月光編2  干渉

 翌朝。

 宿舎棟で起床したサラは、ドアポストから新聞を抜き取った。

 チェアに腰掛けつつばさりと広げた瞬間、


「――何これ?」


 社会面の記事を目にした彼女は、目が点になった。


『アルテミスグループ警備会社Moon-lights、スティーレイン系施設をテロリストから警護』


 とある。

 さらに、見出しの下にはポイントの小さい字で


『未然に犯行を予知 鮮やかな鎮圧劇』


 ここまではよかったが、記事を目で追っていくと

 ――現場付近にMoon-lightsがいたことで、スティファノサービスは難を逃れたという指摘は避けられない。スティーレイングループ系警備会社Star-lineが到着したのは襲撃予知から四十分余り経過してからであり、同グループのセキュリティ体制について問われる可能性がある。

 ショーコから概ね報告を受けてはいたが、まさかメディアにこういう書かれ方をするなどとは、思いも寄らなかった。守られた、といえば嘘はないが、それ以上にMoon-lightsの対応は常軌を逸していたということも、彼女は聞いていたのである。

 紙面はMoon-lightsを賞賛する一方、いかにもStar-lineに手抜かりがあったかのような調子になっている。どっちが先に到着したかという点だけを抜き出して新聞記事にすれば、そうもなろう。が、問題はその対応にある。聞けば、Moon-lightsの機体はいきなり賊の背後から銃撃を浴びせたというではないか。サラはそういう卑劣なやり方を隊員達に許した覚えはない。

 が、そのあたりは些かも触れられておらず、何も知らない人間が読めば記事の通りに受け取るしかないのである。


「ちょちょちょ、これはないじゃない! 何なのよ、一体?」


 サラは新聞を放り出すと、急いで電話をかけ始めた。


「……あの、おはようございます。サラですが。こんな時間に申し訳ありません。実は――」




 それから一時間後、Star-line本部舎指令室。

 セレアの前に、サラとショーコが並んで立っている。

 この二人が揃って報告に上がることも珍しい。昨夜からの一連の事象を受け、早朝からセレアはStar-line本部舎に出向いてきていた。

 昨日の出動指揮を執ったショーコがセレアに説明している。発報受信から時間を追って出来事を詳細に話して聞かせ、

 

「――という状況でした。残念ながら、賊の一機は本体搭乗部右側を撃ち抜かれておりまして、ドライバーは瀕死の重傷です。病院から聞いた報告では、片腕はほぼ見込みなしだとか。まだ、若いドライバーだそうです」


 黙ってショーコの報告を聞いていたセレア。

 さすがに、いつもの穏やかなそうな表情はなかった。

 苦渋が指す意味は、Star-lineが遅れをとったという記事に対してではないであろう。

 薄曇りの天候のせいか、室内は心持ち暗い。

 沈鬱な面持ちで考え込んでいた彼女は、ややあって顔を上げると


「……サラ隊長にショーコさん。このファー・レイメンティル経済新聞の発行元についてご存じですか?」


 唐突な質問にショーコは面食らったが、隣のサラは


「確か、シェルヴァール経済新聞のSV社ですよね? 向こうでは大手三社に入っている筈ですが」


 新聞を余り読み込んだりしないショーコに比べ、彼女は毎日きちんと隅から隅まで熟読している。それに、社会情勢に対して広く情報をとるようにしているから、それくらいのことは認識していた。

 セレアは軽く頷き


「その通りです。しかもこのSV社、数週間前に報道大手フォン・ソラバーラ系列から離れてアルテミスグループ傘下に入っているのです。他紙に押されて発行部数が落ちて経営難に陥りつつあるところを、上手い具合に買収されたみたいですわ」

「え……」


 互いに顔を見合わせたサラとショーコ。そういう事情があったとは、夢にも思わなかった。

 筋書きが出来すぎている。


「あのー、その話は、どこからどういう……」


 ショーコがおそるおそる尋ねると


「スティーレインと資本提携のあるFRタイムズ社の人から先ほど聞いた話ですわ。ちょっと気になったので、試しに訊いてみたら教えてくれましたの」


 さすがはセレアである。ポイントを的確に押さえている。


「そ、それじゃあ……」

「ええ。どういう見方をしても、作為的であるという印象は拭えません。単に、私達を利用してグループのイメージアップを図る目的なのか、あるいはもっと他に意図があるものなのか。それはよくわかりませんが」

