第4章 エリート一族の巫女

 白亜の柱に大理石の床。立派なつくりであるのに恐ろしいことに右側は壁がなく、色とりどりの花が咲き乱れる空間が広がっている。小さな噴水から溢れた水が人工的な川を流れて奥の方へつながっている。あちらは裏庭なので、ここから裏庭の噴水までつながっているのかもしれない。

 太陽の光にキラキラ輝く水。鮮やかさを増す緑の芝生に花たち。

 渡り廊下から見えるこの空間が類は好きだった。ここの掃除だけは楽しい。

 雨の翌日は泣きそうなくらい大変ではあるのだが。

「あれ?」

 綺麗に高さが揃えられた垣根の向こうに見知ったルークの姿が見えた。ルークと向き合うように白いひげを蓄えた初老の男の姿もある。

 二人は何やら難しい顔で言葉を交わしている。

 無意識に聞き耳を立ててしまったが、距離がある為聞き取ることはできない。

それでもなんとか聞き取れないかと悪戦苦闘しているうちに二人は共に去って行ってしまった。

「あー、行っちゃった。ルークがあんな顔するなんてよっぽどのことだよなぁ。まあ俺には関係ないだろうけど、あいつほんとに忙しいのな」

 二人が行ってしまうともう興味は薄れ、箒で廊下を掃く作業に戻る。

 廊下に舞い込んだ落ち葉や花弁をあらかたまとめ終わりちりとりでまとめていると、不意に大理石の床を歩く音が響きつられるように顔を上げた。

 コツコツという独特の音に女性の足音であろうということは予測がついていたが、こちらに向かって歩いてくるその人物は予想よりも幼く、まだ少女といった風貌をしていた。シミひとつない透き通るような肌。大きなアーモンド形の目にピンク色の唇。腰まである長い金の髪は波打っており、少女が歩くたびにふわふわと揺れている。高身長ということもあり、かなりスタイルがいい。少女向け雑誌の表紙を飾れそうな容姿だが、化粧をすれば女性向けの雑誌もいけるかもしれない。そう考えた時に思春期の性か、彼女の水着姿を想像してしまった――瞬間暴風が吹き荒れ類の身体が飛ばされた。

「うわぁ!痛っ!」

 廊下の突き当りの壁にぶつかって、そのまま床に倒れ込む。その時にぶつけた腰をさすりながら「一体なにが……」と身体を起こすと、目の前に先程の少女が立っていた。

「ひぃ!」

見下ろす顔はこれ以上ないくらい無表情で、美人なだけに迫力がある。

 怖いが本能的にじっと見ていると、その紫の瞳に即視感を覚えた。

 どこかで見たことがある気がする。だが、どこで会ったのか。

 思い出そうと頭を回転させていると「ちょっとあなた」と鈴の音のような可愛らしい声に呼び戻された。

「今、わたくしのことをいかがわしい目で見ましたわよね?」

「へ?」

 突然なにを言い出すのかと戸惑ったが、すぐに彼女の水着姿を想像してしまったことを思い出し、慌てて誤魔化す。

「いやいやいや!そんなことはありません!」

「わたくし他人の心を読むのが得意なんです。特にそういったことは。いいですこと?今度同じことをしたら消し炭にしますわよ」

「ひぃ……!ご、ごめんなさい!」

 あまりの圧に土下座する勢いで謝る。その時いきなり先程の即視感の理由が分かった。

 彼女はどことなくフリードに似ている。丁寧な口調で脅してくるところも、消し炭発言するところも。美人なところも。

「あら?もしかしてあなた――」

「アイリス。遅いと思ったらこんなところで何をしている?」

「あら、お兄様。ごきげんよう」

「え、お兄様?」

 嫌な予感に立ち上がりつつ右に視線を向ければ、近衛隊の制服に身を包んだフリードが普段類に見せる顔より幾分穏やかな表情で歩いてくるところだった。

 頭の中でアイリスと呼ばれた少女とフリードの顔が重なる。

「うえええええ!?フリードの妹さん!?」

 嫌な予感が当たってしまった。

 少し怖いけれど、あわよくばデートしてみたいと思ったりもしたのに、一瞬で付き合いたいリストから美少女が抜けてしまった。フリードの妹なんて恐ろしすぎる。口説くどころじゃない。その前にフリードに消し炭にされるだろう。

