第31話 純情

「そうだね……。順番に思い出していくと、瞳子さんに抱いた最初の感情は苛立ちだった。前に話したことあったよね? 俺が関係を持ってきたのは、体が繋がった途端に心まで繋がったと勘違いする女か、自分の立場を絶対に崩さない狡い女のどっちかだったのに、瞳子さんはそのどっちでもなかったって」


「うん」


「わからなくてイラつくから壊してやろうと思ったのに、それができない自分にも戸惑ったよ。だから瞳子さんからもう会わないって言われたとき、内心ほっとしたんだ。これで訳の分からないイライラから解放されるって」


「そうだったの……」


「けどさ、会わなくなって、なぜか余計にイライラが増して混乱した。それがようやく治まってきた頃に、駅でぐったりしてる瞳子さんを見つけた。そしたらイライラなんて吹き飛んで、なんだかすごくほっとしたんだ。心配だったのも勿論あるけれど、手放したくなくなって家に連れて帰った」


「あの時は私も礼隆君に会えたことが無性に嬉しかった。頼っちゃいけないと思うのに、礼隆君に傍にいて欲しいって思ってた」


「そう言えば、あの時に瞳子さん、どうして結婚するつもりがないのかって俺に聞いてきたよね。風俗嬢に飼われてたって過去を話したの、実は瞳子さんが初めてだったんだ」


「そうなの? リサさんには、そのことは……」


「話すも何も……実はリサと出会ったのがその頃なんだ。リサは俺を飼ってた女の店の後輩で、女のマンションにあいつが何度か遊びに来るうちに親しくなってさ。あいつも親から居場所を取り上げられてあの汚い街に逃げてきた奴だって知ったんだ」


「それが、リサさんの言う “同じ傷” なのね……」


「あいつの傷は根が深いよ。母親の再婚相手にレイプされて、実の母親がそれを見て見ぬ振りしてたって言うんだからさ。未成年がそんな親から逃げ出して独りで生きていくためっていうのと、慰みものにされたせいで自暴自棄になってたっていうのとで風俗嬢になったんだよ、あいつ」


「そんな過去を彼女が抱えていたなんて……。それで礼隆君は彼女をほっとけなかったのね?」


「うん。俺が家出した経緯を話したら懐かれちゃってさ。まあ、俺としても自分のことを隠さずにいられて楽だったし、あいつには俺しか縋る相手がいないんだって思ったら、突っぱねられなかったよね」


「じゃあ、やっぱり礼隆君にとってもリサさんは特別な存在なんだ……」


「確かに、傷を舐め合っていたっていう意味では他の女とは違ってたと思う。けど……俺の心をぐちゃぐちゃにかき回すのは、やっぱり瞳子さんだけだった。親父のクリニックから瞳子さんのマンションに送る途中、俺に寄り添ってくれた瞳子さんにずっと傍にいてほしいって思った。でも、マンションの前で彼氏に出くわして我に返ったんだ。瞳子さんには守るべき未来がある。それを壊しちゃいけないって思い出して、嘘をついて逃げた」


「私はあの時、彼に全てを話してしまおうと思ってたの。予定されている未来を捨てても礼隆君に寄り添っていたかった。でも、そんな私の存在を礼隆君は重荷に感じたんだろうって思ってた」


「そういう気持ちもあったかもしれない。でも逃げて帰ってきた途端、胸を激しく掻きむしられるような苦しみが続いたんだ。ああ、これが嫉妬って奴なんだってわかった。今日だって、俺は何度も彼氏に嫉妬していたよ。楽しそうな瞳子さんを見る度に、あの人の前ではいつもこんな表情をしてるのかなとか、あの人はこの先もこんな瞳子さんをずっと見ていられるんだなとか……」


「礼隆君がそんな風に感じてたなんて……」


「瞳子さんも驚くよね? 自分でもびっくりしてるし、困惑してる。しかも、自分が嫉妬に苦しんでるくせに、瞳子さんもリサのことで嫉妬してるって知ってなんだか嬉しかったんだ。それって相当な自己中だよね」


「その気持ちはわかるよ。誰かを好きになるって、楽しいことや綺麗ごとばかりじゃない。自分勝手な思いも湧くし、苦しいこともいっぱいある。それでも求める気持ちを抑えられなくて、もっともっと苦しくなって──でも、心が繋がった時には身震いするほど感動して、自分は世界で一番幸せな人間だって思える。礼隆君と心を重ねられたって思った瞬間、もう他に何も要らないと思えるほど私は満たされたの」


「それって、母さんが自殺未遂した日のこと?」


「うん」


「あの時は本当にごめん。瞳子さんは俺に会わずに帰ろうとしてたのに、無理矢理あんなことして──」


「ううん。いいの。あの時は礼隆君が心の内に抱えているものを私にぶつけてきてくれたことがすごく嬉しかった。礼隆君の乾ききった心がようやく見えた気がして、私の全部で礼隆君を受け止めたいって思った。その気持ちは今でも変わらないよ。私はこれからも自分の全てを賭けて、礼隆君の全てを受け止めていきたいの」


「瞳子さん……。そう言ってもらえることを、今は素直に幸せだと思える。けど、前に言ったよね。やがて色褪せて朽ちていく感情は要らないって。俺達のこの思いだって、ずっと同じ熱量や鮮やかさを保ってなんかいられないんだ」


「確かに、永遠に形や色を変えない愛なんてないのかもしれない。でもね、たとえ形や色が変わっても、私は礼隆君を愛し続けるし、礼隆君の心に寄り添い続けるわ。礼隆君が、未来に向かって新しい線路を伸ばしていけるように」


「新しい線路……?」


「うん。礼隆君の名前は、人生のレールが幸せに向かって伸びていくようにって、お母さんが考えてくれたんでしょう? だったらそのレールを一緒に作っていきましょうよ。礼隆君が未来へ向かうために」


「未来へ向かうため……か」


「そうよ。私は礼隆君が未来へ向かっていくのを見届けたい。ううん、一緒に未来へと向かっていきたい。礼隆君に寄り添って、辛いことも苦しいことも楽しいことも全部分かちあっていきたい」


「そう言う瞳子さんを信じたいよ。でも、俺の両親みたいにならないとも限らないじゃないか。 瞳子さんが傍にいると満たされるのに、満たされたかと思うとすっと気持ちが冷めて虚しくなるんだ。まるで潮の満ち干きみたいに、喜びと虚しさが交互に訪れてきていたたまれなくなる」


「礼隆君が虚しくなったときは、潮がひいた分を私が満たしてあげる。礼隆君の心がいつでも満たされるように、私が与え続けるわ。だから不安にならないで。ずっとずっとあなたの心に寄り添うから……」


「瞳子さん…………。やべえ、どうしよう……」


「礼隆君──」


「どうしよう…………。どうすればいい……? 何かが心の奥底から溢れてきて止まらないんだ。俺は、どうすれば…………」


「止めなくていいの。いくらでも溢れさせて。私が全部受け止めるから、…………大好きだよ、礼隆君。愛してる」


「瞳子さん…………。ありがとう。俺も瞳子さんを愛してる」

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