始動編10 それぞれの異変

 サイが入隊してから数日後のこと。

 その日は給料日だった。


「じゃあ、次はユイちゃんね。ご苦労様でした。これからまだしばらく大変だけど、よろしくね?」

「はい! ありがとうございます!」


 隊長のサラから各員に給料明細が渡されていく。

 CMD内部機関の高額な専門書が買えると喜んでいるユイの隣で、リファは服だバッグだと騒いでいる。そんな対称的な二人を苦笑いしながら見ているショーコ。とはいえ彼女自身も、気持ちのどこかに愛する寝酒の存在がないでもなかった。

 と、一人だけ給料明細を手渡されていない者がいる。

 言うまでもなくサイであった。

 彼は入隊して間もないから、当然給料などはまだ支給されない。

 ショーコは何となく喜んでは申し訳ないような気がしていたが、そこへ


「――よう、ボーズ! 給料、まだなんだもんな?」


 リベルがサイに声をかけていた。

 仕方がなさそうな笑みを浮かべつつサイは


「ええ、まあ……。入隊したてですからね。まだ給料もらえるだけ働けてませんし」

「んなこたねェだろう。ボーズはよくやってるじゃねェか」


 この無口な中年親父は普段口にこそ出さないものの、優れたドライバーであるサイのことを相当に認めている。彼は彼なりに一度サイとゆっくり話でもしたかったらしく


「――よし! ここはひとつ」


 ニッと笑って見せ


「俺が美味い酒をご馳走してやる!」


 酒好きにとって、一緒に酒を飲むことこそが何よりも重要なコミュニケーションたりうるのである。その気分はショーコにもわからなくもない。


「あ、え、でも、申し訳ないですから……」

「いいって! それくらい、奢るうちにもはいりゃしねェさ」


 そんな男同士の会話をサラはニコニコしながら眺めていたが


「……さすがに、サイ君にはまだ給与の支給はないと思っていたのですが」


 言いながら、一通の封筒を取り出してサイに差し出した。


「ヴォルデさんから、これを預かっているのよね。何でも、入隊前に自ら進んで賊を討滅してくれたことへの謝礼だとか。――中身が何であるか、敢えて私は聞いていませんけれども」

「え……? 俺に、ですか……?」


 目を丸くして固まっているサイ。


「あら、良かったじゃない! あれだけの働きをしたんだもの、それくらいは当然よね。やっぱ、ヴォルデさんはちゃんとわかっているわぁ」


 ショーコはまるで自分がもらったようにして喜んでいる。


「さ、どうぞ。サイ君には受け取る権利があるんですもの」

「す、すいません……」


 サラが差し出した封筒を、サイはおずおずと受け取った。

 封を開けて中身を確認するのは憚られたが、手触りから察するに決してそれは薄いものではなかった。ほとんど給与のひと月分くらいは入っているのではなかろうか。恐縮な気持ちが大きすぎて、素直に喜びようがなかった。

 そんな彼の頭をリベルはわしわしと乱暴に撫でながら


「良かったなぁ、ボーズ。引っ越ししたばっかりだし、何か買わなきゃならんものもあったんだろう? それで買えるんじゃねぇか、テレビとかデジタルレコーダーとか」

「そ、そうですね……」


 何か購入が必要なものがあっただろうかと、頭の中で自分の部屋を想像しているサイ。


「電化製品買いに行くなら付き合うわよ! 量販店なら、車で行かなきゃなんないし」


 量販店というショーコの言葉を聞いた途端、サイはふと顔を上げ


「実は……携帯端末を買おうかなと思ったんです」


 宿泊棟にも電話回線くらいは引かれているが、電話機まで支給されている訳ではない。


「……」


 サイの言わんとしていることがすぐに飲み込めたショーコ。

 身寄りのない彼であるから、誰に対して連絡をつけようとしているのかは知れている。


「……そうね」


 ポン、と彼の肩を叩いてやった。


「それがいいかも知れないわね。きっと、サイ君の声を聞いたら喜ぶと思うわ」




(今日も手ごたえなし、か)


 斜陽に照らされて、古い中層建築住居街が幾つもの黒い影を地面に落としている。

 その長く伸びた影を踏みながら、少し疲れた風のナナがとぼとぼと歩いていく。

 あちこち探せど仕事は見つからない。どこも人員過剰を利用に採用を断っており、彼女を雇ってくれそうなところは一軒たりともなかった。

 精密機器の配達業務の需要が増えているらしいという話も聞いてはいたが、例のサイが巻き込まれた一件がニュースで取り沙汰されて以来、それも下火になっているようであった。

