第7章 残された希望


 バンッ。


「どういうことだルーク!」

 普段なら絶対にノックをしてから開ける重厚なドアをフリードは乱暴に開け放つと、そのまま駈け込む勢いで奥へと進んだ。

 広く見渡しの良い室内は、入ってすぐの場所にソファーセットやローテーブルの置かれた応接スペースがある。

 いつもならば応接セットに乱れはないか、汚れはないかなどをチェックして進むのだが、今日はそれもしない。

 ただまっすぐ、その奥にある執務机を目指して進んだ。

「どうかしたのか」

 この部屋の主、ルークは明らかに様子のおかしいフリードに見向きもせず、手元の書類に何かを書き込んでいる。

 フリードさえ冷静を保てないこの状況で、いつもと変わらず執務をこなすルークにさらに怒りが募った。

 

 ドンッ!


 怒りのままに執務机に両手を叩きつければ、机の上に山と積まれた書類が少し崩れたが、知った事ではない。

 今はそれよりも重要な事があるのだ。

「なぜルイが使者に選ばれた!」

「…………」

 こうして目の前で声を張り上げ、混乱のままに訴えているというのにルークは相変わらず書類から顔を上げない。

 なぜこんなにも冷静でいられるのか。

 あれほど可愛がっていたルイを教会に連れていかれてしまったというのに。

 新たな混乱がフリードの内に広がっていく。

「あいつは何もできない出来損ないだぞ!魔術だってまともに使えないんだ!ちゃんと教会に説明したのか!?」

「…………」

「ルーク!!なぜ質問に答えないんだ!」

「究極呪文」

「は?」

 不意にルークがそう口を開いて、フリードを見上げた。

 その瞳にゾッとする。

 いつもは芯があり、宝石のように美しいと感じるブルーの瞳が、今は氷のように冷たく感じる。

 付き合いの長いフリードでさえ、そこから感情を読み取ることはできなかった。

「あいつは一度究極呪文を使い、屋敷を破壊した。あれを教会関係者が見ていたらしい」

「――っ!!」

 ルークの言葉に、フリードの身体は電流が流れたように震えた。

 あの日、あの夜。フリードはルークに各種報告書を提出し、口頭でも様々な報告を行っていた。

 ようやくすべての報告が終わり、部屋で休めると気を抜きかけたその時、屋敷に響き渡った爆音。すぐに音の方へ駆けだせば、類の部屋が吹き飛んでいた。

 爆風にやられたのか、傷だらけで倒れ込む類を抱き上げるルーク。

 その時一瞬感じた視線。

 あれは気のせいなどではなかったのだ。

「チッ!」

 抑えきれなかった舌打ちが漏れる。

 あの時気のせいと思いこまず、相手を特定し、きちんと説明していれば。

 類は自分の教え子の中でも最も劣り、魔術はおろか勉強さえもまともにできないのだと伝えていれば。

 ギリリと奥歯を噛み締める。

 そうしなければ、取り戻す事のできない過去への後悔と自己嫌悪でどうにかなりそうだった。

「……どうするつもりですか」

「なにがだ?」

「このままルイを、神にくれてやるつもりですか。魔力のないものを捧げたところでなんの役にも立たないと説明を――」

「その心配はない」

「え?」

「あいつに魔力はないが、俺から与えることはできる。その問題はクリアしているからな」

「は――」

 一瞬、ルークが何を言っているのか理解ができなかった。

 類に魔力はないが、与えることは出来る――?

 それは……。

 その意味は……。

 考えたくもない、嫌な推測がフリードの中に広がった。

「まさか、あなた……初めからこのつもりルイを――?」

「…………」

 ルークは答えなかった。

 けれど、そう考えればすべてに納得がいく。

 人間である類に自身の血を与え、竜族にしたタイミング。

 元々人間好きという訳でもないのにわざわざ屋敷に住まわせ、知識を与えたこと。

 フリードでさえ簡単には足を踏み入れられないルークの書斎に類を入れ、好きに本を読ませていたこと。

 そしてそこで類は究極呪文の書かれた本を見つけ、発動させてしまった。

 類の好奇心の強さを考えれば、ルークならば予想できないことではなかったはずだ。

 

