第3話これは夢
青年は今、現実とはかけ離れた場所にいた。
足元は黄ばんだ白が染み、顔面は涙と鼻水と涎にまみれ、気色悪い程の汗が体からわき出てくる。
奥底には恐怖。
目の前には謎の人種。
耳には意味不明な言語。
だがこれらを一掃できる程の感動が、彼を芯から癒している。
「大丈夫? 落ち着いた?」
「あ…あぁ………」
涙が溢れる、生まれて初めて救われたと実感する。
ヘッドフォンから流れる母国語が、彼の心を護ったのだ。
目の前の女性はどこを見ても、日本人ではない。
しかし、彼女の唇の動きに合わせて、片言のそれは聞こえてくる。
「ごめんなさい 私たち 味方 安心 ほしい」
「うっ……うぅ…………」
ホロホロと流れ出る滴が、渇きを潤すのを感じる。
やっと、終わる。
根拠も何もないが、彼は救いを確信した。
霞んだ視界の中、手を差し出されているのを理解する。
もちろん拒むことなく手をとる。
彼にとってこの女性はメシア同然なのだから。
「こっち 来て 今 休む」
「はい………」
枯れた声で返し、子羊のように弱々しく立ち上がる。
手を引かれ、群衆を割り、白い部屋から脱出。
白い通路を少し歩いた所にある、また別の白い部屋へ案内され、用意されていた椅子に腰掛けさせられ、頭を優しく撫でられる。
「怖くない? 安心?」
「はい………うぅ………」
優しい、そう思うとまた涙が出てくる。
すでに赤く腫れ、少し痛む目尻を擦り涙を拭うが、止まらない。
唐突に機械音が部屋に響いた。
体をびくつかせ、音の方向を凝視し、警戒。
音の正体は扉の開閉音だった。
少しSFチックな扉から、白衣の男性が踏みいる。
「少し 待て」
そう言うと女性は、男性の方へ向かい、何かを受け取った様だ。
「これ 飲む 安心 する」
グラスに入った透明な液体が差し出されている。
当然アギトは戸惑った、この意味不明な空間で、謎の液体を飲むように指示されているのだから。
だが数秒間を置いて、彼はグラスを受け取り、液体を口に運ぶ。
アギトはこれが夢だと思っているのだ、この女性は夢を終わらせる役割の人、この液体を飲んで、夢から覚める。
よくわからない内容だが、夢なんて記憶の整理のための現象だと聞く、だからこれに意味なんてないし、理解しなくてもいい。
目を覚ませば、よく思い出せない不思議な記憶となって、またいつも通りの日常がある。
一口、二口と、液体を流し込み、飲み干す。
味はなく、水のようなものだった。
すると目の前の女性が突然、アギトの頭部を優しく抱き締める。
胸部に顔が埋まり、頭頂を撫でられ、背中を優しく叩かれる。
「大丈夫 大丈夫」
ヘッドフォンから聞こえてくる言葉、暖かい人肌、奥底からわく眠気。
抗うことはない、これは夢だから。
怖い夢だった、苦しい夢だった。
でもこれで終わる、夢が終わる。
優しい女性に抱かれながら、晴れやかな朝を迎えるんだ。
瞼を落とし、微睡みに青年は沈んだ。
それが睡眠薬の効果とは知らずに。
小さく寝息を立てながら、胸の中で安堵し、意識を失った。
夢の終わりだと、受け入れて。
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