始動編4  星の光と闇夜と

 車窓のむこう、左から右へと高速で流れていく夜景をぼんやりと眺めているサイ。

 Star-lineへの入隊を決めた彼は自宅へ戻ることなく、撤収する一行とそのまま行動を共にしていた。発足したばかりで人手が足りていないため、入隊するとなった以上はすぐにでも手を貸して欲しいというショーコの要請に応じたのである。


「――あのコのこと、心配なんでしょ?」


 前を向いたまま、ショーコがふと話しかけた。彼女は装甲車のハンドルを握っている。サラとユイはCMDのキャリアに乗っているから、車内はショーコとサイの二人きりである。


「……心配というか、何というか。こう……裏切ったみたいな、気がして……」


 あたしはやっぱり、こういう人達の中にはいられないわ。どうしてもお爺ちゃんのことを思うと、ね――。

 ナナが言い残していった言葉が、幾度となく胸の内で繰り返されていく。

 本当は、彼女の気持ちを守ってやるべきだったのかも知れないと、後悔にも似た気持ちがいつまで経っても消え去らない。大資本の被害者である彼女やガイトと同じ辛さを共有していたはずであるのに、成り行きとはいえ彼はその仇といってもいいスティーレインに力を貸すことを約束してしまった。その時、ナナはいったい何を思ったのだろう? もはや考えても仕方がないのだが、それでもサイは引きずっていた。

 ショーコは黙っている。

 ハイウェイの照明が、一定感覚で彼女の横顔を照らしては後方へ流れ去っていく。


「……でもね、サイ君」


 しばらく経って、不意に彼女は言った。


「あのコは、あなたのことを信じている。決して、裏切ったなんて、思っていないわ」


 やけにきっぱりとした口調に、サイはドキリとするのを隠せなかった。


「ど、どうして、そう……思うんですか?」


 尋ねると、そこでやっとショーコは彼の方を向いて、ニッと笑った。


「……サイ君、あのコのこと、好きでしょ?」

「な……」


 予想もしなかった思わぬ問いに、固まるサイ。

 が――ナナに対して嘘をつきたくない気持ちが、彼につい本音を言わせた。


「……好きです。好きだから、なんか、余計に申し訳ないというか……」

「一途ねぇ。今時、そういうのは流行らないかもよ」


 と、ショーコはちらりとサイドミラーに視線を送るや、一気にアクセルを踏んだ。

 途端にスピードが上がり、前を走っていた車を立て続けに五、六台追い抜いた。

 また元の車線に戻ってスピードを落としながら、彼女は


「……あのコも、あなたのことが好きなのよ。あなたが彼女を好きな以上に、ね」

「は……? どうして、そんな……?」


 何を言い出すのかと言わんばかりのサイの質問には答えず、ショーコは前を向いたまま


「――だから、心配は要らないのよ。あなた達二人のことは、あたしが守るから」


 真剣な眼差しで口にしたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているように思われた。




 L地区にあるStar-line本部舎に引き上げてきた時には、とうに日が変わっていた。

 リファを除くメンバーは皆、戻ってきていた。

 装甲車を降りるとショーコは


「機体のチェックとパーツ交換は明日にしましょう。電源だけは降ろしちゃうわね。――サラ! それでいい?」


 トレーラーから飛び降りたサラは、見た目にわかるほどに疲れ切っている様子だったが


「……ええ、いいわ。どのみち、明日は何があっても出動できないから、そのつもりでやって頂戴。報告にあげたいから、カメラ映像と稼動データだけは、早めに私にもらえるかしら?」


