挿入話   サラの憂鬱な日々

 一つの大きなヤマを越えた末、今度はナナが入隊してきた。

 サイにとっては願ったり叶ったりゆえ、毎日見違えたように楽しそうである。

 が、彼女の入隊は彼以外のメンバーにちょっとした波紋を呼んでいた。


「――サイ君、サイ君! ちょっと、いいかしら?」

「はい?」


 十日ばかり経ったある日、サラはサイをハンガーの物陰に引っ張っていった。

 彼女は少しの間、言いづらそうにしていたが


「……実はね、ナナちゃんのことなの。聞いてる?」

「ナナが? どうかしましたか?」

「うん。あのね――」


 ショーコ以外の女性陣から苦情が上がっているという。


「へ? ナナが?」


 サイは気付いていなかったらしい。

 苦情の例。

 ユイが話しかけても返事をせず、黙って言われたことをやっている。それはまだしも、リファに至っては完全に黙殺され続けていて、えらく落ち込んでしまったらしい。ブルーナにしても、返事は返してくれないは昼食に手もつけない日があるとかで、ほとほと対応に苦慮しているとサラに訴えたのであった。

 ついでに言えば、サラに対してもそういう態度が常態化している。

 最初はショーコに相談してみたものの


「……そう? あたしには、別に普通だけど」


 詳しく聞いてみると


「別に誰彼構わずお喋りするようなコじゃないと思ってたし、あたしから何か頼めば、はいって返事してやってくれるしね。サイ君にべったりなのはちょっと、だけど――っていうか、みんながどっかおかしいんじゃないの? あのコ、すっごくカンがいいから」


 ――この部隊はそもそも変わり者しかいない。

 相談した相手が悪かった。ショーコがその筆頭である。

 それらはまだしも、もっとも困ったことに、ナナだけは頑として制服を着ようとしないのである。常にラフな私服姿のままで仕事をしている。ここのところ出動がないからいいものの、セレアやヴォルデに見られたら、どう言うであろう。

 思い余ったサラは、仕方がなく彼女を呼んで説諭しようとした。

 するとナナは


「……あたしは、サイがいるからここにいるだけ。何か、文句ある?」


 これにはサラもムッとした。


「そうは言ってもねぇ、隊には隊の規律ってものがあって、あなたも給与をもらって働く立場でしょ? 少しはそれを理解するっていうのが――」


 ナナは冷笑を浮かべた。


「……別に、辞めて帰ってもいいの、あたしは。そうしたら、サイだってすぐにここを辞めるわよ?」


 言葉に容赦というものが塵ほどもない。

 彼女とサイとの関係を知らない訳ではないサラは、それ以上何も言えなくなった。言ったところで余計にもめるか、大事なフォワードドライバーを失いかねない。


(もー、勘弁して欲しいわ……)


 サラは毎日が憂鬱になった。

 そのくせナナはサイが傍にいるところころと豹変し、猫がじゃれていくように彼にぴったりとくっついて離れようとしない。「ねぇ――」と甘えた声で話しかけたり、ひどくなると皆の前で堂々と彼の膝の上に乗ったりするような真似までして見せる。リファやユイは却って自分達が恥かしくなるのか、赤い顔をして俯いているのであった。

 仕事中だからと注意の一つもして欲しいところだが、サイは初めからナナが好きでいて、ほぼ強引にStar-lineに引っ張り込んだ張本人である。叱責はもちろん、注意などする筈がなかった。それにサイは、そういう面意外では至って真面目で、そして向かうところ敵なしのフォワードドライバーである。彼にキレてもそれは筋違いであろう。

 最初から人間関係を斟酌するような娘ではないと思っていたが、まさかここまで扱いにくいとはサラは想像もしていなかった。

 思い余った彼女は、ついにセレアに打ち明けた。

 するとセレアは、


「ナナちゃん、住み慣れたA地区を離れることになって、気持ちが整理できていないんですわ。サイ君がいるから、まだこうやっていられるのではないでしょうか? ――可哀相に。何となく、私も気持ちはわかります」

「はあ……」


 意外な反応に、面食らったサラ。


「もう少し、そっとしておいてあげた方がいいと思います。決して能力がないような子じゃありませんから、任務を重ねていく中で、少しづつ打ち解けていくでしょう」

「しかし、その、制服だけは……」

「よろしいではありませんか。ショーコさんはちょっと見せすぎな位に胸が肌蹴てますし、リファさんはあんなに短いスカートを穿いているでしょう? それにサラ隊長、あなたの制服もちょっとだけ、支給された時と形が変わっているようです」


 くすくすと笑っているセレア。


「……」


 サラの着ている制服は、肩から先がない。ほっそりした腕がいつも露である。

 この都市には寒いということがなく、気候は常に温暖である。汗をかいて匂いがこもったりするのが嫌な余りに自分で少しだけ工夫したつもりだが、正規でないと言われれば反論の余地はない。ショーコやリファよりましだということにはならないのである。

 しかし、セレアはそれらに対してどうこう言うつもりはないらしく


「女性ですもの、個性を出すことは構いません。ナナちゃんも、任務に慣れてくれば黙っていても制服に着替えるでしょう。それまでは、大きな心で見守ってあげましょう」


 サラはこの女性が女神に見えてきた。

 しかし、そういう日がくるまで苦労し続けるのは彼女なのである。


(はあっ。結局、何の解決にもなってない……)


 とぼとぼとオフィスに戻ってくると、窓の外に丁度サイとナナがいた。

 二人で取り外したMDP―0の装甲を磨いている。

 不必要なまでに仲良く寄り添いあって、よくよく見ればいつまでも同じ部分を磨き続けている。パーツは巨大だから、この分ではいつまで経っても磨き上がることはないであろう。ちょっと彼にぶつかったと言っては、キャッキャと喜んでいるナナ。

 その不毛な作業のやり方に半ば腹を立てつつも、どこかうらやましい気がしてならないサラであった。

 

 


 そういう日々が続き、サラをはじめ女性陣は相変わらず辟易していた。

 相変わらず都市のどこかでテロ騒ぎは続いていたが、スティーレイングループに対するテロ行為は鳴りを潜めていた。Star-lineの実力が知れ渡ったこともあり、そのためにリン・ゼールの標的の矛先が変えられたのではないか、とも噂された。

