第6章 竜族の仲間

「おはようございます、ルイ。今日も良い天気ですよ。よろしければわたくしとお庭を散歩いたしませんか?」

 窓際に置かれた花瓶の花を整え終えたアイリスが柔らかな笑みを浮かべて振り返る。

 その視線の先にはベットに横たわったままの類がいた。

 目は開けてはいるものの、ぼーっと宙を見ているだけで反応はない。

 屋敷が人間の襲撃を受けてからずっとこの調子だ。

 誰が声をかけても反応がないので、アイリスも声をかけてほしいとフリードに呼ばれてやってきたが、無駄に終わってしまった。

 アイリスが類に会うのは数か月ぶりになるが、随分痩せてしまったように思う。

 食事も半ば無理やり給仕の者が食べさせているらしいが、大半は吐き戻してしまうらしく、痩せてしまうのも当然かもしれない。

 痛々しい姿に一瞬顔を歪めたアイリスがだが、無理やり口角を上げて笑顔を作るとゆっくりと類の側に歩み寄った。

「ルイ。いつまでも寝ていては身体がなまりますわよ?」

「……」

 やはり反応はない。

 それでもアイリスは話しかけ続けた。

「……ルイ。聞こえていないかもしれませんが、ひとつだけお伝えさせてください。あの日の事、心に病むのは仕方がないとは思います。ですが、あなたはヴィルトンを守ったのです。あなたが魔術を使わなければ、ヴィルトンが命を落としていた。ヴィルトンは感謝していましたわよ。それを、受け止めてくださいませ」

「……」

「……また、来ますわね」

 どう言葉をかけても、やはり反応はない。

 アイリスは小さく息を吐き出すと、静かに部屋を出て行く。

 ひとり残された部屋で、類はまた声を出さずに泣いていた。











 今日もまた朝がやってきた。

 もういっそ全てが終わってくれればと思うのに、どうして変わらず朝はやってくるのか。

「はぁ……」

 無意識にため息ばかりが零れ落ちる。

 何気なく視線を向けたサイドテーブルにはルークやアイリス、ケイト、マックスをはじめとした近衛隊員からの見舞いの品が零れ落ちそうなほど乗せられていた。

 それを見るたびに思う。

 自分にはそこまでしてもらう価値はないと。

 人間への想いを捨てきれず、結果この屋敷の人達を危険にさらしてしまった。

 彼らにしてみれば、迷惑者のはずだ。

 なのにどうして、みんな代わる代わるここを訪れるのか。

 その事実が類を苦しめているというのに。

(俺は、まだ人間界に戻りたいって思ってる。だからこそ、こんな結果になった。みんなの気持ちを裏切っていた……。それで、達也さんは……っ)

 ぐっと両手を握りしめる。

 そうしなければ押しつぶされそうだった。

 命を奪ってしまったという、現実に。

(……楽になりたいのに、自分で死ぬ勇気もない。いっそ誰かが俺を……)

 重く暗い気持ちに支配され、そのまま飲み込まれそうなったその時。

 不意に扉の外が騒がしくなった。

 誰かが言い争っているようだ。

「まだあいつには無理ですって!」

「うるさい!もうこちらも我慢の限界だ!そこをどけ!」


 ボコッ!


「え、誰か殴られた……?」

 鈍い音と共に沈黙。

 そしてすぐに部屋の扉が乱暴に開かれた。

「ルイ!」

 怒鳴り声と共に、鬼の形相でこちらに向かってくるのは今日も一切乱れなく隊長服を着こなしたフリードだった。

 久しく見ていなかったその表情に震える。

 敬語も消えていることから、かなり怒っていることが見て取れた。

「いい加減にしろ」

「え?」

「いつまで引きこもっているつもりだ?その間にお前、どんどんケイトに置いて行かれているんだぞ。劣等生がこれ以上劣等生になっていくのは我慢ならん」

「そ、んなこと言われても……やる気なんて出ないし……」

「人を殺したからか?」

「――っ」

 いきなり核心を突かれて息が止まる。

 急激に全身が冷えていくような感覚。

「お前がやったことは竜族として当たり前のことだ」

「俺は、人間だ……同じ人間を、あんな……」

「じゃあ、お前はあの時ヴィルトンが殺されていればよかったと?」

「っ! そんなこと言ってないだろ!」

「同じことだ。あの時お前が選べたのは人間の命か、ヴィルトンの命、どちらかひとつだけ。そしてお前はヴィルトンを取った。それだけのことだ。それで何故そこまで落ち込む必要がある」