「なぜ彼と?」

「偶然お会いしまして。それよりお兄様、彼がルーク様の騎士なんですか?」

「ああ。契約上はな」

「ふーん。噂どおりひょろひょろですわね。それにまだ士官学校も卒業なされていないとか?なぜルーク様はこのような方と契約を結ばれたのかしら。よほどお兄様のほうがふさわしいのに」

 どこかで聞いたようなセリフにやはり兄妹だと確信する。高身長なところも、威圧的な態度も、確かにフリードの血だ。

 フリードは「あの方の考えはわからん」と嘆息していた。

「さあアイリス。そろそろ行こう。お前はそんなことを言いにここに来たわけじゃないだろう」

「そうでしたわ。ではえっと……確かルイでしたわよね。ごきげんよう」

「あ、ちょっと!君の名前は?」

「わたくしはアイリス・フリード。巫女をしております」

 ではと軽く頭を下げたアイリスがフリードと共に去っていく。

 去り際フリードが「その散らかった枯れ葉をしっかり掃除しておくのですよ」という言葉を投げかけた。

 見ればせっかく集めた枯れ葉がそこら中に散らばっている。先程の風のせいでバラバラになっていたのだ。

「まじかよ……」

 逃げ出したい気持ちにかられながらも、類は無心で箒を動かし続けた。







「でさ、その妹ってのがすごい可愛いんだけど性格がフリードそっくりなんだ」

「そ、そうなんだ。会ってみたいような、みたくないような……」

 フリードの座学の授業を終え、少し時間があるというケイトと並んで座りながら類は今朝の出来事を話していた。誰かに言わずには言われない衝撃だったからだ。

 それを相変わらずの下げ眉顔で聞いている。その様子を見るにあまり興味はなさそうなので早々に話題を切り変えることにした。

「そういえばケイトは近衛隊と一緒に実践的な訓練もしてるんだよな」

「う、うん」

「やっぱり大変?」

「そう、だね。でも、身体を動かすのは、嫌いじゃないから」

「そっか。てか住み込みって聞いたけど、親は大丈夫なのか?通ってた学校もやめたんだろ?よく許してくれたな」

「…………」

「ケイト……?」

 ケイトの顔が困り顔から、つらそうな、なにかに耐えるような表情に変わっている。地雷を踏んでしまったかもしれないと気まずい思いをしながらも、なんとか言葉を絞り出す。

「やっぱり怒られたのか?そりゃ、そうだよな。でもそれでも自分の意見通すってすごい――」

「僕」

 初めて聞くケイトの強い声にさえぎられた。

 次の言葉を待って口を噤んだが、ケイトは言うか言わないか躊躇っているようだ。

 辛抱強く彼の言葉を待っていると、ようやくその口が開いた。

「……僕、両親がいないんだ」

「え――」

「小さい頃、魔力が暴走して、お母さんを傷つけてしまった。その日からずっと施設で暮らしてた。ふたりの顔も思い出せないくらい、ずっと……」

「そ、んな……。でも、傷つけようとしてやったわけじゃないのに……」

 そう言いながら、ケイトがどうしてあれ程までに魔術を使うことを恐れていたのかが理解できた。そんな過去があったら使うのも怖くなるはずだ。

「うん……。でも、いいんだ。今はこの力が誰かを守ることも出来るってわかったから」

「……そっか」

「ルイ、は?ルイも、住み込みでしょ?両親、心配してない?」

「どうだろうな……。心配、してるのかなぁ。そうだったら申し訳ないな……」

 あちらの世界で自分の扱いはどうなっているのだろう。

 捜索願が出されて、大規模な捜索がされているのだろうか。いや、確か若い失踪人の捜索は家出の可能性が高いからあまり積極的に捜索されないと聞いたことがある。だとしたら両親だけが不安な日々を過ごしているのかもしれない。

