月光編1  忍び寄る気配

 見上げれば、かすんだ夜空に突き出された高層ビル群が放つ光が目に痛い。

 が、天上とは対照的に、この足元の暗さたるやどうであろう。

 ハイウェイや軌道交通システムが地上を離れて宙に張り巡らされたその結果、地上は建築物の基礎や橋脚が据えられるだけの存在となり、まともに整備されている箇所を探す方が難しくなっていた。

 昼間ですら光のないこの地上には、夜にも当然あろう筈がない。


『――ひいぃぃっ! か、勘弁してくれぇ!』


 暗がりで、両手足を引き千切られ粉砕され、首すらもぎ取られてボディだけになって転がっているCMDがある。

 その辛うじて活きているらしいスピーカーから、泣き叫ぶ男の声がする。

 そこへ、一機のCMDがゆっくりと歩み寄って行く。

 完全な人型をしたその機体は、天から零れ落ちてくる光を受けて、時折ちらりちらりと黄色く輝いた。

 右手マニピュレータには、ごろりとした不格好な頭部を掴んでいる。それをぽいと無造作に背後へ放り投げるや、ぴたりと歩みを止めた。


『……勘弁してくれって? へぇ、自分らは散々暴れたくせに、いざとなったら泣いて許しを請うんだ? 笑える』


 若い女性の声である。落ち着きすぎていて、むしろ冷酷さすら感じさせる。

 頭部メインカメラを保護しているガードフィルタがピンク色に発光した。

 そうしてすうっと右脚をあげると


『つか、許す訳ないじゃん――』


 次の瞬間。

 ドキャン! と鈍い金属音が闇に轟き渡った。

 完全に原型を失ったコックピットブロック。ハッチが無惨にひしゃげ、大きくへこんでいる。

 そこからはもう、哀れな男の声が聞こえてくることはなかった。




 放り出した数枚の資料が卓の上に散った。


「――ってことで、結論は失格。あんな危ないもの搭載した機体に乗せるドライバーなんて、何人いても足りやしないわよ」


 ソファに踏ん反り返ったまま、突き付けるように言うショーコ。

 対している初老の技術者・ロイは一枚一枚丁寧に資料を集めながら


「確かに、仰るとおりです。多くの稼動実績を元にしたとはいえ、それを検討した人間が実地を踏んでいないというのは大きな誤算でしたな。全く、机上のプランでした。なんともお恥かしい」

「……しかし、対外感知機連動制御機構のあり方として、MCOSSが決して間違っていたとは言えないのではないでしょうか? 幾ら鍛えた軍人だって生身で銃砲火を受け止めることはできないように、どこまで技術水準を高めたとしても、予期しない状況は存在します。軍用の強力なジャミングが市中で使用されるだなんて、これはレア中のレアケースなのでは――」


 その隣に座っている若い技術者は不満を露にした。自分達が総力を結集して開発した技術にケチをつけられてはたまったものではないであろう。

 が、ショーコは冷然としている。


「それは仕方ないし、あたしもサラもそのことをどうこう言うつもりはないの。ただ、いざとなったら素直に引っ込んでくれるようなシステムじゃないと迷惑なのよ。稼動記録、みたんでしょ? 動かないプログラムにいつまでも強制介入されてご覧なさい。乗ってるドライバーが幾ら腕利きだって、なぶり殺しにされるだけじゃない」

「……」


 彼女の言わんとしていることが判らないではない若い技術者。何かを言いかけたが、ぐっと黙った。

 言うべきことを伝えたと思ったショーコは、流れ始めた沈黙を潮に立ち上がった。


「MDP-0のリアルテイスティング実績については、引き続きお届けいたします。ただし、今後我々としてはMCOSSの搭載は控えさせていただきます。連動しているNセンサーは機体外部周辺状況をドライバーに詳細に伝達できるという点でそのままでも十分な効果を上げていますから、この稼働概況だけでも十分有力なデータにはなると思いますよ?」

「いや、よくわかりました」


 ロイ、そして若い技術者も立ち上がり


「MDP-0の運用につきましては、貴殿方Star-lineに全面的にお任せいたします。その方がよい記録を得られることにつながりましょう」

「無理を言って申し訳ありません。ご協力に感謝します」


 そう言って差し出したショーコの手を、ロイは握り返した。

 彼女が部屋から出て行くと、若い技術者は大きく溜息をついた。


「……Star-lineの言い分はわかりますが、ああいう言い方をしなくとも」


 いかにも好々爺といった趣きのロイはフフ、と穏やかに笑い


「研究者というものは、自分で自分のハードルを決めてしまう癖がある。それを高めてくれているのだから、冥利というものではないかな。――また一つ、やり甲斐ができたよ、私は」