 てきぱきと、指示を下した。


「了解。――サラ、今日はもう、報告書なんか書いちゃ駄目よ」

「わかってる。さすがに、少し休ませてもらうわね」


 と言いかけて、


「……サイ君! サイ君!」


 立派な造りのハンガーに気をとられていた彼は慌てて


「はい!」


 大声で返事した。


「入隊手続きの諸々があるんだけど、明日の朝にやりましょう。今日はもう、疲れているでしょうから、お休みなさい。仮眠室があるから、そこを使ってね?」

「わかりました」


 サラはオフィスの方へ行ってしまった。心なしか、足取りが頼りなかった。

 ショーコは軍手をはめながら


「サイ君も、休んでいいのよ? ここは、あたしやユイちゃんの仕事だから」

「いえ、俺もやりますよ」キャリアのデッキに横たわっている機体を指し「……あいつ、立ち上げてやんなきゃいけないんですよね?」

「そうそう、そのとーり!」


 ピッと指をさしつつ、ユイが駆けて行った。クレーンを操作しにいくのであろう。元気な娘である。

 両手を腰に当ててやれやれ、といった表情をしながらショーコは


「んじゃ、もう一仕事だけお願い! 終わったら、寝酒飲みに行くわよ!」




 L地区は都市の中心部にごく近いだけあって、この時間になっても眠らない。

 見上げると高層ビル群の明かりが天を下から照らし、足元では夥しい数の色鮮やかな電飾がなおも輝き続けている。

 Star-line本部舎からそう遠くない位置、空中軌道交通システムのレール下にある小さな屋台に、ショーコとサイはいた。ユイはさっさと逃げてしまい、リベルは自分の行きつけの店があるから、いきおい二人きりということになってしまっている。


「んじゃ、入隊おめでとう! それで、これからよろしく! ――乾杯!」

「よろしくおねがいします!」


 コップをかちりと合わせて乾杯をした次の瞬間には、ショーコのそれは空になっていた。

 すかさずボトルの蓋を開け、どぼどぼと注いでいくショーコ。それをも一気にぐっと飲み干して、やっと彼女はコップを置き


「――あーっ! やっぱ仕事のあとの一杯は止められない! ってモンよね」


 もう三杯目なんですけど――と、サイは思ったが口には出さなかった。

 酒が回ってくると、ショーコはぶつぶつと日頃の愚痴を言い始めた。とはいえ、仕事の話ではない。飲みに付き合う人がいないという愚痴である。この辛さは、酒好きな者にしか理解できないであろう。


「サラがあの通り仕事のことで頭一杯だし、ユイちゃんはまだ飲めないでしょー? リファは飲んだら訳がわからないし、って、いっつも訳わからないけどさぁ。……よーするに、一緒に飲める人がいないのよ。わかる? この気持ち」

「そ、そーっすね……」


 聞かなくても一目瞭然だが、どうにも飲むのが好きらしい。

 ショーコはボトルの液体をそのままにぐいぐいとやっているが、サイはよくもこんなきつい酒をロックで飲めるものだと思っている。全く口にしたことがない訳ではなかったが、最後に口にしたのは、いつの頃だったであろう。記憶を辿れば、まだガイトの会社が健在だった時であったような気がする。

 社長であるガイトはじめ、気のいい職人達が飲みに行こうという時は、彼やナナも連れて行ってもらったものであった。この都市では飲酒は十八歳からで、当時は彼もナナもまだ飲酒の出来ない年齢であったが、酔った職人達に無理矢理飲まされて、右も左もわからなくなってしまったりした。そんな彼を連れて帰ってくれたナナの仕方がなさそうな笑顔が浮かんできて、サイは心がずきりと痛んだ。今頃、彼女はどうしているのであろう。

 呆っとしている彼を見て、ショーコがすっと肩に腕を回してきた。


「ちょっと、サイ君! ナナちゃんのこと、考えてたんでしょお?」


 酔っているにも関わらず、彼女の直感の鋭さに、サイは動揺してしまった。


「え? いや、別に……。そういうんじゃ、ないんですけどね……」


 性格が開けっぴろげで男勝りな割に、リファに劣らず美人のショーコ。酔っているとはいえ、その彼女にびったりと抱き寄せられては、サイとしては心持ちが穏やかではない。その温もりが遠慮なく伝わってくるのである。