 あちらの世界に戻ることが叶わないとしても、せめて無事でいることくらいは伝えられないだろうか。

「もしかして家出?」

「まさか!これは色々な不幸が重なって……。俺の親遠い場所にいるから、多分もう会えないんだ」

「そう、なんだ。それは辛い、ね」

「うん。でもなんだかんだここ楽しいし。フリードの課題が厳しすぎて寂しいとか考える暇ないし」

「ふふっ、確かにそうかも。ここはいい意味で忙しい」

「だよな!とにかく俺はフリード兄弟に認められるように頑張らないと!」

「うん。僕も、頑張る」

「おう!一緒に頑張ろうな!」

 そんな会話を交わして近衛隊の仕事があるというケイトと別れた類は、なにやら忙しそうなフリードに残りの授業は休講にすると伝達されていたのでひとり中庭に向かった。

 本当はケイトに剣術の稽古に付き合ってもらおうと思っていたのだが、彼も忙しそうなので仕方なくひとりで自主トレに励むことにする。

 フリードのアドバイス通り足の重心を意識しながらの素振り。

 だがひとりでやるというのは味気ないもので、すぐに飽きてベンチに座り込んでしまった。

 見上げた空が青い。

「もう終わりですの?あなたって根性もないんですのね」

開口一番皮肉を言うアイリスにほぼ反射的に「うわ、でた……」と顔を歪めてしまった。黙っていれば可愛いのに、どうしてこうも性格が曲がっているのだろう。フリード家の教育方針が気になった。

「――あのさ、なんであんたら兄妹ってそんなに俺のこと目の敵にすんの?」

「気に入らないからですわ」

 そう言いながらアイリスは類の正面に立つ。

「どこの馬の骨ともわからぬ者を騎士に選ぶなんて。ルーク様の騎士にはお兄様こそふさわしいのに」

「んなこといっても、あれは事故みたいなものだし……」

「だからですわ。だから余計に許せないのです。あなたは何の能力もないくせに、誰もがほしくてたまらない椅子に馬鹿みたいに腰かけている。そんな人を見たら誰だって殴りたくなるものではありませんか?」

「馬鹿みたいって……。でも俺正直騎士とか契約者とかあんまよくわかんねぇのはホントだしなぁ。でもわからないなりに一生懸命勉強してるし、剣術も馬術も筋肉痛と戦いながらがんばってるんだぞ」

「だからその努力を認めろと?竜族の世界では結果がすべて、力がすべてですわ」

「すごいエリート主義なのは薄々感じてたけど」

「――あなたは魔術も使えるそうですね。だったらこの魔石、欲しくはありませんか?」

 アイリスが示したのは自身の首にかけられた首飾り。先端に赤とも紫いえない不思議な色をした石がついていた。おそらくそれが魔石と呼ばれるものなのだろう。

「綺麗だなとは思うけど、別にいらない」

「何故です?これがあれば魔術のコントロールがしやすくなりますわよ。あなたろくに扱えないのでしょう?」

「う……。何故それを……。でもさ、そういうアイテムってある程度基礎が出来てるやつが持つものだろ。俺はコントロール以前の問題だし。俺が持っても宝の持ち腐れ?になるから」

「ではこれを奪い取って売り払おうとは思わないのですか?」

「えなにそれ怖い。そんなことしないよ。今ルークのおけげで生活には苦労してないし、使用人として働いた分は給料貰ってるし」

「この石を売れば1年は生活に困りませんわよ?」

「え、それそんなに高いの?」

「はい。庶民の皆さまは喉から手が出るほどほしいでしょうね」

「ふーん」

「ふーんって……。なぜそんなに興味なさげなのです」

「いやだって、そういわれても。俺別に宝石とか興味ないし、1年暮らせる額って言われてもピンとこないし」

「つまり金銭的な物には興味がないんですね」

「簡単に言うとそう。だって別にほしいものもないし」

 一番叶えたい願いは金では買えないものだから。それに現状金があっても街にはルークの許可がないと出かけられないので、何もしなくても地味に貯金が溜まっている。

 そんな類をじっと見降ろしていたアイリスが、ふぅっと小さく息を吐き出した。それから「隣に座ってもよろしいかしら」と許可を求めてきたので、慌てて隣を空ける。空いた場所に綺麗な所作で腰かけるアイリス。たったそれだけで彼女の育ちの良さを感じ取れた。

