第3章 弱気な少年


 フリードの魔術を始めて見た日から1日が経ったが、まだ類の興奮は冷めていなかった。

 あの後散々駄々をこねて魔術を習いたいと言ったのだが、魔術は生まれ持った魔力がなければ扱うことは出来ず、竜族でもそれを持つ者は稀であること、元人間である類には魔力などあるはずもないことなどを説明された。実際には「馬鹿」とか「単細胞」とか随所に悪口を挟まれていたのだが、それでも類は諦めなかった。さすがに「今はそれよりもやることが山ほどあるでしょう」とキレられたのでその場では諦めたふりをしたが、内心では諦めていない。

 フリードの目を盗んでこっそりルークの書斎に足を運び、魔術に関する本を読み漁った。幸いなことに文字も日本語であったため難しい漢字以外は読み解くことができた。

 そして知識を手に入れたら使いたくなるのが人間というもので。

 今日はタイミングよくフリードが会議に出席しなければいけないという理由で授業が一コマ無くなったので、チャンスとばかりに鍛錬場へと足を運ぶ。

 たまに屋敷を警備している近衛隊と呼ばれる人たちが剣の打ち合いや、実践訓練などをしているが、幸いにも今日は貸し切り状態だった。

 屋敷から離れているので人の目にとまる事もない。

「まずは意識を集中するんだったよな」

 本に書かれていたことを思い出しながら目を閉じて心を鎮める。

 身体の指先から足先まで炎が駆け巡るイメージ。

 段々と身体が温まってくるような気がして、いい感じかもしれないとさらにイメージを高める。

 それからその熱を口に集めるイメージで。

「――我が身に宿いし熱き力よ」

 呪文を口にした瞬間足先や指先の熱がスッと引いて、喉の辺りが一気に熱くなる。

「炎となって焼き尽くせ」

 口の中に熱い空気が満ちる感覚。

「ファイヤーブレス!」

 息を吹き付けるように、口の中にたまったものを一気に吐き出した。

 瞬間、真っ赤な炎が一直線に飛び出していく。

「おおー!!」

 自分にもできたと喜んだのもつかの間。フリードの時のようにふわっと消えることのない炎がそのままの勢いで地面にぶつかって、大きな火柱を上げた。

「えぇ~!?な、なんで消えないの?ちょ、み、水!水!」

 厩舎に行けば水があったはず。でもここを離れて大丈夫だろうか。それから誰か呼んでこないと。ライはいるだろうか。

 パニックになって右往左往していると「なにをしているんですか!」という鋭い声が飛んできた。

 今最も聞きたくない声に類の動きがピタッと止まり、油の切れたロボットのようにギギギッと振り返る。視線の先で絵に描いたような鬼の形相をしたフリードが全力でかけてくるのが見えた。

「コールドブレス!」

 類の隣に並んだ瞬間フリードの口から霧のようなものが吐き出され、類の炎にぶつかった。ジュッという大きな音と共に炎と霧が打ち消し合って、同時に消えた。

 沈黙。

 小さく息を吐き出し、どことなくほっとしている様子のフリードを横目に見つつそっと後退る。

「どこにいくんですか?」

「ひぃっ……!」

 先程とは打って変わってライのようにさわやかな笑顔を浮かべて振り返るが、それが余計に恐怖を掻き立てた。先手を打って頭を下げる。

「ご、ごめんなさい!どうしてもやってみたくて!」

「……………」

 長い沈黙が続いて、頭を下げたままちらりと覗き見たフリードとばっちり目が合ってしまい、慌てて顔を伏せる。すぐにため息が降ってきた。

「まったく……。あなたは本当に予測不能ですね。ルークの様子がおかしいからまさかと思ってきてみたらあの炎。自主的に覚えて炎を出せるようになったのは感心しますが、あなたには本来魔力などあるはずもないんです。なのになぜ魔術が仕えたと思います?」

「え?さあ?竜族になったからじゃないの?」

 質問されたので姿勢を戻して首を傾げると、再び呆れたように大きくため息を吐かれた。

「あなたはルークの契約者です。紋章でつながっている者同士は一心同体。あまり言いたくはないですが、あなたが魔術を使おうとしたことでルークの魔力があなたに流れ込んだのですよ。だから炎の勢いも強かった」

「え、そうなのか?」

「ええ。ルークはあなたに異変が起こればすぐに感じ取れますから迅速に対処できましたが、近くでなかったらどうなっていたか……」

「えっと、ごめん?」

「謝るなら、もう二度としないことです。私たちが禁止するのにもきちんと理由があるのですから」

「……うん。……あの、俺がルークの魔力使ったって言ってたけど、ルークは大丈夫?」

「あれくらいの魔力なら大した消費ではないので問題ありませんよ。しかし今回は上手くいきましたが、万が一暴走などしたらここら一帯焼け野原ですよ。それにそうなればあなたの身体だって無事ではすみません」

「……でも知らなかったし。なんでそんな大事そうなこと先に教えてくれなかったんだよ」

「魔力使い放題と勘違いされても困りますからね。主から魔力を盗む契約者など聞いたことがありませんよ。前代未聞です。ああ、なぜ契約解除の呪文がないのでしょう。嘆かわしいことです。いいですか?あなたに多くは望みませんが、せめてルークに迷惑をかけないように大人しく、大人しくしていてください。そう、ショーケースの人形がごとくね」