「……こりゃあ、マジ悪質だわ」


 ぼそりと呟くショーコ。

 悪質なのは同感として、サラには一つの懸念がある。


「事は、これで終わるとは思えません。むしろ、私達の隙を衝いてなおもこういった行動を起こしてくる可能性は非常に高いと思われますが」

「私も、そう思いますわ。今にして思えば、二ヶ月前のあの時から既に予兆はあったのですね。これはここだけの話なのですが――」


 セレアは、一昨日財務機構庁舎でヴォルデがアルテミスグループの会長と接触した件を話した。何の脈絡もなくガルフォ会長は不意にStar-lineの名を口にし、意味深な呟きを残して去って行った。それを不審に思ったヴォルデから、二ヶ月前の出動記録について調べておくよう指示があったばかりであるという。


「会長にもそんなことが……」


 半ば呆然としているサラ。ヴォルデにまで話が及んでいる以上、事の重大さを思い知らされたような気がしたのである。

 眉をしかめつつショーコは腕組みをし


「いよいよ、怪しいわね。何を考えているのかわからないというよか、いかにもこう考えてます、的な雰囲気を漂わせてるところが何とも厭らしいじゃない。本心は全然あさっての方向にあるんでしょうね」

「正直なところ、ショーコさんの言う通り、素直にグループのイメージアップを目的としているとは思えません。もっと深刻な、決して私達にとって不利益どころか損害をもたらすような、悪意に満ちた何事かを感じます。……これはお爺さまも同じ考えですが」

「ほ……」


 ヴォルデやセレアと思惑が一致している以上、この段階で自分達があれこれ詮索する必要はなさそうだと二人は思った。この一件、一警備会社の隊長レベルが騒いだところで相手にされるような問題ではない。ヴォルデやセレア級の人間が声を上げたならば、初めて新聞社も襟を正して向き合わざるを得ないであろう。


「ともかく」


 セレアは言う。


「まず、この記事についてはお爺さまも既にご存じですので、対応については私達に任せていただきましょう。一方で、各グループ会社には、賊の襲撃に対する警戒はもちろん、周囲に不審な動きがないかどうかを逐一報告させるようにいたします。さしあたって、対応はそれしかないでしょう。当分、STRは警戒レベルサードで巡回体制を強化させます。Star-lineとしても、しばらくはD2NC体制でお願いします」

「……わかりました」


 二人は頷いて見せた。

 日中は二グループとも待機状態とし、夜間は二グループが交代で警戒にあたる体制である。ほとんど詰めっきりになるので、おちおち休んでいる余裕はない。寝酒が飲めなくなるショーコはちらと憂鬱になったが、そういう我が儘を言っていられる状況ではないと思い直した。以前の彼女であれば、こっそり飲んで知らんぷりを決め込んでいたかも知れないが。

 ショーコの提出した報告書に再び目を落としたあと、セレアは露骨に苦い顔をした。


「……それにしても、テロリストとはいえ、ドライバーも大変な災難に遭ったものです。取り押さえられればどういう手段も問わないというのでは、目的がどうあれテロ行為と何ら変わるところがないと私は思いますわ」


 口調は穏やかだが、言葉裏に彼女の静かな怒りがこもっているようである。

 Star-lineの面々はセレアを筆頭に、根本的に人が傷ついたり死んだりすることが嫌いに出来上がっているらしい。

 実のところ、昨日の救出場面において、コックピットの悲惨な状況を目の当たりにしたユイとミサなどは気を遠くして倒れてしまった。二人が脱落してトレーラーの後部座席で横たわっているという状況で、特にナナとティアの迅速な行動が際だっていた。ティアは血まみれの負傷者にも動ずることなく、いそいそとコックピットから助け出したり止血したりするという甲斐甲斐しい働きをみせた。ショーコなどは


「あのバカ娘がねぇ……」


 と感心したものである。

 その詳細を先ほどショーコから聞かされたセレアは


「サイ君達が懸命に人命救助作業にあたったことは、スティーレイングループ報道室の方から発表するようにします。そうすれば、この記事に対する反論として少しは効果がある筈ですから」


 いい対応だとサラは思った。

 単に記事に対して反論するよりも、人道的な作業をアピールする方がイメージとしてはプラスになるであろう。それに、事実を事実として公表しなければ、Moon-lightsは単なるヒーローに終わってしまう。相手が犯罪者とはいえ、闇で処刑を行う組織などこの市民社会にあってはならないのである。


