが、ドアは開かない。


 それを思い起こすだけの余裕がないのか、都巳はドアを激しく叩きはじめた。車の持ち主である歩が、慌てて都巳を引き剥がしにかかる


 その間、弘瀬はずっと陽奈が指差す山道の入り口を見つめ続けていた。


 しかし、陽奈の言う幽霊のようなものは見えなかった。先ほどと寸分違わぬ風景が映るだけだ。


 他の者もそれに気付いたのだろう。状況に何も変化がないことを知ると、だんだんと冷静さを取り戻していった。


 そのタイミングを見計らってか、バイクの男がクラクションを鳴らした。弘瀬たちはびくりとなって彼を見る。

 感謝のつもりだろう、バイクの男は皆に向けてしっかりと会釈すると、市内方面へとバイクを走らせ消えていった。


「真白さん、大丈夫だよ。やっぱり何もいないよ」


 弘瀬は腕の中で震える陽奈に向けて、優しく話しかけた。


 おそらく霊感のある陽奈には何かが見えているのかもしれないが、やはり弘瀬には実感が沸かなかった。


「います! 本当にいるんです!」


「マジでやめろよ、それ!」


 都巳がヒステリックに叫ぶ。今にも飛びかからんほどの勢いだ。


「取りあえず帰ろうか。みんな車に乗るぞ。安全運転でな」


 大輔の指示に従って、逃げるようにして車に乗った。


「どう? 陽奈ちゃん。まだついてきてる?」


 車を運転する歩がともすれば、不吉なことを尋ねてくる。


 陽奈は声を出すこともせず、ふるふると頭を振ることで、それを否定した。

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