第2話 ニューシネマたち

私の故郷は東北の、漁業の盛んな町だった。海沿いに建てられた家からは水平線が見えていた。でも全然きれいじゃない。くすんだ海はいつも海鳥が鳴いていて、潮のにおいがするようなところだ。私はそれがいかにも田舎のようできらいだった。潮風のせいで開けることを許されない窓も、食卓に毎日出る魚も、腕の太い漁師もその大きな笑い声もきらいだった。髪の毛は痛むし肌も焼ける。

 海苔は町の特産品だった。近所には海苔屋がいくつもあった。だから家庭でも学校でもことあるごとに海苔を出されて、私はもううんざりしていた。

 あんなものはただの黒い紙だ。食べる奴の気が知れないとまで思っていた。

 つまらない町だった。魚しか能のない町。ちっとも魅力的じゃない。魚なんて骨を取るのが面倒なだけなのに、どうしてみんな食べたがるのか。

 なまりの強い言葉、あか抜けない同級生、変わり映えのしない空、潮くさい風。なにもかもが私にとって不要だった。私に必要なものはファッションと音楽だった。

 容姿には自信があった。幼い頃からその自覚はあったし、周囲の視線からしてもそれがうぬぼれではないことはよくわかっていた。

 こんなところにいたら私は埋もれてしまう。大量の魚に隠されてしまう。そんなのはごめんだった。

 だから私はお金をためて、一人で東京に行くのだと決意した。十七歳のことだ。私はあの、眩しい世界の住人になる、と。

 両親は反対した。漁師の父とその魚を加工する工場に勤めていた母は、ここ以外での生き方を知らなかったし、知る必要がないと思っていたようだった。私は説得をあきらめ、半ばむりやり飛び出してきた。

 一年かけて引っ越し資金も家具もすべて揃えた。卒業と同時に上京した。誰もいない部屋。運び込まれたいくつもの段ボールをひとつひとつ梱包を解いていく作業は新しい世界への扉を次々と開いているような気分になる。指紋ひとつついていない、まだ見慣れない家具たち。時計もカーテンもベッドもテーブルも小さなソファも食器も調理器具も台所用品も愛おしい。まだなにも収納されていないクローゼット。新調した本棚は憧れの雑誌のバックナンバーで埋めた。窓の向こう側に広がるのは海ではなくアスファルト、街の明かり。それは私を祝ってくれるようだった。潮のにおいなんていっさいしない、都会だ。

 そしてオーディション雑誌に応募をしたり、事務所のドアを叩いて回ったりする日々が数か月づいた。いくつもの門前払いを食らったが、ある事務所が私を拾ってくれた。

 それは私の新しい居場所だった。肩書とコミュニティーを与えられて、私は「誰でもない」存在から脱却した。もちろん仕事は簡単にやってこない。バイトで生計を立てていたけれど、それすら私には刺激的だった。なにもかもが新鮮で眩しかった。

 あっという間に一年が経っていた。順調かどうかは別として、少なくとも事務所に所属しているということは私にとって自信につながった。両親には一度も連絡を取らなかった。向こうからも連絡がなかった。それでよかった。

 来てしまえばなんて容易いことだったんだろう、一生つきまとうと思っていた故郷を断ち切るのは。

 私は一人でいることが楽しかったし、そこに優越感があった。

 アルバイトは新宿にあるカラオケ屋だった。地元駅前にもあったチェーン店で、でも規模は比べ物にならないくらい大きかった。働いている人数も国籍も。そこには大学生や専門学生のほかに、私と同じようになにかになりたい人たちがいた。それは私にとって大きな励みになった。バイトのあと適当なファミレスで、話したことがある。日付が変わって少しした頃の時間。それでも東京から光は絶えない。

 画家を目指す美大生の涌谷さんに、映像作家を志すフリーターの古川さん。彼らは互いに仲が良く、いつも二人でつるんでいた。私もすぐに馴染んで、そこに加わるようになった。

 心に秘めている燃えそうな思いを包み隠さず打ち明ける、それはまさに夢のようなひとときだった。私がモデルを目指していると言ってもバカにせず、古川さんは知り合いのカメラマンを紹介しようかとまで言ってくれる。