「――ただいま」

「あ、ショーコさん。お帰りなさい!」


 快活なユイの声が飛んできた。

 持ち帰った書類を自分のデスクにどさどさとぶちまけながらショーコは


「あれ? サラは? 今日なんか予定入っていたっけ?」


 下を向いて書類を書いていたブルーナが顔を上げた。


「サラ隊長なら、今お客様がみえています。警察機構の刑事さんですわ」

「刑事? 最近、なんかあったっけ?」


 ここひと月ほど、警察機構と仲良くしなければならないような出動は起きていない。

 ショーコが首をひねっていると


「……多分、昨日Q地区であったCMD乱闘事件のことじゃないですかぁ? 活動を始めようとしたテリエラ機が何者かに襲われて、ドライバーが瀕死の重傷を負ったらしいですよ」


 朝はテレビから始まる早聞きのユイがそんなことを口にした。


「ふーん。テロ行為を未然に防いだのはいいとして、やり過ぎよね。……どこのどいつかしら?」




 応接室では、サラが若い刑事二人と話しこんでいた。


「では、最も直前の出動は先月二十六日にI地区でのグループ役員警護、ということで間違いないですね?」

「ええ。新人が四人も入ってきて体制も変わったものですから、今しばらく養成に時間がかかりそうなんです。こうやって篭っているのも、いいんだか悪いんだか……」


 何かと打ち合わせの多いこの二人の刑事とは、サラはすっかり顔馴染みになっている。

 ディットという男性刑事に、ミジェーヌというこちらは女性の刑事である。両者とも警察機構に入ってからまだ何年と経っていないバリバリの新人なのであった。モノクロのスーツがまだどこかぎこちない感じすらしている。

 彼女が隊の原状を仕方なさそうに言うと、彼等は可笑しそうに


「いいことじゃないですか。我々なんぞ、新入りは即刻外に出されて夜まで署に戻らせてもらえないんですから。体で覚えるのが教育だのなんだのって……。本当、体育会系ですよ、警察機構は」


 肝心の用件が済み、ディットがどうでもよい話を始めたのを機にミジェーヌは


「では、これにて失礼いたします。ご協力、ありがとうございました」


 立ち上がった。

 一礼して部屋を出ようとしたとき、ディットがふと、


「……そうそう。こっそり、ですけど耳に入れておきますね」


 声を潜め


「例のA地区襲撃事件で逮捕されたリン・ゼールの主犯格の二名、いましたよね?」

「え、ええ」


 実際に本人達と面会したりはしていないが、色々と聞いてはいる。うち一人は、ナナを狙撃した男であるという。

 ディットの目が鋭くなった。


「……この二人、先日立て続けに病死しちまったんですよ。まだ取り調べの途中だってのに」

「まぁ! 死んだなんて、どうしてまた――」


 サラは素直に驚いた。


「――それも、急にですよ。ちょっと様子がおかしいといっていたら、翌朝には独房で息をしていなかったらしいんです。司法解剖の結果、体内から有毒物質が検出されたみたいです。それも、体内に長いこと蓄積されて初めて有害になるような、微妙なヤツだとか」


 忌むべき話ではないか。

 サイやナナに危害を加えたテロリスト達であるとはいえ、そうやって使い捨てされ、果ては命まで奪われるなど、あっていいことではない。

 複雑になろうとする心境を抑えつつ、サラは


「手の込んだ口封じよね。捕まってから、多少は供述しちゃったんでしょ?」

「ええ、まあ。顔に傷のある狙撃者の男、グロッドっていうんですが、多少自白したんですが、ドライバーの方はだんまりのままだったんですがね。……って言っても、このタイミングは普通じゃないですよ。捕まってそろそろ何か言いかけるかも知れないって時に効いてくる毒物なんて。どこでどうやって摂取してしまったのかを調べにかかってんですがね。雲をつかむような話で、さっぱり」