 恥ずかしさを紛らわせるように、くいっとコップをあおったサイ。

 飲み慣れていないせいであろう。気管が焼けるように熱くなり、げほげほとむせてしまった。

 あはははとショーコは大笑いしながら


「なーに照れてるのよ! これから美人揃いの職場でやってくんだから、今から恥ずかしがっていたら、仕事になんないわよ! ほれ、飲んだ飲んだ! ぶっ倒れたら、あたしが背負って連れ帰ったげるからさ。……なんなら、抱っこでもいいわよ」


 そう言って傾けたボトルはすでに空になっている。


「おじさーん、ボトルくれる? これ、瓶の底に穴が開いてたみたい。なくなっちゃったわよ」


 物は言い様だと、呆れ半分に感心しているサイ。

 ショーコは新しいボトルからサイのコップに酒を注ぎながら


「それにしてもサイ君、よくDG-00、動かせたわね。治安学校で特別教育を受けたサラだって、ついていけなかったのに」

「いやぁ、ずっとボロボロの機体でやってきましたから。あれくらいよく動く機体なら、動かさないと勿体ないと思っちゃいます」

「そう……そうよね」


 それきり、目の前でグラスをもてあそびながらショーコはしばらく遠くを見ていた。

 やがてグラスの中の酒を一気に飲み干し、


「……さっき、サラが前に治安機構にいたって、話したよね?」

「ええ、聞きました」


 空になった彼女のグラスに酒を注ぎながら、相槌を打つサイ。


「仇を、討とうとしていたの、あのコ。だから必死になって治安機構に入隊して、フォワードドライバーにも一隊の隊長にもなれる立場になった。努力したもの。……でも、あの下らない男社会は、あのコを弾いてしまった。広報課なんて、どうでもいいところに追いやられて、サラ、しばらくの間まるで生気がなかったわ」


 ショーコはくいとグラスを傾けた。

 仇、という単語に、サイは妙なニュアンスを感じて取った。それがサラ自身に関することなのか、あるいは彼女に関わる誰かのことなのか、気にはなるもののどうも訊くのが憚られた。彼には、ずけずけと何でも言ったり訊いたりするような神経はない。

 何を喋っていいのかわからず沈黙していると、ショーコがふと我に返ったように


「あら、あたしったら、何を辛気臭くなってるのかしら。お酒は楽しく飲まなくちゃねぇ」


 カラカラと笑って、サイのグラスに酒を足した。


「サイ君、今日いきなり乗ったのに、随分と凄い働きしてくれちゃったわね。何をしたらどの程度動くかってことまで計算しながら動かしてるみたい」

「まあ、機械のことですから、ある程度は人間が気をつけてやらないと。結構動けるようにメンテナンスされてましたし、俺は動かしやすい機体だなって思いました」


 きちんと整備されているという言葉に、ショーコは嬉しそうな顔をした。

 自分がメンテナンスした機体を褒められるのは、悪い気がするものではない。


「DG−00はねぇ、少しは無理させてもいいように、駆動部の負荷値を最大までとっておいたんだけど、サラは持て余しちゃったのよね。動きが動き過ぎると、操縦者には負担以外の何物でもない。サイ君があれだけフルに動かしてくれるなら、これからもっといい仕事ができそうだわ」


 その言葉を聞いて、サイはふと思い出した。


「そのことなんですけど、ショーコさん――」




 翌朝のこと。


「――稼動限界?」


 不思議そうに聞き返したセレア。


「そうです。これを見てください」


 ショーコは、一枚の資料を差し出した。

 そこには、DG−00の稼動データと、サイの操作反応速度とを対比したグラフが描かれている。

 興味深いことに、全く稼動していない部分と急激に動いている部分とが交互にあって、まるでノコギリの歯のようなグラフになっている。それをじっと眺めていたセレアが、ふと顔を上げて


「これを見ると……どうも、サイ君の操作反応速度値が、DG−00の反応伝達値と稼動制御値を上回っているように思えるのですが。……違いますか?」

「その通りです」


 軽く頷き、ショーコは補足した。


「結論からいって、サイ君をフォワードドライバーに据えるならば、もはやあの機体では彼の操縦技術についていけません。近い将来、伝達系ないし駆動部に蓄積された負荷が重大な稼動障害を引き起こす恐れが大です。こういう事象は前代未聞ですが」