 そんな時である。

 いつものように出勤したメンバー一同は、朝から急遽セレアに招集された。


「些か急ではありますが、機体と要員の拡充をはかります」


 ほーっと驚く一同。

 あらかじめ内談されているサラ、それにサイさえいればあとはどうでもいいナナだけはこれといって驚いた様子を見せていない。

 サラの顔色は冴えない。

 とてもセレアには言えないが、彼女は余計に頭を痛めていた。

 ナナ一人の入隊でもこんなに波乱が起きているのに、さらに隊員を追加されたらばどんな問題が勃発してくるかわかったものではない。女所帯というものは、微妙な部分の難しさというものが付きまとう。それは単純に女性という性別固有の傾向というものではなく、各人がもっている目的意識の濃度、それにトータルに環境を見渡す視野の角度によるものなのであろうとサラは思っている。

 というと聞こえはいいが、つまりは自分で問題を深くしておいて自分で埋める苦労を増やしているにも等しい。管理者として決して悪しき姿勢ではないが、その分余計な労力と精神的負担が増大するのだから、それに立ち向かう覚悟は相応に必要であろう。


「機体については、現行のMDP−0に加え、DX−2という機体を新たに導入し、二機で活動することとします。そして、これらのメンテナンスならびに出動時体制の確立、あわせてドライバーの確保ということで三名の新規隊員を採用いたします」

「うわ、一気に三名も?」


 ショーコが思わず眉をしかめると


「……ショーコさん、何か困ることでもありましたか?」

「あ、いえいえ……。結構なことでございます」


 如才がない。


「ここからが重要なのですが……」


 セレアが表情を引き締めた。


「機体と新隊員の到着をもって、Star-lineは体制を一新いたします。各機にそれぞれ三名を専属担当で配置して一つのチームを組んでもらい、基本整備作業と出動時の基本対応にあたっていただきます。機体が二機になるため、チームが二つできることになります」


 続けて彼女が発表した新体制である。

 Star-lineの実務管理者で隊長はサラ・フレイザ。

 整備長兼任として、新たに副隊長の肩書きを渡されたショーコ・サク。

 MDP−0の運用を任されたファーストグループのフォワードドライバー、これはいうまでもなくサイ・クラッセルである。メンテナンス・キャリア担当はユイ・エルドレスト、そしてこれまで状況支援と呼んでいた担務をトータルケア担当と呼称を変え、これにはナナ・フィーリスが新しく任命された。

 従って、DX−2を中心とするセカンドグループは、これからやってくる三名が配置されることになる。

 なお、リベル・オーダはメンテナンス専属担当の副整備長。

 事務やその他業務担当をライフアシスタンスと呼称を変え、これは文句なしにベテランのブルーナ・フロッグに託された。最後に、リファ・テレシアがトータルフォローなる業務全般補助である。要は操縦やメンテといった特殊技術以外の何でも担当なのであった。

 そこまで宣告したあと、セレアが調子を改めた。


「――そして、これまではお爺様がStar-lineを直轄している風がありましたが、今回から私が全て責任をもって管理するように、と仰られました。従いまして、オーナーというよりは総指令長ということで、不肖、このセレア・スティーレインがあたらせていただくことになりました」


 ここで何か厳しい訓示が飛んでくるかも知れないと、一同はぐっと構えた。

 しかし、セレアはいつものようににっこりと微笑みを浮かべ


「皆さん、これからもよろしくお願いしますね」


 案に相違した。

 ほっとしかけたメンバーに、彼女は


「とはいえ、実務の総指揮者はサラ隊長ですから、皆さんは決して彼女を困らせるようなことがあってはなりません。私はサラと、そして皆さんを全面的に信用していますので、よろしいでしょうか?」


 穏やかだが、凛とした口調である。

 ショーコが自信満々な表情で


「あたしが副長になる以上は、何があってもサラを助けます。それに、あとはあたしの可愛い弟と妹達ですから、絶対に大丈夫です。あたしが保証します」


 ドンと胸を叩いた。


(ショーコ……)


 そんなショーコの頼もしげな姿に、サラは少しだけ心が軽くなったような気がした。

 ゆったりとセレアは頷き


「お二人で解決できない事柄は私が引き受けますから、お二人は思う通りにやってください。他の皆さんは、どうか隊長と副隊長を支えてあげますように」


 淡々として聞いているサイの横顔を、じっと見つめているナナ。


「では、機体と新隊員は明日こちらに到着しますので、今日のところはロッカーやデスクの搬入なり、受け入れ準備を進めてください」


 あれこれと発生してくる作業に忙殺されながらもサラは


(ショーコがああいう責任感を見せてくれて、本当に良かった。大雑把過ぎるところもあるけど、やっぱり頼りになるのよね……)


 てきぱきと指示しつつ時々馬鹿笑いする彼女の声が飛んでくる。ショーコの指揮指導に対しては、ナナも従順に服しているようであった。誰に対しても反抗的ならどうにもならないが、せめてショーコを慕ってくれるのなら、まだ対応のしようがある。

 そこまでは、何とかなりそうに思った。

 ところが。




 翌朝、例の新隊員三名と機体がやってきた。

 オフィスでずらり並んだ新隊員と、それに向かい合っているショーコ達。

 三名とも、若い女性である。


「それじゃ、自己紹介をお願いしますね」


 担任の教師のように、セレアが促した。

 窓を背にして右側に立っている、最も背の高い女性がぴっと礼をした。

 

「初めまして。私、シェフィ・ヴィルレーアと申します」

「ティア・エレイドでーす。よろしくっ!」


 ピースをしながらウインクして見せた真ん中の少女。

 いかにも対照的である。

 落ち着いていて控えめなシェフィに、どう見てもはねっ返り娘のティア。

 そして左端の少女――


「……ミサ・セヴィスです。はじめ……まして」


 ほんわかと微笑んでいる。

 セレアを十倍おっとりさせ、かつリファの天然さを足して二で割ったような感じの娘であった。つまり、機敏さとか鋭さといったものが一パーセントも感じられない。


(このコ達、ほんっとーにStar-lineで務まるのかしら?)