「――な!なんだよ、その言い方。俺はただあんたらの言うことを聞いて、大人しく従ってればいいってことかよ……!俺にだって意思はある!例え竜族になっても俺は俺だ!」

「何の役にもたたない者が意思を語るなどおこがましいですよ。役に立ってこそ存在意義がある。弾避けにもならない子犬のくせに飼ってもらっているだけありがたいと思いなさい」

「――――!!俺だって、好きでこうなったんじゃない!!」

 これ以上フリードと向き合っていたくなくて咄嗟に厩舎の方へ走り出した。背後から「夕飯には帰るんですよ」と呑気な声が聞こえる。

 もうここにはいたくない。やっぱり人間界へ帰ろう。

 こんな姿になってもきっと両親は受け入れてくれる。優しくしてくれる。

 自分の居場所は、あそこしかない。

 全力の走りで馬術場へ駈け込むと、丁度アルフレッドの調教をしていたライに出くわした。

「あれどうした、ルイ。そんなに慌てて」

 そう言いながらアルフレッドから降りたライ。丁度いいとばかりにその瞬間を逃さずアルフレッドに飛びついた。若干もたついてしまったが、乗りたい意思を感じ取ったライが尻を押してくれたのでなんとか跨る事が出来た。

 たったそれだけのことで泣きそうになるのは、それだけ心が弱っている証拠かもしれない。

「っ……!」

「おい?ルイ?どうした?」

「――ごめん!」

「うお!は?ちょ、おいルイ!?」

 もう自然にアルフレッドを走らせることができるようになっていたルイはライの声に耳を貸すこともないまま夢中で馬術場を飛び出した。

「おい待てルイ!」

 ごめんと心の中で謝りながら、振り返らずに全力でアルフレッドを走らせた。ライが追ってくる可能性もないわけじゃない。

 類はこのままゲートまで行くつもりだった。

 この勢いであのゲートを突破してやる、そう思っていた。

 心がモヤモヤして気持ち悪い。ただただここから逃げ出したかった。







 気が付けば屋敷の敷地を抜けて草原に出ていた。右の方を見れば高い塀の向こうに街並みが見える。広大な敷地のすぐそばに街があったことに驚いた。

 屋敷の周りは鍛錬場や馬術場、広い庭に囲まれているので外の総巣をうかがい知ることができなかったのだ。

 この世界の街がどんな感じなのか興味がないわけではなかったが、今は一刻も早くゲートへ向かわなければ、そう思いアルフレッドに止まる指示を出さなかった。アルフレッドは忠実に指示を守り、走り続ける。

 しかし草原が岩だらけの荒れた土地に変わった時、不意に足を止めてしまう。

「アルフレッド?どうしたんだよ?」

 アルフレッドは何かを感じとっているかのように耳をせわしなく動かしていた。そして突然方向転換すると再び屋敷の方へ走り出す。

「うぇ!?ちょちょちょ!待った!そっちじゃないからー!」

 なんとか方向を変えさせようとするが、アルフレッドは言うことを聞かない。それどころか急な方向転換でバランスを崩した類は馬上から振り落とされてしまった。

「――痛っ!っておいアルフレッド!どこ行くんだ!……あーぁ、行っちゃった」

 ぽつんとひとり残されて途方に暮れる。

 このままひとり進むべきか。それとも一旦街へ入るべきか。

 悩んでいる類の耳に小さいが確かに誰かの声が聞こえた。意識を耳に中秋させる。

「――我が身に宿いし熱き力よ」

 これはあの呪文だ。気づいた類は大きな岩場の向こうに声の主がいるはずだと駆け出す。しかしいきなり姿を見せることはせずに顔だけをそっと覗かせた。

「ファイヤーブレス!」

 ぶわぁっと巻き上がった炎の熱が頬を刺激する。

 フリードや類が扱った炎と比べれば小さいが、それでも5メートル程は丸太のように太い形を保ったまま飛んで行った。

 それにフリードは魔術を扱えること自体がすごいことだと言っていたので、魔術を扱えるだけで彼はかなり稀な存在と言うことになる。

 驚くべきことに類の視線の先にいたのは、類とさほど年齢が変わらないように見える少年だった。髪は茶色よりの金で、ブレザーに黒いパンツというどこかの制服のような服を着ている。

「――あ」

 じっくり観察し過ぎたのか、不意に目が合った。

「!!」

「あの――」

 なにか言葉をかけなければ、だが何を言えばいいのか。

「――っ!」

「あ!」

 類が考えている間にさっと身を翻した少年があっという間に走り去って行く。類の鈍足ではとても追いつけなさそうだった。

 止めようと振り上げた手をそっと下ろす。

 馬にも逃げられ人にも逃げられ、色々な意味で泣きそうになった時。少年の足音と入れ替わるように馬の蹄の音が聞こえてきた。

 まさかと振り返れば案の定大きな馬、リシャールに跨ったルークの姿が。その背後には近衛隊の制服を着た男たちが数人追随していた。

 仰々しいその姿に思わず背を向けて走り出すが、馬の脚から逃げようなどということは無謀過ぎた。あっという間にルークが前に回り込み、強制的に足を止めさせる。背後には白が眩しい制服を着た近衛隊の面々。完全に包囲されてしまった。