「……だって、俺、見た目は竜族になっても、心までは変われないんだよ。マックスが死ねばよかったとか絶対思わないけど、でも同じくらい、人間が死んでよかったとも思えないんだ」

「だからずっと引きこもっていたのか?くだらない」

「くだらないって何だよ!俺は――っ」


ダンッ!


「っ!」

気づけば思い切り首を掴まれ、そのまま上半身をベットに押さえつけられていた。

 息が詰まって苦しい。

 何とか薄目を開けて視界を開けば、呼吸を感じられるくらいフリードの顔が近くにあった。

 鋭く細められた紫の瞳に感じる確かな殺意に再び身体が震える。

「中途半端が嫌なら、今ここで殺してやる」

「……っ」

(フリードは、本気だ)

 幾度も剣を交えたからこそわかる本気の殺意。

 返答を間違えればすぐにでも腰から剣を引き抜き、この首を切り落とすだろう。

 フリードにはきっと簡単なことだ。

 つぅっとこめかみの辺りに汗が流れ落ちる。

 その時、一度目を閉じたフリードがはあっと息を吐き出した。

 それからすぐに手が離れ、フリードが離れていった。

「……冗談ですよ。あまりに吹抜けているから少し脅してみただけです」

(絶対に本気だったぞ……)

「講義は今日まで休みとしますが、明日からはきちんと出席するように。遅れた分を取り戻さなければいけないのですから、今後一回でも休んだら死ぬよりもつらい目に合わせます。いいですね」

「絶対に出席します」

 気づけはそう返答していた。

 どんなに絶望していても、目の前の恐怖には勝てないらしい。

 しかしフリードは類の返事に満足そうに頷くと、そのまま部屋を出て行った。

 呆然とその姿を見送っていると、入れ違いでルークが入ってきた。

 その手には山盛りのフルーツが乗せられた大皿がある。

「こっぴどくやられたな。だが、荒療治が効いてよかった」

「……どういうことだよ。今の、演技ってことか?」

「いや。フリードは間違いなく本気だった。あいつは良くも悪くもまっすぐな男だからな。お前が竜族にとっては最善の選択をしたのに傷ついていることが納得いかなかったんだろう」

「……」

 最善、その言葉に思わず唇を噛み締める。

 その口先にカットされたリンゴが無理やり押し込められた。

「ふぐっ」

「そんな顔をするな。俺はちゃんとわかってるから。だがな、いつまでもこうしていていいのか?次に同じ選択をしないために今、お前にできることはこうして部屋に引きこもっている事ではなく、その身を鍛え、己の魔力を操るすべを身に着け、大切なものを守る力を少しでも多く手に入れることじゃないか?ということをマックスも言いたかったはずだ」

「とてもそんな雰囲気じゃなかったぞ。竜族として生きる覚悟がないなら死ねって聞こえた」

「ははっ。まあ、それも間違ってないだろうな。だがそれもあいつの優しさだ。お前が竜族の中で秀でた存在になれば、この世界で何不自由なく生きていけるのだから。それにお前が士官学校を目指すと言ったのだろう?それを叶えるためにあいつなりに奮闘しているんだ。わかってやれ」