 ショーコはふと不安に思った。

 その隣で、冴えない表情をしているサラ。


(あー、なんか、会った瞬間からヤバそうなオーラ全開だわ――)


 彼女にしても、新隊員の三人と顔を合わせるのはこれが初めてである。

 予め履歴書類だけは見せてもらっていたが、そういう紙切れだけで人間性がわかることはまずない。三人とも人並みに容姿はきちんとしているから、写真が添付されていたところで何の判断材料にもならなかったのである。

 名門・レイメンティル大学で機械工学を修め、CMDに関しては間違いなくリファより詳しいであろうと思っていいシェフィ。一見頭の悪そうなティアも精密機械技術専門のハイ・スクールを優秀な成績で卒業している。ミサはミサで名門ネガストレイト州立大学でCMD制御理論を専攻してきている。

 つまり、書類上は皆優秀で見目麗しい才色兼備の女性ばかりなのである。

 が、この実物の落差はどうであろう。

 普通そうなのはシェフィだけで、あとの二匹はいかにも普通ではない。

 なろうことなら交換してきてくれとセレアに言いたいところではあるが、出来る相談ではないのである。

 そんなサラの気持ちとは裏腹に、セレアはにこにこしながら


「この三名には、セカンドグループとしてDX−2の運用を担当していただきます。……フォワードドライバーには、シェフィさん」

「はい! よろしくお願いします!」


 しゃちほこばって一礼したシェフィ。


「メンテナンス・キャリア担当はティアさん、そしてミサさんにはトータル・ケアを担当していただきますので、皆さんもそのように」

「えー……。あたし、ドライバーじゃないんですかぁ」


 ティアがつまらなそうに言った。


(あんたなんかに任せられるものですか)


 ショーコが内心で毒づいているとセレアが


「ティアさん。努力してCMDの免許を取ってくれたようですが、一般三種稼動免許では完全人型仕様機体はもちろん、公的スペースでの操縦が認められていませんことよ?」


 立派な理由である。これを破れば立派な法律違反で、逮捕されてしまう。


(一般三種か。ただ単に、怠けていただけだな)


 サイはちらりと思った。

 一般三種稼動免許というのは、CMD操縦免許では本当に初心者向けなものである。ごく限られた区域内において作業特化仕様機の操縦を認めるというもので、これをもっていれば土木会社でバイトできるという程度の代物である。

 MDP-0のような完全人型機に搭乗して公的区域で操縦するには、特殊機一級免許が必要になる。ティアのような小娘では取得が無理ということでもないのだが、それなりに学習と稼動訓練が要るから、毎日遊んでいるような人間が取れる程簡単なものではない。サイが思ったのは、そのことである。