「アイリスは巫女って言ってたけど、神社で働いてるの?」

「神社ではありません。聖ロナルド教会で神にお仕えしております。修道女よりもより神に近い存在を巫女、または神官というのです。ちなみに聖ロナルド教会で巫女の座についているのはわたくしだけですわ」

 どれくらいすごいのか違う世界から来た類にはイマイチぴんとこなかったが、それなりに高い地位にいることはなんとなく察することができた。そして同時にこれ程見下されている理由にも納得した。

アイリスは見た目類とそれほど年齢も変わらなさそうなのに立派な地位についているのだ。ほぼほぼニートのような生活をしている類はゴミのように見えているだろう。

自分だって人間界で高校には合格していたんだ。何事もなければ普通に高校生として勉学に励んでいたはずなんだ。よっぽどそう訴えたかったが、どちらにせよ立派に働いている彼女には通じなさそうだったので黙っていた。その代わりに別の話題をふる。

「にしてもフリード家ってエリート一族なんだな。フリードも近衛隊の隊長だし」

「…………」

「アイリス?」

「……お兄様はそうあるべきだと育てられましたし、お兄様自身もそうならなければいけないと戒めてきましたから。私はそんなお兄様に憧れてついていっただけ」

「ついていったって、そういえば学校は?」

「15のときに大学を卒業しました」

「ひぇー……。飛び級ってやつ?」

「はい。それからずっと教会におります」

「じゃあそれって教会の制服?」

「ええ、そうですけどそれがどうかいたしまして?」

「ああ、いや、今朝ルークが同じ服着た男となんか難しそうな顔して話してたから。それをふと思い出して。あれアイリスと一緒に来た人か」

「それは違いますわ。わたくし今日は個人的な用事で参りましたから、供の者は連れておりません」

「そうなのか?じゃああの人も個人的な用事で来たのかな?」

「さあ……。でもわたくしと関係ないことは確かですわ」

「一体なにしに来てたんだろう……。ん!?」

 何気なく見やった右前方から、2人の男たちが近づいてくる。白いローブで身体を覆い、顔はストールのようなもので巻かれ目のまわりだけが露出している。怪しいという言葉が服を着ているようなその姿に思わず類は立ち上がり、アイリスの前に移動する。見た目だけなら無視しても構わないだろうが、彼らはそれぞれ右手に立派な剣を握っていた。しかも抜き身である。かなり危ない人物かもしれないと、類も立ち上がって剣を構えた。

 男たちが絶妙に剣が届かない位置で足を止める。

「――ひゃい!お、お前たち!」

「ひゃい?」

 ややたれ目の男が口を開いたが、声が裏返っている。挙動不審なたれ目男の隣に立っている男がすぐさま「馬鹿!」と言ってその頭を思い切り叩いた。

「落ち着け!あとお前たちじゃなくて巫女様狙えって言われてただろ」

「あ、そうだった!緊張してつい……」

「なんでだよ!ったく。いいよもう俺が言うから。――おい巫女様!そのネックレスを渡してもらおうか?」

「……なにこれ、コント?」

 見た目は緊張感があるのに言動がまるで平和な二人組に思わず首を傾げる。助けを求めるようにアイリスを振り返ると、その綺麗な眉を思い切り歪めていた。

 再び視線を前方に戻す。

 ネックレスが欲しいのならさっさと襲えばいいのに、なぜか彼らは動かない。

 まるでこちらの出方を窺っているように。

 どうも様子がおかしい。大体ここの警備はかなり厳しいはずなのだが、一体どこから入り込んだのだろう。こんなに怪しい格好をしていれば逆に目立つと思うのだが。

「そこをどけ小僧。怪我をしたくなければな!」

なぜそうイチイチ台本を読み上げる新人俳優のようなしゃべり方をするのか。気になりはしたが、すぐにたれ目の男が「やー!」とわざとらしい声を上げて切りかかってきたのでそれどころではなくなった。