 困ったように眉を下げてルークを見上げれば、彼も眉を下げて笑っていた。

「まだ反抗期なのか?」

「フリード限定でね」

「ふっ、そうか。だが屋敷の外まで飛び出すのはやめておけ。迷子になって帰れなくなったらどうする」

「……帰らないつもりだったんだよ。勉強頑張ったって、剣術頑張ったってフリードちっとも褒めないし、好奇心で魔術やったら怒るし。そりゃあ俺も悪かったよ。でも、知らなかったんだ」

「ああ。言わなかった俺も悪い。気にするな」

 ストンと重力を感じさせない身軽な動きでリシャールから降りたルークがポンポンと類の頭を撫でる。

「さあ、帰ろう。温かい紅茶を用意させている。お前の好きなチーズケーキもあるぞ。たまには一緒に食べよう」

「……うん」

「アルフレッドは途中でライが引き取った。厩舎に戻っているはずだから安心しろ」

 先にリシャールに跨ったルークが上から引き上げてくれる。いつかのようにその後ろにおさまった。

「行くぞ」

 ルークがそう近衛隊に声をかけてリシャールを歩かせると、その背後に彼らが続く。

「……なんで来たの?」

「フリードから報告を受けてな」

「フリードが行けって?」

「いや……。夕飯までには帰るだろうが万が一アルフレッドだけ帰ってきたら何処かで振り落とされて泣いているかもしれないと」

「……泣いてねぇし」

「翻訳すると戻るようには声をかけたが何処かで途方にくれているかもしれないから行ってやってくれってことだ」

「なんだそれ。……あー!もう。俺フリードのことわかんねぇー」


 思わず漏れた声にルークが小さく笑った気がした。

 迷惑をかけたことは間違いないのに、ルークは責めない。いっそ責めてくれたほうがよかった気もする。だが、ここで謝らなければこの先もっとこのモヤモヤは増え続けるだろう。しばらく無言が続いたが、意を決して謝罪の言葉を口にした。

「……あのさ、ごめんな。」

「気にするな。俺もいい散歩になった。だがフリードには謝っておけよ」

「……でも、あいついっつも俺のこと貶すし」

「素直じゃないからな。でも内心では心配しているんだ。目立ち、俺の兄弟と知られれば命を狙われることもある。その時に抗う力をまだお前は持っていない」

「言ってることは、わかるけど……。でも、ただ勉強しろとか強くなれとか言われても目標が漠然としすぎてて、正直やる気出ないよ。高校行くって決めたけど、もっとはっきりどこの学校に行くって決めたいんだよ」

「なるほどな。わかった。帰ったらすぐに用意させる」

「それからフリードがスパルタ過ぎるから息抜きしたい。勉強ない日も結局屋敷の掃除とかあるし。街にも行きたい」

「ああ、調整しておこう」

 きっとルークがフリードに掛け合ってくれるのだろう。そう思った類はその背中に「お願いします」と声をかけたのだが、調整するという本当の意味を知るのは数日後のことだった。







「明日は1日休みとします」という突然の休講宣言がフリードから告げられた。突然どうしたのだろうと考えるよりも先に喜びがやってきて、理由を尋ねるでもなく素直に喜んでしまった。

朝食後何をしようかあれこれ考えを巡らせていると、不意にドアが叩かれる音がしてルークが姿を見せた。

今日は珍しくいつもの軍服のようなものではなく3ピーススーツを着ていた。相変わらず身体にピッタリとフィットしていて、オーダーメイドであることが見てとれる。

「なに、どうしたの」

「着替えろ。街に行くぞ」

「ええ!?急!街に行けるのは嬉しいけど、前日に言ってもらえたらもっと嬉しかったかも……」

「今日予定を空けるために昨日遅くまで仕事をしていたからな。伝えるタイミングがなかった」

「さいですか」

「ほら、貴重な時間を無駄にするな」

「ちょっと待ってよ。すぐ着替えるから」

 せかされるまま適当にクローゼットの中からこぎれいな服を選び、急いで着替える。

 その時に丁度いいからとこの服を用意したのは誰なのかを聞いてみた。

 すべてのサイズがぴったりな理由も気になっていたのだ。

「――ああ、それならお前が寝こけている間にメイドが採寸した。服を手配したのはスタイリストだ」

「うぇえ!?スタイリストとかいんの!?」

 こんな大きな屋敷に住んでいるのだからそういう役目の人がいても不思議ではないのだが、やはり改めて言われると衝撃は大きい。

 ルークはずっとそういう環境で育ってきたのか、当たり前のような顔で「ああ」と頷いていた。

「なにをそんなに驚いている?」

「いやだって、普通スタイリストとかいないぞ?ホントに何者?」

「俺は俺だ。何者でもないさ。それよりさっさと街へ行こう」

「わかったよ。なんか俺よりもお前の方が浮かれてない?」

「そうか?だが街へ行くのは俺も久しぶりだからな。そうかもしれない」

 そんな会話をしながら歩き出す。

「え?マジで?あんなに近くに街あるのに行かないの?じゃあ普段ずっと部屋で仕事してるのかよ」

「基本的にはそうだな。会議ばかりだ。視察で出かけることはあるが」

「視察って……。あんたもしかして政治家?」

「――まあ、そんなようなものだ」

「はぁー!どこの世界でも政治家って儲かるんだな」

「儲かっているかはわからんが、対価に見合う仕事はしているつもりだ」

「あんたホント忙しそうにしてるもんな。でも市民の税金なんだからあんまり豪遊するなよ?」

「まさかお前にそんなことを言われるとは思っていなかった」

 ふっとルークが笑ったが、どことなく馬鹿にしたような言い方に思わず頬が膨らむ。

「なんだよ」

「いや。税金が大事だというのならお前も早く一人前にならないとな」

「あ」

 言われて気づいたが、ルークに養われている身である類もその税金で生活しているということになるのだ。つまりこの服も、そこから算出された金で買ったということになる。なんの気なしに贅沢を受け入れていた自分を反省して「もっと質素にくらそう」という言葉が思わず口をついた。

