第8章 究極呪文

 その日街には花の香りが満ちていた。

店先だけではなく、民家の軒先にも満開の百合の花が所狭しと飾られているからだ。

そのせいでいつもは家屋の屋根がオレンジ色であるため、オレンジの街ともいわれる街が白く染まって見えた。

 70年に一度行われる使者の旅立ちを祝う祭りが開かれている為だ。

 その為そこかしこで爽快な音楽が奏でられ、民衆は思い思いに音楽に合わせて踊っていた。

 表面上は明るく楽しい祭り。

 しかし実際は使者という生贄を魔物に捧げる残酷な祭りなのだ。

(まあ、俺には家族なんていないから、誰も悲しくなんてないんだろうけど)

 教会の窓枠に両肘をついて見下ろしながらそんな自虐を言ってみる。

 視界に映る手には唐草模様のような線が、青く、入れ墨のように刻まれている。

 これは魔物を封じるのに必要な封印の呪がきちんと類の身に施された証だ。

 今は儀式の正式な服だという服にそのほとんどを覆い隠されているが、この模様は全身に及んでいた。顔にも侵食しているので、自分の身ながら少し気持ちが悪かった。

 豪華なレースが施された袖を少しまくり上げてみる。

 本来あるはずのないものがあるというのは違和感もすごい。

「それにしても、これで本当に魔物の封印を強化できるのか?」

 ずっとそうしてきたのだから、効果は間違いないのだろうけど。

 ふとそんな事を考えて、また落ち込んだ。

 フリードたちが託してくれた魔力。

 一度だけ使って、そして失敗した魔術。

 一発本番で成功させることができなければ、自分は死ぬのだ。

 この国の一時の平穏のために。

 でも誰かの役に立つための死なんて、最高にかっこいいじゃん。なんて思ったのはフリードたちが去ったあとの一瞬で。

 やっぱり死ぬのは嫌だ。

 せっかくこの世界で生きるのも楽しいと思えてきたんだ。

 ケイトと一緒に騎士を目指すのもいいと前向きに思えるようになってきたんだ。

 それにフリードからもっとたくさんのことを学びたい。

 それから――。

 それから……。


『ルイ』


 優しく自身を呼ぶ声が脳裏によみがえり、きつく目を閉じる。

 その声は、この世界で類が唯一すがれる存在だった男の声だった。

 でも、繋がれていたと思った絆は、あっけなく断ち切られてしまった。

 いや。初めから繋がれてなどいなかったのだ。

 だけど……。

 この世界へ落とされて、とにかく人間界へ戻りたくて、でも出来なくて。

 そんな自分にルークは、この世界で生きるための方法を示してくれた。

 生きていく目標を与えてくれた。


『俺がお前の新しい家族になる。だからつらいだろうが命を無駄にするな』


 あの言葉が嘘だったなんて思いたくない。

 頭を撫でてくれたあの優しさも、すべてが嘘だったなんて思いたくない。

 まだ、信じたい。

 せめてもう一度ルークと話ができたらよかったのに。

 そうすれば、きっともっと希望が持てた。

 勇気が持てた。

(いつもこんな時、励ましてくれただろ)