「繰り返しになるようですが、今後もMoon-lightsが同様の横槍を入れてくる可能性は高い、というよりも間違いないでしょう。大変な負担をかけますが、みなさん、どうかよろしくお願いいたします」


 さっと姿勢を正し、敬礼して見せるサラとショーコ。


「了解しました」


 指令室を出て廊下を歩いていると


「……あれ? サラ、この記事さぁ」


 手にした新聞を眺めていたショーコが素っ頓狂な声を出した。


「何?」

「Moon-lights側の談話が全く書かれていないじゃない。普通、隊長なり誰か、コメントくらい載せるじゃないよ?」


 新聞を受け取って記事を目で追っていくと、確かにショーコの言うとおりである。

 論調に憤慨するあまり、見落としていた。


「本当ね。これじゃ、新聞社が一方的に記事にしたのと同じじゃない。私達にしてみれば、一方的に書かれているんだけど」


 何気なく口にしているうち、サラはハッとした。


(……これ、予定稿のまま!? って、まさかね……)


 そこまで茶番化されている筈はなかろうと思いつつ、疑念は消えない。




 その翌日のこと。

 夕刻、G地区・スティーア総合病院からの緊急発報を受信し、サラとファーストグループが出動した。以前、ナナの祖父・ガイトが腰の痛みを訴えて搬送された病院である。

 が。

 彼等の前には、またもや破壊しつくされた賊機の残骸だけが取り残されていた。


「なにこれ? 賊が全滅しているじゃないのよ」


 サラが呆然としていると、ユイがくいっくいっと彼女の制服の裾を引っ張った。


「たいちょお、この間とおんなじですよぉ。また、黄色い奴らじゃないですかぁ」


 既にこの状況を経験済みの彼女は、今日は落ち着いている。


「……しかも、コックピットハッチも閉じたままね」


 そう呟いて転がっているコックピットブロックの傍へ近寄っていったナナ。例によって何度も強い打撃をくらった形跡があり、装甲はかなりめり込んでしまっている。原型などはすっかり失われている。

 彼女は中の様子を窺うようにしていたが、すぐに振り返り


「……今回もいるわよ。呻き声が聞こえる」

「なんですって!?」


 サラは思わず叫んでいた。

 どこまでふざけた真似をするのだろうと、驚くより先に腹が立った。


「サイ君! 機体を起こして頂戴! ナナちゃんはバックアップ、ユイちゃんは病院に緊急搬送体制をとるように依頼してきて!」

(またこのパターンかよ……)


 内心でぼやきつつ、サイはコックピットにすべり込みMDP−0を起動させた。同じ手口だろうとテロリストだろうと、目の前で大怪我を負って呻いている人間を救助しない訳にはいかない。

 都合二機、よってドライバー二名は間もなく救助され、そのまま病院に収容された。言うまでもなく、瀕死の重傷である。

 ひとまずやることを終えたサラは、病院関係者から目撃した状況を聞き取ることにした。

 病院側の目撃者によると、賊は施設の東側から接近してきたらしい。二機であった。

 慌ててStar-lineと治安維持機構へ通報しつつ患者を避難させようとしていた矢先、南側から黄色い人型のCMDが現れ、またたく間に賊機を仕留めてしまったのだという。


(南側? ってことは……)


 巨大な病院の建物に目をやったサラは、直ぐに理解した。

 病棟は強い朝日や西日を避けるため、南側に窓があるように設計されている。

 つまり、黄色い警備屋の機体は殆どの入院患者の目に触れているということになる。それも、颯爽と現れて悪のテロリストを鮮やかに退治している姿が。


(何て奴らなの……。芝居にもほどがあるわよ)


 呆れて物を言う気にもならない。

 ふと、施設から外来患者らしい中年の女性が出て来た。

 彼女は通り過ぎようとしてサラの姿を目にすると


「……ちょっと、あなた。グループの警備会社なんでしょう? 他所様に守ってもらってどうするのよ。頼りないわね」


 吐き捨てるように苦情をぶつけてきた。


「はあ……。申し訳ございません」


 誰もあの黄色い警備屋に守ってくれなどと頼んだ覚えはない。が、襲撃された側にすればどこの警備会社であれ、早く駆け付けてきたのが正義で遅れた方が怠慢ということになるらしい。これがグループ会社社員なら少しは事態を理解するであろうが、ここは病院である。部外の人間が多数いる。