 その後、サラから全員の担当について再確認があった。そこでセレアがふと思い出したように


「申し訳ないとは思いますが、一応お伝えしておきます。シェフィさんが二十歳――」

「ちょちょちょーっと! 待ってくださいよぉ!」


 話し出したセレアを遮ったティア。


「女性の年齢をみんなにバラすなんて、酷いと思います!」


 セレアは一瞬きょとんとしたが、すぐににっこりとして


「あら、ごめんなさいね、ティアさん。十七歳っていうのは、あんまり他の人に知られたくない年頃ですものね?」


 故意ではない。

 ほんの時々、基本的におっとり気味のセレアはこういうしくじりをする。


「あーっ! 何でそうやって言っちゃうんですか! 信じられない!」

「ぷっ……」


 吹き出しそうになったのを、顔を真っ赤にして懸命にこらえているショーコとユイ。

 普段げらげらと笑うことのないブルーナもこれには参ったらしく、口に手をあてて押さえてはいるが、体がぷるぷると震えていた。

 こうして、新体制でStar-lineは動き出した。




 セカンドグループメンテナンス・キャリア担当ティア・エレイド。

 サラやショーコが睨んだ通り、ナナかそれ以上の問題隊員ぶりを発揮し始めた。


「変ねぇ……」


 ブルーナが首を傾げながらオフィスに戻ってきた。

 自分のデスクで書類を書いていたサラは


「どうかしましたか?」

「いえ、昨日ケーキを頂いたんです。今日の休憩時間にみんなで、と思って冷蔵庫に入れておいたんですが、そっくりなくなっていて……」

「まあ。あんまりに美味しそうで、誰かが思わず食べちゃった、とか?」


 冗談交じりに言うと、ブルーナはちょっとありえないという顔で


「でも……一ホール丸々ですよ?」


 それはさすがに一人じゃ無理だわ、とサラは思った。

 しばらくしてハンガーへ向かったサラ。

 すると、壁際でティアがシェフィとミサ相手に大声で喋っているのが聞こえてきた。


「あたしね、甘いものが大好きなんだ。ケーキとか、一ホールくらいなら楽勝よ」

「わぁ……あたしも好きだけど、そういうのは、ちょっと」


 ああ、こいつが犯人か。

 サラは即座に断定した。

 が、これはまだ序の口である。


「さぁてっと。今日も一丁、やりますか!」

「よ、よろしくお願いします……」


 まだ操縦が不安定なシェフィのために、サイが相手を務めての模擬戦が日課となっている。


「サイ君のMDP−0からいくわよ! DX−2、こないだみたいに頭をぶつけないでね! 直すのも大変なんだから!」


 ショーコが叫んでいる。


「……頑張ってね、サイ」

「おお。バックアップ、頼むぜ」


 ナナの励ましを受けながら搭乗のための昇降段を昇っていくサイ。

 コックピットにするり潜り込もうとして、彼はぎょっとした。

 シートの上に、何かがいる。

 小さな生き物が、ふやふやと頼りなく蠢いている。


「……にゃー」


 鳴いた。

 その鳴き声を聞けば、誰でもそれが何者か理解するであろう。


「猫?」


 思わず眉をしかめるサイ。

 よーく見てみると、子猫ばかり三匹もいる。白が一匹にグレーが二匹。

 外から入り込んできたのかと思ったが、ほとんど梯子に近いこの昇降段を子猫が昇っていける筈がない。


「どーしたの、サイ君? なんかあったー?」


 機体に乗ろうとしない彼に、下からショーコが問いかけてきた。

 サイは振り返って


「ショーコさーん! 最近、誰か猫でも飼ったんですかー?」

「……猫?」


 彼女も昇ってきて背後から覗き込み


「まぁ、可愛い! ……って、そういう問題じゃないわよね。どっかのバカが、ここに連れてきたんだわ」


 ショーコは下へ降りると、セカンドグループの三人を呼びつけた。

 このチームの誰か以外に犯人はいないと踏んでいる。

 まずやってきたのはシェフィとミサである。


「……怒らないから、正直に白状なさい。MDP−0のコックピットに生き物を放り込んだのは、一体誰かしら?」


 不思議そうに顔を見合わせたシェフィとミサ。


「生き物……ですか?」


 二人の反応は、明らかに無罪を示している。

 そこへ、遅れてティアがやってきた。


「遅れてすみませーん! ごはんの用意をしてたんで……」

「ごはん? それって、ブルーナさんがやってくれるでしょ?」


 ユイの質問にティアは


「ううん、違う違う。ミーちゃんとクーちゃんとメメちゃんのよ」


 それを耳にしたショーコがゆっくりと振り向いた。


「……ティアちゃん。その何だかちゃん達って、人のカタチをしているかしら?」

「いや、猫のカタチをしていますけど……」


 ――落雷。




「――そろそろお昼ね。ブルーナさん、今日は何を作ってくれてるのかしら?」


 機嫌よくハンガーを歩いていたユイ。

 と、コツンと何かがつま先に当たった。空のビンである。


「あれ……?」


 拾い上げてよくよく眺めているうちに、彼女は顔色を変えた。

 オールド・クラシック・エクセレント四十年、とラベルが張ってある。

 とんでもなく高いウイスキーである。

 ユイはこのウイスキーに覚えがあった。


「……もしかして」


 はっとして辺りを見回すと、近くでティアとミサが作業をしていた。

 床にずらりと並べられた精密電装部品の数々。

 それらの一つ一つを、ティアは大雑把に、ミサは丁寧にふき取りしているのであった。

 当然、そういった電装品を手入れする際には水や洗剤などではなく、特殊なアルコール性の薬品を用いることになっている。

 一歩一歩と近寄っていくと、ウイスキーの香ばしい匂いがした。

 その瞬間、ユイはティアの傍へ駆け寄るや否や、彼女が手にしていた雑巾をひったくった。


「ちょ、ちょっと! 何するのよ! 作業の邪魔、しないでくれない?」


 突然の闖入に苦情を言うティアを無視して、じっと雑巾を見つめているユイ。


「……あんた、自分で何やってるか、わかってるの?」


 キッと振り返った彼女の眼には、涙が浮かんでいた。

 その涙にティアはちょっとひるんだ様子を見せたが、いつもの強気な態度に戻り


「何って、電装品の手入れじゃない。それのどこに問題があるのよ?」

「操縦系Fブロック搭載の電装部品のクリーニングにはノーマルオゾン二十パーセント液とアルクヘラ中性液を三倍に薄めたものを二対三の割合で混合したものを使うって、教わらなかった? どこの誰が、ウイスキーで代用していいって許可したのよ?」


 低い声で教科書でも読み上げるように、ユイは一気に喋り抜いた。

 が、ティアは平然としている。


「だって、しょーがないじゃん。アルクヘラ液、切らしていたんだも――」


 パーン、とハンガー内に派手な音が轟きわたった。

 ユイがティアに平手打ちを食らわせたのである。


「……」


 頬に手をあて、びっくりした顔をしているティア。

 そのすぐ傍でミサがぽかんとしている。何が何やら理解していないようであった。

 ユイは怒りに震えながら、ティアに詰め寄っていく。


「……あんたが気まぐれに使ったこのウイスキーに、どんな大切な意味があったか知らないから、そういう口が叩けるのよ! リベルさんが苦労して苦労して、CMD整備士特級免許を取ったから、お祝いにあげた大切なボトルだったのに! それをあんたは、勝手に持ち出して――」


 ほとんどつかみかかりそうになった彼女を、横合いから止めた者がいる。


「――ユイちゃん、落ち着いて」


 ショーコであった。


「……機械屋っていうのはね、基本をきっちり守らなければいけないわ。人間の身体もデリケートかも知れないけれど、機械はもっとデリケート。人間はある程度自分で治癒できるけれど、機械は自分で回復することができない。不便なものよね」


 静かに懇々とした調子で諭す彼女に、ティアは殴られたことも忘れたように呆然としている。

 横で眼に涙をいっぱいに溜めているユイの頭を、ショーコは優しく撫でながら


「気持ちはわかるわ。リベルさんには、みんながお世話になっていたものね」


 いつやってきたのか、ティアの背後にリベルがいる。

 彼は、自分のウイスキーが無駄遣いされたことには何も言わなかった。ただ腕組みをしたまま、じっとユイを見て何度も頷いている。

 それに気が付いた時、ユイは思わずぽろぽろと涙をこぼしてしまった。

 ショーコが止めに入ったことで、話はそれで終わるかと思われた。

 が。


「さて、作業は大分進んだようね。七万もするウイスキーを丸々一本、使っただけのことはあるわね」


 並べられた電装部品を一通り眺め回したショーコ。

 ゆったりとティアの方を向くと


「……頑張って作業してもらったのに悪いんだけど、ブロードコネクタ、総取替えになるから。すでに、色が変わってきちゃってるみたいよ」


 にこと笑って見せたが、目が笑っていなかった。


「Aの十五番台からMの八十二番台まで、全部二ダースづつ発注してくれる? 届き次第、交換をお願いね。よろしく」

「え……」


 青ざめたまま立ち尽くしているティア。つまり、膨大な量の作業なのである。

 彼女の脇を通り抜け様、ショーコはぽつりと呟いた。


「……あのオールド・クラシック・エクセレント四十年、近々リベルさんが味見させてくれる予定だったのよねぇ」


 ――数日後。

 予定よりも早くDX-2は復旧していた。

 どうやらティアがリベルに同じウイスキーのボトルを弁償することを条件に、作業を手伝ってもらったらしいと、ユイはミサから聞いた。


(馬鹿なヤツ)


 彼女は呆れるような思いがした。

 その夜、退社しようとしてオフィスの前を通りかかると、ドアが開いていた。

 中にはリベルとショーコがいる。

 丁度、オールド・クラシック・エクセレント四十年の味見をしていた。


「――うわ、美味いじゃない、これ! さすが高いだけのことはあるわね」

「へへ、だろ? だから、安酒なんか飲むものじゃないのさ」


 何となく、騙されているような気がしたユイであった。


 