 少しばかり稼ぎ貯めた分も、このままではあと幾日も保たない。

 祖父のガイトはなおも寝たり起きたりを繰り返している。


(どうしよう……。明日はもう少し遠くまで行ってみるしかないか)


 ふと、サイのことを思い出していた。

 一日中仕事を探して歩き回り、戻ってくると決まって彼女のところに報告にくるのである。これといって職が見つからない時、彼は仕方なさそうに笑って明日はもう少し遠くを探すよ、と言っていた。


(そういえばサイ、今頃どうしてるかなぁ……)


 思わず涙ぐみそうになったナナ。

 二人が近くにいたからこそ何となく励ましあいながらやってこれたのだが、もうサイはこの地区に戻ってくることがなくなってしまった。わがままを押し殺して彼と一緒に行けばよかったのだろうかと、淡い後悔が止め処もなく胸の奥で浮かんだり消えたりしていく。

 自分の決断に後ろ髪を引かれることなど今までなかったが、こればかりは流石のナナも割り切れぬままでいた。

 途方に暮れつつ歩いていると、妙にこの地区らしからぬ雰囲気をもった人間を幾度となく目にした。済ました若い女性やスーツ姿の男性が通り過ぎて行くのだが、ナナが感じるところ、どうも所在無げでいてよそよそしい。A地区に住む人間でも特定の所用をもって訪れている者ではないような気がした。

 が、あくまでもそれは彼女の直感である。


(変ね。テロリストかしら? それにしちゃ、荒んだ陰がないわ)


 多少疑わしく思いつつも、すぐに金銭的な課題が頭に浮かんできて、彼女はそれきり気にすることなく帰宅の脚を動かしていった。

 そうして自宅の前まで辿り着いた時である。


「――すみませんが、ナナ・フィーリスさんに郵便物です」


 丁度、若い男性の郵便事務局員が小型バイクで配達にやってきた。


「はい、お世話様」


 彼女に封書を渡し、事務局員は行ってしまった。

 ライトグリーンの封筒の裏、差出人を見ると意外にも警察機構からであった。


「何かしら……?」


 特に心当たりはない。

 ナナは家に入るや、そこに置いてあった箱に無造作に腰掛けた。

 ビリビリと封筒を開け、中の書面を開き見た。


『ナナ・フィーリス殿

 過日発生したスティリアム物理工学研究所における襲撃事件について。

 警備会社Star-lineより事情聴取の際、貴方を現場目撃者の一人として当方で把握いたしました。事件は現在捜査中で、情報の提供を必要としております。つきましては事件解決のため、目撃した状況についてお話を聞かせていただきたく、捜査にご協力をお願いいたします』


 二度三度と読み返していくうち、どうも面白くない気持ちになっていた。

 何が悲しくて、スティーレインのために協力しなくてはならないのか。

 とはいえ、これがスティーレイングループのどこかからであれば即お断りするのだが、協力を依頼してきているのは警察機構である。事件に関する捜査協力の要請である以上、断るのは穏当ではない。

 不快な念を押さえつつ、彼女は肝心なくだりを声に出して読み上げた。


「……急で申し訳ありませんが、明日十八時、スティリアム物理工学研究所の一室を拝借しておりますので、そちらへお越しいただきたく――」


 妙な話もあるものだと思った。

 A地区にも警察機構支所はある。何故そこを指定してこないのであろう。

 ただし、場所はA地区の北東に位置し、南西側の彼女の自宅からはやや距離がある。スティリアム物理工学研究所であればほんの目と鼻の先だから楽に行ける。あるいは、襲撃された側のスティリアム物理工学研究所の人間からも事情を聞きたいという意図なのかも知れないとナナは思った。

 念のため、封筒や書面を隈なく眺めてみたが、特に不自然はない。


「ふーん……」


 もう一度、最初から文面を読み返しながら


「警察機構の呼び出しじゃあ、行くしかないか」


 彼女の感覚はどうも違和感を覚えているのだが、かといってどういう根拠もない。

 書面を膝の上においてぼんやり考え込んでいると


「――ナナか? 戻っているのかい?」


 奥の部屋から、ガイトの声がした。


「はーい、戻ってるわー」


 呼ばれた彼女は立ち上がり、そそくさと奥へ入って行った。

 封筒と書面が薄汚れた床の上に落とされっぱなしになっている。

 