 世間の見方とはこういうものかと、サラはあらためて思い知った。

 一方で、いいところ取りをして後始末もせずにいなくなったMoon-lightsに対して怒りが込み上げてくる。前回こそ彼女は不在だったが、こうして現場に立ち会うと、その不条理さを嫌というほど感じざるを得ない。

 そうしているうち、東側から白色塗装の大型トレーラーやら装甲車が何台もこちらへ向かってくるのに気が付いた。赤色の回転灯が回っているから、治安維持機構と警察機構である。


(今さらやってきたところで……。どうにもならないわよ)


 車両は病院正門前で停止した。

 と、一台の指揮車から中年の男が降りてきた。

 治安維持機構Bブロック統括長のサエロ・トレッティーノである。

 彼はしかめっ面であたりをしげしげと眺め回していたが、Star-lineの面々に気が付くと途端に相好を崩しながら近寄ってきた。


「これはこれは。大変手際の良いことですな。流石はヴォルデ会長指揮下のStar-lineだ」


 相当嫌みったらしく聞こえるが、これでもこの男の精一杯の世辞らしい。以前ヴォルデに厳しい指摘を受けて以来、サラ達Star-lineに対する態度が一変してしまっていた。

 サラはやれやれ、といった表情で両手をあげ


「……残念ながら。私達の出る幕ではありませんでしたわ」

「ほう? これはまた、謙遜など。そうすると、この賊機を片付けたのは一体……」


 厄介な連中相手に彼女はかなり物憂くなっていたが、状況を詳しく説明してやった。


「――そういうことですので。あとの実況見分はよろしくお願いします。必要なことがありましたら、Star-lineとしては協力いたしますので」

「いや、ご協力感謝しますぞ。テロリストとはいえ、人間の端くれですからな。あとは、我々と警察機構の仕事ということで。――おい、二、三人来い! まずは病院関係者と――」


 これ以上、ここにいてもStar-lineとしてはどうすることもできない。

 レシーバーのマイクをつまみ上げ


「……みんな、聞こえてる? 警察機構も来たし、私達は撤収します。サイ君はMDP-0をキャリアアップして頂戴。デッキダウンが完了したら一報よろしくね、ナナちゃん」

『了解』


 撤収の指示を出しつつ自分も特殊装甲車に乗り込もうとした時である。

 通りの反対側から、一人の男が近寄ってきた。

 歳の頃は三十代であろう。ちょっとよれたラフな服装に、肩掛けの鞄を持っている。気配に気が付いたサラが視線を走らせると、彼はペコといい加減に頭を下げて見せた。軽く愛想笑いをしているが、目が笑っていない。


「私、こういう者なんですが。――ちょっとだけ、お話聞かせてもらえませんかね?」


 そう言ってちらと見せた名刺には『ファー・レイメンティル経済新聞 社会部 ドエン・ボウ』とあった。

 例の新聞社である。

 既にサラは身構えている。


「お話と言いますと? グループ施設を警護出来ていないことについてでしょうか?」


 自然と口調にトゲを含んでしまう。そもそも、アポもなくこっそりと忍び寄ってくるという真似をされた時点で、相当不愉快になっている。


「先日、おたくの報道室から声明がありましたよね? うちの記事内容のことで。確か、テロリストといえども人命救助をすべきである、でしたっけ?」


 嫌な予感がした。

 もしかすると、スティーレイン側からそういう発表がなされることを見越してああいった記事に仕立てあげていたのではなかろうか? とすれば、こちらは思惑にはまってしまったということになる。

 相手に邪な意図がある以上、揚げ足をとられるようなことになっては敵わない。


「上の許可なく取材を受けることは出来ませんので。報道室の方を通してください」


 口早に言い捨てて作業に戻ろうとしたサラ。

 が、ドエンはしつこかった。


「そう言わないでくださいよ。あの記事にしたって、私が書いたものじゃないんですから。……それより、どうなんです? 昨年発表された国家機構の新テロ対策実行プログラム骨子では、破壊行為についてはその阻止と被害の最小化を最優先とする、とあった筈ですよね? ところが、おたくのこの間の声明じゃ、この骨子とどうも一致してないと思いませんか? ねぇ、どうなんです?」


 どうにもサラは、こういうねちっこい男には生理的嫌悪感を覚える性質である。

 思わず怒鳴りつけてしまいそうになるのを、気が遠くなるような思いで我慢していた。


「一部では、テロ組織を擁護する発言ともとれる、という識者の声すらあるみたいですよ。このまま黙っていたら、なおもどういう印象を与えるかわからないと思いますがねぇ。……私も急がしいんですよ。何とか、コメントいただけませんかね?」