「ちわーっす。納品でっす」


 いつもの配送業者がやってきて、大きな段ボール箱を二十ばかり置いていった。


「……あれ? こんなに届くような部品なんて、あったかしら?」


 ショーコはそのうちの一箱を開けて中身を確認しつつ


「――なぁにこれ!? 何でこんなにBサスばっかり届くのよ!」


 彼女はキッと背後を振り返り


「ユイちゃん! 何か、知らない?」


 ててててと駆け寄ってきたユイは


「……このBサスなんて、あたしは発注してませんよ? しかもこれ、DX-2のじゃないですかぁ」

「――ってことは」


 視線の先に、ハンガーの向こう側でにこにことDX-2をいじっているミサがいる。


「ミサちゃん! ちょぉっと、こっちにいらっしゃい!」

「はい……。私、何かしてしまいましたで――」

「しでかしたから呼んでるのよ!! 何よこのBサスの山は! こんなに大量に発注して、何に使うつもりだったのよ!」

「ご、ごめんなさい……。発注システムの使い方がよくわからなくて……」


 すっかり怯えてしょげているミサ。

 すると


「あーあ。しょーがないわねぇ、ミサったら。駄目じゃない」


 MDP-0の足にもたれて他人づらしているティア。

 その瞬間、ユイには「プツン」という音が確かに聞こえた。


「涼しい顔して他人事のように言ってんじゃないわよ! 本来はあんたの仕事でしょうが! 何でミサちゃんにやらせてんのよ! ――今日中にこれ、なんとかしなさいよ! いいわね!?」

(――ああ。今日はショーコさん、体調がいいみたいだ)


 ショーコが怒り狂っている後ろを、MDP-0のパーツを担いだサイが通り過ぎて行く。

 二日酔いで散々な日には、ショーコの雷が発生しない。




 一日の勤務が終了し、女性更衣室でリファがいそいそと着替えていた。


(急がなくちゃ。遅刻したら、またイリスちゃんに怒られちゃう)


 そこへ鼻歌を歌いながらティアがやってきた。

 彼女はリファの私服に目を留めるや


「――あーっ! それ、素敵!」


 駆け寄ってくるなり仕立てを眺めたり生地を触ったりし始めた。


「いいなぁ、これ。サナ・フェルテスの新しいデザインじゃないですか。あたし、すっごく欲しかったんだぁ。リファさん、目の付け所が違いますよ」


 服のこととはいえ、褒められてリファは素直に喜んでいる。


「そ、そうかな……」


 が、そこから続きがあった。

 ティアはロッカーにもたれかかると、ちょっと小馬鹿にしたような視線を向けつつ


「でも、リファさんの歳ならちょっと厳しいかも。そんなに背中と胸元を出すようなデザインなんて、せいぜいあたしみたいな十代の女の子じゃないと、ね。……ほら、あたしくらいなら胸に張りもあるし、肌も綺麗だしさ。二十歳越えちゃったら、ちょっとは考えないと」

「え……」


 情け容赦が一ミリもないティアの言葉に、フリーズしているリファ。


「――ってことで、その服、頂戴! あたしが着てあげる。リファさんが持っていたって、しょーがないじゃん。歳相応の服を着た方がいいわよ!」




「――さてと、これでお終い! そんじゃ今日の一杯は健康の一杯ってことで」


 独りオフィスで事務作業を終え、ショーコは日課通り寝酒を飲みに行こうとしていた。

 するとガチャリとドアが開き、ゆっくりとリファが入ってきた。

 制服のままである。


「あれ、まだいたの? あんた今日、イリスだか何だかちゃんとお食事だって――」


 その問いには答えず、リファはのろのろと傍までやってきた。

 顔が真っ青である。

 ショーコの前でぴたりと止まり、


「――ふえーん! ひどいよぉ!」


 と、いきなりすがり付いてくるなり泣き出した。

 これにはショーコも驚いた。


「ちょ、ちょっと! どうしたのよ、リファ」

「ふえーん!」


 おもちゃを取られた子供のように泣き止まない。

 これはよほど何かあったらしいと思ったショーコ。リファに対して一年に一度あるかないかの優しい態度になり


「……まずは、話してみ。泣いてちゃ、分からないでしょ? あたしが聞いたげるから、ね?」

「……ひっく、ひっく、あのね、あのね――」


 しゃくり上げながら、リファは更衣室での一部始終を語った。

 ティアはリファを散々に罵った挙げ句、彼女の私服を堂々と戦利品にして持っていってしまったのだという。

 話を聞き終えたショーコは、思わず殺意を覚えていた。

 リファへの暴言に対してなどではない。


(あの小娘! あたしやサラにも喧嘩売ってんのかしら……?)