咄嗟に剣で受け止める。――重い。

見た目とは裏腹にたれ目男の剣は重かった。隙もなく、無駄な動きもない。剣を交えて初めて男が――いや、彼らが――ただ者ではないと気がついた。

なんとかと押し返して弾くが、すぐに次の攻撃が来る。

その時に「あれ?」と剣に注目した。

男の剣は切れないように刃先が潰されている。それはまるで自分と同じ訓練用の剣に見えた。

そこである可能性が脳裏をよぎる。

明らかに不審なのに誰にも見咎められず屋敷に侵入できたこと。見た目とは裏腹に手練れのような剣さばき。そして潰された刃先。

彼らは警備班の人たちではなかろうか。

「……あの、もしかしてこれもなにかの訓練ですか?」

確認するように問えば、あからさまに動揺の色を浮かべて剣が離れた。たれ目男がもうひとりの男に目だけでなにかを訴えている。そしてその男はアイリスを見ていた。次いで背後からのため息。

「――もう結構ですわ。大体わかりました。ルイは馬鹿で力もありませんけど、わたくしたちに害を成す存在ではありません」

「え?」

「そうですか。あなたが言うのならそうなのでしょうね」

「ふぃ~、緊張したあー」

「え?え?」

類がひとり戸惑っている間に3人の間で話は進み、二人組の男たちが顔を覆っていた布を乱暴に取り去った。その下から現れた顔に思わず絶叫する。

「ああああっ!あ、あんたたち!近衛隊の!」

短髪でたれ目の男、そして耳にかかるくらいまで伸ばされた髪に切れ長の目を持つ男。彼らは間違いなく、先日街に遊びに行った時に同行していた二人だ。

「よっ」

「騙すようなことして悪かったな。そういえば自己紹介もしてなかったか。俺はハミルトン・ラグレ」

「俺はマックス・ヴィルトンだ。マックスでいいぞ。よろしくなー」

たれ目のマックスが妙に人懐っこい笑顔で手を差し出したので、反射的に手を伸ばして握手を交わした。しかし内の混乱はおさまらない。

「あの、二人はなんでこんなことを?」

「巫女様に頼まれてな」

「俺たちもお前の本質?みたいの知りたかったし、ちょっとした遊びのつもりでな」

「え、え、ちょっと混乱してわかんない。一旦落ち着かせて」

「おう、ゆっくり深呼吸しろー。吸ってー、吐いてー」

「すー、はー、すー、はー」

マックスの声に合わせて何度か深呼吸を繰り返すと、少しだけ動悸が落ち着いた。その様子をアイリスがあきれたように眺めていたが、今はそれを気にしている場合ではない。

「あの、アイリス?これどういうこと?」

 先程からずっと呆れたように力ない表情を浮かべているアイリスに説明を求める。

「彼らが言った通りです。これはすべてわたくしが仕込んだこと」

「……なんのために?」

「……あなたの本質を見極める為。つまりあなたがルーク様にとって害を成す者かどうか、見極める為のお芝居です」

「はぁ……。よくわかんないけど、俺ルークになんかしようとは思ってないぞ?俺がここで生きてけるのはあいつのおかげだし」

 そう言った途端近衛隊の二人から僅かな笑い声が漏れ、アイリスは頭が痛いとばかりに額に手を置いた。

「あなたを疑うだけ労力の無駄だという事がわかりました。わたくしの周りにはいないタイプなので対応に困りますわ……」

「え!?どういう事?マジで意味がわかんないんだけど!俺普通だよ!?」

「そう、あなたは普通過ぎるほど普通です。ここにいるには不自然な程。でも、この場でもっとも澄んだ心を持っている。真っ白で人畜無害。それがもしかしたらあなたが選ばれた理由なのかもしれませんわね。それがわかっただけで十分です。これからも鍛錬に励み、誰からも認められる騎士になってください。あなたがどんな騎士になるのか期待していますわ」