 MDP-0納品から二日後。

 各員それぞれが最終調整に励んでいたとき、急にサラから集合がかかった。

 オフィスに戻った一同に、彼女から出動が告げられた。


「通信不能……ですか?」


 サイの問いに、サラは軽く頷き


「セレアさんからの情報では、推定本日1536より、一切の外部回線が支障、通信が全面的に不能とのことらしいの。……ああ、場所はA地区スティリアム物理工学研究所ね」

「まあ! イリスちゃんのところじゃない!」 


 声を上げたリファをジロリと睨んだショーコ。


「誰のところだって関係ないでしょ。……で、回線が駄目ってことは、まあ、もしかすると無線通信、緊急時開放無線についても――」

「ご名答。だから、研究所で何が起こっているのかは未だに確認がとれないのよ。所用で連絡を取ろうとした関係先が不審に思ってSTRに通報、セレアさんからうちに出動命令が下りてきたって訳」

「えー、でも」


 ユイが口をはさんだ。


「それだったら、警察機構と治安維持機構に連絡はいっていないんですか?」


 ショーコがちょっと眉をしかめて


「それは無理ね。緊急発報が届かない可能性プラス、彼等が動く具体的事由になっていないんだもの。ここはあたし達とSTRが出て行くよりないでしょー」


 その通りである。

 音信不通というだけでは、治安維持機構や警察機構が初動する理由にはならない。明確な事件性もなければ事故とも言い切れないのである。まずは何より、研究所で何が発生しているのか、一切確認がとれていないのである。


「じゃあ、あたし――」


 ポケットから携帯端末を取り出したリファ。


「イリスちゃんに電話して聞いてみる。それなら何か分かるかも」

「……バーカ。ほんとにおめでたいわね、あんたは。話聞いてなかったの? 無線も何も通じないんだから、携帯端末の電波が通じる訳ないでしょーが」


 ショーコが冷たく言い放つと、途端にリファはしゅんとしてしまった。

 その隣でユイが苦笑している。

 話を仕切り直すように、サラはぐっと姿勢を正した。


「とにかく、研究所内の給電システムあるいは回線機器の不具合という線もあるけど、それでは無線が駄目という理由が成立しないの。もっとも疑わしいのは、先日の報復的措置としてリン・ゼールが再度襲撃を試みてきたという可能性。それに、あたし達はついこの前もリン・ゼール一味を撃退しているという背景もあるから、極めて濃厚なセンね。……これよりあたし達は、STRと協同の上スティリアム研究所付近を警戒、ならびに施設内の状況確認、人員の安全確保のために出動します」


 一斉に厳粛な面持ちになるメンバー達。


「出動は1700、現地到着1745の予定にて行動しますから、みんなよろしくね。STRも一緒ですから、くれぐれも恥かしい振る舞いのないように」


 暗に、ショーコとリファを指している。


「それから、ですが――」


 サラは改まってサイの方を向いた。


「新型機導入後、初めての正式出動となります。サイ君のお手並みについては今さら何も言うことはありませんが、ただ懸念されるのは――」

「……MCOSS、ですね?」


 サイが口を開いた。


「そう、昨日今日と稼動試験では特に問題は発生していませんが、一般区画での稼動というのはテストされていません。私が見させてもらった稼動データによれば、どうもサイ君の操縦に戸惑いが垣間見えているようなのですが」


 サラの言う通りであった。

 正直なところ、システムを起動させての稼動試験で彼は、微妙な違和感を感じていた。センサーで認知された情報が機体稼動部に強制信号として伝達されていくことで、時々彼の意思に反した動きをするのである。例えば目の前の壁を避けるとして、彼が感覚として十分な間合いをとりつつ機体を動かそうとすると、センサーはその間合いを不十分と判断してさらに機体を壁から離そうと強制介入してくるのである。稼動データにサイの戸惑いが現れているというのは、そういうことであった。

 結論からいえば彼にMCOSSは全く無用の長物なのだが、メーカーに無心して機体を回してもらった以上、開発コンセプトに従った稼動実績をとってやるのが義務であり責任というものなのである。要らないからMCOSSを切り離していい、という話にはならない。嫌でもMCOSSと共に仕事をしなくてはならない。彼の憂鬱はそこにあった。