「機体の方がドライバーの操縦技術に耐えられない、と?」


 ショーコは少しの間言葉を選んでいたが


「……機体自体はスペックの通りですので、問題があるというわけではありません。ただ、サイ君の操縦技術がそれを上回るレベルだったということです。DG−00を入れて日も経っていないというのに、いきなりこう言うのも何ですが」

「それはつまり」


 セレアが微笑した。


「機体を交換した方がよい、というのですか?」

「はい。治安のために働く以上、彼の腕に相応しい機体を用意することは、この都市にとっても決して悪いことではないと思います」


 配備機を交換しろ、というその要求が無論、半ば無茶であることは百も承知している。

 Star-lineへのDG−00の配備が決定したのはつい二週間前のことである。隊が活動を開始する直前といっていい。

 スティケリア・アーヴィル重工が開発した初代人型CMD「DPX」が治安機構に訓練用機として配備され、そこで得られたデータを元に改良されたのがDG−00であった。この機体はすぐにカスタム化され汎用機として発売されたが、一足先に高性能量産機として市場に出たVU型なる他社機に長ずるところがなく、これといって受注は伸びなかった。

 Star-lineはスティーレイン系列である以上VU型を導入する訳にもいかず、またDG−00は稼動部の負荷耐性値が大きいという特徴に目をつけたショーコが、実戦慣れのしていないサラのために装甲を強化した上で入れてもらったのである。操作反応が大きすぎないという点もサラにとっていいのではないかという、半ばショーコの親心みたいなものではあったが、リン・ゼールの得体の知れない高性能機の前にはなす術もなかったというのが、昨日の出動から得た結果だった。

 その際、幸運にもサイという優れた操縦者を発見できたのだが、今度は彼の操縦に機体がついていってないのである。システム的に問題があるのではない。問題は、制御部がそれを処理してもハード即ち稼動部にとって大きな負荷がかかってしまっているという事実である。そのことは、先にサイが気付き、昨夜飲んでいる最中にショーコに報告してきたのだった。まさかと思いつつ朝から稼動データを調べ上げ、サイの申告が事実であることを知ったショーコは、セレアがやってきたのを幸い、話をしたのであった。

 言ってしまってから、ショーコは内心早まったか、と思わなくもなかった。おもちゃを買ってもらったばかりの子供が、すぐに新しいおもちゃを無心するにも似ている。

 が、意外にもセレアは反対しなかった。


「いいでしょう。この件は私からお爺様にお話しておきます。Star-lineの配備機の強化は、スティーレイングループ全体の安全に関わります。それに、DG−00自体、量産ラインに乗ってしまっていた機体ですから、大してコストがかかっていた訳でもありません。操縦者が優秀なら、それに機体を合わせるのは道理だと思いますわ」


 彼女の反応に、ちょっとほっとしたショーコ。


「ありがとうございます。ただ、機体の選定ですが――」


 ショーコがちょっと言葉を濁したのは、スティーレイン系メーカーが前記のような状態で、DG−00を上回る機体の用意ができないのでは、と思ったからである。

 しかし、セレアは事も無げに、


「問題はありませんわ。ちょうど、スティケリア・アーヴィル重工で開発中の試作機がもうすぐロールアウトするようですから、それがどうにかできるかどうか、当たってみましょう。他の操縦者ならともかく、彼が乗るならば、色々な意味で価値があると思いますから、メーカーを説得することもできるでしょう」


 それを聞いたショーコの表情が驚いている。


「え……? それって、もしかして、MDP−0……ですか?」

「そうです。さすがショーコさん、よくご存じですね。実はもう、内々で資料ももらってきているのです。これをお渡ししますから、目を通しておいてください」


 ファイルの束を差し出すセレア。まだ一般に公表されていない機体のデータだけに、今の段階でこのファイル自体、数千万エルの価値があるだろう。それをあっさり渡してしまうというこの行為は、彼女のショーコに対する信用の何事かを意味している。