 ――二人とも、現在二十一歳。リファと同い年である。

 さすがにまだまだピチピチだなどと自分で自分を思うつもりは毛頭ないが、かといって乳臭い小娘に婆さん呼ばわりされたくはない。

 その後、刃物をもってティアの部屋へ乗り込もうとするショーコを、リファやサラが必死に押し留めるという一幕が展開されたのであった。


「しょ、ショーコちゃん、落ち着いてよぉ! 別に、あたし、もう大丈夫だからぁ!」

「ええい、離しなさいリファ! あのクソ娘、今日という今日はぶっ殺す!」

「ショーコったら! もう! やめなさいってば!」




 などなど、傍若無人な振る舞いが日に日にエスカレートしていくティア。

 サラはもちろんのこと、ショーコも次第にイライラを募らせていった。

 とにかく、一日に一度は落雷が起きるのである、

 それでもティアはあっけらかんとして一向に反省する素振りすら見せない。

 しかし――そんな彼女にも、思わぬ天敵がいた。

 ある日、ハンガーからオフィスに行こうとすると、たまたま同じ方向へ向かっていくナナの姿を見つけた。

 これはチャンス、とばかりに背後から近寄ると


「――ねぇねぇねぇ、あなたとあのサイって人、どーいう関係?」


 興味丸出しの顔で尋ねたティア。

 ナナはちらりと彼女を一瞥したが


「……ふっ」


 冷たく一笑しただけで、そのまま行ってしまった。

 これがティアの癇に障った。


「ちょっ! なによ、その態度!?」


 彼女はナナに追いすがった。腕をつかまえ


「そーいう態度って、ないんじゃない? どーいう関係かって、訊いただけじゃないの! 何で、そうやって人のこと馬鹿にするのよ? 許せない!」

「……」


 背後で喚いている彼女には一顧も払わずにナナは歩いて行く。

 いよいよティアは気に食わない。


「ちょっと!」


 ぐいっと強く腕を引っ張った。


「何とか言ったらどうなの!? あたしが新入りだから、相手にしない訳? ねぇ!」


 ゆっくりと、ナナは首だけで振り返った。

 くすりと片頬だけで笑いつつ


「……あたしとサイがどういう関係かなんて、あなたが知る必要はないのよ」

「なっ……」


 白昼に化け物を見たような顔をしているティア。


「……離してくれる? 邪魔だから」


 呆然としている彼女を置き去りにしたまま、ナナは歩き出した。

 と、その先で横から出てきたサイにばったり出くわした。

 豹変とは、こういうことであろう。


「――ねぇ、サイ! あのね、あたし、今度の休みにサウスライト・タワーに行ってみたいの。すっごく高くて、眺めがいいんだって!」


 彼にぴったりくっつくようにして、子猫のようにごろごろと甘えている。

 ナナには甘いどころか甘さそのものしかないサイは


「おお、あの百二階建てのやつだろ? いいんじゃない。俺も行ってみた――」


 言いかけて、ふと廊下の向こうにいるティアに気が付いた。

 わなわなと震えつつ、凄まじい顔つきでこっちを睨んでいる。


「……? なんだよ、俺、何かした?」

「……何さ! 馬鹿にして!」


 言い捨てるや、彼女はくるりと背中を見せてばたばたと走っていってしまった。


「……なんだ、あれ?」


 不思議そうに首をひねっているサイの脇で、ナナが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 サイは、そんな彼女に気が付いていない。

 あとで何気なくその話を耳にしたショーコは


(……あの馬鹿娘、ざま見やがれ。さすがはナナちゃんだわ)


 内心、ほくそ笑んだのであった。




 何かとろくでもないことを仕出かすティアだが、大抵ショーコが雷を落としてしまうので、隊長のサラから直々に説諭するようなことは余りなかった。

 むしろサラにとっての脅威は相変わらずナナであった。

 新体制発足後も制服を着ようとはせず、ともすればサイに密着し、何かと他の女性メンバーを無視し続けている。リファ、ブルーナといった方面からはナナに関する苦情が多く、対してショーコ、ユイからはティアへの苦情が目立っている。もっともこの二人の場合はもはや苦情などではなく「隊から叩き出してしまえ」という過激な要求と化していた。

 もっとも、現実的に問題レベルが高いのは圧倒的にティアで、この娘が行くところ、経費に関わるような重大なトラブルが多発しており、そのことではブルーナも頭を痛めていた。物品の購入費や修理費用が日々跳ね上がり、半ば九割方はティアのミスによるものである。逆にナナには、全くそういうことがない。ショーコが贔屓するだけあって、担当としての業務はきっちりこなしているのである。

 そんなある日、サラはショーコから依頼を受けた用事を足すためにM地区まで出かけていた。

 思いのほか手間がかかり、戻ってくると既に夕方になっていた。

 と、車を門から滑り込ませた時、格納庫の前で何やら人だかりが出来ているのを見つけた。

 何かあったのかと疑問に思う必要はなかった。

 格納庫の壁面が一部陥没しており、その傍でDX-2が仰向けにひっくり返っている。

 サラは慌てて車をそちらへ動かし、人だかりの傍で停止させた。

 彼女に気が付いたリベルが近寄ってきた。


「な、何があったんです!?」


 車から降りるなり問いかけたサラにリベルは


「……あの嬢ちゃん、やりやがった。無断稼動に施設損壊、トドメに無資格操縦ときた」


 どうもならんといった表情で頭を掻いている。

 そこへ、ユイもやってきて


「たいちょお! どーにかしてくださいよ、あのバカ女。とーとー、Star-line本部舎の破壊まで始めちゃいましたよ」


 二人の言い方だけでは、何が起きたのか飲み込めない。

 とりあえずティアのことだろうと見当をつけつつも


「ちょ、ちょっと、詳しく話してもらえる? それだけでは、何のことやら――」


 転がっている機体の傍へ寄って行くと、セカンドグループの三人がいた。

 えらく落ち込んだ表情で立ち尽くしているシェフィに、地面に座り込んで泣きじゃくっているミサ、そして――離れた位置でティアが独り、DX―2の脚部に腰を下ろしている。

 見れば、DX―2の右肩から胴体前面にかけて装甲が傷ついてところどころ損傷している上に、左腕がおかしな具合に曲がっている。

 サラには大体、状況が想像できた。

 何かの拍子によろけたDX―2が格納庫の壁面に右半身から突っ込み、バランスを失って転倒した。悪いことに左腕を下にしてしまったため、しなくてもいい骨折までしてしまった、といったところであろう。

 そもそも、EABCS(緊急時自動バランス制御システム)を入れていればこうも無様なコケ方などしないで済むのである。

 EABCSの入れ方も知らないような操縦のド素人といえば――三人のうち、たった一人しかいない。CMD一般三種免許しかもっていない人間が。

 サラに気が付いたシェフィは


「……隊長、本当に、申し訳ございません」


 深々と、頭を下げた。


「どういうことなの? 事情を、聞かせてもらえるかしら?」

「それはですね、その……」


 何故かシェフィは言い澱んでいる。

 サラはゆっくりとティアの方を向いた。シェフィが説明できない訳は半ば分かっている。ティアを庇っているのと、そして説明だにし難い理由があるのであろう。


「……ティア、あなたなんでしょう? これをやったのは」


 頬杖をついて遠くを眺めていたティアは


「……はい、そうです」


 ちょっと不貞腐れ気味に答えた。

 その態度に、早くもサラは怒りがふつふつと湧き起こってくるのを覚えた。それでも懸命に高ぶる感情を抑えつつ、ティアの傍へ寄って行くと


「どうして、機体を動かしたりしたの? 無断な上に、あなた、資格ももっていなかったでしょう?」


 少しの間、彼女は黙っていたが


「……どうしてって、可愛想だったから」

「可愛想?」


 言っている意味がわからない。

 ティアはちらと横目でサラを見て


「クーちゃんよ。屋根の上に上って降りれなくなって、鳴いていたから――」


 サラは言葉を失った。

 たかが猫一匹を屋根から下ろすために、こんな騒ぎを起こしたというのか。

 もはや、堰を切って溢れ出した怒りを止めることなど出来なかった。


「あなた! 自分のやったことがわかっているの! どれだけ猫が大事かどうか知らないけど、やっていいことと悪いことがあるでしょう!? そんな分別もつけられないのかしら?」