 初めて聞く話らしく、ユイとリファが驚きの表情をした。

 ショーコも渋い顔をしている。彼女もまた、MCOSS無用論者だからである。

 しかし、サラは強いてそれ以上触れようとはせず、


「……メーカーからの要請でもありますので、MCOSSは使用しなくてはなりません。ただし、緊急時にあっては臨機ですから、そういうことでお願いします」


 とだけ言った。

 最後の一言を聞いたショーコがふふん、と小さく笑った。

 解散しようとするとユイが手を上げ


「あのー、装備ですけど……」

「ああ、ご免ね。装備はLWでお願い。HWと言いたいところだけど、オートライトガン、まだ納品になっていないのよね。LW、MGN77の携帯を許可します」

「うひゃー……」


 思ってもみなかった指示が出て、ユイは目を丸くした。

 MGN77といえば短銃だがオートマチック式で強力なものである。間接部にでもあたれば、間違いなく撃ち抜いてしまうであろう。

 そんな物騒な代物を惜しげもなくもたせようとしているのは、どうやらサラの親心によるものらしい。彼女は今夜の出動に妙な予感がしてならないのであろう。


「……では、解散。時間がなくて忙しいけどよろしくね」


 出動時刻まで時間は僅かしかない。

 皆、各々準備のためにオフィスを出て行く。

 廊下を歩き出したサイの肩を、ショーコが背後からポンと叩いた。


「今回はやたらヤバそうな匂いがするわね。――で、サラが言ったこと、聞いてた?」

「は、はあ……。MGN77のことですか?」

「ちゃうちゃう。MCOSSのことよ」


 へっとショーコの顔を見ると、彼女はウインクして見せた。


「サラ、なかなか隊長として堂に入ってきたじゃない。臨機に、だってさ。今まで、そんなセリフを吐きそうなガラじゃなかったのに」


 ケラケラと笑って


「――頭ん中においといた方がいいわよ!」


 言い捨てて彼女はばたばたと駆けて行った。


「臨機……?」


 ショーコの背中を見つめながら、ぼそりと呟いているサイ。




「やだ、すっかり遅くなっちゃた」


 暗い道をいそいそと歩いていくナナ。

 時間は指定された十八時を十五分ばかり過ぎてしまっている。

 本当は時間通りに自宅を出ようとしたのだが、よりによってガイトがしきりと腰の痛みを訴えだしたのである。

 申し訳ないと思いつつウェラに連絡すると、彼女も調子の優れない身体でとんできてくれた。どたどたと飛び込んでくるなり


「社長、社長、どうしました!? 腰? 腰なのね?」

「あ、ああ……。急にこう、キリキリときたんだ。下半身に突き抜けるような痛みがあってね、脚の方の感覚が時々なくなったりするんだ」


 それを聞いたウェラは


「ナナちゃん、取り合えずは緊急医療搬送車に来てもらいましょう? このままにしておいて、もし悪化するようなことがあったら取り返しがつかないもの」

「う、うん。わかった!」


 というようなことがあって、ガイトはG地区にある医療施設まで搬送されていった。

 ナナも同行しようとすると、


「ナナ、今はウェラさんがついていてくれるから、まずは警察機構の方へ行って来なさい」

「で、でもお爺ちゃん……」


 それでも付いて行こうとする彼女をガイトは制し


「なに、頭とか内臓なら生命の危険を疑わねばならんが、腰だからな。恐らくは外科的な部分だろう。寝たきりが良くなかったのかも知れん」


 ばつがわるそうに笑った。

 ウェラも少し安心したように


「私が一緒に行くから、安心して頂戴。警察機構の御用なら、放っておく訳にもいかないでしょう? 行く先はG地区のスティーア総合病院らしいから、終わったらそこへ来ればいいわ。――でしょう? 医療師さん」


 白いヘルメットを着けた若い医療師が頷いた。

 ちょっと躊躇ったものの、ガイトが笑ってみせたことに安堵したナナ。


「……じゃ、後から駆け付けるから、ウェラさん、お爺ちゃんをお願いします」


 深く頭を下げた。

 サイレンを鳴らして走り去っていく緊急医療搬送車を見送ると、彼女は南3C5Lのスティリアム物理工学研究所に向かって歩き出した。

 歩きながら、ナナは考え込まざるを得ない。


(どうしてこんなに、スティーレインと関わりが出てくるのかしら?)


 ガイトが搬送されていったスティーア総合病院といえば、スティーレイングループによって経営されて医療機関である。A地区周辺ではもっとも設備と環境の整った医療機関ゆえにそれも仕方がないのだが、どうも心のどこかで納得できない彼女がいる。

 あるいは自分が拘り過ぎなのか、という気がせぬでもない。

 スティーレイン系建設会社の横槍をくって事業が挫折し今の窮状に陥ったことは否定する余地のない事実なのだが、ガイトはそのことについて恨みがましい発言をしたことが一度たりともなかった。何度かナナが悲憤を漏らした時も


「……まあ、そう言うな。何も、スティーレインだけの話じゃないのさ」


 と一言だけ言ってあとは泰然としていたものである。

 祖父の度量が海闊なのか、あるいは彼女の知らない事情があるのか。


(あたし、何か間違っていたのかしら――?)