 二流、三流記者のメディア記者とは常にこういうものである。

 一方的に取材を仕掛けておいて、自分の都合をどうのこうのと言い始める。取材対象への配慮などは微塵もあったためしがない。記事も記事なら書き手も書き手、低俗下劣であることこの上ない。取材した事実に基づいて記事を書くのではなく、最初から記事の内容ありきで、それに都合のいい言質を引き出すために対象に接近する。

 記者というのは一般に卑しい職業といわれるが、職業自体が卑しい理由はないであろう。

 それに就く人間に、心の卑しい者がいるだけのことである。

 本来は事実を事実として自分の足で集めたことを広く世に知らしめる崇高な使命であるといっていい。

 大体、新テロ対策プログラムには「その構成員を無条件に殺傷してもやむを得ない」などとは一字も述べられていない。破壊行為を阻止できたならば、賊機のドライバーの人命は守られなければならない。このドエンが言っているのは記者がよくやる誘導のためのこじつけである。ちょっと考えれば、そういう関連性でもってとらえる必要は全くないといっていいことがわかるものである。


「言った通りです。私からは何もお話できません」


 言い捨てざま背を向けようとした。

 これ以上、相手にするだけ時間の無駄である。


「待ってくださいよ! まだ何も――」


 ドエンがそう言って腕をつかんできた時、ついにサラは我慢の限界がきた。


「いい加減に――」


 振り返りざま怒鳴るか殴るか、してしまいそうになった瞬間である。


「……隊長」


 目の前に、いつやってきたのか、ナナがいた。

 彼女は無表情のまま、


「あたしが、相手するから。隊長は病院側との最終確認をお願いします」

「あ……? え、ナナちゃんが? でも、こいつは――」


 思わずこいつ呼ばわりしてしまった。ナナの意外な申し出に、戸惑うサラ。

 が、例え隊長のサラの発現でなくとも、この下品な記者は何らかの形でStar-lineの発言として言質を取るであろう。彼女は一瞬そのことを心配した。

 ナナはサラに視線をやって軽く頷きつつ、ビシッとドエンを指した。


「……そこのあなた。隊長は忙しいから、あたしが代わりに聞くわ。いいでしょ?」


 サラとナナの顔を交互に見つめていたドエン。やがて下品な笑みを浮かべ


「まあ、いいですよ。お話が聞けるのであれば、誰でも」




「ひーっひっひっひ――」


 床に転がって笑っているショーコ。


「バッカじゃないの、そいつ。自業自得じゃん」

 その傍らでは、ティアやシェフィ、ブルーナがやはり笑っていた。

 本部舎に戻ってくるや、G地区での一部始終をユイが話して聞かせたのである。

 ――サラが柄の悪い記者・ドエンに取り付かれて困っていると、ナナがやってきて彼女と代わった。

 ドエンはデジタルレコーダーの集音部をぐっと彼女の顔に突き付け


「じゃあですね、テロ対策実行プログラムとおたくの声明との関連について……どうです?」

「……」

「質問の意味、わかってる? 要は――」


 先ほどサラにぶつけた質問を、ドエンは繰り返した。


「……」


 ナナは口を開こうとしない。

 魚のように表情を鈍くしたまま、じっとドエンの顔を見つめている。

 次第に、彼はイライラし始めた。


「ああっ、だから! こっちも忙しいんだよ。答えられないなら、誰か話のわかる人連れてきてよ。さっきの隊長さんとかさぁ」


 なおも沈黙を守り続けているナナ。

 ドエンがかぶせて何かを言いかけようとした、その時であった。


「――ああっ! この嘘つき野郎じゃねぇか! やっと見つけたぞ!」


 荒々しい男の声がした。

 ハッとして振り返るドエン。

 その先には数人の男達がいて、形相凄まじく彼を睨み付けている。


「手前ェ! よくもあんな嘘を書きやがって! 」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 違うんだ! 上の者から言われて――」