 ドクン……ドクン……。


 考えれば考えるほど推測が確信に変わっていく。

 そうだ。

 ルークは初めから、類を使者にするつもりで……。

 その言葉を自身の中で明確にした時、全身に先程とは比べ物にならないほどの寒気が走った。

 強さに憧れ、その指導力、統率力を誰よりも尊敬してきた。

 ずっと支えて行こうと決め、着いてきた。

 その男を、フリードは初めて心から怖いと感じた。

「なぜ、こんなことを……」

「これが上手く行けば、これ以上竜族から犠牲を出さずに済む」

「――っ」

「俺はもう、この連鎖を終わらせたいんだ」

「だからと言って人間をこんな使い方――」

「さすがに教え子には情が沸いたか?人間と見れば容赦なく切り捨てていたお前が?」

「……っ」

 ルークには死角になる低い位置で、血が滲むほど掌を握りしめる。

 どう見てもルークの方が類を大切にしていた。

 だが、事実は逆だったのだ。

 この男は初めから類を駒のひとつとしか見ていなかった。

 不安になる類を慰め、優しく頭を撫で、声をかけていた。

 あれは全てこの日まで類を囲っておく手段に過ぎなかったのだ。

(なんと、恐ろしい男だろうか。そしてルイ、お前はなんと哀れな男だろうか) 

 フリードの脳裏に類の人懐っこい笑顔が浮かんで、消えた。

「すべてはこの国の為だ。お前も俺の右腕として協力してもらうぞ」

 そう話すルークの声にも一切の動揺は見られない。

 ただ、国の為。そのためには自身を偽り、大のために小を切り捨てられる男なのだ。

「――あなたは国王にふさわしいお心をお持ちのようだ」

 少しだけ皮肉を込めたその言葉の意味に気づかないはずはないだろうに、目の前の男は責めることはせず、ただ口角を引き上げた。

「そんなものに興味はない。俺は俺のやるべきことをやるだけだ」

「……そうですか。わかりました。今はルイと親しくしていた屋敷の者や近衛隊に動揺が広がっています。しばらく混乱が続くことだけは覚悟しておいてください。――あの子はこの短期間で随分ここに馴染んでいたようですから」

 一気に言葉を吐き出すと、フリードは「失礼します」と頭を下げ、くるりと背を向ける。そのままルークの声を待たずに部屋を出た。

「――知っているさ」

ドアが閉まる瞬間、ルークの声が聞こえた気がしたが、もうすでに重厚なドアは閉まっており、その表情をうかがい知ることは出来なかった。











天井も、壁も、床も、部屋に置かれた家具さえ――といってもベットとローテーブル、そのテーブルをはさむように置かれたソファーくらいしかないが――すべてが眩しいくらいの白で統一された部屋の片隅に、沁みひとつない純白のローブを身にまとった類がうずくまっていた。

ベットと壁の間で身を隠すように膝を抱えて、身じろぎもせずぼーっとどこかを見つめている。

この部屋に閉じ込められてどれくらい経ったのだろう。

何も説明がされないまま、身に着けていたすべてを奪われ、この白い空間に押し込められた。今も、その理由は知らない。

ただ毎朝毎朝、裏の森にある湖で禊をさせられる。身を清めなければいけないのだと、ただそれが自身のやるべき事なのだと、そう言われて。

 それ以外はただこの部屋でぼーっと過ごすだけの日々だ。

 唯一の扉は外から厳重に鍵をかけられ、決められた時間にしか空けてはもらえない。

 窓はひとつだけ。それは内側から開けることができるのが唯一の救いだ。

 ただし、類の閉じ込められている部屋は教会横の塔の頂上付近にあるのでそこから脱出することは不可能だった。

(大丈夫……きっとすぐ、迎えに来てくれる。ここから連れ出してくれる)

 そんなことを無意識に考えて、はっと顔を上げた。

(一体誰が迎えに来るって言うんだ)