 そんな類にまたルークが笑う。

「確かに政治家のような仕事はしているが、そちらでは給料をもらっていない。ボランティアのようなものだ。俺はちゃんと別の仕事で稼いでいる」

「えー、なんだよ政治家がボランティアって。わけわかんねぇんだけど」

「ふっ。――ほら、街までは馬車で行くから先に乗れ」 

 結局またはぐらかされてルークが何の仕事をしているのか知ることはできなかった。背を押されて屋敷のホールを抜ける。そこには玄関前に立派な馬車が横付けされていた。

 その馬車の後ろには二頭の馬がいて、それぞれスーツの男が跨っていた。よく見れば、彼らはルークの身辺警護をしている近衛隊のメンバーの様だ。

 スーツで馬というのは絵になるが、絶対に乗りにくいと思う。それともパンツはスーツに見えるが乗馬用の物なのだろうか。

 そんなことを考えていると「早く乗れ」と再度背を押されて、今度こそ馬車に乗り込んだ。

 椅子の部分にはしっかりクッションがつけられており、案外心地いい。

 隣にルークが乗り込むと扉が閉められ、馬車が出発した。

「なんか街に出るだけで大げさな気がするけど、こっちでは馬車移動が普通なのか?」

「歩いていくには距離があるからな」

 確かに以前屋敷を飛び出した時、ここの敷地を抜けるだけでも結構な距離があったなと納得する。

「でも、近くって言えば近くじゃん。なのにあの人達ついてくるのな」

「ついてこなくても良いと言ったんだが、あいつらのトップはフリードだからな。俺の言うことなんか聞かない」

「え、そうなんだ。それは怖い」

「だろう?せめて二人はつけると押し切られてな」

 その時のことを思い出しているのかルードは苦笑を浮かべている。そんなルードを横目に類は頭を背もたれに預けた。

「金持ちになるってのも楽じゃないんだな」

「そうだな。だが、そのおかげで優秀な人材を雇える」

「フリードとか?」

「屋敷にいるのは皆俺が選んだ者たちだ。皆それぞれ優れている点がある」

「そっか」

フリードとは仲が良さそうなのに、彼だけを贔屓したりしないあたりに好感が持てた。もしかしたらこんなルークだから皆ついてくるのかもしれない。

金があるからといって遊んでばかりいるわけではないし、むしろ遊ぶ暇もないほど働いている。こっちが心配になるほどだ。

相変わらず食事は時間が合わないという理由でフリードとふたりきりだし、せめてライも同席してほしい。

思考が逸れ始めた頃、「街だ」という低い呟きのような声がして、導かれるように窓の外へ視線を向けた。

以前とは違うルートを通っているので、街をやや見下ろす形になる。高台から見下ろす街は周辺を囲む壁に阻まれることなく見渡すことができた。オレンジ色の屋根に白い壁。イタリアの街を思わせる建物が、きちんと整備されたように並んでいる。

一際背の高い尖り屋根の建物は中央役所、街の奥に見えるドーム型の屋根をしている建物は聖ロナルド教会――この国で最も権威のある教会なのだとルークが説明してくれた。

「ここって結構大きい街なんだな」

「中央と呼ばれるハーベ程ではないが、ロナルド教会があるおかげで賑わってはいるな」

「へぇ、ここより大きな街があるんだ。いつか行ってみたいな」

「……ああ、いつかな」

その僅かな間はなんだったのか。気にならないではなかったが、ルークがいつもより無表情になっている気がして躊躇っているうちに馬車が街の入り口である門を通過し、類の意識は簡単に街に移ってしまった。

街の喧騒が耳を塞ぐ。店先で人を呼び込む店員。買い物中の女性、走り抜けていく子供たちの集団。人の街と変わらない光景に、目が奪われた。同時に自分がどれだけ日常から切り離された生活をしていたのかを思い知らされて、少し切ない気持ちになった。

時空の歪みに落ちなければ、今頃自分も友人とああして街を遊び歩いていたかもしれないのに。そう思って店先で楽しそうに小突き合いながらなにかを飲んでいる少年たちに自分を重ねてみる。だがそれは虚しさをさらに深めただけだった。

 少しだけセンチメンタルな気持ちになっている間にも馬車は街の中を進み、沢山の馬車や馬が繋がれた広場に到着した。人間界でいうバスターミナルかコインパーキングのような場所だろうか。