 思いも寄らぬところで望まぬ相手に遭遇してしまったせいであろう。

 彼は慌てふためいた様子で、二、三歩後ずさった。


「るっせぇこの野郎! タダで済むと思うな!」


 何がどういう事情なのか、Star-lineの面々にはさっぱりわからない。

 が、彼らがこのドエンの書いたろくでもない記事によって被害を被った連中なのであろうということだけはとにかく理解できる。

 Star-lineへの取材どころではなくなったドエン。這々の体で逃げ出した。

 西へと駆けていった彼を追って、男達も走っていく。傍にいたナナやサラには目もくれない。

 この分では、つかまってどつき回されるのも時間の問題であろう。この辺りは区画整備が進んでいて身を隠すのに相応しい場所などない。

 見る見る遠ざかっていく彼らの背中を呆然と眺めていたサラに


「……どうします? 隊長。あいつ、無事に帰れるとは思えませんが」


 まったりとした調子で、サイが尋ねた。


「え、ええ……。せめて、警察機構に通報くらいしておこうかしらね。まさか、殺されはしないと思うけど」


 サラは自分が乗ってきた特殊装甲車の方へと走っていった。警察機構に通報するつもりらしい。

 程なく、男達が向かった方角から


「勘弁してくれ!」


 という悲鳴のような声、それに怒号が聞こえてきた。ドエンは追いつかれてしまったらしい。

 あの激怒した男達の調子ならば、少なくとも何発かは無条件でどつかれるであろう。

 が、サイは助けに行こうとするでもなく


「――やっぱり、ダメみたいだな」


 ナナはサイの顔を見て微笑し


「そうね。でも、あの人が自分で招いた災いだから、どうしようもないじゃない?」

「ああいうことになるって、気付いていたのか?」

「何となく、ね。あの人にすごく良くない気配が感じられたのよ。何かあるんじゃないかと思ってたら隊長が迷惑させられてたんで、代わってみた。……案の定だったけど」


 と、事も無げなナナ。

 ――この出動の状況はその夜、すぐセレアの耳に入った。

 サラから逐一報告を受けた彼女だけは別な反応を示した。


「……確かに、緊急発報受信から現場到着まで、十五分だったのですね?」

「間違いありません。端末にもログが残っていますが、通信が1758、G地区は直ぐ目と鼻の先ですので、急行して記録を開始したのが1812です。ファーストグループはSSで待機でしたから、一分かからずに出動が可能な状態でした」


 セレアはくるりと背を向け、しばらく窓の外の闇を見つめていた。

 やがて彼女の長く美しい髪がゆったりと揺れ、再びこちらを向き


「――サラ隊長。到着から制圧、撤収までものの十五分で可能だとお思いになりますか?」


 ああそういうことか、と頓悟した。

 彼女も同様の疑問に突き当たっていたのである。

 余りにも、早すぎる。


「つまり――」

「ええ。おかしなこともあるものですね」




 そんな折、技術提携の関係にあるハドレッタ・インダストリー社の開発部担当がStar-lineを訪れた。

 ジェノア・フィールという中年の女性技術者で、希にこうしてやってくることがある。ハドレッタからCMD可動部の技術試供を受けているためで、DX−2に搭載しているそれの具合に関する聞き取り調査である。

 ファー・レイメンティル州とネガストレイト州にわたって成長したハドレッタ・インダストリー社はCMD業界最大手といっていい。両州におけるCMDシェアの約四割強を占めており、スティケリア・アーヴィル重工が及ぶところではない。土木作業用重機が主力商品だが、次世代機開発プロジェクトにおいて技術革新の必要に迫られ、素材研究開発で一歩リードしているスティケリア・アーヴィル重工と技術提携を結ぶことで合意に至った。独自の制御システム・ボディフレームのノウハウを蓄積していたハドレッタからの技術供与は、その面で遅れがちなスティケリアとしても渡りに船といえた。


「いやいや、困ったものですよ、あの黄色い警備屋には」


 応接ソファに腰掛けるなり、ジェノアがこぼし始めた。


「どこからともなく現れて、勝手に警備行為を始めるものですから。こちらはこちらで正規に契約した警備会社もありますし、ある程度なら施設警護が可能な警備組織ももっているんですよね」


 聞いていたショーコは苦笑いしながら


「ニュースは観ていますよ。うちだけかと思っていたら、ハドレッタさんにもちょっかいを出していたんですねぇ。ホント、何考えているのかわからないですよ、あの黄色い警備屋は」


 そういうネーミングが定着しつつある。

 ファー・レイメンティルのどこを探しても、ああまで派手な塗装を施したCMDなど、あれ以外には見つからないであろう。何故あの色なのか、事あるごとにショーコやサイ、ユイの話題にあがってはくるものの、誰もその理由がわからない。