 唯一類がすがる事の出来る存在、ルークはきっと来ない。

 そんな現実を認めたくなくて、ぎゅっと固く目を閉じた。

 あの日、類がアルクたち教会関係者たちに連れられてフリードたちから引き離された後、類はルークの執務室に通された。

「ルーク!これ一体どういうことだよ!一体何がどうなってんのか説明してくれ!」

「お前はただ、アルクたちに従っていればいい」

「なんだって……?」

「アルク、ルイのことは頼んだ。俺も儀式の日は顔を出す」

「はい。ルイ様の事はお任せください。――お前たち、行くぞ」

「はい」

 類の存在などない物のような扱いで、周りは勝手に話を進めていく。

 両側に立っていた男たちに腕を無理やり引かれ、歩かされる。

 これでも鍛えていた方だと思うのだが、抵抗もあまり意味がない。

「ルーク!ちょっと、待って!俺これからどうなるの!?」

 顔だけを無理矢理振り向かせて背後のルークを見る。

 まっすぐにぶつかった視線。

 その瞳は、見慣れた綺麗な色をしていた。

 そして先程とは打って変わって、その顔は少し苦しそうに歪んでいるように見えた。

「ルイ。お前に言ったあの言葉を、忘れるな」

 あの言葉って、なんだよ。

 そう問いかける前に、類は執務室から連れ出されてしまった。

 アルクに預けることを了承していたのに、ルークは何を伝えようとしていたのだろう。

 あの場合、普通謝罪だろ、と口の中で悪態をつく。

 急にわけのわからない状況にひとりで置かれて、頭の悪い自分には何も推測する事なんてできない。

 ただひとつ浮かんでくるのは、嫌な未来だけだ。

 例えば、残された人生を、自分はこの部屋に閉じ込められたまま終わるのではないか、とか。

 教会関係者は皆、類の事を「神への使者」と呼んだ。そして毎日繰り返される禊。

 これではまるで神に仕える巫女のようではないか。

 こんな生活は自分には合わない。

 あの屋敷に買えりたい。

 ライと一緒に馬術場を駆けたり、マックスやハミルトンと剣術の稽古をしたり、ケイトと一緒に講義を受けて、フリードに怒られたり。

 辛いことも多かったけれど、退屈はしなかった。

 ここでの生活は退屈だ。

 本を読むことさえ許されていない。

 何もしないことがこんなにも苦しいなんて、知らなかった。


 ギィッ。


不意に部屋の扉が明けられる音がした。

けれど類は腕に顔を押し付けたまま、視線を向けることもしなかった。

どうせ教会の誰かだ。

危険があるわけでもないし、楽しい話が聞けるわけでもない。

すべてを拒絶するように、よりいっそう身を固くした。

 足音が二人分。石の冷たい床をコツコツと鳴らしながら近づいてくる。

 そしてそれは案の定、類の目の前で止まった。

 用があるのなら早く告げて、ここから出て行って欲しい。

 今は、誰かと話したい気分ではなかった。

 しかし。

「――ルイ」

「!!」

 頭上から聞こえてきたアルトボイスに、首が取れそうな勢いで顔を上げた。

「あ……」

 その視線の先、少しだけ困ったように眉を下げている、男。

 なぜ彼がここに……。

 これはあまりに退屈過ぎて、帰りたいと望んだ自分が見せた幻なのだろうか。

「フリード……?」

 その存在を確かめるように恐る恐る手を伸ばせば、少しだけ体温の低い、大きな手が、類の手を包み込む。

「ああ。私だよ。ルイ」

「――っ」

 そんな優しい声は初めて聞いたとか、そんな顔初めて見たとか、後々思うことはあったけれど、反射的に立ち上がった類はその胸に飛び込んでいた。

「フリード……っ!」

「ルイ……何もできなくてすまない」

 背中に回された腕でフリードが強くルイを抱きしめる。

 それだけで、類の涙腺はあっけなく崩壊した。

 とめどなく溢れる涙。

「フリードっ……おれっ、おれ、わけわかんなくて……誰も説明してくれないしっ……こ、これからどうなるのか、不安で、不安で……!」

「……ああ。そうだろうな。そのことを伝えるためにも、俺はここに来たんだ」

「ルイ。時間がありません、落ち着いて聞いてください」

 フリードに抱き着いたまま、頭を撫でられる感覚がして、そこで初めてアイリスの存在に気付いた。

「アイリスも、来てくれたんだな……」

 同じ教会にいるというのに、不思議な程彼女には会わなかった。