 生きるためとはいえ竜族になる事を躊躇っていたときも。

 フリードとの乗馬対決で不安になっていたときも。

 好奇心に負けて魔法を使い、フリードにこっぴどく怒られて、屋敷を飛び出したときも。

 浅はかな行動で人間と交流し、屋敷に被害をもたらしてしまったときでさえ。

 ルークはどんなときだって自分を支え、励まし、優しく慰めてくれた。

 ルークが居なければ、とっくに尽きていたはずの命だ。

 たとえ彼の優しさが今日の為に与えられたものだとしても、良いじゃないかと思えた。

 嫌なことも、辛いことも多かったけれど、人間界に居たら絶対に出会えない人たちに出会えた。

 学ぶことのできなかったこともたくさん学べた。

 今日の作戦が成功する確率が低い今、ルークにひとこと礼を言いたかった。

 儀式にはフリードも出席すると言っていた。だからきっとルークも来るはずだ。

 その時に少し、話ができればいいのだけど。


 コンコン。


「ルイ様、お時間です。馬車にお乗りください」

 返事も待たずにドアを開けた教会の男に今さら腹を立てる余裕もなく、言われるがまま類は先導する男の後に続いた。

 古びた塔の冷たい石の階段をゆっくりと下る。少し不安定なこの階段を下ることもようやく慣れてきたが、それもこれが最後だ。

 生き残ったとしても、二度とこの場所には戻りたくないが。







「ルイ様、頭をさげてください」

「はい」

 外へとつながる重厚な木の扉の前で、前を歩いていた男が立ち止まった。

 言われるがまま頭をさげると、扉の前に控えていた大司祭アルクが手に持っていた、白い薔薇で作られた花冠を類の頭に乗せる。

 途端に薔薇の良い香りが類の鼻をくすぐった。

 良い香りではあるが、これでは使者ではなく花嫁だ。

 決まりなのだろうが、男に花冠はどうなんだろう。

 自分的にはきつい絵面だ。

 フリードのように絵に描いたような美男子ならば違和感などないだろうが。

「ルイ様。これですべての支度が終わりました。さあ、馬車へお乗りください」

 アレクの声を合図に重厚な扉が内側から開かれた。

 途端に差し込むまぶしい日の光。

 その明るさに目が慣れて、初めに飛び込んできたのは赤い色だった。

 赤い絨毯が教会の入り口から馬車までまっすぐに敷かれている。

 そしてその絨毯をはさむようにして両側に白いローブを身にまとった教会関係者たちが、これもまた馬車まで列を作っている。

 ますます結婚式のようだと思いながら、類はゆっくりと歩みを進めた。

 一歩、歩みを進めるたびにこれからどうなるのだろうかという不安。

 もう戻れないのだという不安。

 色々な不安が押し寄せる。

 思わずうつむきかけたその時、視界先に太陽の光を集めたかのように眩しい金髪が目に飛び込んで来た。

 はっと顔を上げ、その正体を目に刻み込む。

 その顔はまっすぐに正面を見ている為、列の真ん中を歩いている類を見てはいない。

 だが横顔だけでもわかる。

 高く筋の通った鼻。海を映したような青い瞳。

 会いたくてたまらなかったルークがそこにいた。

 無意識に足を早めて、先を急ぐ。

 そしてルークの目の前で足を止めた。

 しかしルークはその視線を上げたままで、背の低い類をその目に映すために視線を下げたりはしなかった。

 それだけのことで、胸がツキンと痛みを訴える。

「……ルーク」

 息が詰まりそうなほどの苦しさを感じながら、それでもなんとか声を絞り出した。

 それはまさに蚊の鳴くような小さな声だったけれど、目の前のルークには届いたはずだ。

 こっちを向いて。

 少しで良い、声を聞かせて。

 願いを込めて見上げ続けるも、その顔はまっすぐ正面を見たまま。

 思わず唇を噛み締めた類の視界に、ルークの横で顔を歪めてこちらを見つめるフリードが見えた。

「ルイ様、足をお止めになりませんよう」

「あ……」

 後ろからついて来ていたアルクがそっと類の背中を押す。

 ルークと話がしたかったのに、その僅かな力に押されるように類の足は歩き始めてしまった。

 すれ違いざま、心配そうに眉を下げたフリードと目が合う。

 その一瞬、フリードが声には出さずに口を動かし「俺がいる」と伝えてくれた。

 それに頷きだけを返して、類はアルクと共に馬車に乗り込んだ。

 馬車の扉が、外から閉められる。

 扉が閉まっても、馬車が出発しても、ルークは一度もこちらを見なかった。

(もう本当に、俺のことなんてどうでもいいのか……?)

 ルークの中ではすでに目的は達成されてしまったのだろうか。

 死地に送り出すならせめて最後くらい笑ってくれても良いのに。

 どうして最後までだまし続けてくれなかったのか。

 騙されていたこと知らなければ、傷つくこともなかったんだ。

 身体が重い。

 俺は馬車の外で手を振る民衆に応える気力もなく、固い馬車の背もたれに背を預け静かに目を閉じた。










 白く美しい街を離れ、舗装のされていない土の道を進んでしばらく。

 類たちを乗せた馬車は森の中を進んでいた。

 まだ昼間だというのに木が密集しているせいでこの辺りは日の光があまり届いていない。気温も街中よりわずかに低くなっているような気がした。

 動物の気配もあまり感じられない薄気味悪い森の中に、馬の足音と馬車の行く音だけが響く。

 カタカタと乗り心地の悪い馬車に揺られてどれくらい経ったのだろうか。

 腰と尻が限界を訴え出したその時、不意に馬車が停車した。

 外からドアが開けられ、まず先にアルクが降り、外から類も降りるように促してくる。

 促されるまま素直に降りれば、そこは開けた空間になっていた。

 半円状に木が伐採され、平地となった場所に馬車が10台以上止まっている。

 儀式に参加する人達もそれぞれの馬車でここへ来ているのだ。

 馬車がなければこの空間はもっと広く感じたはずだ。

 そしてその空間の先に、大きな壁。正確には四体の石像が彫られた石の壁が立ちふさがっていた。

 四体の石像の丁度真ん中に入り口の様なものが見える。

 あれこそが「封印の地」に建てられた「封じの神殿」。あの中に魔物が封じられているのだ。

 そのせいか皆、顔がこわばっているように見える。

 類自身は魔物がどういう存在なのかイマイチわかっていない所があるので、魔物自体に恐怖感はない。

 今、思考のほとんどを占めているのは、ここから生きて帰れるのかどうか。それだけだ。

 フリードから授けられた作戦。

 それは、究極呪文を魔物に撃ち込むこと。

 上手く行けば、魔物を倒せる。

(究極呪文、か……)

一度、半ば無意識に、なにかに取りつかれたように呪文を唱えたあの夜。

 あの時は、失敗した。

 自室を破壊し、怪我を負い、それでもフリードの説教で済んだが、今回失敗すれば命はない。

 もう二度と怒ってもらうこともできない。

 考え出したら、やはり怖い。

 手を握りしめていなければ、そこから全身に震えが伝わっていきそうだ。

(でも……)

 でも、今この身体にはフリードとアイリスからもらった魔力がある。

 自他ともに認めるあの二人の力があれば、もしかしたら……。

 もしかしたら、もう一度彼らと笑い合えるのではないか。

 そんな風に思えた。

 だから、きっと大丈夫。

 大丈夫なんだ。

 そう言い聞かせながら足を神殿へと進める。

 入り口は狭く薄暗い。

 前後を松明を持った男たちが囲んでいなければ、入り口を抜けた先にあった階段も目に入らず足を踏み外していたかもしれない。

 石の階段を、コツコツと鳴らしながら下っていく一行。

 石でできているせいなのか、地下へ下っているせいなのか、体感温度がまた少し低くなったような気がした。

(この先に魔物が?)