「……うん」

 わかってはいるんだ、と類は口の中だけで呟いた。

 フリードは厳しいけど、優しい。今回も、外に連れ出そうとしてくれただけだ。

 だけどやっぱり周りの優しさが、今の自分には逆につらい。

 いっそ全てを責めてくれたら、立ち直れないくらいに粉々にしてくれたら、こんな風に苦しむこともなかっただろう。

「ルイ」

 名を呼ばれて顔をあげれば、澄んだブルーの瞳と目が合った。

「俺たちは、お前の味方だ。弱音も吐いていい。それだけは忘れるなよ」

 サイドテーブルに置くことのできない皿をベットの上に置いたルークは最後に類の頭をひと撫でして部屋を出て行った。

 忙しい執務の合間を縫ってわざわざ会いに来てくれたのだろう。

「……これ以上、迷惑かけるわけにはいかないよな」

 少なくともサイドテーブルに乗ったお見舞いの数だけ、心配してくれる人がこの世界にもいる。

 お見舞いに来てくれた、ひとりひとりの顔が脳裏を走馬灯のように過った。

(俺は人間だ。でも……ここにもちゃんと居場所がある)

 また目の奥が熱くなり、スッと涙が零れ落ちた。










 翌日。重い身体をなんとかベットから引きはがし、ジャージに着替えた類は久しぶりに鍛錬場に足を運んでいた。

「う~んっ」 

見上げた空は雲ひとつない晴天。降り注ぐ太陽の日差しを浴びて、思わず背伸びをしてしまった。

 ただ外に出ただけだというのに、それだけで少し気分がいい。

 先日の事件を引きずり、薄暗い部屋に引きこもっていたから改めてわかる。

「太陽の力って偉大だなー」

 すべての生き物には太陽の光が重要だと聞いた事があるけれど、本当だったようだ。

「……ルイ?」

「おー、ケイト。久しぶり」

 少し遅れてやってきたケイトに片手を上げて挨拶すれば、目がこぼれそうなほど目を見開いたケイトが慌てて駆け寄ってくる。

「ルイ!も、もう大丈夫なの!?」

「うん。心配かけてごめんな。あと、お見舞い来てくれてありがとう」

「ううん。そんなの当たり前だよ。だって、と、友達だから」

「……っ。そ、か。でも、ありがとな。俺が出られなかった講義のメモを取ったノートとかくれただろ?あれすげぇ助かった。自分の分もあるのに大変だっただろ」

「そ、そんなことないよ。フリードも、もっとこういう風に書いた方が分かりやすいとか、協力してくれたし」

「え?フリードが?信じられない……」

 自分には鬼の対応が基本の男は、どうやら自分以外には隊長らしい振る舞いを見せているようだ。

「本当だよ。あの人、素直じゃないから本人の前では言わないだろうけど、ずっと気にかけてたんだ。講義中も空いている席を見て、ルイならこうも簡単に理解できないとか、ルイなら寝ているとか、ルイなら、ルイならって事あるごとに言ってたよ」

「それは気にかけてると言うんだろうか……」

(ただ単に馬鹿がいなくて講義が順調に進むな、とか思っていただけなんじゃ)

「ふふ。あとね、もちろん僕も、ルイが居なくて寂しかったよ。今日からまた一緒に頑張れるのが嬉しい」

「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ。心が弱ってた時、もう誰も俺のことなんて必要としてくれないんじゃないかって思ってたから」

「そ、そんなことないよ!」

「うん。今はわかってるから大丈夫。頑張って、士官学校に行こうな!」

「う、うん!あ、僕今日鍵預かってるから、久しぶりに打ち合いしようよ。少しは力も強くなったんだよ?」

 ふふっと楽しそうに笑ってケイトが模擬剣を納めている小屋へと走り出す。

 その背を、反射的に呼び止めた。

「どうかした?」

「あのさ、前に両親の事打ち明けてくれたことあっただろ?力のせいで傷つけちまったって……。やっぱり力があって、実際にその力で誰かが傷つくのを見ると怖いな。あの時はちゃんとお前の気持ち、考えなくてごめん」

「……そんなことないよ。ルイがいたから、力のことも前向きに考えられるようになったんだよ。それに、ルイも力は守るためにあるって知ってるから、大丈夫。怖がらないで、力とも仲良くなって。そしたらきっと、自分の事も、大切な人の事も守れるようになるから。僕は、そう信じてるよ」