 教会の中では身分が高いと聞いていたので、彼女は彼女の仕事に追われていたのだろう。

 それがどうして今日、兄と共にここへ来たのか。

 アイリスの言葉に「そうだった」と小さくこぼしたフリードは、そっと類を離すとそのまま類をベットに座らせた。

「お前の状況を簡単に説明する。ルイ、お前は神の使いに選ばれた」

「うん……それは、聞いた。でもそれってなんなんだ?」

「文字通り、神のもとへと使わされる者の事だ」

「それって、生贄、とかじゃないよな……?」

 ずっと心の隅で思っていた恐ろしい推測を否定してほしくて、無理やり笑いを浮かべて訊ねる。

 しかし返ってきたのは「その通りだ」という重い言葉だった。

 心臓が急に締め付けられたかのように苦しみを訴え始める。

「この世界に魔物がいるという話はしたな?」

 究極呪文によって弱らせ、封印することができたという魔物のことなのだろうと思い、コクリと頷いた。

「あの話には続きがあるんだ。魔物の封印は70年ほどの周期で弱まる。その時に竜族は魔力の高い者に封印の呪という魔術をほどこし、生贄として差し出すんだ。そしてその者を魔物が食らうことによって魔物を内側から動きを封じ、再び70年の眠りにつかせることができる」

「そんな……それが、俺?なんで……まともに魔術も使えないのに……」

「だが、お前は離れていてもルークの莫大な魔力を吸い取ることができる。つまりお前は――」

「お兄様!」

 何かを言いかけたフリードだが、アイリスの声に口を噤み、なんでもないと目を伏せた。

 だが、さすがに頭の弱い類でもその言葉の続きは予想できた。

 つまり自分は――。

「ルークの身代わりってことか……」

 心がスッと冷える。

 その瞬間まるで映画の主人公を画面越しに見ているような感覚に陥った。

 自分の事が、非現実的に思える。

 急に視界がクリアになって、自分が自分でなくなったような気がした。

 この瞬間、類は完全に帰る場所を失ったのだ。

 人間界へも戻れず、唯一の居場所であったはずのルークにはあっけなく切り捨てられた。

「初めからおかしいと思ってたんだ……竜族が人間に優しくするなんて。フリードみたいに毛嫌いするのが当たり前なのに、あいつは初めから優しかった……」

「ルイ……」

「だったら、初めから言ってくれればよかったのに……そうしたら、こんなに……」

 こんなにも心を寄せることはなかった。

 こんなにも、傷つくことはなかった。

 目の奥が熱くなって、スッと涙が頬を伝っていく。

「結局俺は、この世界に落ちた時点で、死ぬことが決まってたんだな……っ」

「そんなことはありませんわ!どうか希望を捨てないでくださいませ!」

「そんなの無理だよ!ここから逃げ出したって、俺はルークのとこにいなきゃ生きていけないんだから!俺には生贄になって死ぬしか道がないんだ!」

「落ち着けルイ!」

 癇癪を起した子供のように大声を上げ、暴れる類の肩を掴んでその動きを止めたフリードがその手を両頬を掴むように移動させて、無理矢理視線を合わせる。

「俺たちがそれだけを伝えに、危険を冒してまでここにきたと、本当に思うのか?」

「あ……」

 落ち着いたフリードの声と、その真剣な眼差しで、意識が少しだけ冷静になった。

 そうだ。この二人は自分と違って頭がいいエリートだ。

 なんの考えも無しにここに来るはずはない。

「俺の話を聞けるな?」

「……うん」

 はっきりと頷けば「よし」と満足そうに頷いたフリードが手を離す。

「ここからが重要だ。まず俺たちはお前をみすみす死なせるつもりはない。その上で考えてきた作戦を聞いてほしい」

「わかった」

「まずお前は特殊な体質をしているということから説明する。契約によってルークの魔力を吸い上げられることはもちろんだが、なぜだかお前は契約者以外の魔力も直接触れることによって吸い上げられるらしい」

「そうなのか?」

「恐らく間違いない。ルイが究極呪文を不完全ながら発動させたあの日、疑問には思っていたんだ。お前自身には魔力はない。つまりあの時使われたのはルークの魔力ということになる、だがルーク自身はそれほど疲労した様子は見られなかった。あれだけの魔術を使うとなれば、魔力の消費も当然激しい。そこで俺はひとつの仮説にたどり着いたんだ」