 誰かに問いたい気持ちはあったが、誰も口を開かず、どことなく神妙な空気の中で口を開く勇気はなかった。

 もしここでフリードやケイトと軽口を聞けたなら、類の気持ちも少しだけ軽くなっていただろう。

 この緊張を分かち合えないのが辛かった。

 階段を下りながら、危ないと思いながらもチラリと背後を覗き見る。

 大人が二人並んでも少し余裕があるくらいの幅はあるが、類の前後は大勢の教会関係者たちで固められており、その後ろについて来ているであろうフリードたちの姿を捉えることはできなかった。

 そのことに内心肩を落としながら、先導されるがまま階段を下る。

 二階分は下っただろうか。

 類がそう感じるころ、ようやく階段が終わった。

「……っ」

 階段を下り終わり、開けた空間に足を踏み入れた瞬間、強烈な冷気が類を襲った。

 冷凍庫の中に入ったかのような冷たい風がむき出しの頬を撫で、流れていく。

「なんなんだ、これ……」

 そこに広がっていたのは体育館ほどの空間。

 地下にあるので窓はないが、先に中で待機していたらしい15人ほどの司祭が魔術で明かりを灯してくれているので、視界に問題はない。

 見上げた天井は体育館よりもかなり高かった。

 天井にはどうやって描いたのか、壁画が描かれ、部屋を覆う壁には等間隔に竜族の石像が置かれている。

 飾りにしては数の多い石像は男女もバラバラで、中には背の低い、子供の様なものもある。

 神殿には聖なる像が飾られていてもおかしくないのだが、ここにある石像は天使の様な羽根もない。まるで一般の竜族を模しているようだった。

(それに、あの花はなんだ?)

 石像をまじまじと観察していた類は次いでその石像の一体一体の前に置かれた花束に目を向けた。

 白を基調とした花でまとめられたそれは、まるで外国映画に出てくる墓前に捧げる花束のようだ。

「あれらは歴代の使者様たちです」

 石像をじっと見つめ、足を止めていた類に気付いたアルクが半歩後退し、隣に並んだ。

「使者……」

 それは神の使いとして魔物に捧げられた者たち。

 つまりあれは……。

 ここにある石像の数だけ、竜族は犠牲を出してきたということ。

 魔物が封印されていても、定期的に生贄を出さなければいけないなんて。

「こんなの、おかしいだろ……」

「なんですと?」

「あんたたちは平気なのかよ。こんなに犠牲を出して……!永遠にこんなこと続けていくつもりなのかよ!?」

「なんだと!?」

「二―ド」

 類の後ろを歩いてきた男が思わずと言った様子で声を荒げたが、アルクが手を上げて合図を送ると、まだ何か言いたそうにしていたがすっと後ろに下がった。

「ルイ様。我々にはこれしか方法がないのですよ。かつて最強と呼ばれた5賢者様でさえ、あやつを倒す事はできなかった。彼らを超える魔力を持つ者がいない今、我々はこうして封印を保つことで精一杯。情けない事です」

 アルクの声は、神聖な場所にふさわしく、とても静かだった。

 だがその冷静さが類をぞっとさせる。

(この人は、生贄を捧げることを何とも思ってない)

「私にもあなたのように力があればと何度願った事か……。この身ひとつを捧げることで、この国の平穏が守られるのですから」

 あなたが羨ましいとうわ言のように呟くアレクはどことなく、悲しそうにも見えた。

 だが恐らくそれは生贄になった者たちに対する哀悼ではなく、言葉通り、自身が選ばれなかった事への悲しみなのだろう。

(この人達はおかしい)

 感覚が違う。

 それとももう慣れてしまったのだろうか。

 ずっと繰り返されてきた悲しい儀式に。

「そんなの、俺は嫌だ」

「ルイ様?」

「だって俺が死んでも、また70年後には違う誰かが犠牲になるってことだろ?そんなの……」

(死に損じゃないか)

 吐き出しそうになった最後の言葉をなんとか飲み込んで、唇を噛み締める。

 また誰かが死ななければいけない未来が確定なら、今ここで死ぬことに意味はあるのだろうか。

 たった70年の平穏の為?

 じゃあ70年後に死ぬ誰かの命はどうでもいいとことなのだろうか。

 そのとき大切な人を送り出す家族や、恋人の気持ちはどうなる?

「犠牲の上に成り立ってる平和なんて、おかしいだろ!」

「だがそうしなければ何億という竜族が一瞬にして死ぬことになる。大の為の小の犠牲だ」

「――っ!」

「ルイ様。これは大変名誉なことなのですよ。あなたの名は永遠に竜族の歴史に刻まれ、あなたの姿は石像となってここで祀られることになるのです」

(そんなの全然名誉に思えねぇよ。だって……死んだら、何もかも終わりだろ)

「さあ、ルイ様祭壇へおあがりください」

 再び歩き出したアルクに続いて、素直に足を進める。

 まだ魔物の姿を確認していない。

 おそらく類がこの先にある階段を上り、舞台のように整えられた祭壇に上った時に開かれるという舞台の向こうの大きな扉の中に封じられているのだろう。

 その姿を確認したら、すぐさま究極呪文を叩きこむ。

 不完全なものであっても、至近距離からぶつければ相手も無事ではいられないはずだ。

(俺も、無事じゃいられないだろうけど……)

 でも、信じると決めたのだ。

 フリードたちの魔力を。

 階段をゆっくりと上りながら、空間を見渡せば、ようやくフリードと目が合った。

 フリードが大丈夫だと言うようにひとつ頷くのに、こちらも小さく頷いて返す。

(思い通りになんて死んでやるもんか。あわよくば魔物を倒して英雄になってやる。人間やめてまで生き残った俺を舐めんなってんだ)

 恐怖を乗り越えたら、今度は腹の底からじわじわと怒りが湧き上がってきた。

(魔物だかなんだか知らないけど、魔法使えるやつらがなにビビってんだ!人間なんて魔法使えないんだぞ!)

 心の中だけで不満をぶちまけながら見届け人たちを見渡しているとおかしなことに気が付いた。

(ルーク、どこいった?)