「あ、はい……」

 そう返事を返した時にはアイリスはすでに背を向けて歩き出していた。近衛隊の二人も「自分たちも訓練がありますので」と頭を下げて去っていく。

 その場には未だに状況を理解できていない類だけがぽつんと残された。

「マジでなんだったんだ?」






「…………」

 配られた用紙に書かれた問題を解くことに集中しようとするが、先程から刺さりそうなほどの視線が頭上から降り注いでいる。

 言わずもがなフリードのものだ。

 隣に座って同じように問題を解いているケイトには目もくれず、類の事を凝視している。

 ずっと見られている緊張で思考も上手く働かない。類は恐る恐る顔を上げた。

 案の定フリードと思い切り目線がかち合う。

「――なにか?」

「いやなにかって……」

 見ていたのはそっちだろうにと思うのだが、あからさまに眉を寄せた不機嫌顔をするフリードにまさか無意識だったのだろうかと考えてしまう。

「ずっと俺の事見てましたよね?あんまり見られると緊張して解ける問題も解けないんですけど……」

「――ああ。すみません。本当に馬鹿なのだなと改めて認識していたところでして」

「な!?あんたってホント口を開けば暴言しか言わないな!」

「おや、褒めたつもりだったんですが」

「どこが!?」

「真っ白で人畜無害。確かにいいことです。騎士としてふさわしくなれるのかどうか、もう少し長い目で見ることにしました。ですから、ここから巻き返すつもりで頑張ってくださいね」

「え――!」

 フリードから初めて聞く励ましの言葉に激しく動揺する。

 どう言葉を返していいのかわからずにあたふたしていると、早く問題を解きなさいと軽く頭を叩かれた。

 その叩き方もどこか優しい気がする。

「あ、あのさ、もしかしてアイリスからなにか聞いた?」

「なんのことです?」

「あ、いや。なんかアイリスも同じような事言ってたから」

「――さあ。私にはなんのことか」

「そう?」

 もしかしたら午前中庭で起こった偽襲撃事件にフリードも関わっていたのではないかと思ったのだが、思い過ごしであったらしい。

 けれどだとしたらこの態度の変化は気になる。

 首を傾げていると先程よりも鋭い声で「早く問題を解きなさい」と促され、慌てて問題に視線を戻した。

 その横からケイトがフリードを呼んでいる。

「すみません、ここの問題なんですが中世の事件との関連は――」

「ああ、そこは――」

 問題についての質問らしいが、類にはその内容はさっぱりわからない。

 ケイトは純粋な竜族で幼いころから勉強しているので共に学んでいても知識量に差があるのはしかたがないのだろうが、あっという間に突き放されて置いて行かれている気がする。それがたまらなく嫌だった。

 もっと勉強しないと。ケイトに追いつかないと。

 そう心に決めた類は夕食後、ルークが勉強するなら使うといいと許可してくれたプライベートな書斎からいくつかの本を抜き出し、部屋に戻った。

自分ひとりではわからなかったことだが、授業中ケイトの質問意図についていけないこともよくあり、二重の説明を求められるフリードをイラつかせる回数も増えている。学んできた年数が違うのですぐに追いつくことは無理だろうが、せめて基本知識だけは完璧にしておかなければいけない。

 屋敷が夜の静寂に包まれても類は机のライトだけを頼りに本を読み漁っていた。

 その中に見つけた文字にカッと身体が熱くなった。

 ――究極呪文。

 いつかフリードに聞かされた、唯一魔物に対抗できる最強呪文がそこに記されていた。

 誰も使う事ができないと言っていたこの魔術。本当にそうなのだろうか。誰か試してみたりはしたのだろうか。もしかしたら――。そんなことを考えて、苦笑する。

 試してみたい衝動に駆られるが、そんなことをすればフリードに殴られるだけでは済まないだろう。

 でももしこれを使えたら、その力で魔物を倒す事が出来たら、自分はこの世界で認めてもらえるのではないか。すべての竜族に受け入れてもらえるのではないか。

 地に足がついていないこの状況も、変えられるのではないか。

 それは類にとってこれ以上ないくらい魅力的な想像だった。

 その夜何かにとりつかれたように究極呪文についての書物を読み漁った。







 翌日。類はある事を確認する為にフリードを探していた。

 今日はフリードによる指導がない日の為、部屋で待っていても会えないのだ。

 だがわかっていた事だが、この屋敷は無駄に広い。いや、広い分大勢の人が住み込みで働いているのだから無駄という事はないのだろうが、人を探すにはかなりの労力を必要とする。