 その一点さえ外すことができていたならば、今頃はサイと一緒に何の憂いもなく過ごしていたであろう。しかし、彼女は自分の拘りを捨てきることができず、結果としてサイともろくに会えないような状況に自分を追い込む羽目になってしまった。

 勝気で通ってきたナナも、今回ばかりはさすがに楽観的にはなれなかった。

 自分とは違う世界へどんどん離れていってしまうサイと、次第に弱っていくガイト、そして老いていくウェラ。この三人が傍から姿を消すとき、いよいよ彼女は孤独である。経済的にやっていく見通しもない。

 暗く落ちていく自分の気持ちを止められないまま3C4Lの交差点までやってきた時である。

 何台もの特殊装甲車が横倒しになり、あるいは小破・中破して煙を上げているのが目に入ってきた。しかもアスファルトの地面が割れたり抉れたりしており、スティリアム研究所側の塀は至るところがボロボロになっている。戦場さながらの光景であった。


「……なに、これ?」


 絶句するナナ。

 よくよく見れば、武装した男達があちこちに倒れ伏していた。道路に横たわっている者もあれば、装甲車の窓から半身だけ身を乗り出し、そのままぐったりしている者もある。

 破損を免れた回転灯だけがいつまでも赤い光を放ち続けているのが、妙に彼女の網膜に残像した。


「え、え、え……ど、どうして、こんなことに……?」


 恐る恐る戦場の方へ足を踏み出していくナナ。

 そこで彼女ははっと気が付いた。

 STR――。

 破壊された特殊装甲車、倒れている隊員の防護服、散らかっている特殊シールド――それらのどこかには必ず「STR」のイニシャルがプリントされていた。

 ナナにも見覚えがある。

 数日前にサイと共にテロリストに追われ、必死でこの施設へ逃げ込もうとした時にStar-lineの後から現れた、屈強な私設警備部隊。サイと、そして彼等の迅速で的確な活動によってテロ組織の工作員達はことごとく捕まったのであった。

 それが、全滅している。見るも無残なまでに。

 呆然としていると、


「――お、おい! そこの女の子! すぐに、逃げろ! 逃げるんだ!」


 背後から声がした。

 振り返ると、フロントがぐしゃぐしゃに破損した特殊装甲車の運転席にSTR隊員がいた。急いで駆け寄ってみると、どうやら足を挟まれていて動けないらしい。

 物も言わずにドアに手をかけ、開けようとして力を込めるナナ。

 が、歪んでしまっているらしくドアはびくともしない。


「……い、いいから! 俺に構うんじゃない! すぐに、ここを、うっ……」


 痛みに顔を歪めたSTR隊員。


「な、何が起こったんですか!? どうして、こんなことに――」


 ナナが血相を変えて問いかけると、彼は呼吸を整えながら


「……リン・ゼールの、奴らさ。不意討ちを、かけてきやがった。こっちには、Star-lineしか、いない、から――くっ!」


 激痛が走るのであろう、STR隊員は呻き声を上げかけたが、必死に堪えている。

 ナナの顔色が変わっている。


(Star-lineしかいないって……。それ、サイ、サイのこと、じゃない――)


 背筋に冷たいものが流れた。

 はっとして3C通りの南の先へ目をやると、はるか向こうでも回転灯の光が流れている。

 動転していて気が付かなかったのだが、よく耳を澄ませばCMDの駆動音、それに時々銃声らしき乾いた炸裂音が聞こえてくる。


(――サイ!)


 ナナは反射的に5L通り目指して駆け出した。


「お、おい! 引き返せ! そっちは――」


 STR隊員が声を限りに呼びかけたが、もはや無我夢中の彼女の耳には届かない。


(サイ、サイ、サイ! やられちゃ、駄目よ! やられちゃ――)


 訳もなく流れてくる涙を振り払いながら、ナナは全力で走っていく。

 途中、右側の区画沿いに妙な車が停まっているのがちらりと視野に入ってきた。

 小型の黒いトラック。

 荷台に大きな剥き出しの機器が積んであり、中心に埋め込まれている緑や赤のランプが不規則に点滅していた。直方体の本体からは棒状のものが幾つも突き出ており、それらの先には業務用の大きな缶詰みたいな金属筒が取り付けられていた。