 神殿の中が広いと言っても、ルークひとりを判別できないほどではない。

 それなのに、どれだけ見渡してもその姿を見つけることはできなかった。

(どこに行ったんだよ。最後まで、見届けないつもりか?)

 お前が俺をここに連れてきたのに。

 さすがにそれは酷いのではないか。

 類の中で寂しさと怒りが入り混じる。

(せめて最後まで、見届けろよな!知らないうちに魔力ごっそり吸い取られててもしらねぇぞ!)

 様々な思いのこもった視線を振り切って、階段を乱暴に上がっていく。

 足音もわざと立てた。

 こちらの怒りが少しでも伝わって欲しいと思いながら、祭壇と呼ばれる舞台風の場所へあがる。

 そこは、ただ石を敷き詰めただけで何もない空間だからか広く見えた。10帖ほどはありそうだ。

 階段から一歩奥へ進んだその時、ガガガガッと音を立てて階段が床に収納されていった。

 飛び降りればただでは済まない高さだ。

 なるほど。

 どうやらこの祭壇には生贄を逃がさない細工がしっかりとなされていたらしい。

 どこかに階段を降ろすスイッチがあったのだろう。

 下にあるのは間違いないのだから、そっちはフリードに任せておけば大丈夫だ。

 あんなにすごい近衛隊の隊長であるフリードが剣を持っていないからといって文系司祭たちに負けるはずもなかった。

 その証拠にフリードを見れば口角を上げて頷いている。

 いつの間に移動したのか、その隣にはアイリスの姿もある。

 彼女もまた、兄によく似た綺麗な唇を引き上げてこちらを見ていた。

 二人の勝気な様子に、こんな時だというのに笑いそうになってしまった。

(頼もしい兄妹だなぁ。一生ふたりには勝てない気がする)

 そんなことを思いながら親指を立てて見せる。

 それに二人も親指を立てて応えてくれた。

 品のある二人には似合わない動作に、また笑いそうになる。

 和ませようとしてわざとやってくれているのだろうけれど。

(ありがとう、ふたりとも) 

 優しい二人の姿を目に焼き付けて、類は魔物が封じられている扉の前まで歩いていく。

 この扉も下からの操作で開くのだろう。

 横幅も経て幅も、この空間ギリギリに作られた大きな扉。

 この向こうに眠る魔物とはどれほどの大きさなのだろう。

 大きな口に一瞬で飲み込まれてしまう自分を想像して、慌てて首を振った。

(マイナスなイメージは捨てるんだ。究極呪文が成功する良いイメージだけをしろ)

「ふぅ……」

 小さく息を吐き出して、目を閉じる。

 その時にようやく自身の呼吸が浅くなっていることに気付いた。

 脈も速い。

 意識して深呼吸をする。

 気持ちを落ち着かせて、身体の緊張を解かなければ作戦を成功させることなど出来はしない。

 1回、2回、3回……。

 深呼吸を5回目を終えたとき、目の前の扉がギギギっと重い音を立ててゆっくりと開き始めた。

 いよいよ魔物と対面するのだと思ったら、落ち着かせたはずの心臓がまた慌ただしく鼓動を刻み出す。

 深呼吸をしなければ、そう思うのにうまくできない。

 僅かに開いた扉の向こうは闇だった。

 黒い絵の具で塗りつぶした画用紙よりも、明かりのない夜よりも濃い、完全なる黒。

 何も見えないということはそれだけで恐怖だ。

(嫌だ)

 あの闇に飲み込まれるのだけは嫌だ。

 無意識に後ずさる。

 しかしゆっくりと3歩ほど下がったところで、自分に逃げ道などないことを思い出した。

 飛び降りる勇気があれば、助かる可能性は高まるだろうが。

 そんな勇気はない。

 それに……。

 自分を信じて力を託してくれたフリードとアイリス。

 ふたりの為にも、ここから逃げるわけにはいかない。

 特にフリードの思いを裏切る事だけはしなくなかった。

 この世界に来てずっと劣等生だった自分を、フリードは今日まで見捨てずにたくさんの知識を与えてくれた。

 とても厳しい指導だったときもあったけれど、課題をこなしたとき、少しでも成長したときは遠回しにでも褒めてくれた。

 自分の失態で屋敷が壊され、ルークを危険にさらした後でさえ、フリードは見捨てなかった。

 人間嫌いで初めは握手すらしてくれなかったフリードが、生き残れと手を握らせてくれた。

 大切な力を分け与えてくれた。

 ここで応えられなきゃ、自分は本当のクズになってしまう。

 何ひとつ恩返しができないまま死ぬのだけは嫌だ。

 全部が上手く行ったら、胸を張ってフリードの教え子だと言えるような騎士になりたい。

 だから。

(息をしろ)

 言い聞かせて、無意識に止めていた呼吸を意識的に再開させる。

 まだ後退しそうな足を、無理矢理押しとどめる。

(逃げるな。立ち向かえ……!)

 少しずつ扉が開くとともに広がっていた闇が、ついに類の視界すべてを覆いつくした。

 扉が完全に開いたのだ。

「――っ!」

(今、なにか聞こえた……?)

 人の咆哮のような、獣の鳴くような、そんな声が聞こえたような気がした。

 

 オオオオォ……。


 勘違いじゃない。やはり聞こえる。

 この闇の、向こう側から。

 ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚がして、次いで全身に寒気が走る。


 オオオオオ……。


 オオオ……!


(声が、大きくなってる……!?)

 それはつまり声の主が近づいてきていると言う事。

 そして次の瞬間、闇の向こうから大きな熊の手の様なものが伸ばされた。


 ダンッ!