「ただし、このことはくれぐれも外部に漏らさないように。漏れれば市場関係者はもちろん、リン・ゼールが騒がないとも限りません。現時点で新世代機の開発に着手していることはうすうす嗅ぎ付けられていますが、機体の詳細については固く秘守されていますから」


 セレアが釘を刺した。


「わかりました。そのようにします」


 返事をしながら、ショーコは内心躍り上がりたいような気持ちになっていた。

 MDP−0。

 その存在について、彼女はちらりと小耳に挟んではいた。

 スティケリア・アーヴィル重工で開発中の、次世代新型CMDである。新素材を使用することで機体の強度が桁外れに改良され、リレー伝導方式から短縮伝導方式の採用によって駆動部の反応速度が飛躍的に上がっているという。

 特筆すべきはMCOSS(Movement Connected Outsides Sensor System)なるシステムの搭載である。機体外部に配置されたセンサーが事細かに周囲の状況を感知し、その情報が高速処理されて駆動部に伝達されるという仕組みで、例え操縦者が慣れていなくとも、このシステムによってある程度外部の状況に対応した動作が可能になるという画期的なシステムであった。

 CMD開発競争で一歩後れを取ったスティケリア・アーヴィル重工が起死回生をかけて極秘裏に開発を進めていたらしく、恐らくこの存在はどんな業界通の者でも耳にしていないはずであった。製品化に成功した暁には、一躍業界トップの座が待っているであろうことは、ショーコにも容易に想像できる。それほどまでに革命的な機体を、ひょんな弾みからStar-lineに回してもらえることになったのである。喜びたくなるのも無理はない。

 実は、役割柄メーカーに出入りする機会の多い彼女は、工場の担当者と親しくなっていた。その担当者から、こっそりと新型機開発の話だけは聞いていたのである。が、まさかそんな大層な機体が回されてくるなど現実にはあり得ないから、セレアに機体の選定を相談しかけたのである。

 が、これからその機体確保のためにセレアやヴォルデが奔走しなければならないことを思うと、喜びをぬけぬけと顔に出してはいけないような気がした。

 ショーコは努めて平静な表情をつくり、一礼して部屋を出ようとした。


「それはそうと、ショーコさん」


 そこでセレアが呼び止めた。


「……また、昨日もお酒を飲みましたね?」

「ええ、まあ……。わかりました?」

「とっても臭います。好きなのはわかりますけど、ほどほどになさいね」




「――ショーコちゃん、ショーコちゃん」


 司令室を出たところへ、リファがやって来た。


「あん?」


 どうせ大した用事でもないだろうと、ショーコは資料から目を上げない。

 案の定、リファは


「あのね、たんこぶが出来てたの」

「……で?」


 いちいちそんなことを報告しに来たのか、と思った途端、昨日のことが甦ってきて、ショーコはだんだん腹が立ってきた。

 彼女はギロリとすごい目つきでリファを睨んだ。

 蛇に睨まれた蛙のように竦みつつも、リファは恐る恐る、


「あ、あの、叩かれたところ、とっても、痛かったなぁ、って……」


 見た目によらず、結構リファは恨み深いのかも知れなかった。

 また怒鳴りつけたくなるのを懸命に押さえつつ、深いため息をつきながらショーコは言う。


「あんたもねぇ、サイ君とかユイちゃんとか、弟妹分がいるんだから、少しはシャキッとしなさいよ。可愛い顔してワケのわからんことをやっていたら、後ろから蹴っ飛ばされるわよ」


 言いながら、最初に蹴っ飛ばしてしまうのは自分かも知れない、とショーコはふと思った。

 するとリファは


「だって、だって、あたし、何にもできなくって……それで、それで――」


 悲しそうに俯いている。


(やれやれ……)


 ショーコは苛つきながらも、そういうことか、と彼女の悲しみを多少理解していた。

 その入隊の経緯は、誰も知らない。ただ、セレアが連れてきたということだけを、チームの誰もが何となく知っているに過ぎない。何かしら秀でた技術や可能性を見込まれてスカウトされた周りの面々を見ていれば、いかに自分が何も出来ないか、リファはリファなりに悩んでいるのであろう。加えて――もって生まれたものなのかどうか、常人の域をやや逸した天然さゆえに表からはその苦悩が理解されにくいというのも、彼女なりの辛さであったといえるかも知れない。