 意識して注視した訳ではない。

 その車の反対側、スティリアム研究所側を走りながら、何とはなしにその異様さが印象に残っただけである。

 ナナが遠くへ離れて行ってしまった後、その車から男が一人降りてきた。


「……もしかして今の、あの娘か――?」




 ギャギャギャギャと音がするたび、装甲のあちこちに鋭い衝撃が伝わってくる。

 コックピットだけは大型のシールドで防御しているが、機体全体を隠せるような大きさではない。シールドを外れた銃弾が、脚部や腕部に命中しているらしい。


「……くっそー! 撃ち殺す気かよ、今度は」


 幸いにもステータスモニターには破損表示は出ていない。機体自体も特殊素材で鎧われているから、おいそれと撃ち抜かれることはないであろう。しかし、このまま果てしもなく銃撃戦が続けば、どうなるかわかったものではない。

 それに――銃撃はまだいい。

 何よりもサイを焦らせたのは、突如MDP―0のセンサー系が全く利かなくなってしまうという事態であった。センサーが死んでしまったことで、MCOSSがシステムフリーズを起こし、これによりMCOSSの介入を受けている駆動プログラムが誤作動を始めたのである。


「……何だと!? CONNECT ERROR? どうしたって言うんだ、一体!?」

『――ィく――サィ――どぅ――の――』


 A地区に入った時点までは何事もなく聞こえていた無線も次第に無力化していき、機体の状況をショーコ達に伝えることもできない。

 伝達系に支障が発生した以上、もはやMDP―0はまともに彼の指示を受け付けないであろう。

 そういう最中、第二の悲劇が彼を襲った。

 キュンキュンキュンキュン――と何かが機体に当たって弾ける様な感覚があり、ハッとしてサイはモニターを注視した。

 いつ現れたのか、前方3C通り側に黒い機体が五機ばかり。センサー系が全滅しているから、機体接近感知も働かなかったのである。

 賊は手に手に、銃火器を持っている。


「――何ッ!?」


 間髪を容れず、猛烈な衝撃がMDP―0を揺さぶった。

 コックピットハッチの鉄板のすぐ表側で、凄まじい銃弾の嵐が吹き荒れたのである。コックピットを集中的に狙ったものらしい。

 ガガガガドドドドと耳をつんざくような轟音、そして激震。


「うわあぁっ!!」


 激しい振動の中、彼は一か八かを賭けて左腕でコックピットを庇うように、そして左足を一歩下げるようにとMDP―0に指示した。正気を失っている「彼」が拒めば、やがてサイは原型をとどめぬ姿となって殉職するしかない。

 幸い、その程度の指示は受け入れてくれた。

 ギィッと左腕が作動し、大型シールドがお誂えにコックピット正面を隠すような位置へやってきた。そしてグンと機体が沈み、地面に膝を付いた。この姿勢であれば、多少の銃弾なら何とか遮断することができる。

 ――この惨劇の始まりは、彼等Star-lineとSTRが相互に連携しつつA地区に到着し、スティリアム物理工学研究所の警戒配置を開始した頃であった。

 どうやら無線通信が効かないという情報を得ていた彼等は、A地区B地区境界においてあらかじめ打ち合わせを行った。


「では、私達は不慮に備えて5L通り側から進行すればよろしいですね?」

「そのようにお願いしようか。我々STRは念のため、4L通りと、3C通り北側から警戒しつつ研究所に接近を図る。北側には旧建築が残っていて、とてもCMDが潜めるような状態ではないと確認している。研究所周囲の状況を確認したところで、Star-lineのCMDと我々の突撃班とで研究所の内部へ突入を図りたい」


 こういう事態については豊富な経験とノウハウを有するSTRの指示に従えばよい。

 サラは了解してメンバーの元へ戻り、行動予定を伝えた。


「先行はサイ君。私達は後方を警戒しつつ後に続くわ。万が一の事態に備えて、ユイちゃんは2C5Lの交差点にトレーラーを駐車させておいて」


 1C5L付近にてSTR本体と別れ、サラはMDP―0の起動を指示した。

 機体を起動させるや、MCOSSをシステムインさせたサイ。ステータスモニターに『Movement Connected Outsides Sensor System』の文字が流れ、機体のシルエットが図示された。頭部から肩、腕部と緑色のサインが広がっていき、脚部まで到達するや『MCOSS ACCESS COMPLETE』と表示された。