 お手上げ、という仕草をして見せたディット。そうして二人は帰って行った。


「……」


 怒りとも何とも言いようのない気持ちで、しばらく二人の出て行った入り口を眺めていたサラ。

 所詮、どれだけ綺麗事を並べようと、テロ組織など人でなしの集まりでしかない。

 脳裏に、テロ事件で殉職した兄の姿がある。




「――ってことでぇ、MCOSSは正式に搭載見送りでスティケリアの方も了承……」


 喋りながらショーコは、ポケットからナットを一つ取り出し、斜め前に向かって放り投げた。

 ナットは緩い放物線を描いて宙を飛び、ティアの後頭部へ落下していった。彼女は丁度机にほぼ突っ伏すような姿勢でいたから、後頭部が天井を向いていたのである。つまりは居眠りをしていた。

 ナットとはいえ、CMD用のそれである。

 カン、と軽い音に続けて


「――いったぁ! 何か降ってきたー!」


 がばっと跳ね起きるや、大声で騒ぎ出したティア。

 そんな彼女にちらりと一瞥をくれながら


「……次はあんたの脳みそに直接叩き込むわよ。ミーティングの最中に居眠りこくなって、前にも言わなかったかしら!?」


 いつの間にかショーコの手には、二個目のナットが握られていた。

 それを見たティアは顔面蒼白になり


「す、すみませんでした……」


 大人しくチェアに座り直した。

 ショーコは仕切りなおすようにぐるりと一同を見渡し


「失礼。堂々と居眠りしているバカがいたものだから」


 ユイやリファが一瞬ニヤリとし、サイとブルーナが仕方なさそうな苦笑を浮かべた。


「――で、なんだっけ? そうそう、だからもうスティケリアに気を遣わなくて大丈夫だからってことで。あたしの報告、お終い!」


 どっかとチェアに腰を下ろした。

 替わってその隣にいたサラがすっくと立ち上がった。


「……これで伝えるべきことは伝えたんだけど。あと、みんなから何かある?」


 すると、チェアを蹴って立ち上がった娘がいる。

 ティアであった。


「はい! はい! あのぉ、このあい――」

「却下します」


 目も合わせることなくサラは切り捨てた。

 それでも怯まないティア。


「あの、違うんです! イヌを飼っちゃ駄目なのはわかりました! でも、でも、ウサ――」

「却下します」


 繰り返し冷厳と言い放ったサラ。キッと彼女を見据え


「もう一度だけ言います。生物学上、人間に分類されている生き物以外の立ち入りならびに侵入は一切許可しません。昆虫、爬虫類、両生類から恐竜、妖怪、幽霊その他諸々」


 ビシッと指を差し


「――ぜぇったいに駄目ですからね! 持ち込んだ暁には無給労働一ヶ月の懲罰、ああ、一匹につきひと月ですからね!」

「えぇっ! そんなぁ……」


 ティアはしゅんとして腰を下ろしてしまった。

 それを見たユイは隣のサイに


「ティアったら、この前ヘンなネズミみたいな生き物、こっそり飼おうとしてたんですよぉ。それが脱走して隊長の部屋に忍び込んだから、もう大変」


 こそりと囁いた。


(成る程……。それで隊長、ああまで言い切ったのか)


 内心で合点がいったサイ。

 男女別になっているとはいえ、宿舎棟は同じ敷地内にある。

 つい先日の深夜、サイがごろごろしながら自室でテレビを観ていると、どこからともなくひときわ大きな悲鳴が聞こえてきた。何事だろうと一瞬ハッとしたサイだが、そのままテレビを観続けた。

 重点警戒特区であるこのL地区では、そうそう物騒な事件は起こり得ない。よりによってこのStar-line本部舎施設内にあってはなおさらのことである。

 どうせ女性陣の誰かがゴキブリでも発見して騒いだのだろうとサイはタカをくくっていた。


(にしても……。あれ、隊長の声じゃないかな……?)


 ちらと思ったが、どうでもいいので放っておいたのであった。

 新体制発足からふた月ばかり。

 サラやショーコの苦労の甲斐あって、あれだけ問題ばかり起こしていたティア、そして天然娘のミサもようやく改善がみられるようになってきた。ショーコが観察するところ、サラの努力はもちろんだが、ティアの心を何より突き動かしたのは、どうやらナナの存在らしい。

 私服姿で気の向くままに振舞っていた彼女がある日を境に制服に着替え、サラの指示に忠実に服するようになった。ナナだって好き勝手にやっている、そう思っていたティアであったが、謹慎が解けて復職してきた矢先に、このことは大きな衝撃を与えたようであった。