 ショーコはつと立ち止まり、両手を腰に当てて、


「あんたはあんたなりのやり方があるでしょ? 誰もそれを間違っているだなんて一言も言ってないわ。他人と自分を比べたって、埒が開かないのよ? このチームの中で、自分が何をやれるのか、何をやったらみんなのためになるか、考えてみればいいのよ。それが答え。――わかった?」


 すらすらと淀みなく明確に答えていく彼女に、リファは驚いたような表情をした。


「……それ、あたしのこと?」

「あんた以外の誰のことを言っていると思ってるのよ?」


 おずおずと、リファは上目にショーコを見た。


「……まだ、怒ってる?」

「あんたが状況を考えないで勝手なことをしたから、みんなが大変だったのよ。あんただってあとちょっとで殺されるところだったんだからね。腹は立つけど、過ぎてしまったことにいつまでもこだわっていても仕方がないじゃない。……ま、次が良ければいいんじゃないの」


 リファはそれを聞いてぱっと花が咲いたように表情を明るくし、


「そっか! やっぱり、ショーコちゃんはすごい! お話して、良かった!」


 嬉しそうに言って、ぱたぱたと走っていった。

 呆れたような仕方ないような、そんな複雑な表情でその背中を見ているショーコ。


(サイ君は黙って自分の胸の内で苦しさに耐えていたけどねぇ……。ま、我慢の仕方は人それぞれだけどさ)




 暗い部屋で男が一人、円筒状の金属を磨いている。

 部屋には窓がなく、安ホテルのシングルルームのように狭い。

 彼の顔、右半分には縦に大きな傷があった。彼は油で汚れきった前掛けをして、もうずっと同じ動作を繰り返していた。金属は鏡のようにつるりとしており、天井に吊るされたランプの明かりを受けてキラキラと反射している。

 薄汚れた作業台の足元には、同じ物品が幾つも並べられていた。

 と、不意にコンコン、と遠慮がちにドアを叩く音がした。

 男は動かしていた手を停めると、ゆっくりと椅子から立ち上がってドアの傍へ近寄って行った。そのまま、錆びた鉄のドアに頬をつけるようにして、


「……どちら様かな?」


 と、問うた。

 ややあって、ドアの向こう側から声がした。


「……ヴィオ、だと言えばいいのか?」


 それを聞き、男はドアロックを開錠した。

 ギィーッと軋んだ音を立ててドアが開いた。

 外には、古びたコートを着て帽子を目深く被った男が一人立っていた。

 全身を上から下までちらっと見やりつつ


「入れ」


 促した。

 コートの男は軽く頷き、中へ足を踏み入れた。

 重いドアを閉めて再び施錠しながら、エプロンの男は片手を差し出した。


「俺はグロッド。組織でCMDのことを色々やっている」


 その手を握り返し、コートの男は帽子を脱いだ。

 帽子の下からは、目鼻立ちの調った、鋭い感じのする相貌が現れた。長い金髪が乱れて顔にかかっていて、目つきが冷酷というよりも残忍そのものであった。サッサッと髪を整えながら、彼は名乗った。