 馬車が止まると外から扉が開かれ、ルークが降りていく。その後に続いて降りると眩しい太陽の光が頭上から降り注いだ。

 少しだけ冷たい風が頬を撫で、太陽の温かさと相まって心地いい。

 思わずぐーっと伸びをする。

「ルイ、どこか行きたい場所はあるか?」

「いや俺何があるとか知らないし。適当に案内してよ」

「ああ、わかった。まずはメイン通りに行こう」

 そう言って歩き出そうとしたルークに、背後についていた近衛隊のひとりが「ルークお――、ルーク様」と少し噛みながら声を上げた。

「なんだ」

「失礼ながら申し上げます。メイン通りは人が多いため避けた方がよろしいかと」

「問題ない。誰も気づきはしないさ」

「ですが――」

「いい。行くぞルイ」

「え?あ、うん」

 強い声に促されるように隣に並んで歩き出す。

 しかし近衛隊の二人が気になって振り返れば、チラチラと周りを警戒しながらついて来ている。

 そんなに警戒しなければならないほど治安の悪い街なのだろうか。見た感じ賑やかではあるが、闇の気配はまったくしない。それともそれほどまでにルークの地位が高いということなのだろうか。ルークは政治家のような仕事をしていると言っていたし、こうして警備されるのは当たり前のことなのかもしれない。

 それを証明するかのように背後をまったく気にせずルークはどんどん進んで行く。

「メイン通りってここからどれくらい歩くんだ?」

「第4、第5通りを抜けた先だから大体10分くらいだな」

「結構歩くな。もっと近くで馬車とめればよかったのに」

「一番とめやすいのがあそこだからな。それに通りは基本的に馬進入禁止だ」

「ふーん。そういうルールは人間界と変わらないな」

「ルイ。あまりここで人間界の話はするな。ここには竜族しかいないし、中には過剰に人間嫌いな者もいる」

「あ、そっか。そう、だよな」

見渡す限りそこにいるのは青白い肌に尖り耳の竜族しかいない。自分と同じ姿の竜族。この姿の自分に少し慣れた気がしていた。でもやっぱり心までは変えられない。

 ――寂しい。自分は、独りだ。

 ふと湧いた感情を振り払うように周りの喧騒に耳を傾ける。あっちこっちキョロキョロと見回していたら、ここから第5通りだと教えられる。第4通りは服屋が多かったイメージだが、第5通りは飲食店が多い印象だ。

 美味しそうなフルーツジュースを扱う店の看板に目が引きつけられる。

 なんのフルーツかは不明だが、鮮やかな色のジュースが何種類か看板に描かれていた。

せっかくなので飲み歩きたい。そう思って隣のルークの裾を引こうとした時、どこかで見かけた少年の姿を見つけ、反射的に足が止まった。

 ガラの悪そうな男――少年と同じ制服を着ているので同級生かもしれない――に囲まれている。それなりに人通りが多い場所だというのに男たちは気にした様子もなく少年の肩を押して壁に叩きつけた。

「――っ!!」

「どうした?」

 足を止めた類の数歩先で異変に気付いて振り返ったルークに「あれ」と彼らの方を指さして状況を教える。

 その間にも状況は悪化していた。

 二人の内、長髪の方が不意に手に持っていたジュースを少年の頭上に持ち上げる。

まさかと思った瞬間に、ジュースが少年の全身に降りかかった。

「嘘だろ――」

 漫画の世界でしか見たことのない光景に絶句する。そんな類の耳に不快な笑い声が届く。

「ははは!」

「うわ、かわいそー」

「いいんだよ。ケイトは何も感じないんだもんな?それよりユース、お前かわいそーとかいって笑ってる方が酷くね?」

「いやいや、ジュース頭からぶちまけるオストンの方が酷いっしょ」

「そうか?」

何が楽しいのか、二人の少年たちがずぶ濡れの少年――ケイトを前に大声で笑い続けている。

ケイトはどこか諦めた表情で俯いていた。しかし類にはその強く握られた手がしっかりと見えていた。

「あいつ、なんでやり返さないんだ……」

力で敵わないなら魔術を使えばいい。あの時の力を見せつけてやればそんなやつらは直ぐに逃げていくはずだ。それなのにケイトは再び肩を押されても、頭を叩かれても耐えている。その理由が類にはわからなかった。