 相変わらず凡ミスは繰り返すものの、以前のように開き直ったりすることをせず、侘びを入れては復旧に努めるような姿勢が見られるようになり、サラは


「良かった。あのコも少しは反省してくれたみたいね」


 素直に喜んでみせた。

 そういう一連の仕掛けは実はショーコが仕組んだものだが、彼女は口を噤んで言わない。サラを助けると公言した以上、その通りにしただけだと思っている。

 ただ――仕事上では態度を改めたものの、プライベートになるとティアは時々周囲が理解しかねる行為を行うことが時々あった。それはまあそれだとショーコは大目にみていたが、どうやらその被害を受けたらしいサラが、今度は容赦しなくなっていたのである。

 きっぱりと引導を渡したサラは何事もなかったかのように


「何もないみたいね。……じゃ、ミーティングはこれでお終い」

 

 言いかけたが、ふと思い出したように


「そうそう。みんなにも伝えておくわね、例のテロの一件」


 立ち上がりかけたサイやシェフィ、ユイがそのままの姿勢でサラの方を見た。


「二ヶ月前にスティリアム物理工学研究所襲撃事件があったわよね? STRが不意打ちを受けて負傷者が出た時の方ね。あの時に逮捕された主犯格の男が二人いたんだけど――」


 ああ、あのバカ丸出しの殺人ドライバーか。

 サイの脳裏に、あの時の交戦場面が浮かんできた。彼等の仕掛けた罠によってMDP―0が動作不良を起こし、危うく彼は死にかけたのである。


「……ついこの前、二人とも立て続けに病死したそうです」


 サラの言葉に、場の空気が一瞬凍りついた。

 彼女の横でショーコが眉をしかめている。


「病死? 何でまた」


 さっき刑事から聞いたままを、サラは話して聞かせた。


「どうやら、テロ組織の方では元から消す算段でいたのではないかと警察はみているようです。あれ以来リン・ゼールも鳴りを潜めていますが、こうなってくるとまた何をやりだすかわかったものではありません。みんなも、くれぐれも気をつけてください。――特に、ティア!」

「へ……? あたし?」


 名指しされたティアがぽかんとしている。

 サラは表情をぐっと険しくして


「夜になるとあちこち遊び回ってるでしょう!? 先日も、見知らぬ部外の人間を宿舎棟に連れ込もうとしたりして。男の人か女の人かは知りませんが」

「げげっ! 何で隊長、それを……?」


 ティアがじりっと後退りする。


「ここをどこだと思ってるの? CMD専門とはいえ、警備会社なんですからね! ――ああ、そうだ」


 名案が浮かんだとばかりに、サラはにっこりと微笑んでみせた。


「……あなたに限っては、人間を含めた生物学上全ての生き物の持込を厳禁しますから。特に、ヒトの形をした生き物の場合、無給労働三ヶ月ってところで」

「……生き物に限定していいの? そのうち、アンドロイドなんか連れ込むかも知れないわよ」


 ショーコがとどめを刺した。


「ふえぇ……」


 がくりと肩を落とし、ティアは力なくミーティングルームを出て行った。


「何だって、あんなに色々持ち込もうとするんだ? あのコは」

「……さぁ? 自分を省みる習性のない人間ほど、自分以外の何かに興味を持ちたがるのよね」


 サイの疑問に、事も無げに答えたナナ。

 ――まだまだ、ティアが周囲の理解を得られるには時間がかかりそうである。




 秘書が話す声に耳を傾けていたヴォルデは、ふとそこで足を停めた。

 勿体つけた装飾の施された財務機構庁舎の長い廊下の向こうから、三、四人の一団がこちらに向かってやって来る。

 中央にいる男はそれなりに年配ではあるがヴォルデよりも幾分若く、端整ながら冷厳な感じの相貌をもっている。あとの連中は秘書なのか護衛なのか、体格が屈強でどこか物騒びた雰囲気の男たちばかりであった。

 男はヴォルデの近くまでやってくると、つと立ち止まり軽く会釈して見せた。


「……これはこれは。名に聞こえたヴォルデ氏にこのようなところでお会いするとは。一度、こちらから挨拶に伺おうと思っておったところですが」


 向こうはこちらの顔を知っているようだが、ヴォルデには覚えがない。

 どこかで会っただろうかと記憶を探りつつふと男の襟元に目をやると、三日月を模した社章がキラリと光を放っていた。何か宝石でも埋め込んでいるらしい。

 そこでヴォルデは理解した。


「……アルテミスグループのガルフォ氏、と仰いましたか? もし間違っていたら失礼を許されたいですが」


 面識がない筈である。

 ヴォルデのスティーレイングループはファー・レイメンティル州を拠点としているが、アルテミスグループはシェルヴァール州をその本拠としている。陸続きとはいえ州同士の位置関係は決して近くないから、単純に接点を得る機会は極めて乏しい。加えて、スティーレイングループは金融業を中心に発展してきたが、アルテミスグループの元々は精密機械製造会社である。同業種であれば競争あるいは提携といった関係も発生したかも知れないが、州と業種が異なってしまえばトップ同士で接触しない限りはどういう関係にも発展する可能性は低い。