 せめてフリードの執務室のありかくらいは聞いておくのだった。聞いて教えてくれるかはわからないが。

 どれくらい屋敷の中を歩き回っただろうか。

 やや息が切れ始めたころ、先の廊下を曲がってくるミルクティーのような色の髪を見つけた。

 背を向けて類とは反対方向へ進んでいるあの姿は間違いなくフリードだ。

「フリード!」

 類はその名を呼びながら全力でダッシュする。

 あと数メートルで追いつくというところで、その人物が振り返った。やはりフリードだ。

「よかった、フリード。探して――」

「廊下を走るんじゃねぇぇ!」

「――ぶへぁ!!!」

 振り向きざま繰り出された回し蹴りが脇腹を直撃し、壁に叩きつけられる。

 何が起こったのかわからないまま脇腹と壁にぶつけた肩の痛みにうずくまっていると、ごほんと咳払いの音。

「――失礼。室内遊技場と勘違いしている輩がいたものですからつい足が出てしまいましたが、あなたでしたか」

「……いや、絶対わかって――、廊下を走ってすみませんでした」

 言葉の途中で絶対零度の視線と目が合ってしまい、慌てて頭を下げた。

 フリードは礼儀作法にも厳しいという事を忘れていた。

「それで、私に何か用ですか?」

「普通に話を進めようとしてるけど、俺今結構重症……、痛てて……」

「それくらい受け身を取れるようになりなさい。いや、そもそも攻撃を避けられるように――」

「あ、あのさ!俺教えてほしい事があるんだけど!」

 説教が長くなりそうな予感がしたので少々強引にさえぎると、フリードが不快だと言わんばかりに眉を寄せた。

「だからそれをさっさと家と言っているでしょう。私はこれでも忙しいんですよ」

「ごめん。あのさ、俺には魔力って少しもないのかな?」

「どういう意味です?」

「いや、前俺はルークの魔力を吸い取ってるみたいな事言ってたじゃん?だけど俺自身には本当に魔力ないのかなーって思って。何か確かめる方法ないかな?」

「そんなものはありません。普通は魔術を扱えるかどうかで判断しますからね。でもあなたの場合ルークと共有してしまっていますから判断するのは難しいでしょう。まあ判断するまでもなくあなたには魔力などないとは思いますが」

 暗に元人間だからと匂わせるフリードは一瞬軽蔑のような視線を向けて「質問はそれだけですか」と問う。

「先程も言いましたが私は忙しい。くだらない質問は今後一切しないでいただきたい。それでは」

「あ、ちょ!おいフリード、まだ質問が――」

「――っ!?離せっ!」

 まだ聞きたい事があるのに背を向けて歩き出そうとしていたフリードの咄嗟に掴んだ。だがそれはすぐに乱暴に振り払われてしまった。

 そこまで邪見にしなくてもいいではないかと内心傷ついている類の前で、フリードは自身の両手を驚愕の表情で見つめている。

 初めて見るその表情に戸惑った。

「フリード?どうしたんだ?」

「……今何をした?」

「何って、ただ手を掴んだだけだろ?」

「それだけか?」

「そうだけど」

「……そうか」

 余程驚いたのかいつもの余裕のある口調が完全に取り払われている。

 どうやらこちらがフリードの本来の姿らしい。この世界でルークと契約を交わした時に聞こえたあの声はやはりフリードだったのだ。

 今まではずっと丁寧な口調の彼しか見ていなかったので、少しは心を許してくれている証なのかもしれない。

「それで、まだなにか?」

「あ、うん。究極呪文の事なんだけど、あれって誰も扱えないって言ってたじゃん?今まで魔物を封印してから使った人いるのかなーって」

「あれは膨大な魔力を必要とすると言われていますから、記録にある限りでは試した者はいないようですね。そもそも究極呪文に関する文献すらかなり少ないですし、発動に必要な呪文も伝わっていません」