もう見ていられないと駆け出そうとした足は、しかし「やめておけ」とルークに手を掴まれたことで阻まれる。

「なんで!あんな一方的にやられてるんだぞ!」

「助けを求めていない。竜族は強さこそすべてだ。むやみに手を出せばあいつのプライドを傷つけるかもしれないぞ」

「でも……」

 自分でどうにかしたいという気持ちもわかる。だが、視線を戻した先でケイトは唇を噛み締めてただ耐えていた。

 辛そうに、それでも反撃しない。

 あれは彼のプライドなのだろうか。それがわかっているから皆素通りしていくのだろうか。

 それでも目の前で行われる暴行を見過ごすことなど出来ない。

「どの道お前には何もできないだろう」

「そうだけど……っ、でも、あいつ本当は強いんだ。なのになんで――。とにかく助けないと!」

「おい――」

 渾身の力でルークの手を振り払って走り出す。

「お前たちなにやってんだ!」

 大声を上げたせいで周りを歩いていた何人かが振り返ったが、気にせず3人の前まで走って適度な距離で足を止めた。

「はぁ!?」

 思い切り眉を寄せて睨みつけてくるオストンとユース。ケイトは類の顔を覚えていたのか、小さく「あっ」と声を上げた。

 その声に確信を持って言葉を投げかける。

「お前なんで反撃しないんだよ。あの力使えばこんなやつら一瞬で追い払えるだろ」

「――――!」

 大きく見開かれるケイトの目。その目にはなぜか絶望の色がにじみ出ていた。

「お前なんなの?急に絡んできて」

「もしかしてお前も一緒に遊びたいのか?」

 ニヤニヤと笑うオストンたちに一瞬怯む。何せ顔は幼いが身長は類の10cm程上をいっている。

 竜族は子供の頃から平均身長が高いらしい。

 彼らも身長差が気になったのか、類の頭が低い位置にあるのを見て一斉に吹き出した。

「ぷっ!なんだ小学生じゃねーか」

「おいおい保護者はどうした?子供は早くお家に帰んな」

「っな!こ、このやろー……。俺は高校生だ!!」

「はっ、めっちゃウケるんですけど」

「どこにそんな低身長の高校生がいるんだよ。俺達だって低い方なのに」

「ここにいる!てかそんなことはどーでもいいんだよ!お前ら白昼堂々いじめなんてしてんじゃねぇ!」

「なんだ正義のヒーロー気どりかよ、うぜぇー」

「お前に教えてやるよ。この世は強さが全てだってことをなっ!」

言うや否やユースが殴りかかってきた。

やばい、そう思ったのは一瞬で、すぐに「あれ?」と首をかしげることになる。

ユースの殴りかかるスピードがまるでスローモーションのようにゆっくりと見えるのだ。

これならかわせる――スッと身体を傾けた瞬間にスローモーションが解除され、ユースが殴りかかった勢いのまま横を通過していった。数歩歩いて振り返ったユースは驚愕に目を見開いていた。いや、ユースだけではない。その場にいた誰もが今の出来事を信じられないとばかりに目を見開き、動きを止めていた。

真っ先に我に返ったのはユースで、「お前……!」と睨み付けてくる。先程までのニヤついた表情はすっかり消え失せていた。

「なかなかやるな。だけど俺のはかわせないだろ!」

背後からの声に振り返ると、またしてもスローモーションに変わる。

顔面目掛けて繰り出されるオストンの拳。

顔だけを僅かに左に傾けてかわす。直ぐに左からも攻撃が繰り出されたが、それもスローモーションのようにゆっくりと見えるので余裕でかわす。かわしてばかりではきりがないので、思いきって伸ばされた左腕を掴むと、そのまま巴投げの要領で投げ飛ばした。

痛みに呻くオストンに目もくれず、類はこの不思議な現象についてひとり首を捻っていた。

喧嘩など人生で1度もしたことなどない。武道だって習っていない。授業で柔道をやったことがあるくらいだ。

もしかして竜族になったことで身体能力が上がったのだろうか。

「あの……」

 ケイトの声に今はそんなことを考えている場合ではなかったのだと思い出し、慌ててポケットから取り出したハンカチを差し出した。

「ほら、使え。ベタベタして気持ち悪いだろ」

小さなハンカチでは全身を拭うことは出来ないだろうが、顔や髪を拭くことはできるだろう。戸惑ったようにハンカチと類の顔を交互に見るケイトに半ば強引に押し付けるようにすれば、「あ、ありがとう」と小さな声で礼を言ってようやく受け取った。

「お前なんでやり返さないんだよ。力では勝てなくても魔術使えば余裕だろ」

「――っ」

 ケイトがまた魔術という言葉に過剰な反応を見せた。

 この世界でも魔術が使えるのは一握りで、魔力があること自体誇らしいことなのだと認識していたのだが、ケイトはどうしてそんな反応をするのだろう。まるでそのことを誰にも知られたくないかのように。そういえばあの日も街から離れた荒野でひとり魔術の練習をしていた。思い切り魔術を放つためにあそこを選んだのだと思っていたが、思い返せば大きな岩に身を隠すようにして練習していた気がする。

 類の中でひとつの疑念が確信に変わりつつあった。

「もしかして、誰にも言ってないのか?」

 問いに、小さな頷き。それを見逃さなかった類は「マジかよ」と思わず呟いていた。

「なんで?魔術使えるって、すげぇことじゃん」

「……誰かを傷つけることしかできないから」

「?」

「魔術は、他人を傷つける」

「そうなのか?……うーん。まあ使い方によっちゃそうかもな。でもさ、結局は使い方だろ」

 自分よりわずかに高い位置でケイトが不安そうに眉を下げて、類にその意味を問うように見つめてくる。

 その姿に段ボールに入れられた捨て犬の姿が重なる。

 思わず頭をわしゃわしゃと撫でたくなったが、ぐっと我慢して言葉をつなげた。

「つまりさ、誰かを守るために使えばいいんじゃねぇの?考え方の違いともいえるけど……。結局は自分次第だと思うぞ」

「……君も魔術を使えるの?」

「あー……」

 頭の中にあの苦い記憶が蘇った。

 よく考えれば、あの場に誰かがいたら魔術の巻き添えにしていたかもしれないのだ。想像してゾッとした。魔術のすごさに目を奪われていたが、使い方を誤れば誰かを傷つけるかもしれないのだ。ケイトの気持ちが少しわかった。