「ヴィオ・ハイキシンだ。今さら名乗る必要はないと思うが」

「噂は聞いているよ。治安機構をクレイザ州で十六機、シェルヴァール州で十一機、ネガストレイト州で十五機――」

「止してくれ。あんな人形みたいな連中、何機潰したところで自慢にもならん」


 ヴィオと名乗った男は、勧められた小さな椅子に腰を下ろした。

 僅かな明かりに照らされたその横顔は、野獣を思わせるほどに戦闘的な印象を与えるものであった。が、グロッドは表情も変えずに


「白昼に顔を晒して、よく来れたな。昨日の今日で、どこも厳戒体制だというのに」

「なに。国家警察機構も、俺の顔は把握しているまい。何せ、俺はCMD乗りだからな」


 彼は足元に転がっている金属筒を一つ拾い上げ


「……で、これから何をやろうってんだ? 治安機構と喧嘩でもさせようってのか?」


 質問されたグロッドは、ポケットから数枚の写真を取り出すと投げて寄越した。

 そこには、白い不恰好な人型のCMDばかりが写っている。


「……これは?」

「……聞いているだろう? スティーレインで何やら始めたらしい。昨日はテリエラの連中が三機、その後にゲレ――おっと、同志の名前だよ。A地区のスティリアム研究所を襲ったところが、あっという間にことごとく捕まった。こっちはやっと手に入れたEFIのFLVZ二式を五機担いでいったというのに、たった一機のCMDに沈められたよ」


 写真をじっと睨んでいたヴィオは


「……こいつか?」


 大きく頷いてみせるグロッド。


「ああ。所属は、最近出来たらしいスティーレイングループの『Star-line』たらいう警備会社だ。女ばかり集まった、得体の知れない警備屋だがな」

「が、そいつらにしてやられた、と」

「とはいえ、侮れないのは確かだ。その坊主頭の機体は、テリエラの三機を三分で、グレ達のFLVZを五機も相手にしながら、ものの十分しないうちに全部スクラップにしてくれた。お陰で、こっちの新しいFOPも治安機構の奴らに抑えられたよ」


 余裕に満ちた表情を見せていたヴィオから、途端に笑みが消えた。


「合計、八機。あっという間に片されたってのか。乗っているのは、女か?」

「最初はそういう情報だった。が、腕利きの男が一人いるらしく、そいつの仕業らしい。機体そのものはどう見てもちょっと前の型だが、動きは半端じゃねぇ。ノイルの奴なんざ、たった三発、蹴りを入れられただけでのされちまったよ」

「蹴りだけで……? 何なんだ、それは?」

「わからない。ただ三発とも、当たり所がCMDの急所を捉えていた、とだけはいえる」


 そこまで言うと、グロッドは部屋の隅にあった書類棚から一通の書面を出し、


「が、任務はそいつとの喧嘩じゃない。結果としてはそうなるかもしれんが」


 ヴィオに渡した。


「スティケリア・アーヴィル重工にどうやら、開発中の新型があるらしい。形式はMDP-0式、というらしい。今ある情報では、従来のどんなCMDよりも桁外れのパワーと運動性能を誇る、とだけしか言えない」


 書面に落としていた視線を上げ、ちらりとグロッドの顔を一瞥したヴィオ。


「そいつを強奪する、と」

「そう。しかし、スティーレインのセキュリティは厄介だ。二、三度探りを入れているが、未だに姿形すら拝めない。ただし、秘密裏に開発されていて、もうすぐロールアウトに漕ぎ着けるということだけは確かなようだ。市場関係者の間の話だから、まず間違いない」

「……よかろう」


 ヴィオは写真と書面を作業台の上に放り出した。


「任務はわかった。……が、俺にとっての興味はその新型よりも、Star-lineの方だ」

「……お前さんなら、そう言うと思ったよ」


 ため息をついたグロッド。彼は胸のポケットから透明なカードを取り出し、顔の前でひらひらさせて見せた。


「今度の任務のために、機体を用意しておいた。CQP。海向こうのカイレル・ヴァーレン共和国にいる連中から取り寄せたものだ。MDP−0とわたりあえるかどうかはわからんが、少なくともStar-lineのDG−00よりもスペックは上だ。駆動部への軽量強化装甲と操作反応制御プログラムの優秀さで評価が高い。手伝いも四機つけるよ。――今度の任務には、それくらいの値があるからな」

「大したおもてなし、感謝するよ。もっとも、お手伝いなどはなくても構わないがね」


 カードを受け取り、ヴィオは不敵に笑って見せた。


「……面白い。Star-lineとやら、ネガストレイト治安機構の連中みたいに、粉微塵にしてやるさ。――火葬の必要がないようにな」

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