「うわああっ!」

 思わず後ろに倒れ込む。

 全身が震えて、力が入らない。

腰が抜けたかもしれない。

 そんな類の耳に、かろうじてアルクの叫ぶ声が聞こえる。

「今はまだ完全に目覚めていない!封印が利いている内に扉の向こうへ飛び込んでやつを眠りにつかせるのです!」

「できるか馬鹿!!」

 つい暴言が出たが、もうなりふりなんて構っていられない。

 あんな恐ろしいものがいる闇の中に飛び込んでいくなんて正気の沙汰ではない。

 早く究極呪文を打ち込まないと。

 呪文を唱えないと。

 呪文、呪文……。

(あれ、呪文ってなんだっけ……!?やばい、思い出せない!)

 さっきまでは覚えていたはずなのに、まったく呪文が思い出せなくなっていた。

 呪文が唱えられなければ究極呪文を発動させられない。

 あいつを倒せない。

 つまり自分は死――。

「ルイ!」

「……!」

 下から自分を呼ぶフリードの声に遮断しそうだった意識が引き戻された。

 震えが少し治まる。

「気にせずやってしまえ!」

「フリードっ!でも、結界は!?大丈夫なのか?」

 舞台の縁まで走っていき、下を覗き込む。

 フリードは真下まで来ていた。

 その隣にいたアイリスが「問題ありませんわ!」と声を張り上げている。

「結界は後でどうとでもなります。まずはそいつを倒す事が先決です!」

「アイリス、お前何を……何をしようとしているんだ!?」

 三人の不審な言動にようやく気付いたアルクがアイリスに詰め寄る。

 大司祭に詰め寄られても背筋を伸ばしたまま、まっすぐ彼の方を見るその姿はとても美しく見えた。

「アルク様。わたくしはもう終わりにしたいのです。あれを倒さなければわたくしたちに真の平穏など訪れはしないのです」

「倒す?なにを馬鹿な……それができないから我々はずっとこうしてきたというのに。一体どうやって倒すというんだね?」

「究極呪文ですわ」

「なに……?」

「ルイは究極呪文を発動出来た。今回はわたくしたちの魔力も授けました。ですからきっと完璧に究極呪文を操り、この悲しい連鎖を止めて下さるはずです」

「そんなこと出来るわけがない!ルイ様!馬鹿なことは考えず、我々のためにその身を捧げてくだされ!たとえ究極呪文を発動できたとして、それを完璧に操れる保証などない!術が暴走すれば、ここにいるすべての竜族の命が危険にさらされることになるのですぞ!」

「っ!」

 見た事のない鋭いアルクの視線が類を捉える。

「このふたりを危険にさらすより、その身を捧げ封印を強化した方が確実に守ることができる!さあ!早く扉の向こうへ!」

「ルイ!気にするな!自分を信じて呪文を発動させるんだ!お前ならできる!」

「そうですわ!ルイならできます!お兄様の厳しい訓練に耐えてきたんですもの!自信をお持ちになって!」

「フリード……アイリス……。わかった、俺、やるよ!」

「おやめくだされ!おいお前たち!このふたりを外に連れ出せ!このふたりのせいでルイ様の心が乱れている!」

「はい!さあ、こっちへ来い!」

「きゃあっ!」

「アイリス!――このっ!」

 アイリスの腕を掴んだ男が、すぐさまフリードの重い蹴りをくらって吹き飛んだ。

 その瞬間ほかの教会関係者たちも束になって二人を連れ出そうと襲い掛かってくる。

「フリード!アイリス!」

 足場もない今、類が二人を助けにいくことは出来ない。

 せめて階段があれば……。

 そう心の中で願った時、類の耳に重い石が触れ合うようなガガガガッという音が聞こえた。

「まさか……」

 慌てて階段があった場所へ駆けよれば、案の定収納されていた階段が再びせり出している。

 フリードがスイッチを押してくれたのだろうか。

 これで加勢ができる。

 これでもフリードの特訓を耐えてきたんだ。普段体術の訓練をしていない相手ならば、この身体ひとつあれば十分勝機はある。

 とりあえず二人を助け出して合流だ。

 そのあとで魔物を倒す。

「よし、それでいこう……って、えええええ!?教会の人、のぼってきてるじゃん!」

 慌てて後退る。

 ドタドタと騒がしい足音を立てて4人の男たちが階段を駆け上がってきていた。

 どうやら強制的に類を扉の向こうへ放り投げるつもりらしい。

(これじゃあ助太刀に行くどころじゃない!一気に4人相手って出来るか?出来るのか俺!?)

「さあ早く扉の向こうへ行くんだ!」

「うわあ!」

 伸ばされた手を咄嗟に半歩身を引いて避ける。

 そこへすぐさま別の手が伸ばされ、反射的に右手で叩いて退けた。

 相手がわずかに怯んだ隙を逃さず、男たちの間を縫うように駆ける。

 その間にも類を捉えようといくつもの手が伸ばされたが、日々フリードの容赦のない攻撃を受け続けていた類にとってその攻撃はスローモーションのように見える。なんなく躱し、弾き、距離を取る。

(こっからどうすればいいんだ?)