 にこっと微笑んだケイトは、じゃあ行ってくるねと今度こそ保管小屋へと走っていった。

「力とも仲良くなる、か。ケイトは強いなぁ。でも、俺も見習わないと」

 弱いままじゃ、きっと今度も守れない。

 強くならないと。

もう何も失わずに済むように。この手で誰かを守れるように。

「――おや。逃げずに来たようですね」

「うわぁ!!」

 突然耳元で囁かれ、大げさな程身体が跳ね上がった。

 痛むほど激しく脈打つ心臓の辺りを押さえながら振り返れば、いつも通り澄ました顔のフリードがいた。

「きゅ、急に背後から声かけるなよ!」

「私は足音も消さずに、普通に来ましたけどね。ぼーっとしていた自分の失態をこちらに押し付けないでいただきたい」

「う……」

 考え事をしていたのは事実なので、反論ができない。

「ところで、私は何の指示もしていないのに何故ケイトは剣を持っているのですか?まさか二人で自主的に打ち合いを?」

「あ、うん。ケイトがやろうって。まだ訓練までは時間あるし、少しならやってもいいだろ?」

「私は構いませんよ。休んでいる間にあなたの筋力がどれだけ落ちているか見るいい機会ですしね。どうぞ思う存分打ち合ってください」

 にこりと綺麗な笑顔で許可をくれたフリードだが、逆にそれが怖い。

 だがケイトは許可を貰えたことで「ありがとうございます!」と素直に喜んでいた。

 今までの積み重ねで怖いと思ってしまっただけで、本当に、単純に、現状どの程度の筋力があるのか見たいだけなのだろうか。

「よかったね、ルイ。はい、これ」

「あ、うん。ありがとな」

 ケイトから模擬剣を一振り受け取って、片手で構える。

 模擬剣とは言え、刃先を潰してあるだけなので重さなどは本物と同じだ。

 休む前はなんとも思わなくなっていたその剣が、今は少しだけ重いと感じる。

(やっぱり多少は筋力がも落ちてるんだな)

 そんな事を考えながら、感触を確かめるように2、3度軽く振ってみる。

 やはり振り下ろすときに腕ごと持っていかれるような感覚がする。

 剣を腕が支えられていないのだ。

「い、いけそう?」

 類の思いを感じ取ったのか、不安そうに眉を下げたケイトが問う。

「ああ、大丈夫だ。時間無くなるし、やるか」

「う、うん。じゃあ、いくよ。はあっ!」


 キィンッ。


「くっ!」

(嘘だろ!?ケイトの剣てこんなに重かったっけ!?)

 両手で押し返しているというのに、全然動かない。

 類の腕は震えていた。

「くそっ……はああ!」

「うぅっ!ま、負けないからね……やああ!」


 何とか押し返したが、反撃に出る前にケイトが再び打ち込んでくる。

 反応も早くなっている気がした。

 自分の感覚ではそれほど訓練をサボっていたわけではないと思うのだが、その僅かな日数でこれ程成長するものなのだろうか。

 こちらは受け止めて、受け流すだけで精一杯。

 前とは完全に立場が逆転している。

「はああっ!」

 数分の打ち合いの末、ひと際大きな声と共にケイトが渾身の一撃を打ち込んできた。

「うわっ」

 ケイトの打ち込みと共に、半円の軌道を描いて自身の剣が宙を飛んでいった。

 一拍の後、鈍い音を立てて剣が離れた位置に落下する。


 ガシャン……ッ。


「あ……」

 信じられないようなものを見るような目でその剣を見つめるケイト。

 類もまさか吹き飛ばされるとは思っておらず、信じられない思いで自身の手を見つめた。

「勝負ありましたね。ケイト、素晴らしい打ち込みでした。訓練の成果が出ていましたね」

「は、はい。ありがとうございます」

「これからも励んでください。――さて、ルイ?」

「ヒィッ!」

 笑顔なのに目が笑っていない。

 その顔に思わず悲鳴があふれ出てしまった。

 ついでに半歩後退る。

「どうして逃げるのですか?」

「い、いや。条件反射と言いますか、なんと言いますか」

「逃げる体勢を取る、ということは少なからず自身の失態を理解しているということですよね。この結果はもちろんケイトの努力の結果ですが、まさか剣を飛ばされるとは。2、3歩どころか、初心者ですよね。筋力や握力はどこに置いてきたんですか捨ててきたんですか」