 ドリンクバーだけで何時間も居座った。もうすぐ夜明けが近づく。だけど話は盛り上がる一方だった。

 ふと見渡すと店内には深夜とは思えないほどのお客がいた。窓の向こうをぼーっと眺める老人、ガラの悪そうな男たち、勤務後の水商売風の女たち、私たちと同じようにダラダラとしている若者たち。客席の半数ほどは埋まっていた。

それぞれのライフスタイルがある。東京はそれを受け入れる。

「スターウォーズとロッキーがすきなんだ」

 古川さんが言うと、途端に涌谷さんはうっとうしそうに手で払うような仕草をした。

「出た出た出た始まったよ古川の『すきな映画の話』。おい広瀬覚悟しろよ、長えからな。オレは退散するわ」

 店内には喫煙スペースが設けられていた。五人ほど入れそうなそこはガラス張りになっていて、スタンドタイプの灰皿が二つ設置されている。涌谷さんは立ち上がってガラス部屋に入っていった。

 私はミルクを加えたホットティーをマドラーでくるくるかき混ぜながら古川さんに尋ねる。

「どうしてその二つがすきなんですか?」

「そりゃもちろん面白いからね」

 古川さんは、当然、というように言ってのけた。どこか誇らしげにも見える。

「それだけ?」

「あれはさ、夢を与えてくれる作品なんだよ」

 古川さんはぬるくなったコーヒーをまずそうにすすってから、前のめりになって話し始めた。

 ニューシネマと呼ばれる作品群がある。六十年代から七十年代前半にかけてつくられたもので、主人公がある組織や社会に対して立ち向かう、という特徴がある。「俺たちに明日はない」、「明日に向かって撃て!」、「真夜中のカーボーイ」、「イージーライダー」などがそうだ。彼らは抱いている不安や不満を乗り越えようとする。だけれど結局、報われることなく敗れ去るのだという。

「それ以前のハリウッドっていうのは、ハッピーエンドでなければいけないみたいな風潮があったんだよ。でもこの時代、アメリカは政治的な不況や不信が蔓延していてね、そんな夢物語は受け入れられなくなった。声を上げたところでそれは無意味っていうか、とにかくそういう暗い作品が多かったんだよね」

 でも、と古川さんは続ける。

「それをぶち破ったのがさっき言った二つの作品さ。明るくて力強い、ハッピーエンドを迎えるこの作品を見た当時の人々はまた夢を見ることが必要だと気づいたんだ。これ以降ニューシネマは衰退していくんだよね。だから面白いもそうだけどそういう意味でオレはこの二つがすきなんだ。名作が名作と呼ばれるのにはそれだけの理由がある」

 世界を変えたんだよ。たった二時間でね。古川さんはそう言うと、コーヒーのおかわりをしに行った。

 店を出ると空には夜に置いていかれた月があった。それは薄い色の空になじむように輝きを隠している朝の月だった。

「あ」

 私はつい声が出てしまう。

 古川さんと涌谷さんはとっくに前を歩いていて私の声に気づかない。

 まだ夜の気配が残る街には、けれども何者かもわからない人々が多くいた。私は月を見上げながら歩く。ほかの人たちにぶつからないようにして。

 誰も空を見ていなかった。月を独占していた。

 私は嬉しくなって、「かないますように」とばかり繰り返す。無責任なお願い事。聞いてくれるだけならいいでしょう。

 二人の背中を見失う前に私は走った。

 なんていうか、代理のようなものだ。流れ星に願い事をすると叶うというあれの代わり。流れ星なんて見たことがないから、私は月に願い事をするようにしている。今まで叶ったことはないけれど、見つけるとつい条件反射的にやってしまう。

月に願い事は届かない。だから好き勝手に願い事をする。

 改札で解散した。みんな別々のほうに歩いていった。まだ混み始める前の車両は、やわらかな朝日を車内に落としていた。私は座席に座って揺られている。月はもう見えなくなっていた。

 一日が目を覚まそうとしている。今日はいい天気になりそうだった。朝は平等に人々に活力を与える。

 たった二時間で世界を変えたんだという古川さんの言葉を思い出していた。

変えなければ、私も、世界を。しかしその前に、今はまず帰って眠りたい。

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