「俺は、色々あって使用禁止なんだ……」

「使用禁止?でも、君も魔術使えるんだね」

 ふっとケイトが微笑んだ。困り顔が笑顔に変わってほっとしていると、「ルイ!」と誰かが名前を叫んだ。すぐに頭に強い衝撃。

「うっ!」

 あまりの痛みに思わず頭に手を当てると、ヌメッとした何かが触れた。手を目の前に持ってくれば、赤いものがついていた。足元に落ちてきた石にも赤いものがついている。それでようやく石をぶつけられたのだと理解した。

 痛みに呻きながら振り返れば、いつの間に復活していたのかオストンとユースがまたあの嫌な笑みを浮かべて立っていた。彼らの手にはどこで調達したのか、消しゴムサイズの石がまだ数個ずつ握られている。

 さすがにまずい。この威力の物をあの数投げられたら無事では済まない。

「さっきはよくもやってくれたな」

「どっちが上か思い知らせてやる――!」

「!!」

 振り上げられる手に、咄嗟に横へ飛んで逃げようとしたが、あと一歩のところで思いとどまった。よければケイトに当たってしまうからだ。

 覚悟を決めて、せめて頭だけは守ろうと腕で防御の体勢を取る。

「――どいて!」

「うえ!?」

 思いもよらない強い力で引っ張られ、ケイトと位置が入れ替わる。

 これではケイトがあの石の餌食になってしまう。

「ちょ――」

「ブレスウインド!」

「うわあ!」

 ぶわあっと巻き上がる風に思わず顔を覆う。風の音が耳を塞ぐ。その中で微かにオストンとユースの悲鳴が混じって、必死に目を開けて様子を窺うと丁度彼らが吹き飛ばされて地面に叩きつけられるところだった。

 すぅっと風がおさまり、怖いくらいの静寂が辺りに満ちる。

 その中でケイトの背中がやけに凛として見えた。

 だがはっとしたように「あっ」と振り返ったケイトはまた眉を下げた困り顔に戻っていて、何故だか少し安心した。

「大丈夫!?えっと……」

 そこで初めて自己紹介をしていなかったことに気付き慌てて名を名乗る。

「俺はルイ。傷は、痛いけど多分大丈夫」

「よかった……。あ、僕はケイト。ケイト・ウィンバー」

「ケイト、今、魔術……」

「うん。君を、ルイを守らなくちゃって思ったら咄嗟に」

「ケイト……!」

 はにかむように、どこか照れ臭そうに笑うケイトに思わず抱き着く。

 この世の癒しだと思った。

「あの、ルイ。治療しないと……。びょ、病院に行こう!」

「あ、そうだった。思い出したら痛みが、痛たたた……」

「だ、大丈夫?血、血が!」

「だ、大丈夫だ!痛いけど多分大丈夫!」

「で、でも血が!」

「何をやっているんだお前たちは」

「あ、ルーク」

 ケイトと二人でワタワタしているといつの間にか近くに来ていたルークが呆れたような表情で頭に触れてくる。傷の具合を確認しているらしい。

「酷くはないが出血がひどいな。仕方がない、一旦屋敷に戻るぞ」

「えー!せっかく街に来たのにぃー……」

「誰のせいだ?」

「……俺ですね」

 正確には道の隅で伸びている男ふたりのせいなのだが、とてもそんなことを言える雰囲気ではなかった。

 しゅんと肩を落とす類を見てため息をひとつ吐いたルークは、次いでその視線を隣のケイトに移した。

「ウィンバーといったか?」

「あ、はい」

「その制服はチェンサー校のものだな?魔術が使えるのになぜそのレベルに収まっている?」

「あ、そ、その、僕には選択肢がなかったので……」

「学力が足りなかったか?」

「べ、勉強はそこそこできる、と思います。でもそこに行くのが施設の決まりだったから」

 言いづらそうに小さな声で告げたケイトの施設という単語に引っかかった。

 何の施設なのか気になったが、あまりいい意味ではなさそうなので聞くに聞けない。しかし何やら思案していたルークは納得したようにひとつ頷いている。

「……なるほど。国は才能を溝に捨てているな。俺達は一旦屋敷に帰る。お前にも話があるから共に来い」

「え!?」

 類とケイトの声が重なった。

 突然の提案というより有無も言わせぬ口調で告げたルークは離れたところで待機していた親衛隊と共に来た道を帰っていく。数歩歩いたところで二人がついて来ていないことに気付いたルークが足を止めて顔だけで振り返った。

「どうした、早く来い」

「あ、うん。よくわかんないけど、行こうケイト。俺、もっとお前と話したいし」

「う、うん。ぼ、僕もルイと話したい」

「よし!決まりだ!治療が終わったらゆっくり話そう」

「う、うん!」

 頷いたケイトの手を引いて、共にルークの元へと走る。

 二人が並んだのを確認するとルークが再び歩き出す。

 街にはいつの間にか喧騒が戻ってきていた。






 屋敷に戻るとすぐに医務室に放り込まれた類はケイトとルークと別れ、ひとりで治療を受けた。消毒液が泣くくらい沁みたが、幸い縫うほどの傷ではなかったらしくすぐにふさがるだろうとの医師の言葉に安心した。

 丁寧な治療に礼をいって医務室を出てから、ケイトとどこで落ち合うか約束をしていなかったことを思い出した。彼がどこにいるかもわからない。とりあえず部屋で待っていればルークが連れてきてくれるだろう。そう考えて自室へつながる廊下を歩いていると丁度角を曲がってきたフリードと遭遇した。