 彼女が大声を上げることなど、皆既月食くらいに珍しい。

 却って、その場にいたユイやリベルの方が驚いた。

 もっとも、今は外出していて不在だったが、ショーコがいたならばこれくらいで収まる筈もなかったであろう。DX-2でティアを踏み潰してしまっていたかも知れない。

 それで素直に謝れば良かったが、このティアという娘は、余計に自尊心が高く出来上がっているらしい。

 悪びれた様子もなく


「だって、放っておいたらカラスかなんかに襲われちゃうじゃないですか。幾ら猫だからって、そんなのあんまりです。あたしだって、最初はシェフィに頼みました。でも、許可がないとか、なんとかって――」


 他人のせいにまでしている。


「そもそも!」


 一段と張り上げられたサラの怒声に、ティアがびくっとした。


「誰がこの本部舎内で猫を飼っていいって許可したのよ!? 自分自身の管理も満足に出来ないで、それに自分の失敗を他人のせいにしたりして! あなた、最低よ!」


 これにはティアも怒りを露わにした。


「ちょっ、言うに事欠いて最低だなんて! もう少し、マシな言い方が出来ないんですかぁ!? 勝手に動かしたのは悪かったですけどぉ、猫一匹救えない警備会社なんて、終わってませんか? 引っかかった風船を取るとかいうならしょーもないかも知れないですけど、相手は生き物ですよ!? それくらい、ちょっとは考えてくれたって――」

「もういい。もう、いいわ」


 完全にキレたサラ。

 まだティアが何か言いかけたのを遮り


「あなたは指示あるまで自宅謹慎なさい。今日はもう、さっさと帰ること。明日から、出てこなくていいわ。あなたみたいな隊員、いない方がマシだから」


 切るような言い方に、ユイもリベルも息を飲んだ。

 こんなサラは今まで見たことがなかった。

 シェフィはもちろん、泣いていた筈のミサも呆然としている。


「……」


 はっきりと不要扱いされたティアは、さすがに黙ってしまった。

 なおも気持ちが収まりきれないサラの止めが炸裂した。


「……生き物の心配するくらいなら、何の役にも立たない自分の心配をなさい! あなた一人のために、みんながどれだけ迷惑を蒙っているか、わかってないからそういう下らないことが言えるのよ! ――もう、何もしなくていいから、すぐに帰宅すること。いいわね!?」




 後をリベルとユイに頼み、サラはとるものもとりあえずオフィスに戻った。

 とぼとぼと歩きながら、つくづく情けなくなった。

 しでかしたのはティアだが、その出来損ない隊員を管理できていなかったのは自分である。セレアに報告したらば、きっとそれを追及されるに違いない。

 ブチ切れまくってエネルギーを消耗しきった彼女には、どういう元気も残っていなかった。


(もう、知らないわよ。こんな状態で、どうしろっていうのよ……)


 夕陽が白い廊下を赤く染め、彼女の黒い影を床や壁に長く落としている。

 あれだけ言っても開き直って聞き入れないティア。

 反省はしているらしいが、天然過ぎて学習能力が働いていないミサ。

 とはいえ、言うべきでないことを感情に任せて口走ってしまった自分が一番嫌であった。

 そしてちらりとナナの冷たい表情が脳裏を過ぎる。


(辞めようかな……。あたし、管理者には向いてないわよ……)


 大声で泣きたい気持ちになってオフィスに戻ってきた。

 チェアにどさりと腰を下ろしてデスクに向かったが、何をする気にもならない。

 こんな時はブルーナに愚痴を聞いてもらったりすることもあるのだが、今日に限って彼女はどこへ行ってしまったのか不在だった。

 次第に暗さを増しつつあるオフィスで独りうなだれているサラ。

 不意に、ガチャリ、とゆっくりドアが開いた。


「……?」


 顔を上げると、そこにはナナがいた。

 表情を消して、こちらをじっと見ている。


「あ……」


 咄嗟に何か話し掛けようとしたが、話すことが浮かばなかった。

 するとナナは無言のまま、静かに彼女の傍へやってきた。

 歩み寄ってくるなり、コトリ、とデスクの上にコーヒーカップを置いた。

 たちまち、淹れ立ての香ばしい香りが湯気と共に漂ってくる。

 しかも、インスタントのそれではない。きちんと豆を挽いて淹れたものであることが、香りの濃厚さからわかる。


「……え?」


 思わずナナを見たサラ。顔がきょとんとしている。

 彼女はちらりとこちらを見たが、そのまままたオフィスを出て行ってしまった。

 淹れてくれたコーヒーにすぐに手が出ない。

 毒でも入っているのでは、と疑っているからではない。

 かつて、こんなことは一度もなかった。サイとショーコ以外の者に自らコーヒーを淹れるようなことなど、ナナは絶対にしなかったのである。


(どういうつもり、なのかしら……?)


 徐にカップを両手で持ち上げてみる。

 しかし、ナナが一瞬見せた表情だけは確かに覚えている。

 相変わらず笑顔などは見せないものの、いつもの冷淡そうな感じは全く消えていた。

 半ば怪訝に思いつつも、ただし少しだけ救われたような気持ちになって、サラはそのコーヒーを啜った。

 疲れきった胃の腑に、染み渡っていくような味であった。




 その夜。

 夕刻の機体ならびに本部舎損壊事件の報告整理やら後処理に追われて疲れ切っていたサラのところへ、ショーコがやってきた。


「――サラ、DX−2の方はあたしで何とかなりそうよ。念のため、スティケリアから技術担当者にも来て貰うけど、破損した部品を交換すれば済みそう」

「……そう。世話、かけるわね」


 弱々しく微笑んだサラ。

 ショーコは自分のチェアにどっかと腰を下ろした。


「あのバカ娘、どーするの? あんたが散々にヤキ入れたって聞いていたから、あたしは黙っていたけどさ。――クビ?」


 そのことで、サラは頭を痛めている。

 ヴォルデやセレアは夕刻から要人との会合に出席していて連絡を取ることが出来ず、まだこの一件は伝わっていない。

 いっそのこと、この件を奇貨としてチームから外してしまいたいところではあるが、何分にもセレアが持ってきた人事である。彼女に相談しなければどうにもならない。


「わからないわ。ともかくも、明日から自宅謹慎を命じてあるから、あとはセレアさん次第ね。それよりもきっと、あたしの管理責任も問われるでしょうね」


 すっかり自信を失ったように、小さく呟いた。

 ショーコはそれには余り興味がなさそうに


「それはあたしも一緒だから、気にするこたないわ。――それより」


 ぐいっと身を乗り出してきた。


「社会福祉事務所の手続き、何とかなった?」


 ごたごたがあって報告するのをすっかり忘れていたサラは


「あ、ああ、あれね。やっぱり、あなたの言った通りだったわ。最初は埒が開かなかったんだけど、切り札を見せたら態度がころっと変わったのよ。すぐに手続きに入るって言っていたから、もう大丈夫」