 そして自分達だけが根拠の不明な警備妨害行為を受けているのかと思っていると、一昨日はハドレッタ・インダストリー社のセカンドファクトリーでも同様の事象があったとのニュースが流れた。手口は一緒で、所属不明な機体の接近を察知して専属の警備部隊が出動してみると、既に所属不明機はスクラップになって転がっていたという。目撃証言によれば、黄色く塗装された完全人型機が現れて工場内に侵入しようとした所属不明機二機をあっという間に屠っていってしまったらしい。

 ショーコが言ったのはその一件である。

 が、ジェノアは笑わずに


「昨晩はミネアノスさんでもやられたそうですよ。どこまでふざけた真似をするんだか」

「ミネアノスも!?」


 これにはショーコも驚いた。

 ミネアノス重工はハドレッタに次ぐ大手CMDメーカーである。CMD制御システムに秀でている同社は各種作業用CMDの製造を主としているが、ファー・レイメンティルを主な基盤としており、ハドレッタほど他州・他国でのシェア率は高くない。言ってみれば、テロ組織に目を付けられるべき動機は決して強くないといっていい。実際、ここしばらくミネアノスを狙ったテロ行為はほとんど報道されていない。


「あそこは社長さんが昔気質の頑固な方でしょう? たいそうお冠だそうでして、アルテミス社には早急に抗議をするそうですよ。それで、どうせなら連名でも構わないって、当社に打診があったんです。――ああ、御社のヴォルデ会長とは確か親しい方でしたよね? 今頃、会長さんの方にもお話がいってるのではないかしら」


 独り言でも呟くように言って、溜息をついたジェノア。


「……あの黄色い警備屋、後始末、しなかったんじゃありません?」


 ショーコが含みを込めた質問を投げると、ジェノアは思い出したと言わんばかりに身を乗り出し


「ええ、ええ、そうなんですよ! 御社のケースもそうだったと伺っていますけど、うちの時もそうだったんですのよ! コックピットブロックを一撃して稼働障害を起こさせてから腕部や脚部を裂撃したりなんかして、何て残忍な手口なんでしょう! 事もあろうに、ドライバーがそのまま置き去りにされていたんですから。相手がテロリストだからって、負傷させたまま放っておくなんて、人間のすることじゃありませんよ」


 いささか興奮気味にまくし立て、しまいには卓をドンと一撃した。

 普段は落ち着いた技術者風だが、ふとした瞬間に一般の中年婦人を垣間見せるこのジェノアが、ショーコは嫌いではない。他所の家庭の噂話に興味があっても、人が傷ついたり死んだりするような話になると嫌悪感を示すというのは、正常な中年婦人の反応であろう。

 ふと表情を消したショーコ。


「あたしも、久しぶりにあんなものを見せられましたよ。怪我をして血まみれになっている人間なんて。職務上仕方がないとはいえ、出来れば遭遇したくないものです」


 脳裏に、片腕を酷く損傷してシートの上で苦しんでいるまだ若いドライバーの姿が浮かんだ。

 結局、彼は片腕を失ったという。


(やっとこさ、忘れられそうだったのに……)


 ようやく薄れつつある遠い、忌まわしい記憶を呼び覚まされたようで、胸の奥がキュッと疼くように痛みだした。


「――ショーコさん? 何か……?」

「あ? いえ、あ、はは……すみません。何度思い返しても嫌なものだなぁ、って」


 ほんの一瞬、呆っとしてしまっていたらしい。


「ともかく、あんなことは絶対に許せませんわ! 次に何かあったら、タダじゃおきませんことよ!」

「……同感です。テロは絶対に悪ですが、そもそも人間を傷つけ命を奪うこと自体が悪ですから」


 互いに現場間での連携を密にしましょう、と言ってジェノアは帰って行った。




 夜、サラがハンガーから戻ってくると、オフィスでショーコがテレビを観ていた。


「……ショーコ、DX-2のBサス、大分余っていたわよね? あれ、どこかに保管してあるかしら?」


 応接用のソファに踏ん反り返っていたショーコ。作業服の胸元が大胆に開けっぴろげで、しかも脚をどっかんと卓の上に乗せている。

 彼女はぐりっと首だけを傾け


「ああ、あれね。バカ娘が大量に発注してくれたから、当分困らないわよ。――なんか使うの?」

「ええ。スティケリアの方で、余っているなら引き受けるからって連絡が。――ショーコったら、ひどい姿よ? 嫁入り前なんだから、誰も見ていなくてもそんな格好しないの。胸元そんなに見せちゃって、サイ君とかリベルさんが入ってきたらどうするのよ?」