(饒舌なのが本当に恐ろしいな……)

「ははははは……」

 下手に口答えすれば火山が噴火して地獄を見ることは間違いないので、とりあえず笑って誤魔化すと一瞬でフリードが真顔になって震えた。

「あなたには新たに組み直した別メニューもあとでお渡しします。それをこれから毎日欠かさず、行うように。良いですか?毎日、欠かさず、ですよ」

「……ハイ、ワカリマシタ先生」

 今の類にはそれ以外の言葉の選択がなかった。

 どんな恐ろしいメニューが渡されるのか、想像するだけで胃が痛む。

 フリードの肩越しにケイトが心配そうにしていてくれることだけが救いだ。

「さあルイのポンコツっぷりはよくわかりましたから、剣術の訓練を始めましょう。もちろん訓練はケイトのレベルに合わせて行いますから、ついてこられなければそのまま置いて行きますから悪しからず」

「相変わらず俺への対応が厳しすぎる……」

「さあ剣を構えて。まずは打ち込み練習です」

(もう完全に存在をないものにしてるぞ)

 そう思いながらも大人しくケイトの隣で剣を構えた。

 やはり少し重く感じる。

 まさかあの数日でこれほど筋力が落ちるとは思わなかった。

「まずは100を3セット。はい、始め」

「え」

「いーち!」

 初日から容赦がない。

 けれど文句を言う間もなくケイトが剣を振り下ろし始めたので、慌てて類も後に続いた。

 