 かといって彼が相手の名前を口に出せたのは、他州で急成長している企業のトップとして、様々な方面からその情報を得ていたからである。最近になってCMD製造・販売業界大手のEFI|(イゼルベス・ファー・インダストリー)と業務提携を交わし、本格的にCMD業界へ進出を開始したという記事をヴォルデは目にしていた。

 同時に、グループ前会長ゲルンが高齢を理由に勇退し、その甥であるガルフォが新会長に就任したという。アルテミスグループの社章を付けて国家組織たる財務機構庁舎の廊下を、しかも護衛やら秘書を引き連れて歩く人間がいるとすれば、会長だと判断したところで罰はあたらない。


「おや、私のような者の名前を貴方の口から出していただけるなどとは、大変な光栄ですな。いやいや、こちらから名乗らずに、失礼をしたのは私の方です。――いかにも、私はガルフォ・アル・ティリスでございます。この度、アルテミスグループ会長に就任したばかりでして、まだまだ経験も知恵もないヒヨっ子です。どうか今後、お一つご贔屓に」


 どこかに絶えず臭みを感じさせる物言いである。

 傍で聞いていたまだ年若い秘書は眉をしかめかけたが、ヴォルデはさすがどういう表情も出さず


「いやいや、競争の激しいシェルヴァール州で短期間にあれだけシェアを拡大した手腕をお持ちだ。ファー・レイメンティルへ進出されるというニュースを聞いて、我々スティーレイングループとしてはかなり頭の痛いところです」


 厳めしいその顔を僅かにほころばせた。

 世辞というよりも、半ば正直なところである。次世代機MDP−0の第一次開発に成功したとはいえ、生産ラインにのせるにはまだ幾つもの段階を踏まなければならない。それに引き替え、大胆に他社との提携や資本投下を展開していくガルフォとそのアルテミスグループのやり方は、慎重すぎるきらいのあるヴォルデにすれば多少の羨望を伴わなくもなかった。

 しかし、そういう腹の底をひた隠しにしたりしないあたり、このヴォルデという経営者の偉大さがあるのかも知れなかった。

 少なくとも、背後に控えている秘書などは疑いもなくそう思っている。


「なに、私共は所詮新参。貴社やハドレッタ・インダストリー社などと比較すれば、まだまだ基盤もノウハウも未熟すぎるのですよ。ですから、この州で商売をするのにわざわざこうして財務機構に頭を下げに参った訳なのですが。いや、ここでこうして会長にお会いできましたから、足を運んできた甲斐があったというものですよ――では、これにて」


 やや大袈裟とも思える所作と表現をして見せたガルフォ。

 行きかけてちらとヴォルデを見やり


「……そういえば、貴方のグループ下の警備会社、Star-line、でしたか?」

「ええ、そうですが」

「大した実績を上げていらっしゃるそうですな。我々も、ぼやぼやしていられますまい」


 最後の方はほとんど呟くように言って、ガルフォは立ち去った。


「……」


 言葉裏に何かしら引っかかるものを感じ、ヴォルデはふと怪訝な面持ちになってアルテミスグループの新会長を見送った。

 やがて姿が見えなくなると


「……色々、接触においては難しい部分の多い方ですね」


 ちょっと不愉快そうに秘書が言った。

 そんな彼の若さを可笑しく思ったヴォルデは踵を返しつつ


「あれだけ巨大なグループを統べる以上、色々あるさ。純粋で心が真っ新であるに越したことはないが、接する人間が多ければ多いほど、そうもいかなくなるものだ」


 再び脚を動かし始めた。

 さり気なく、秘書の気持ちに同調してやったつもりである。

 庁舎の無駄に高い天井に目をやったヴォルデは不意に


「……そういえば、ロッジ君」

「はい、会長」


 秘書であるロッジ青年は歯切れのいい返事をした。


「戻ったら、セレアに言ってStar-lineが二ヶ月前に出動した際の報告書、それから警察機構から送られてきた捜査報告回答書を取り寄せておいてもらいたい。多少、気になることがある」