「え?そうなのか?でも俺ルークの書斎で呪文が書かれた本見つけたけど」

「は?ルークの書斎に入ったのですか?」

「うん。ルークが勉強の為なら自由に使っていいって」

「……はぁ。あの人はまったく……。あそこに門外不出の貴重な書籍が多く収められています。くれぐれも持ち出してなくしたりしないように」

「さすがにそこまで子供じゃないって」

「そうですか。それで?究極呪文についての本を読んで、まさか試してみたくなったとか言いませんよね?今思えば今まで自身に魔力があるかどうかなど訊ねてこなかったあなたが急にそんなことを言い出すなどおかしいんですよ」

「うっ……」

 完全に心を読まれている。

 冷たい視線に耐えきれず視線を逸らしてしまい、その瞬間に類の敗北は決定した。

「その本はすぐに返却するように。それから究極呪文のことは忘れなさい。どうせ誰にも扱えない無駄な魔術です。いいですね」

「……はーい」

 叱られた子供のように頬を膨らませたまま返事をする類を一瞥して、今度こそフリードは去って行った。

 その先で白い制服を着た近衛隊のひとりに声をかけられているのが見える。

 どうやら本当に忙しいらしい。

 今この屋敷で暇をしているのは自分だけではないだろうか。

 急にいたたまれない気持ちになり、いそいそと自室へと戻る。

 とにかく勉強しよう。そう思って椅子に座ると、机の上には魔術書が置きっぱなしになっていた。

 この本は返却しないと、そう思うのに目はまた文章を追い始める。

「――天、地、すべてに宿りし、精霊よ……」

 そこに書かれた呪文を半ば無意識に口にすると、急に頭がぼんやりとし出した。

 周りの音が消え、視界には究極呪文しか入っていない。

「我の声を聞き、我の声に、応えよ……」

 やめた方がいいと思うのに、口からは勝手に呪文が溢れ出て行く。

 自分の意思ではないようなその感覚は、しかし決して不快ではなかった。

 眠りにつく前の微睡の様な感覚。

「――イレイズ」

 ドンッ!

 最後の呪文を口にした瞬間大きな爆発音と共に衝撃が身体を襲った。

 激しく壁に叩きつけられる感覚。

 一瞬視界が黒く染まり、すぐに激痛によって意識が戻った。

 なんだ、何が起こったんだ。

 霞む視界の先に青。

 あれは、空の青だ。

 それでようやく自分が床に倒れ込んでいるのだとわかる。

 身体が痛い。息をするたび胸に走る突き刺すような痛み。呼吸を擂るのがつらい。でも、苦しい。息を、しないと。

 明確に死を意識するほど息苦しさに耐えていると、ドタバタという慌ただしい足音が近づいてきて、乱暴に扉が開かれる音がした。

「これは――!」

「ルイ!!」

 これはフリードとルークの声だ。

 ぼんやりとした視界に眩しい金髪が映り込む。

「一体何が!ルイ!何があったんだ――!」

「――これは、まさかあなたあの呪文を!?」

 ルークによって抱き起され、その先で床に落ちた魔術書を拾い上げている男――恐らくフリード――がこちらに歩み寄ってくる。

 表情は読み取れないがその口調からかなりの動揺を感じ取った。

「一体なぜあなたが――。あの魔術は発動させることさえ難しいはず!なぜお前が発動させることができたんだ!」

「……ご、めん……な、さい……」

 痛みや苦しさ、情けなさと言った様々な感情が入り混じり、涙が頬を伝い落ちていく。

「フリード!今は医者だ!医者を呼べ!」

「そうだった、つい!今すぐ呼んで――っ?」

「どうしたフリード」

「――いや、今何か嫌な視線を感じて……。気のせいだったみたいだ。とにかく医者を呼んでくる。ルークはとりあえず空いている隣室のベットにそれを寝かせておけ」

「わかった」

 背中に腕を回されて、簡単に抱き上げられる。

 その僅かな衝撃でさえ息もできないほどの痛みを与えた。

 思わずルークの腕にしがみつく。

 そんな類の痛みを理解したかのようにルークは「大丈夫だ。すぐに医者が来る」と声をかけて歩き出した。

 部屋の中がボロボロだ。

 視界がぼやけていてもわかるほど荒れた部屋の惨状に心を痛め、そしてふとあの魔術書が原型を保っていたことが気になった。

 だがそのことについて深く思考する間もないまま類の意識は完全に闇に沈んだ。

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