「う、腕が死んだ……」

 初日から厳しすぎる剣術の訓練を終えた類は、剣を保管小屋に戻せないくらい疲労していた。

「だ、大丈夫?」

 不甲斐ない類の代わりに剣を戻してくれたケイトが戻ってくる。

「剣戻してくれてありがとう。腕はまったく大丈夫じゃない。めちゃくちゃ痛い」

「ひ、久しぶりだからしょうがないよ。でも、つ、次馬術だよ。手綱、持てる?」

「うをっ、そうじゃん!やべ、なんとか休憩の15分で元に戻さないと」

「う、うん。もし手伝えることがあったら言ってね」

「ありがとー、ケイト。お前マジで天使。うっし、とりあえず馬術場にいくか。アルフレッド元気してるかなー」

「最近ルイに会えなかったからか、少し元気がないみたいだったよ。で、でもルイが声をかけてあげればすぐに元気になると思う」

「そっか……。それなら早く安心させてやらないとな」

「うん!」

 そんな会話をしながら二人並んで隣の馬術場を目指す。

 この道も最近では二人で歩くことが当たり前になった。

 短い距離でもこんな風に会話しながら向かうと退屈しなくていい。

 今日もあっという間に馬術場に着いてしまった。

「お前!ルイか!?」

「へ?」

 馬術場に足を踏み入れた瞬間、馬術場のトラック内を走っていた馬が3頭、こちらに向かって勢いよく走ってきた。

 そのままフェンス越しに馬を止めると、その勢いのまま降り立ったライがフェンスを飛び越えてルイの前に立つ。そしてルイの両肩を掴むと激しく揺さぶり出した。

 鍛え上げられた筋力で揺さぶられて視界が回る。

「やっぱりルイじゃないか!お前体調は?もう大丈夫なのか?」

「ちょ、ライ!大丈夫だから身体揺すらないで!目が回るから!」

「あ、ああすまん。つい嬉しくて。だってお前、飯もまともに食ってないって……。見舞いに行ってもろくに反応ないし、そりゃ心配するだろ……」

「……うん。そうだよな。心配かけてごめん」

「本当にな……。まあでも、また元気な姿見せてくれたんだから、それだけでいいよ」

 類の身体を揺さぶる事をやめたライが、今度は少し強めに類の頭を撫でる。

 撫でているだけなのに頭が持っていかれそうだった。

 頭を撫でるという行為に慣れていないのか、それともいつも通りなのかはわからないが、ルーク意外に頭を撫でられることはあまりないのですごく新鮮だ。

 毛が大量に抜け落ちている気もしなくもないが、これもライの愛情と思って素直に受け入れる。ただし数秒間だけ。

「痛てぇ!」

 ついに我慢しきれずその愛情に満ちた手を振り払ってしまった。

「頭燃えるから!もう少し手加減して!」

「え、これもダメなのか?じゃあどうやってこの喜びを表現したらいいんだ」

「もう充分受け取ったから大丈夫。正気に戻って。なんかキャラ違うから」

「そ、そうか?いつも通りのはずなんだが……」

「いつもの倍はテンション高いよ」

「それはしょうがないだろう!許せ!」

「許す!」

「ルーイー!!」

「ラーイー!」

 どちらからともなくぎゅっと熱い抱擁を交わす。

(相変わらず厚い胸板……!俺もこんな風になりたい!)

「ル、ルイ。気持ちはわかるけど、そろそろ準備しよう」

「あ、そうだな。じゃあライ。俺たちこれから訓練だからまたなー!」

「おう!俺も見守ってるからな、がんばれよ!」

「さんきゅー!」

 互いに大きく手を振って別れると、類はそのまま厩に向かった。

 その足はいつの間にかスキップを刻んでいる。

 その様子に気付いたケイトが「くすくす」と笑い声をこぼした。








「まったく、情けないにも程がありますよ」

「返す言葉もございません……」

 フリードは、当たり前だが乗馬の訓練も全く手を抜かなかった。

 ただでさえ剣術のダメージが残っていた類がついて行けるはずもなく、途中で握力がゼロになった結果、落馬を繰り返すようになってしまった。

 それでもこれ以上フリードに怒られたくないという子供の様な気持ちで食らいつき続けたのだが、すべての訓練が終わるころにはまさに満身創痍。立ち上がる事も困難になっていた。

 そして今、歩くことも辛い類はフリードの肩を借りて屋敷への道を歩いていた。

 初めはケイトの肩を借りていたのだが、ケイトだけではフラフラと危なっかしい為、見かねたフリードが嫌々肩を貸してくれたのだ。

「引きこもりの代償は大きいですね」

「……そうですね」

 耳元で常に嫌味を囁き続けるフリードの攻撃にあとどれくらい耐えればいいのだろうか。

 フリードがいるのとは反対側で心配そうにこちらを見ているケイトは先程から「大丈夫?」と声をかけ続けてくれているのだが、それは一体何に対してなのだろうか。

 それに表面上では「大丈夫」と返す類だが、精神的な意味では大丈夫ではないと心の中で返答し続けていた。

 これでまだ屋敷での座学があるのだから地獄としか言いようがない。

 我ながらよく耐えてきたと思うスケジュールだ。

「……え!?隊長何やってるんですか!?」

「ルイ!?」

「お前たちか」

 不意に大きな声が耳に飛び込んできて、ギシギシと音が鳴りそうなほど筋肉痛を訴えている首を動かせば、相変わらず雑草一つない綺麗に整えられた芝生の上を駆けてくる二人の男の姿があった。