 彼からは見えていないが、機体頭部、肩、腕などにちりばめられたセンサーがキラリと赤く発光した。

 前進を開始しますよ、とサラに伝えようとしたところが、


『――ィく――M――0は――』


 早くも通信障害の影響を受け始めている。

 已む無くサイはMDP―0に手を振らせた。行きますよ、という意味である。

 そろそろと前進させつつ、2C通りを通り過ぎた頃である。

 突如、ステータスモニターが赤く点滅を繰り返した。

 機体のシルエット図示が瞬く間に緑から赤に塗り替えられていき『SENSOR ERROR』、そして立て続けに『MCOSS FIRED』の表示。つまり、機体は五感ならびに神経に異常をきたしたといっているようなものである。

 そしてMDP−0はガクンとその歩みを停めた。

 すると、悪意としか思えないようなタイミングで前方に賊機が出現し――という経緯なのであった。 

 ショーコ達もまた、罠にはめられて立ち往生していた。

 人影も車もいない5C通りをそろそろと進んでいたその時、F地区側から突然一斉に銃撃を受けたのである。


「――ちょっ! 不意討ち? そんなのあり!?」


 ショーコが急停車させるや、続いていたサラの装甲車も慌てて停止した。


「やーん!」


 助手席でユイが悲鳴を上げながら、銃撃の嵐に耐えていた。

 特殊装甲車だけに、多少の銃撃あるいは砲撃くらいなら十分に耐えうる。しかし、賊に接近されればそれまでであろう。

 発砲の密度からして、賊は四、五人程度らしかった。

 退いたものかどうか考えあぐねていると、幸いなことにSTRの別働隊が突っ込んできた。賊と彼女らを遮るようにして装甲車を停止させると、隊員達が素早く降りていってシールドで防ぐ構えをとった。

 あとは、銃撃戦である。

 こうなれば、Star-lineは指をくわえて見ているよりない。


「……セレアさんに頼んで、うちにも機関銃の三丁くらい仕入れておこうかしら?」


 腕組みをしつつぼやいているショーコ。

 守られているとは分かっていてもやはり怖いらしく、ユイは流れ弾が装甲車に当たって弾けるたびにびくりとしながら


「そ、そんなの、指定危険物所持法違反で捕まっちゃいますよぉ――きゃん!」

「だーいじょーぶだって、そんなに怖がらなくて――」


 言いかけた途端である。

 彼女らの装甲車すれすれでドンッと道路が弾ける音がした。

 窓から恐る恐る見てみると、アスファルトが抉れて金属片が散らばっていた。


「……うそ!? もしかして――」


 望遠カメラの倍率を上げつつ多面拡大モニターに目をやると、5L通りのはるか先でMDP−0が立ち往生し、しかも一斉に銃撃を浴びていた。賊機らしい機体が数機、確認できる。


「やっばいじゃん! ここにいたら、流れ弾くらって死ぬかもだわ!」


 言っているうちに、前方や右側でアスファルトが弾け跳び始めた。


「ええーっ!? CMD用の銃器? 間違いなく死んじゃいますよぉ!」


 ユイが叫ぶや否や


「――おい、Star-line! 後方に下がるんだ! 前方でCMDが銃撃戦を始めたぞ!」


 STR指揮官の声が聞こえた。


「しゃあない! ちぃっと、下がりますか!」


 ギアを入れると、もの凄い勢いで装甲車をバックさせ始めたショーコ。


「あーん! 危ないってばー! 隊長達にぶつかりますぅ!」

「……んなことするモンですか!」


 ハンドルを右へ左へ忙しく動かすたびに、タイヤがキキキキと軋んだ。

 彼女らに引き摺られるようにしてサラ達の装甲車も後戻りを始め、2C通りよりやや過ぎたあたりで二台は停止した。STRも装甲車を盾にしつつ、一糸乱れぬ見事な集団行動でゆるゆると後退してきた。

 工作員とSTRの銃撃戦は続いているが、間合いが開いたためか、発砲の頻度が少なくなっているようである。時々思い出したように銃弾が飛んでくるが、STRはシールドのバリアでそれを防ぎ続けている。

 装甲車の中でじっとしていると、コンコンとドアをノックする者がいる。

 STRの指揮官であった。


「今、狙撃班を呼びにやらせた。賊を制圧するまでは危険だから、装甲車の中で待機していてくれたまえ。奴らもCMDの銃弾が怖いと見えて、こっちに近寄ってこようとはしないんだ」