 ショーコは傍にあったファイルケースを扇いで胸元に風を送りながら


「だって、今日は蒸すんだもの。リベルさんならちょっと困るけど、サイ君ならぜーんぜん。幾らでもどーぞー、って。こんなんでいいなら」

「……ナナちゃんに嫌われるわよ」


 今思い出しても、あの嫌われ方はぞっとする。最初から敵視されることのなかったショーコは、その恐ろしさが理解できないらしい。

 ショーコに苦情を述べても糠釘にしかならないことを知っているサラは、それ以上何も言わないことにした。言ったところで聞くでもなし、かといって、隊員達の前ではそういう姿を見せるような彼女でもないことは、理解しているつもりである。

 デスクに戻ろうとしてふとテレビの画面に目をやった。

 画面の奥で、無数の数字がチカチカと目まぐるしく変動している。株価情報の番組であった。

 じっと株価情報を眺めているショーコの姿に、サラはどこか滑稽な感じがして


「ショーコ、あなた、株なんか買うの?」


 軽くからかってみるとショーコは


「いんや−。あたしは未来の心配より今日の楽を選ぶわよ。株なんかに投資するくらいなら、思いっきり上等の酒でも飲むわ」


 リベルに味見させてもらった、オールド・クラシック・エクセレント四十年の芳香を思い出していた。


(そうよね。そう言うと思った)


 将来のことをちまちま考えるようなショーコなど、どうもしっくりこない。

 チェアに腰掛けて日誌を書こうとしていると


「……ここ最近、上がっているみたいよ。アルテミスグループ各社の株」


 ショーコがそんなことを言った。

 日誌を書くペンを走らせながら


「そう……。Moon-lightsが悪さを仕出かしたところで、製造部門やサービス関連会社は関係ないでしょうからねぇ」


 とまで呟いてみて、サラはふと手を停めた。


(確かに、関係はないけど――でも、急っていえば急よね)




 数日後、スティーレイングループ会長ヴォルデを筆頭に、独自の警備会社を有する大手CMDメーカー数社のトップは連名でアルテミスグループに対して正式に抗議文を送付した。

 このことは国内ニュースで比較的大きく取り上げられた。

 翌日、アルテミスグループ会長・ガルフォから正式に


『この度の数件にわたるMoon-lightsのテロリスト鎮圧行為については、定期巡回の際にテロ行為に及ぼうとしている賊を発見し、未然にその防止に努めたものであることが調査の結果判明した。凶悪なテロリストを制圧するという治安維持の視点からいえば必ずしもMoon-lightsの行為に非を認めるものではない。しかしながら、やり方に行き過ぎがあった観は否定できない。陳謝する』


 との長くないコメントが出された。

 大手マスコミ各社は、一連の行動がアルテミスグループのイメージアップを狙った社会的デモンストレーションではないかという記事を掲載したが、真の意図がどこにあるのかは誰もわからない。


「まったく。謝るくらいならやるなっつーの。バッカじゃなかろうか」


 朝、ソファに仰け反って新聞を開きながらショーコが呟いた。

 横でそれを聞いたサイは


「……あるいは、バカの真似を装っているのかも知れませんよ? だとすれば、よほど性質が悪いですよね」

「でもね、サイ君」


 ぐりっと首を向けたショーコ。


「結局、バカの真似なんかできっこないのよ。バカを装った行為に及ぶ時点で、そもそもが愚劣なんだもの。本当にアタマのいい悪党だったら、こんなやり口なんかしやしないわ」


 そうかもしれない、サイは素直に思った。

 ――ともあれ、ガルフォ会長の声明以来、Moon-lightsの不可解な行動はぴたりと鳴りを潜めた。

 しかしながら奇妙なことに、あれだけ頻発していたスティーレイングループ施設ほかCMD大手各社施設への襲撃事件もまた同時に発生しなくなっていたのである。奇妙といえば奇妙であった。

 Moon-lightsと襲撃事件との関連性を疑っているサラやセレアは内々に調査を進めてみたものの、どういう手がかりも得ることはできないままであった。

 やがて、この事象はこれといった進展もないまま一旦収束を迎えたかのように思われた。

 Star-lineにあってはセレアの指示によってD2NC体制も解除され、寝酒が恋しいショーコやリベルには喜ばしい状況となった。

 そんなある日の夜のこと。

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