 白が眩しい近衛隊の隊服に身を包んだマックスとハミルトンだ。

「ルイ!もう外に出て大丈夫なのか!?」

 全力と言っても良い程の勢いで駆けてきた二人が類たちの前で足を止める。そしてマックスはかがみこんで類の顔を覗き込んだ。

 驚いたのは類の方だ。

 あの日、大怪我をしていたはずのマックスがなぜ自分よりも元気に走ってこられるのか。

「いや、俺は大丈夫だけど、マックスは?お腹、大丈夫なのか?」

「おう!俺の身体は丈夫だからな!ははは!」

「まだ痛み止め飲んでるくせに何言ってんだよ」

「それは言うなってハミルトン!」

「痛み止めでなんとかなるレベルには見えなかったけど……傷はもう塞がったのか?」

「ああ!もうすっかり!まあ激しい運動はまだできねぇんだけどな。でも今こうしてられるのもルイのおかげだ。ほんとありがとな」

「俺からも礼を言う。こいつを助けてくれてありがとう」

「あ、いや……うん」

 マックスを見れば嫌でも思い出す、この手で奪ってしまった命。

 だが確かに助けられた命もあったのだ。

 今、目の前でおおらかに笑っているマックス。彼を助けられた、その事実もしっかりと受け止めなければ。

 今までは暗い方、暗い方へと流されていた。けれど、一方で未来を繋いだ人もいるのだ。

 マックスが助かったことで、今笑える人もいるのだ。

 もちろん逆もあるのだけど、今はこの現実をただ喜びたい。そう思えた。

「お前たち話はそれだけか?いい加減仕事に――」

「お兄様!!」

「次はあなたですか、アイリス……」

 フリードが部下二人になにか言葉を投げかけようとした丁度その時、フリードの声を遮るように鈴の様な声が聞こえ、見れば教会の制服に身を包んだアイリスが走り寄ってくるところだった。

 余程急いでいるのか、レンガで整えられた歩道を無視して芝生の上を走ってくる。

「アイリス。大声を上げたうえ、全力で走るなど、いい歳をした淑女のすることでは――」

「それどころじゃありませんのよ!お兄様!早くルイを連れてここからお逃げになってください!」

「は……?なにを急に……。一体何から逃げろと言うんですか」

「いいから早く!!」

「フリード様、あれって……」

 アイリスの後方へ視線をやったマックスの顔が先程とは打って変わって強張ったものに変わっている。

 その視線に導かれるように類も視線をそちらに向ければ、アイリスと同じ制服に身を包んだ教会関係者と思われる男たちが十数人、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきていた。

(あれ、あの先頭にいる爺ちゃんは……)

白いひげを蓄えた初老の男。彼は何度かルークといるのを見た、あの男で間違いなさそうだ。

「なあ、あれってルークの知り合いだろ?なんでこっちに来るんだ?」

「……ケイト。ルイを頼みます」

「は、はい」

「え?ちょ、ちょっと、いきなりなんだよ」

 肩を貸していたフリードが急に腕を離すと、そのまま類をケイトに預け、二人を教会関係者から隠すように類の前に一歩、歩み出た。

 その間にも教会関係者の集団が芝生を踏み荒らし、こちらに向かってくる。

 フリードを初め、アイリスやマックス、ハミルトンにも緊張が走っているのがわかった。

 それが伝わり、類はわけもわからず不安だけが募る。

 ゆっくりと、しかし確実に歩みを進めた白い集団――近衛隊の制服の白とは違い、どこかくすんだ色をしたローブをまとった集団――は、ついに6人の前にたどり着きその足を止めた。

「案内ありがとう。アイリス。そちらにいらっしゃるのがルイ様ですね」

「ルイ様?」

 先頭に立っていた白髭の男が、しゃがれた声で呼んだ己の名に違和感を覚え思わず声を上げてしまったが、前に立つフリードに静かな声で「黙っていなさい」と咎められ、反射的に口を閉じる。

 首を捻った先で、斜め前に立つアイリスを見ると、その顔は何故か今にも泣き出しそうだった。その白く細い手はぎゅっと握り込まれている。

(なんなんだ?どうしてアイリスはそんな顔を……)