 類の顔を見るとあからさまに眉を寄せる。

 その反応にげんなりしたが、すぐにあることを思いつきこちらから駆け寄った。

「なあフリード!ちょっと俺のこと殴ってみてくれない?」

「……怪我をして帰ってきたと聞きましたが、手遅れな程頭をやられてしまったのですか?」

「いいから!ちょっとやってみて!」

「……よくわかりませんが、本当にいいんですね?」

「ああ!思いっきりな!」

「じゃあ遠慮なく」

 脳裏によみがえるオストンとユースの拳の軌道。きっと本気で殴り掛かられたらフリードの拳も避けることができるは――「ぶへえぇぇっ――!」

 思考の途中で頬から顎にかけて激痛が走り、そのまま吹っ飛んだ。

 痛みよりも何故だという驚愕が勝る。

 まったく軌道が見えなかった。それどころかいつ拳を振り上げたのかも見えなかった。

「え、え?なんで?普通に当たったんですけど!」

「頭がいかれたんですか?避けようともせず、防御の体勢も取らず、馬鹿みたいにただぼけーっと立っていたら当たるに決まってるでしょう。馬鹿なんですか?」

「めっちゃ馬鹿馬鹿言ってる……。いや違うんだって!言い訳を聞いてくれ。街で不良に絡まれたんだけど、その時相手の動きがスローモーションに見えたんだよ。だから特殊能力でも開花したのかと……」

「……なるほど、それで私に殴らせたんですね。どうやら本当に馬鹿みたいですからもう一度殴らせてください」

「え、いやなんで!一旦落ち着こう……!もう一回は無理!」

「……はぁ。いいですか?私は幼少期より武道を習い、きちんと士官学校も卒業してします、卒業後も鍛練は怠っていません。そんな私とそこら辺の不良を同列に見られていたなんて虫酸が走るんですよ。だから殴っていいですよね?」

「説明したから殴っていいってことはないから!その手を下げて!」

「――お前たちなにを騒いでいる?」

 じりじりと詰め寄るフリードから逃げる体勢を取ろうとした時背後から救世主の声がした。

 振り返ればいつもの無表情でルークが立っている。その隣にはケイトの姿もあった。

「教育的指導ですよ。そちらの方は?」

「ああ。こいつはケイト・ウィンバー。今日から近衛隊見習いとして働くことになった。夏の試験を受けさせて士官学校へ進学させるつもりだ」

「ふーん、そうですか。ではそれに見合う能力が備わっているということですね」

「ああ。ウィンバー。彼はマークス・フリード。近衛隊隊長でお前の勉学の師となる」

「あ、そ、その。よろしくお願いします……!」

「よろしく、ウィンバー。私も士官学校を卒業していますから、わからない所があれば遠慮なく聞いてくださいね」

「は、はい……!」

「え、ちょちょちょ、なに?どういうこと?」

 どうやらこの状況を理解できていないのは自分だけらしいことに気付いて慌てて声を上げた。フリードがすぐさま蔑むような視線を向けてきたのでルークに視線をやって説明を求める。

「ウィンバーは魔力がある。だから士官学校へ通わせる。魔力のある者は騎士になるのが当たり前だからな。ウィンバーもそれを望んだので夏の試験まではこの屋敷に住み込みでお前と同じように勉強や馬術、剣術などを学ぶ。本人もそれを望んでいる」

「騎士?ケイト、騎士になりたいのか?」

「う、うん。国を守る騎士になるのは難しいことだけど、とっても名誉なことだから」

「そうなのか。よくわかんないけど、住み込みなら毎日一緒に遊べるな!」

 親指を立てて笑ったらすぐさまフリードに頭を叩かれて声も上げられないほど悶絶して床に座り込む。

「なに他人ごとのように言っているんですか。あなただって騎士を目指すんでしょうが」

「はぁ!?なんで俺も騎士を目指すって決まってるんだよ!俺はまだ進学先決めてねぇぞ」

「ルークの契約者となった時点で騎士になるのが決定しているんですよ。大体普通は騎士と契約するものなのにこんな能無しと契約してしまって嘆かわしい。ルークの名誉の為にもあなたを必ず騎士にします」

「ちょっと待てよ!俺の意思は!?」

「いいじゃないですか。士官学校を卒業すれば王族の警護や王宮警備など名誉な職につけますよ。給料も普通の3倍はでます」

「え、3倍……」

 この世界の基準が何円かは知らないが、3倍は大きい。屋敷を出てひとりぐらしすることも、好きなものを好きなだけ買うこともできるかもしれない。

 元々将来の夢など持っていなかったので、金をちらつかされてあっさり心が動いた。だが重要なことはもうひとつある。

「士官学校って女の子いる?」

「多くはありませんが、一定数はいますよ」

「可愛い?」

「綺麗な子もかわいい子もいますよ。ちなみに制服も可愛い系で女性に人気があります」

「まじか。俺士官学校目指すわ」

 宣言した後のルークのため息とケイトの困り顔に、すぐ自分の言葉を取り消したい気持ちにかられたが、フリードの怖いくらいの笑顔にそれは不可能だと悟った。

「では明日からまた頑張りましょうね。この私から直々に指導を受けるのですから二人には主席、次席を目指してもらわなければ」

 優しすぎる声色に類の身体は無意識に震えていた。

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