 類は今まで訓練以外で誰かと本気で戦ったことはない。

 しかも今回は一気に4人も相手にしなければならないのだ。

 下手にこちらから仕掛けても、ひとりを相手にしている間に必ず隙が生まれてしまう。そこを狙われたら不利だ。

 せめて相手が二人だったらよかったのに。

 そんなことを考えていたのがいけなかった。

「捕まえたぞ!」

「ぐっ……!」

 いつの間にか背後から5人目の男が迫っていたのだ。

 あっけなく腕を取られ、そのまま反対の手を首に巻き付けられる。

 完全に動きを封じられてしまった。

「よくやったオズ!そのまま扉の向こうへ放り込め!」

「ああ!」

「じょ、冗談じゃない……!俺は大人しく生贄になんてならないからな!このっ、離せ!」

「暴れるな!大人しくしろ!――おい、お前たちも手伝え!」

「ああっ」

 類を取り囲むように立っていた男たちも、類を抑え込むために手を伸ばしてくる。

 せめて首を掴む腕が離れれば、振りほどくことは容易いのに。

「このっ、このっ!」

 渾身の力で暴れるが、背後の男は離れない。

 思い切って脛を蹴ってみたが、後ろ側への攻撃だったためあまり威力を発揮してくれなかった。

 抜け出そうとあれこれ試しているうちに、拘束する腕が6本に増えてしまった。

 そうなればいくら鍛えている類でも扉へと引っ張る力に抗うことは出来ない。

 少しずつ、少しずつ闇が近づいてくる。

(いやだ……あそこへ行くのは嫌だ……助けて……)

 現実を拒むようにきつく目を閉じる。

 その時瞼の裏に浮かんだのは太陽の光を集めたような金髪を持つ男の姿だった。

 困った時はいつも手を差し伸べてくれた。

 だからきっと、今だって――。

「助けに来いよ、ルーク!!」

 叫ぶ類の身体が闇の向こうへ投げ込まれそうになった、その時。

 類を抑えていた男たちが鈍い音と共に吹き飛んだ。

「うわっ」

 支えを失った類は咄嗟の事で身体のコントロールができずに、無様にも床に転がる。

 目と鼻の先には闇があった。

「危ねぇ……!」

「危機一髪だったな」

「――――っ」

 耳に馴染んだ低い声に、顔を上げる。

 太陽の光を集めたような金髪に、海を映したようなブルーの瞳。

 どうして彼がここにいるのか。

 理解が追いつかない。

 類の目は零れ落ちそうなほど大きく見開かれていた。

「ルーク……」

「立てるか?」

 差し出された手を、反射的に掴んで立ち上がる。

「って、違う!なにナチュラルに助けに来てんの!?お前、俺のこと見捨てたんじゃないのかよ!」

 心の中では信じていたくせに、気持ちとは裏腹に責めるような言葉が口から吐き出される。

 言ってから少しだけ後悔したが、ルークは気にした様子もなく「見捨てた覚えはない」とさらっと返してきた。

「はぁ?だってお前、俺が教会に連れていかれるとき助けてくれなかったじゃんか!」

「あそこで下手に逆らえば俺への監視が強まり、お前を助けるチャンスを逃すと思ったんだ。俺は、お前をみすみす死なせるつもりなどなかったぞ。それに、別れ際にちゃんと言っただろ――お前に言ったあの言葉を、忘れるなと」

「……確かに言ってたけど、あの言葉ってなんなのかわかんなかったし」

 自分にも少し落ち度があるような気がして目を逸らせば、頭上から呆れたようなため息が降ってきた。

「俺たちは、お前の味方だ」

「!!」

 類が魔術で人を殺め、酷く落ち込んでいた時。

 フリードは本気で類を殺そうとしていた。

 その時ルークが言ってくれた言葉だった。


『俺たちは、お前の味方だ。弱音も吐いていい。それだけは忘れるなよ』


 まさかあの時の言葉をさしていたなんて。

「……わかりにくいよ、馬鹿野郎」

「そうか。それはすまなかった。だがこうしてちゃんと助け出したんだ。許してくれ」

「……うん。許すよ」

(だってルークには今までもたくさん助けてもらったから)

「ありがとな」

 うつむいたまま小さくこぼしたお礼の言葉。

 しかしルークには聞き取れたのか、いつものように優しく頭を撫でてくれた。

「――ルイ。お前は石像を見た後言ったな。犠牲の上に成り立つ平和など、おかしいと。俺も常々この儀式には疑問を持っていた。そして連鎖を終わらせたいと思ってもいた。その時、お前がこの世界に落とされてきたんだ」

「あ……じゃあやっぱり……」

「勘違いされそうだから先に言うが、先ほど言ったように俺はお前を死なせるつもりなどなかった。死なせるつもりのやつに血を分けてやるほど優しくはないからな」

「……じゃあ、どうして俺を?」

「共にこの魔物を打ち倒すためだ」

「――!」

「俺は今までお前に触れるたび、少しずつ魔力を注いできた。今日も魔力をフルに溜めてきている。この力を合わせれば、究極呪文も不可能ではないはずだ」

 少しずつ注いできた。

 その言葉に、類はそっと頭に手を触れた。

 もしかしてよく頭を撫でてくれていたのも、その為だったんだろうか。

 ルークは初めてであったあの日から、いやもしかしたらその前からずっと。

「魔物を倒すために?」

「そうだ。国民がこれ以上犠牲になるのは嫌なんだ。お前の意思を無視して計画をすすめ、なおかつそれをお前に告げなかったことは悪かったと思っている。ここを無事脱出できたその時は、どんな咎でも受けよう。だから、今は力を貸して欲しい」

「ルーク……」

 ルークは王族で、あんなに大勢の人達をまとめていて、すごく慕われている。

 力で言う事を聞かせる事なんて簡単なのに。

 それなのにルークはこんな小僧相手に頭を下げている。

 地位も名誉もある大人の男がここまでしているのだ。

 それを抜きにしてもルークは命の恩人だ。

 恩を正式に返せるときがきたというのに、どこに断る理由があるというのか。

 だけどひとつだけ聞かせて欲しい。

「あのさ、ルークが俺を選んだ理由ってなんだったんだ?たまたま目の前に落ちてきたから?人間だったから?」

 唐突な質問にルークは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの無表情に近い表情に戻る。

「お前なら俺の願いを託せるかもしれないと、思ったからだ」

「どうして?」

「あの日、俺たちが初めて出会ったあの森で、お前は必死に生きる方法を探していた。そして生きるために竜族になる決意をした。この計画には恐怖に打ち勝ち、最後まで生きようとする意志が何より大事だ。だから選んだ。生きることにまっすぐなお前を」