 見上げた先に、美しい巨大なシャンデリアが吊り下がっていた。

 金造りの装飾部に三日月状の模様が浮かんでいる。




「はあっ!? 通りすがりの警備会社? なにそれ?」


 大声を上げたショーコの後ろで、サイやナナ、ユイにシェフィ、ティア、ミサといった面々が手持ち無沙汰でぶらぶらしている。担いできた機体はスタンドアップされることなく、トレーラーの荷台に寝かされたままである。

 周囲を見回せばずんぐりした黒い塗装のCMDが三機ばかり、殆ど原型をなさないほどに大破した状態で転がっている。うち一体からはまだ煙が出ていた。パーツの破片があちこちに飛び散っているところから、つい今しがた格闘戦が演じられていたことだけは確かである。

 ――事の起こりは一時間前。

 R地区スティファノ・レーアCMDサービスからの緊急発報がStar-lineに舞い込んだ。

 土木建築会社を中心にCMDのリースを行っている、スティーレイングループの会社である。

 たまたま独りオフィスにいたリファが、通信コンソールの受信に気が付いた。


「はいはいはーい。えーと、緊急発報、っと。――たいちょお、ショーコちゃーん、みんなー! 出動ですよー」


 本部舎内一斉放送をかけて数秒後。

 バタバタバタという足音が近づいてきたかと思うと、オフィスのドアがバーンと乱暴に開いた。


「リファ! その間の抜けた緊急連絡は止めなさいって、いっつも言ってるでしょうが!」


 怒鳴りながらショーコが飛び込んできた。

 レシーバーやら出動時携帯端末をてきぱきと用意しつつ


「……んで? 場所は? 警戒レベルに発生事象! 全部一言で教えて!」

「え……一言で? 難しいなぁ。あのねぇ、うーんと」


 そもそもリファには無理な要求である。

 彼女には、物事を一言で言い表すという習慣も能力もない。

 重要な事柄を彼女に訊こうとした自分に軽く舌打ちしながら、ショーコは通信コンソールを覗き込んだ。


「R地区東一の五スティファノ重サ、不審機侵入レベル三、と。レベル四移行の恐れあり、か。治安機構D中隊にも同報済み……了解!」

「わぁ、すごーい! ショーコちゃん、みんな一言で喋ったわぁ!」


 無邪気に喜んでいるリファを無視して用意を急いでいると


『――ショーコさーん! ファースト、セカンド共キャリアアップ完了です! 予備電四T分積んでます! 装備WSPLのままですけど、承認お願いします』


 電話機の内線通話ランプが点滅し、サイの声が届いた。

 WSPLとは、Weapon Short Plus Long を縮めた略語で、近接戦闘用武装に加えて銃撃戦用武装を搭載している、という意味である。フル装備のワンランク下で、銃火器を携帯することから内規では隊長または副長の承認が要る。

 真っ白なグローブを手にはめつつショーコは


「よーっし! 見事な手際よ、サイ君! E−WSPLを承認します。出動は1625だから、全員ハンガーで待機していて頂戴! あたしも今行くわ! サラは不在につき、あたしが指揮をとるわ」

『了解』


 叫びざま、勢いよくドアから飛び出した。

 が、すぐに戻ってきてひょいと顔を出し


「リファ! あんたは留守番! STRに警戒レベルサードでセキュリティサポートオファーよ! わかってるわね! あと、セレアさんからの通信は全部こっちに回して!」


 指示もそこそこに、慌しく足音が遠ざかっていく。


「はーい! いってらっしゃーい」


 のんきに手を振って送り出したリファは、ふと


「……えーと。STRにお願いしなくちゃ。けーかいレベルさ、サンド? せ、セキュ……なんだかオフ! って何だろう? ショーコちゃんたら、ヘンな言葉ばっかり使うんだから。ま、STRとお話すれば、きっとわかってくれるわよね!」