 類の回りだけが、この状況を理解しているようだった。

 誰かに説明してほしいと思うが、今の類には声を上げる勇気がなかった。それほどまでにこの場の空気が張りつめ出していた。

「――こちらにはどのような用件で?いくら大司祭アルク様と言えど家主の許可は必要ですよ」

「それなら問題ありませぬよ。私はきちんと許可を取ってここへ参りました。ルイ様、あなたをお迎えに上がるためにね」

「俺を迎えにって、どういうことだよ?」

「ルイ様が神の使いに選ばれたのです」

「神の、使い……?」

 ザァアアアッと芝生の上を冷たい風が駆け抜けていった。

 あれほど晴れていたはずの空が、いつの間にかどんよりとした雲に覆われ始めている。

「神の使いって、それってなんなんだフリード?」

「…………」

「フリード?」

 問いかけに対する声はない。それどころかフリードはこちらを振り向くこともしなかった。

「ケイト?」

 助けを求めるように横を向けば、ケイトは目を見開いて固まっていた。

 その瞳はただ暗い空を映している。

 こちらの声は聞こえていないようだった。

(なんなんだ……?)

 神の使いとはそれほどまでに驚くようなことなのだろうか。

 言葉から推測するに、教会で行う仕事か何かの様な気がするのだが……。

(こうなったらマックスたちに聞くか)

 そう思い顔を上げた瞬間、類の心臓がスッと冷えた。

 マックスやハミルトンの顔が全くの無表情になっていたからだ。

 まるで心と身体を引き離したように。

「……」

 嫌な汗が背中を伝っていく。

「確かルイ様はアルシード公爵がお救いになった孤児だとか。神の使いについてご存じないのも仕方がない。神の使いとはその名の通り、我々竜族のため神の元へ使わされる使者の事です」

「神のもとに使わされる使者って……まさか俺殺されるわけじゃないよな?ははは」

「……っ」

 冗談を言って場を和ませようとしたのに、訪れたのは笑いではなく耳が痛くなるほどの静寂だった。

 その静寂が類の言葉に対する答えの様な気がして、全身から熱が引いていく。

「うそだろ……」

「詳しいお話は教会で。さあ、お前たちルイ様をお連れしなさい」

「はい」

 アルクの後ろに控えていた若い男二人が歩み寄り、ケイトに掴まれていない方の腕を釣り目の男が引いた。

 その瞬間ケイトの手に一瞬だけ力がこもったが、釣り目の男に視線を向けられ、すぐに力が抜けた。

 類は釣り目の男に引き寄せられる。

 そのまま腕を引かれて、歩かされた。

「ちょ、ちょっと待って!何がなんだか……説明ならここでしろって!」

「細かい決まりもございますので、どうぞ教会へ」

「そんな……」

 ただでさえ状況がわからないのに、さらに見知った仲間から引き離されるのは嫌だ。

 だが疲労がたまっている類には腕を引く男に抗う力はない。

 もつれながらも一歩一歩、先へと進まされる。

「フリード……」

 なんとかしてほしい。そんな願いを込めて隣を通り抜けるときフリードに声をかけたが、その目はすべてを拒絶するように閉じられていた。

 誰も、助けてはくれない。

 寂しさが類の身体をさらに冷やす。

 また一歩、足を動かしたその時。

 空いていた右腕を強い力で後ろから掴まれた。

 驚きと共に振り返れば、フリードがこちらをまっすぐに見ていた。

 その目は今まで見た事のないくらい不安に揺れている。

 自分にも他人にも厳しく、どんな状況になろうとも冷静に行動できるはずの近衛隊長が、心を乱している。

「フ――……」

「マークス・フリード」

「……っ」

 類がフリードを呼ぶよりも早く、アルクがその名を呼んだ。

 一瞬だけ腕を掴む力が強まって、そしてスルリと離れて行った。

 再び釣り目の男が類の腕を引く。

 ついに仲間たちとの距離が開き、類は白の集団の真ん中へ引き込まれた。

 その集団に導かれるように芝の上を歩かされる。

 首だけで振り返った先に見たケイトたちはみんな俯いていた。

 ただ一人、フリードだけがこちらをじっと見続けている。

 そんな二人の視界を遮るようにポツリ、ポツリと雨が降り出した。

 弱い雨はすぐに大粒の雨へと変わり、類の視界を奪っていった。


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