「それだけかよ……」

 生きたいと願うのは、当たり前の事じゃないか。そう小さく呟くが、ルークは少しだけ悲しそうに笑う。

「お前も司祭たちを見て感じただろう。この儀式に対しての竜族の感覚は狂っている。みんな喜んで命を捧げてしまう。だがお前は違うだろう?」

「まあ、そうだな……」

 先程のアルクとのやり取りがあっただけに、そこは素直に納得してしまった。

「俺はお前に出会えてよかったと思っている。お前は根性があるし、努力もするし、ちゃんと実力をつけてきた。神というものがいるのなら、お前はこの国を真の意味で救うために使わしてくれた使者なのかもしれない」

「大げさだよ。それに――」


 オオオオオ……!


 話に集中していた二人の耳にひと際大きな方向が聞こえた。

 はっとして同時に闇の向こうへ視線を向ける。

 大きな、熊のような手が結界にピタリとついていた。

「封印が弱まっている!」

「もうあれこれ考えてる時間はないってことかよ!どうなっても知らないからな!ルークは下に避難しといて!」

「何を言っているんだ。俺たちは一心同体。最後までここでお前と共に戦うに決まっているだろう!」

「は……ああ、もう!わかったよ!ホントあんたって頼りになるよな!」

 本当はもっと反論したかったのだが、迷いのないまっすぐな目を見てしまえばその先の言葉は出てこなかった。

 それに正直最後まで一緒に居てくれるというのは心強い。

 少しだけその優しさに甘えることにして、類は闇の中から出てこようとしている魔物と向き合った。

「俺のすべての魔力をお前に預ける。魔術は使えなくなるが、援護は任せろ」

「わかった」

 背中に大きな手が触れる。

 そこから温かいなにかが流れ込んできた。

「呪文は忘れていないな」

「うん、大丈夫だ」

(さっきはまったく思い出せなかったのに、不思議だ)

 今はすんなり思い出すことが出来た。

「結界ごと吹き飛ばすつもりでいけ」

「わかった。あの、でも今さらだけどそんなに威力の強いもんぶっ放して、この神殿が無事とは思えないんだけど……」

「そうだろうな」

「そうだろうなって!そんなさらっと!ここにはたくさん――」

「安心しろ。外から招き入れた親衛隊に全員の避難誘導を指示してきた。まもなく完了するはずだ」

「え!?」 

 そういえばルークに殴られて伸びていた5人の男たちもいつの間にかいなくなっている。

 下も先程までの騒がしさがなくなっているようだった。

「でも、ルーク……お前は……」

「言っただろ。一心同体だと。お前が魔力を使い果たしてバテても、担いで連れ出してやるさ」

「担ぐって、そういう問題じゃないだろ!ここ石で出来てんだぞ!?崩れたら普通につぶされて死ぬだろ!」

「その時は、なんとかする」

「なんとかって!?ルーク今俺に全部魔力渡したよな!?なんで緊急用に残しとかないんだよ!」

「出し惜しみして魔物を倒せなかったら元も子もないだろう。なんとかするといったらなんとかする」

「いやいやいや!無理だって!」

「できる」

「無理だって!」

「出来ると言ったら出来る」

「出来るわけないでしょう馬鹿ですか」

「――!?」

 突然響いた第三者の声に、二人して背後を振り返る。

 そこには冷めたような視線を半目で送るフリードがいた。

 仁王立ちで、腕まで組んでいる。

 その後ろにはアイリスの姿もあった。

「お前たち、なぜここに。避難しろと伝えただろう」

「わかりましたとは言いましたが、言う通り避難するとは答えていません」

「危険なんだ。早くアイリスを連れて逃げろ!」

 珍しく、声を張り上げるルークに類は驚き肩を震わせたが、フリードはその冷めた表情を一切崩さない。

 むしろ険しさを増しているような気がして、類はまた肩を震わせた。

「勝手な事ばかり言ってくれるな。俺は心底怒っているんだぞルード。俺はお前の右腕として信頼を得てきたはずだ。なのにここに来てこんな単独行動。そしてそれに気づかなかった俺自身にもな。これ以上勝手はさせない。お前もルイも必ず生きて連れ帰る」

「計画を知らなかったとはいえ、わたくしたちも魔物を倒すために魔力を与えてしまったのですから、もう共犯ですわ。それにここで見捨てていくなんて私のプライドが許しません。最後まで、共に戦います」

「…………」

 口を半開きにした、ポカーンという表現がぴったり当てはまる表情でルークが固まっている。

 それからたっぷり5秒ほど固まり続けたルークは、そのあと唐突に大声を上げて笑い出した。

「はははははっ!」

 初めて聞くルークの笑い声についにおかしくなってしまったのかと、今度は類がポカンと口を半開きにしてしまった。

「さすがフリード家だな。兄妹揃って勇敢だ」

「お褒めいただいて光栄ですが、ここから無事脱出できた暁にはルイと共に制裁をくわえさせていただきますからね。そんなことで私は誤魔化されませんよ」

「わかっている。ちゃんと罰は受ける」

「よろしい。では力を合わせて、この連鎖を止めましょう」

「ああ。ルイ、いけるな?マークスとアイリスは援護を頼む」

「わかった」

「わかりましたわ」

 頷く二人と目を合わせて類も大きく頷く。

 そして闇へと向き直った。

(絶対に倒してやる)