「了解しました。お世話になります」


 指揮官が行ってしまうと、ショーコは多面拡大モニターをいじりだした。


「……サイ君、大丈夫かしら? 銃撃を受けているみたいなんだけど――」


 ――一方、そのサイ。

 彼はなおも銃撃を防ぎ続けている。

 と、烈しかった銃弾の嵐が急にピタリと止んだ。


「……? 撃ち止めただと?」


 怪訝に思ったが、その理由はすぐに分かった。


『――おい、Star-line! この俺様の声に、聞き覚えがあるだろう!』


 前方で、新手が一機姿を見せた。その機体の搭乗者らしい。

 サイはああ、と思い出した。

 セカンドファクトリーを襲撃してきた際、自己顕示の度が過ぎてショーコ達に散々バカ呼ばわりされた賊である。

 賊は一歩、二歩と歩み寄ってくる。


『この前はいいようにやってくれたな。今日、ここでネガストレイトの連中みたいに、貴様も跡形なく潰してやるよ!』

「……!」


 そこで思い当たった。

 リン・ゼール組織の中でも、相当のやり手が仕掛けてきたらしい形跡があります――と、いうセレアの言葉。そしてその前後にも、ふとユイが言っていたのである。


『他の州で治安機構を何機も葬っているリン・ゼールの腕利きドライバーが、ファー・レイメンティル州に来ているかも知れないんですって。そのドライバー、コックピットを潰して搭乗者を何人も殺しているらしんですよ』

(――こいつか、恐らくは)


 そう悟ったサイだが、肝心の機体が動いてくれない。ステータスモニターには『PROGRAM NO ACTION』が表示されている。つまり、駆動プログラムが停止していて、いかに操縦レバーを動かそうとも機体にその指示は伝わらない。

 見る見る賊はこちらに迫ってくる。先日の機体よりもややごつごつとしていて動きがやや鈍い。しかし、装甲耐性は見るからに高そうである。


『このGFE六式は、アミュード・チェインにいる我が同志の魂と誇りだ。安穏と腐った平和の中に生きている貴様等など――』


 GFE六式はMDP―0の頭部を鷲づかみにして持ち上げようとした。

 しかし、蹲って停止している機体はいわば硬直しているにも等しく、片手でつかんだところで持ち上がるものではない。


『……そうか。駆動停止しているんだったな。ならば――』


 一瞬おいて、激しい衝撃がサイを襲った。

 それは一撃に留まらず、何度も何度も繰り返されていく。


「くっ……この、野郎! 殴る蹴るに変更しやがったか!」


 シールドのガードがこじ開けられ、頭部やボディに容赦のない打撃が加えられていく。

 特にボディに対する攻撃は凄まじく、サイは衝撃と打撃音に曝され続けている。

 この危機を脱するための方法は、たった一つだけある。

 MCOSSをシステムアウトして切り離してしまうことであった。

 だが、そうしたくとも、ヴィオの猛攻撃はそれをさせてくれないのである。

 さすがサイと言えども、揺れ動くコックピットの中で必死に自分の身体を支えているのが精一杯であった。


「……くっ! やりたい放題にやってくれる!」


 そのうち、ステータスモニターに頭部や肩の異常を報せる警告が表示された。

 これだけ衝撃をくらえば、細いセンサーやアンテナの類など簡単に吹っ飛ぶであろう。

 ふと、打撃が止んだ。


『これは、今までにやられた我が同志達の……』


 GFE六式が半身半歩引いている。


『――恨みの分だ!』


 ガゴッ とかつてない衝撃がきた。


「……!」


 ふっと宙に浮いたような感覚がして、サイは僅かに方向感覚を失っていた。

 すぐにズンと背後で大きな打撃があった。

 その時には、彼は上向きになっている。

 MDP−0は蹴り飛ばされ、仰向けに転がっていたのである。


(やれやれ……手も足も出ないのは我ながら情けないにしても、今の衝撃をくらってダメージサインが出ないとは、とんでもない機体だな)


 その通り、ステータスモニターには今の打撃による異常個所は現示されていない。

 が、ほっとしたのも束の間であった。

 彼を見下ろして立ちはだかっているGFE六式の手に、何かが握られている。


『殴っても蹴っても効かないような機体だろうと、こいつにはたまるまい!』


 自らの残虐な行為に興奮しきっている搭乗者の声がした。

 言葉が終わるや、GFE六式はポイとこちらに向かって何かを投げた。

 サイにはおおよその見当はついている。


(――手榴弾だと!?)


 コロコロと、小さな物体がMDP―0の左右、そして足元に転がってきた。


『……あばよ、Star-line。神を恐れぬ大国主義の犬奴め』


 カッ と白い光が一閃した。

 次の瞬間。

 連続した爆発がMDP―0を包み込んだ。

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