「仮説……実は俺にも魔力が芽生えていたとか?」

「残念ながらそうではない。あの日の昼、お前は俺に究極呪文についての質問を投げかけたな。そして俺はくだらない質問はするなと立ち去ろうとした」

「ああ、そうだったな。それで俺は思わずフリードを掴んで、思い切り振り払われたんだ」

 今思い出しても、少し悲しい。いくら人間嫌いでもあんなにあからさまに嫌悪感を出さなくてもいいだろうに。

「別に言い訳するわけではないが、あの時、俺はお前の事が嫌で振り払ったんじゃない」

「え、そうなの?」

「ああ。あの時、お前に捕まれた腕から力が抜けていく嫌な感じがして、咄嗟にやってしまったんだ」

「力が抜けていくって、もしかしてあの時魔力を?」

「そうだ、少しは賢くなったようだな」

 出来の良い生徒を褒めるように、満足そうに頷くフリード。

「お前はあの時俺の腕を掴み、俺の魔力を吸い上げた。そして吸い上げた俺の魔力とルークの魔力を使い、究極呪文を発動させたんだ。これでルークの疲労が少ないことにも、究極呪文を発動出来た事にも納得がいく」

「そうなのか……。でも、それがどう俺が助かる作戦につながるんだ?」

「俺と、アイリスの魔力を限界まで吸い上げるんだ。そして、魔物に食われる瞬間、至近距離から究極呪文をぶち込め」

「は……?それ、本気で言ってんの?」

「ああ」

「ちょ、ちょっと待って!冷静になってくれフリード。俺、あの魔術失敗してんだぞ。それを魔物にぶつけて倒せって?そんなの無理に決まってる!今まで誰も倒せなかった魔物だぞ!?あんたが一番知ってるだろ?俺がどんだけダメな奴かって、ケイトならともかく劣等生の俺がそんな作戦成功できるわけ――!」

「だがお前は不完全ながらも究極呪文を発動させた。あれは発動させること自体難しい魔術なんだ。俺でも出来るかと言われたら無理だと答える。お前には魔力はないが、素質はあるんだよ。そして俺はずっとお前を見てきたから、わかる。お前はいざという時はやる男だ」

「……っ」

 そんな言葉を今言うのは、ずるい。

 普段、絶対に褒めたりしないくせに。

 そんな優しい顔で、言うなんて。

「覚えているか、ルイ。お前はこちらに来て間もない頃、俺と乗馬対決をしたな。誰もがお前の負けを信じて疑わなかった。俺も圧倒的な大差でお前に絶望を与えられると思っていた。だが結果は違った。乗馬などやったことのなかったお前が、近衛隊長である俺に僅差でゴールしたんだ」

「結構ハンデもらったのに、負けたんだけどな……」

「それでも俺は根性のあるやつだと思ったよ。負けず嫌いで、努力家で、もしかしたら本当の騎士になれる男かもしれないと、今なら素直にあの時の気持ちを認められる。お前は俺がルーク以外で認めた貴重な存在だ。自信を持て」

「フリード……」

 目の奥がギュッした痛みを伝える。

 すぐにジワリと湧き出す涙。

 頬を伝う涙をフリードの親指がそっとふき取った。

「泣くな。まだ、希望はある」

「そうですわルイ。自慢ではないのですけど、わたくしとお兄様の魔力は国の中でもトップクラスですのよ?それからルーク様の魔力も根こそぎ吸い取ってしまいなさい」

 アイリスらしからぬ「根こそぎ」という怖い表現に思わずぎょっとしてその顔を見上げてしまう。

 予想に反して、その顔は笑っていた。

「この三人の魔力が集まれば、きっとあの魔物だって打ち倒せますわ」

「アイリス……でも俺、怖い。自信ないよ」

「自信がなくともおやりなさい。それが唯一、あなたが生き残る道ですわ」

「それに当日は俺たちも同行する予定だ。出来る限り、援護する。お前はひとりじゃない」

「フリード……でも、魔力吸い取って、二人は大丈夫なのか?」

 魔力を吸い取ると疲労するのだと先程言ったではないか。

 限界まで吸い上げて、二人が無事でいられるとは思えない。

 こんなにも自分を思ってくれている二人を犠牲にするのは、嫌だった。

 思わずうつむいた頭上から一拍の沈黙のあと「ふっ」という笑い声が降ってきた。

(え、今笑う要素なんてあったか?)