 それを聞き、ショーコは嬉しそうに笑った。


「ありがと。あたしも嬉しいけど、本人が聞いたらもっと喜ぶと思うわ。……まだハンガーにいると思うから、伝えてくる」


 立ち上がりつつ、彼女はふと


「今日はもう、これで上がりましょ。セレアさんも懇親会に出ているから、詳しい報告の仕様もないでしょ? それよか、たまにはあんたも付き合いなさいよ」


 いそいそとオフィスを出て行くショーコの後ろ姿を眺めているサラ。

 今日はよほど神経が疲労しているのか、ショーコと一杯やりながら話でもしたい衝動がある。


(たまには、寝酒も馬鹿にならないものね)




 半刻後。

 サラとショーコはいつもの高架下の屋台にいた。

 いつになくぐいぐいとやっているサラを、面白そうに眺めているショーコ。


「……飲んでもいいけどさ、少しはペースってものを考えなよ。隊長が酒臭くなって出勤してきたら、あのバカ娘を笑えないわよ?」

「大丈夫よ。それよか、今は隊長って言わないで。そのことを考えないで済む時間くらい、たまには欲しいの」

「……了解」


 そうして少しの間他愛もない話をしていると、不意に背後に人の気配がした。


「――すみません、遅くなりまして」


 振り向くと、サイがいた。


「おお、あたしの飲み友、やっと来たわね。MCOSSのアンインストール、完璧?」

「そりゃあ、もう。これでようやく、親友になれそうです」


 笑いながら彼はショーコの隣の席についた。


「お疲れ様、サイ君――」


 声をかけつつ、サラはもう一人いたことに気が付いた。

 驚いたことにナナまで一緒にやってきたのである。

 彼女は黙ってちょこんとサラの隣に腰掛けた。


「あら、ナナちゃんも一緒なんて珍しいわね」


 やや酒が回っているサラがちょっと笑って言うと、ナナはぽつりと


「……お爺ちゃんの件、感謝しています」

「あ、あれ――」


 ふとショーコを見やると、ニヤニヤしながらウインクしている。

 そこでサラははっと思い当たった。

 実は過日、ショーコから内々に相談を受けていたのである。事柄は、入院しているナナの祖父・ガイトと、付き添っているウェラのことであった。


「あのさ、ナナちゃんの爺さんとあのおばちゃんのことなんだけど――」


 住民ネットワークをL地区に登録して、社会保障制度の手続きをしてくれという。


「登録って言っても……住居はどこにするのよ?」

「決まってるでしょ。ここの宿舎棟よ」

「それは……」


 ナナ本人についてはStar-line隊員ということで正当な権利があるが、その係累までとなると、サラはやや難色を示した。重要保護指定市民となる根拠がどこにもない。

 が、どういう思惑があるのか、ショーコは固執した。


「そこを、何とか。悪いようにはならないから。あたしが保証する」

「でも、ただ申請しただけじゃ、審査で通るかどうか、わからないわ。ガイトさんとウェラさんだっけ? A地区で普通に生活している人間を、肉親が重要指定市民だからっていっても、それにウェラさんは――」

「だーいじょうぶだって! あれを使えばいいのよ」


 ヴォルデの一筆である。

 確かに、魔法のように効果はあるだろう。

 が、そういう立場の人に、一筆書いてくれなどと簡単に頼める筈がない。

 そのことを少し言うと、ショーコは


「わかった! ヴォルデさんには、あたしから頼むから。それさえ手に入れば、あとは引き受けてくれるわね? ぜーったい、やって良かったと思うから」


 根拠は明かさないものの、やけに自信たっぷりに言うショーコに、サラも強いて反対する気がしなかった。

 そうしてショーコは何をどう言いくるめたのか、サイの時と同様のヴォルデ直筆身元保証書を持ってきてサラに渡した。

 彼女はそれを持って社会保障事務所へ赴き、ショーコの入れ知恵通りに手続きを完了させてきたのであった。

 これに伴ってガイトもウェラもL地区住民ネットワークにきちんと登録され、社会保障制度を受ける素地が整ったという訳である。

 このあたり、サイの出任せが本当になってしまっている。

 どうやら、ショーコはサラがナナのために動いているとか何とか、吹き込んだのであろう。かけがえのない親族のことだけに、あれだけ反抗していたナナの心は一気に突き動かされてしまったらしい。

 夕方のコーヒーは、ナナなりの最初の感謝だったのであろう。

 見事なショーコの策略である。

 ナナを安心させることで、サラの負担を軽減する。

 副長として、なかなかの腕前であると言わねばならない。


「……」


 何を言ったものか思いつかないまま、サラはナナの方を見た。

 彼女は横で静かにグラスを傾けつつ、あどけない表情でちょっと可愛らしくこちらを見上げている。

 そこにはもはや敵意も侮蔑もない。

 ショーコがサイやナナを弟、妹と呼ぶ意味がわかったような気がした。一度心を許せば、こうやって無邪気に慕ってきてくれるのである。

 隣でにたにたしているショーコ。


「あんたの地道な努力は、こうやって報われるのよ。ティアとミサのあと二匹、頑張って!」


 それから数時間後。

 ナナは無類に酒が強いという事実を、サラとショーコは身をもって知らされたのであった。

 酔い潰れて前後も分からなくなっている彼女らを傍らで支えながら


「……仕方がない人達ね」


 呟いているナナ。

 自らも酔っているサイは笑っているしかない。

 が、そのあと彼女は微笑みながらこう付け加えた。


「でも、いい職場に来ることが出来たわ。――ありがと、サイ」




 結局、一週間の自宅謹慎をもってティアは復帰を許された。

 ナナが制服に着替え、今まで以上にビシビシと業務に専念するようになってからというもの、さすがにティアも居辛さを感じたらしい。彼女の素行も、少しづつ改善が見られるようになってきた。

 新体制発足後、一ヶ月余り。

 ようやくStar-lineは小気味よく回転を始めたのであった。

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