「ふぅ……」

 細く長く息を吐き出し、目を閉じる。

(イメージしろ……あいつを倒すイメージを……)

「ふぅ……」

 二度目の息を吐き出したころ、類の耳からすべての音が消えていた。

 耳鳴りだけが響いている。

 ふわりと風が巻き起こり、類の髪を揺らす。

 その風に導かれるように類は両腕を前に突き出した。

「天、地、すべてに宿りし精霊よ……」

 

 フアアアァ……。


 下から巻き上げる風の力が強くなる。

 それと同時に自分の中から熱が放出されていくような感覚。

 手のひらの先に出来た小さな光が、やがてバランスボールほどの大きな光の球となった。

(いける)

 前に失敗した時とは明らかに違う。

 意識がぼんやりする感覚もない。

 魔術をきちんとコントロール出来ている気がした。

「我の声を聞き、我の声に応えよ!」


 ブアアアアァ!


 途端強風が類を中心に巻き上がった。

「うわっ!」

予想もしなかった強い風に、思わず身体が倒れそうになる。そんな類の背中を「しっかりしろ!」とルークが支えた。

「お前は俺が支える!お前は魔術に集中するんだ!」

「わかった……!はぁああああ!」

 逸れてしまった意識を魔術に集中させる。

 光の球がまた一回り大きくなった。

「いけるぞ!ルイ!」

 背後からルークの興奮気味の声が聞こえたその時。

 強烈な寒気が類を襲った。

「――あ」

 身体が大きく震え出す。

(なんだ、これ……寒い……)

 まるで手の先からすべての熱が出て行ってしまったかのように、足先から自身でも冷たくなってきているのが認識できた。

 そんな類の様子に気付いたフリードが「まずい!」と声を上げた。

「魔力を出し尽くしてしまっています!これ以上は危険です!」

「だがまだ珠が小さい!これではあいつを倒す事はできないぞ!」

「ですがこれ以上はルイの身体がもちませんわ!」

「くっ……!三人の魔力を合わせてもまだありないとは……!どうすればいいんだ!」

 このままでは魔物を倒せないばかりでなく、類の命も危うい。

 類を除いた3人に焦りの色が浮かんだ。

 なにか方法はないか。

 目の前の闇を消し去り、全員で笑い合える未来を掴むために。

 今、出来る事は……。

 三人が必死で考えている間にも類の震えは大きくなっていた。

「これ以上は無理だ。イチかバチかこの大きさで――」

ぶつけてみるしかない。そう言葉を繋げようとしたフリードの声は「待ってください!」という少し高い声にさえぎられた。

 ほぼ同時に石の階段を駆け上がる複数の足音が響く。

 全員何事かとそちらに視線を向けて驚いた。

「ケイト……何故ここに……」

 思わずと言った様子でフリードが呟く。その直後、ケイトの背後に二つの人影が現れた。

「俺たちもいますよ!」

「俺たちも多少魔力はありますから、役に立てるはずです」

 フリードと同じ親衛隊の制服に身を包んだ、マックスとハミルトンだった。

「お前たちまで……」

「俺たちの魔力なんて大したことないっすけど、使ってください!」

「……覚悟はあるのか?」

 静かな声でフリードが新たにやってきた3人に問いかける。

 真剣な問いに3人はすっと背筋を正すと「はい」と頷いた。

「覚悟がなければここには来ません」

 代表して口を開いたハミルトンの言葉にマックスとケイトが頷いて同意した。

 それを見たフリードは「わかった」とどこか困った顔で頷く。

「正直少しでも力を貸してもらえるのはありがたい。お前たちもルイに力を貸してくれ」

「はい!」

 許可を得て、類のもとへ駆け寄る3人。

 そっとその背に手を当てた。

「ルイ、い、一緒に頑張ろうね!」

「ケイト……ありがとう」

 背中から温かい熱が伝わる。

 3人の魔力が流れ込んできているのがわかる。

 気づくと類の震えは止まっていた。

 そして再び魔術に意識を集中させる。

「っ……!」

(頼む!あいつを倒せるだけの大きさになってくれ!)

 類の願いに応えるように光の球が類の身長ほどの大きさに成長した。

「まだだ!あと少し!」

 まだ足りないというルークの言葉に、状況を見守っていたフリードが静かにアイリスの名を呼んだ。

「……アイリス。お前だけでも、守れるな」

「お兄様?」

「私はルイにもう一度魔力を注ぐ。そうなればここにいる者を守れるのはお前だけになる。任せても良いか」

 どこか不安げなフリードにアイリスは勝気な笑みで答えた。

「わたくしを侮らないでくださいませ。守りの魔術に関してはお兄様より優れていると自負しております。あとのことは心配せず、ルイに力を貸してあげてください」

「ああ!」

 フリードが類に駆け寄る。そしてその手を他の3人と同じように類にのばした。

 その瞬間、圧倒的な力が自身の中に流れ込んでくるのを類は感じた。

「はああああああ!」

 自身の中に満ちる力を手から光の球へと注ぐ。

 光の球がついにルークの身長を上回る大きさへと変化した。

 類の額ににじみ出た汗が、頬を伝って床へと落ちて行く。

「今だルイ!いけぇええええ!」

「闇を切り裂き、光を解き放て!イレイズ!!」

 ゴオオオッと炎が激しく燃えるような音と共に光の球が類の手から解き放たれた。

 それはまっすぐに闇へと飛んでいく。

「はあああああっ!!」

 


 パリイイン……!


 ガラスの割れるような音の向こうにひと際大きな獣の咆哮を聞いた気がしたのを最後に、類の意識は闇へと飲まれていった。


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