 もしかして気がおかしくなったのだろうか。

 ありえないことを考えながら恐る恐る顔を上げると、優しく微笑む二人がいた。

「ルイは優しいのですね。でも心配はいりませんわ。2、3日寝ていれば回復するはずですから」

「そういうもんなのか?」

 自身には経験がないのでわからないが、本人たちがそう言うのならそうなのだろう。

「ああ、問題はない。――さあ、手を取れ」

「わたくしたちの力の力を受け取るからには、必ず生き残ってくださいね」

二人の手が類に向かってそっと差し出された。

 生き残ることができるかもしれない、一手。そのための助け舟。

 自信がなくても、今はこの手にすがる以外、生き残る方法はないのだ。

「どうなるのかなんてわからないけど……死にたくはないし、かけてみることにするよ」

 二人の作戦に。

 二人の魔力に

 そして、自分自身の運に。

 ひとつの覚悟を決めて、類は両手をそれぞれの手へを伸ばした。

 そっと重なるそれぞれの掌。

 何かを確かめるように、決意を共有するように、フリードとアイリスはぎゅっと類の手を握りしめる。

 その想いに応えるように、類も力を込めて握り返した。

 その瞬間、掌が熱くなってその熱が全身を駆け巡っていくのを感じた。

(ああ、これが二人の魔力……すごく、温かい)

 その感覚は寒い日に露天風呂に浸かったあの心地よさに似ていた。










「身体に異常はないか?」

 数分後、手を離したフリードがどこか気だるげに問いかける。

「俺は大丈夫。でも、二人は……」

「ああ、さすがに一気に魔力が抜けたからな。だが、心配はいらない。幸い儀式まであと4日はあるからな」

「あと4日しかないのか!?」

 つまり魔術に失敗すれば、自身の命も4日で終わるということだ。

 死と言う文字が急に現実味を帯びて類に襲い掛かってくる。

「どうしよう、本当にできるのかな……」

「あら、わたくしたちの魔力を貰っておいてまだそんなことを?わたくしたちの力と作戦を信じられないってことですの?」

 ぷくっと頬を膨らませるアイリス。

 こんなときだというのに不覚にも可愛いと思ってしまった。

 もとの造形が整っている人は何をやっても可愛い。

「またくだらないことを考えているな」

「はっ!フリードが俺の心を読んだだと!?」

「お前はわかりやすいんだ……」

「ふふふっ。いつも通りのルイが戻ってきましたわね。その調子ならきっと大丈夫ですわ」

「そうだな。お前ずっと究極呪文使いたがってたんだから、チャンスと思って前向きに向き合えばいいんだよ」

「いや、さすがにそこまで能天気じゃないから」

「そうなのか?」

「いや心底驚いた顔すんなし!」

「能天気じゃないとは知らなかったからな。新たな発見だ」

「ずっと能天気なやつだって思われてたのかよ!?」

「ふふっ」

「はははっ」

 アイリスとフリードの笑い声が小さく響く。

 その時、トントン、トントンとリズムを刻んで部屋の扉がノックされた。

「お兄様、合図ですわ」

「ああ。ルイ、俺たちはもう行かなければ。見張りが戻ってくる」

「わかった。わざわざ、来てくれてありがとな」

「……俺の訓練に耐える根性のある生徒を失うのは惜しかったからな。それだけだ」

「ふふっ。わたくしはせっかくできた大切な友人を失いたくなかったからですわ。ルイ、儀式の日まで会う事はできないでしょうけれど、お互いやれることをやりましょう。そして5日後、皆さんでお茶会をしましょうね」

 5日後。

 それは、4日後の儀式を生き残ったあとの約束。

「うん。お茶会、楽しみだな。絶対、やろうな」

「はい。約束ですわよ」

「ああ」

 どちらからともなく小指を差し出し、そっと絡ませる。

 そしてそれはすぐに離れていった。

「アイリス、行くぞ」

「はい、お兄様」

「気をつけて」

「お前に心配されるほど、弱くはない」

「ははは、そうでしたね」

「――じゃあな」

「はい。また4日後に」

 類の言葉に頷くと、フリードとアイリスは素早く部屋を出て行った。

 またひとり白い空間に残される。

 けれど不思議と、もうこの空間に苦しみを感じなくなっていた。

(生き残れる可能性が少しでもあるのなら、やってやる……!)

 あの二人の好意を無駄にしない為にも。

 類は強い意志を込めた瞳で窓の外の太陽を見上げた。


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