 数分後、彼女からの通信を受けたSTRのオペレーターは、リファを相手に大変な苦労をすることになる。

 ――などという一幕はさておき、ショーコ率いるStar-lineはR地区へと緊急出動した。

 が。

 到着早々一同が目にしたものは、襲撃してきたと思しき賊の機体の残骸と、呆気に取られて突っ立っている警備員の姿であった。


「あれぇ? どうしちゃったんでしょうね? いきなり投降しちゃったんですかね?」

『……にしちゃ、賊機の原型が留まっていないわ。誰かが叩きのめしたのよ』


 不思議に思ったユイが声を上げると、別働の装甲車に乗っているナナが反応した。

 DX-2を載せたトレーラーの運転席ではティアが


「治安機構よ、治安機構! あたし達が来るより早くきて、やっつけちゃったに決まってるわ!」


 可能性としては彼女の言う通りであろう。

 しかし、


「待って。治安機構が出動してきて片付けたのなら、今は警察機構の現場検証が始まっている筈だわ。でも、どこにも警察官がいない」


 異変に気付いたシェフィが割って入った。


「……だな。都合三機、仕留めたには早すぎる。よりによってD中隊には無理だ」


 賛同するサイ。治安維持機構五中隊のなかでも、とりわけ無能とされているのがB中隊とD中隊なのである。ポンコツB中隊にどうしようもないD中隊、と市民から揶揄されること久しきにわたっている。


「じゃあ、一体誰が……?」

『とりあえず、警備員の人達から事情を聞きましょう、ユイちゃん。――トレーラー二台とも、正面に付けてもらえるかしら? 停止したら、各員そのまま待機でよろしく』

「了解!」


 指示を出したショーコは、正門前に特殊装甲車を停止させた。

 車から降りると


「――こちらはStar-lineです。緊急発報を受けて出動してきたのですが」


 門前にいた警備員達に声をかけた。

 詰めていた警備員の一人は中年で、もう一人は若い男性であった。

 彼女の姿を目にした若い警備員は面食らったらしい。


「あ、あ、あなた達が……? あの、Star-lineとか言いました?」


 こんなにも若い女性が隊員であるとは知らなかったようである。

 ショーコは構わずにつかつかと歩み寄って行き


「ええ、ええ。毎度お馴染み、そのStar-lineですよ。――これは一体、何があったんです? よろしければ、事情をお聞かせいただきたいものですが」

「それがその――」


 若い警備員いわく、CMD接近感知器が機影をとらえたのが1610頃。襲撃を察知した彼は治安維持機構とStar-lineに緊急発報した。スティファノ・レーアCMDサービスではスティケリア重工のように施設の規模がそれ程大きくないため、CMDの警備隊を有していない。

その後、状況を確認しようと外へ出た彼は、意外な光景を目にした。

 突然黄色いCMDが三機ばかり飛び出してきたかと思うと、あっという間に賊機を屠ってしまったのだという。


「黄色い機体!? それって……」

「ちょっと目に痛いくらいに真っ黄色な機体です。完全人型機で、割とデザインはスマートだったんですが――あの黄色はどうかなぁ」

「最後に機体にピースなんかさせて、いなくなったんだよ。トレーラー? この通りにはいなかったねぇ。CMDは自走で立ち去ったんだわ」


 中年の警備員が付け加えた。


(黄色い機体、あれは確か――)


 一瞬のうちに記憶の底から甦ってくる。

 あれは二ヶ月前、A地区にて、MDP−0初陣の日であった。

 テロリストの仕掛けた罠によってMDP―0が作動不能に陥り、そこを爆破されかけた。幸い、リファが勝手にOKしたスティリアム研究所のテスト装甲とサイの驚異的なシステム調整によってMDP−0は事無きを得たが、五機の賊は銃火器をもってなおもサイを圧迫していた。

 そこへ、どこからともなく派手な黄色塗装の機体が乱入し、頼みもしないのにいきなり賊を平らげていってしまったのである。

 その際、機体のドライバーはこう名乗った。


『Moon-lights。アルテミス・グループ専門警備会社。以後、よろしく!』


 サイの話によれば、ドライバーは若い女性であったという。

 ややあって、警察機構の捜査において、Moon-lightsの統括者は言ったらしい。

 B地区にあるCMD開発研究所で機体調整の帰り際、A地区でテロリストとStar-lineの乱闘が発生しているとの報を受け、二次被害に発展しないように防衛を目的として現場へ出動し、Star-lineを援護して賊を討滅したのだ、と。

 多少いかがわしい口述ではあるが、そう言われてしまえばそれ以上警察機構として追及する理由はない。賊の鎮圧に協力しているという点もある。

 勝手にやって来て勝手に賊と戦うなど、随分物好きな警備屋もいたものだとショーコは思ったものだが、思えばあれが最初の接点だったのである。

 あれからしばらくはリン・ゼールの活動が微力化し、Star-lineとしても隊の増強と訓練のために出動するような機会もなく、また公にMoon-lightsの存在が取り沙汰されるようなこともなかった。よって記憶からほとんど消えかけていたのである。


