第4話

「それで、結局なんだったの?」


 あれから数日後の週末、林さんとこの奥さんに運悪く捕まった僕は先日の捕物騒ぎの顛末を吐かされていました。


 結局トイレでも浴室でもなく。ベッドの下から出てきた男は観念したように抵抗なく不法侵入の現行犯で捕まったらしいです。


「空き巣だったみたいですよ」


 最近は別居の憂鬱さからの逃避に残業ばかりしてたせいで僕の家は無人の時間帯が多かったから、その隙を狙われたようでした。


「それじゃあ鍵が開かなかったとか奥さんが仰ってたのは」


 元奥さんですけどねと、指摘するのも面倒でした。


「空き巣のテクニックの一つでターゲットの家に侵入している間、玄関の鍵を開けておくものがあるらしいんですよ」


「あら、でもそれじゃあ家の人が帰って来たら、すぐに見つかちゃうんじゃない」


「逆ですよ。家の者は鍵がかかっていると考えているから、一度回して、すでに開いている鍵をかけちゃうんです」


 彼女がやったように。


「すると鍵を二度回すだけの時間が逃げたり隠れたりするために使えるわけです」


「なるほどねぇ、よく考えるものだわ」


「ただ、うちに侵入した男にとって不幸だったのは、うちの人が帰って来た時、ちょうど逃走しようと玄関の前にいたことです」


 そうすると家人が寝静まるまでを室内の何処かでやり過ごすにしても、玄関からではそうやって隠れられるような場所までの距離が遠すぎるし音も立てざるを得ないでしょう。


「だから彼は鍵が回らないようにサムターンを内側から力づくで抑えたんです」


 とっさの判断でしょうけど、本来ならそれが最善手でした。そうすることで扉の向こうの人間は鍵が壊れたと判断して管理人の元へと降りていくでしょうから、その間に玄関から堂々と出て行くことが出来ます。


「しかしそれは、相手がその家の住人ならばの話で――」


「あら、違うの?」


「……」


 墓穴を掘った気がします。


「それはともかく、彼女は男の予想に反して。その場で僕の帰りを待ち始めたわけです」


 その様子を覗き穴から確認した男は表から出られず、かと言ってベランダ側も商店街が正面であるため、雨戸を伝って降りる脱出を誰かに目撃されるリスクが高かったのでしょう。


「そういうわけで、彼はつかの間の猶予で侵入の痕跡を出来るだけ消した後、寝室のベッドの下に潜ってそのまま一晩を明かす覚悟を決めたみたいです」


 明日の朝になればまた家が無人となることを彼は把握していたのですから、安全に逃げることを選ぶならばそちらでしょう。


 その結果僕と彼女のやり取りはすべて、彼に聞かれていたことになります。僕はそのことに気付いてから彼女だけでも部屋の外に逃して、犯人が僕だけが相手なら力で抑えられると考え始める前に、近くの交番に通報してもらう必要がありました。


 筆談に使ったのは彼女にも怪しまれずに何かしらの記述が出来た離婚届でした。その余白にこの部屋に空き巣が潜んでいること、今すぐ交番に駆け込んで欲しい旨を書いて渡し、追い出しました。あり得ないはずの激怒の剣幕で。


「実は僕、表に出して怒ったことが今まで一度もないんですよ」


「そう言えばお二人は幼なじみでしたっけ」


 それで彼女にだけは伝わったのです。これが冗談じゃなく危険な事態なのだと。この性格が産まれて初めて役に立った気がします。


「そういえばそんなことがあったあと、奥さんは今どうしてるんです。最近見ないようですけど」


「……」


 結局はそれが目的でしたか。


「精神的に参ってしまったらしく、ここには居たくないと実家の方から仕事に通っているようです」


「……そうなの」


 妙にいたわりを含んだ笑みのまま、林さんは自分の部屋へと戻っていきました。たぶん一ヶ月前から彼女の姿が見えないことには気付いてらしたでしょうから、嘘だとバレましたね確実に。やっぱり引っ越そうかな。


 しかし、まぁそのことはまた別の機会に悩むとして。僕も残った休日を有意義に過ごすことを目指して、自室に戻ります。


 昼日の差し込むリビングのテーブルの上には朝淹れた珈琲のマグカップ以外、何もありませんでした。結局有耶無耶になったけど、あの人。離婚届を置いて行かなかったんですよね。多少の希望を持ってもいいと思うのは流石に高望みでしょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

合鍵 言無人夢 @nidosina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