(何だって急にこんな真似を……。それも、うちの出動場面に限って姿を見せるなんて)


 Moon-lightsの意図がよく理解できない。

 ショーコは腕を組んで考え込んでいる。


「やれやれ……停め方が美しくないな。急所を突けば、ここまでバラバラにする必要なんかなかろうに」


 所在無げにレシーバーを指でくるくると回していたサイはふと、残骸の一つに近寄ってみた。

 装甲がボコボコになり、内部機器までめり込んでいる。相当手酷くダメージを受けたらしい。

 しげしげと眺めていた彼の背後から、


「……サイ。あれ、あれ見て」


 ナナが声をかけた。


「ん? どこ……」


 彼女が指した先、機体の背部に弾けた様な痕が三つばかり確認できた。

 それが何を意味しているのか、子供でも言い当てる。


「弾痕!? 背後から撃たれたのか、こいつら」

「そうなるわね。口径は小さいけど強力な、多分短銃だわ。治安機構が持っているWP58なら、ここまで派手に風穴は開かないと思う」


 最近こつこつとCMDについて学習しているナナは、自分の見解を話して聞かせた。

 CMDの機体や操縦には詳しいサイも、さすがに銃器のことはあまり知識がないから、ほうほうと手放しで聞き入っている。


「オートライトガンみたいなライフルならもっと口径も大きいし、衝撃で装甲が広く砕かれる筈。それで三発しか撃ち込んでいないから、速射性もない。つまりは短銃よ。形式までは言い当てられないけど」

「ってか、穏やかじゃないな。こんな街中で、あっさり銃を抜くなんてのは」


 Star-lineでCMDに乗るようになって以来、装備としては携帯していても、彼は一度も抜いたことがない。そもそもとして、そういう飛び道具はあまり好まなかった。下手をすれば、周囲に被害が及んでしまうからである。

 サイはショーコの傍まで近寄っていくと


「……ショーコさん、ちょっと」


 耳打ちした。


「こんな場所で短銃? しかも背後から? そいつは穏やかじゃないわね」


 凶行犯への応戦ならいざ知らず、捕り物とはいえいきなり背後から銃撃を浴びせかけるなど、通常ではありえない行為である。


「ああ、そういえば」


 二人のやりとりを聞いていた中年の警備員がポンと手を打った。


「セキュリティセンサーが異変をキャッチしてすぐ、外に出たのさ。そうしたら、いきなり短く何かが炸裂するような音が聞こえてきて……。私が目撃したときにはすでに格闘戦が始まっていたねぇ」

「そうそう。一方的、というよりも、あれだと賊機はもう動作不能だったんじゃないかなぁ。黄色いCMDが賊機を思いのままに解体しているようにしか見えませんでしたよ」


 思わず不快な顔をしたショーコ、そしてサイ。

 とどのつまり、背後から突然発砲して機体に障害を与えておき、あとは襲いかかって思うがままに蹂躙した、ということになる。犯罪者を取り押さえるのに手段も何もないと言ってしまえばそれまでだが、少なくとも人道面から考慮すべき何事かというものが、Star-lineだけではなく、警察機構やあの治安維持機構にも存在する。Moon-lightsたらいう黄色い機体の連中には、そういう基本的な人権思想が欠如しているのであろうか。

 そこまで思い至った時、ショーコは肝心なことに気が付いた。


「ちょっと待った! それじゃ、賊機のドライバーは……」


 ハッとして振り返ると、離れた位置に転がっている機体の傍にいたナナが


「副長! どうやら、中に搭乗者が取り残されているようです!」


 ショーコは背筋に冷たいものが走るのを覚えた。

 三機とも機体は大破しており、コックピットハッチは大きくひしゃげてしまっている。ドライバーが乗っていることを承知でここまでやっておきながら、放置したまま撤収していったというのか。

 まともな人間のやることではない。

 俄に形相を変え、一同の方に向き直るや


「サイ君とシェフィちゃん! 急いで機体を起こして! ユイちゃんは救急搬送車の手配! あとはコックピットこじ開けるの、手を貸して!」


 いつになく真剣に叫んでいたショーコ。


「りょーかい! MDP−0、DX-2、起こしますよ!」


 事情がよく飲み込めないでいる警備員やら集まってきたスティファノの社員には目もくれず、Star-lineはドライバーの救助活動を開始した。


「やりたい放題やって、後片付けもしねぇで。――あの時と同じだな」


 MDP-0を起こしながら、サイはぼそりと呟いた。

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