第21話 告白
「来週の月曜日から、また前みたいに会えるかな」
翌日の早朝、まだ薄暗いうちに瞳子をマンションまで送った礼隆が朧気な笑みを浮かべて瞳子の顔色を窺った。
「来週の月曜日って、明後日ってこと?」
「うん……。無理なら再来週からでもいいけど」
「ううん。無理じゃないよ。前と同じ時間に礼隆君ちに行けばいい?」
「そうだね。でももし早く仕事上がれた時には連絡して。月曜なら五時には大学から帰ってるから、晩飯用意しとけるし。火曜日は朝からホテルバイト入ってるけど、瞳子さんさえ良ければ泊まってってよ」
月曜日に会う約束は同じでも、礼隆の態度は以前と明らかに違う。
セックスする時間以外は共に過ごす気のなかった彼が、次の月曜日は時間の許す限り一緒にいたいと言っているのだ。
母親の容態への不安から、一時的に自分に縋っているだけなのかもしれない。
何かを求めて彷徨う心はそのうちまた元の場所へと収まって、隙のないあの笑顔で鍵をかけられてしまうのかもしれない。
そうだとしても、ようやく触れられるところにまできている彼の心を今はまだ離すまいと思う瞳子は、礼隆の不安を包み込むように彼の手を握り穏やかに微笑んだ。
「わかった。じゃあ、そのつもりで支度して行くね」
「うん、待ってる。……けど、瞳子さんは次の日休みなんだから、もし彼氏との約束が入るようならいつでもそっちを優先してよ」
「礼隆君はそれでいいの?」
「瞳子さんの幸せを壊したいわけじゃない。だから俺よりも彼氏を優先してほしいんだ」
「……わかった」
彼が望むならば、狡い女を演じよう。
彼の心に触れ続けることができるのならば、苦しくてもそれを演じ切ろう。
昨晩胸に刻みつけた決意を笑顔の下に隠し、瞳子は礼隆の手をそっと離すと彼と別れ、マンションの中へと入った。
*
[おはようございます。そしておかえりなさい。お疲れのところ申し訳ないのですが、大切なお話があるので、今日か明日の晩私の自宅にいらしていただけないでしょうか]
昨晩最終の新幹線で戻ってきたと連絡のあった越川は、きっとまだ眠っているに違いない。
そう思うと週末の朝にこんなメッセージを送るのは躊躇われるが、彼とは何としてもこの週末のうちに会わなければならないと瞳子は考えていた。
もうこれ以上彼を裏切ることはできない。
昨晩礼隆のアパートに出向く前から、越川が出張から戻ったらきちんと話をしなければならないとは思っていた。
礼隆の存在を明かし、彼に対する自分の思いを伝えた上で、交際を続けることはできないと正直に告げるつもりだった。
越川との交際を続けながら自分とも会って欲しいというのが礼隆の望みではあるが、雁字搦めになって傷つけ合わない程度に寄り添いたいとするエゴに、愚直なほど誠実な越川を巻き込むことなど許されるわけがない。
不誠実な行動を彼に謝罪し交際を解消した上で、礼隆の前では “狡い女” を演じよう。
そう決意していた瞳子は一度戻った自宅で慌ただしく身支度を整え、出勤途中の電車の中でメッセージを送ったのだった。
程なくして、越川からの返信メッセージが入る。
[おはようございます! 瞳子さんからのメッセージかもしれないと思ったら、着信音でぱっと目が覚めました。おかげで疲れが吹き飛び目覚めもいいです(笑)今週末は瞳子さんお仕事でしょう? 外で食事しながらお話する方が楽じゃないですか?]
無垢な思いを苦しいまでに向けられて、息が止まりそうになる。
滲む涙を押さえ込むようにふうっと息を吐き、瞳子はすぐにメッセージを返した。
[外では何かと話しづらいので、できれば家でお会いしたいのです]
送信してすぐに既読がついたが、瞳子の申し出を受け入れる旨の返信が来たのは彼女が会社に着いてからだった。
*
面と向かっての食事はとても喉を通りそうになかったので、越川には夕食を済ませてから自宅に来てもらうことになった。
来客用のコーヒーカップを用意しているところにインターホンが鳴る。
「どうぞ……」
震える指先で解錠ボタンを押すと、越川が笑顔のまま自動ドアをくぐる姿がモニターに映る。
再びインターホンが鳴り、玄関のドアを開けた瞳子はケーキ箱を提げた越川を部屋の中へと招き入れた。
「おおー! これが瞳子さんの部屋かあ……! やっぱり女性の部屋だけあってお洒落で可愛らしいですね……って、いい歳して興奮しちゃってみっともないですね」
「いえ……。本当は先週ご招待するはずだったのに、あの時はインフルエンザでドタキャンしてすみませんでした」
顔を俯けながら、瞳子は思う。
あの日、予定どおりに越川とこの部屋で過ごせていたならば、今日別れを切り出す必要などなかったのだろう。
あんな形で礼隆と再会することも、彼の心の闇を知ることもなかっただろう。
あの時運命の歯車が狂わなければ、この誠実な男性と共にこの先長く続く幸福な人生を歩めていたに違いない。
ずっと思い描いていた夢を棒に振ってでも先の見えない恋を選ぼうとしている自分の選択が正しいとは思えないのに、茨の道を進んでいくことに躊躇いがないのが不思議だ。
複雑に歪む彼女の表情をさして気に留める風でもなく、越川はにっこりと微笑んだ。
「そんなこと気にしなくていいんですよ。すっかり回復したようで何よりです」
「……ケーキありがとうございます。今コーヒー淹れますね」
常に大きな安らぎを与えてくれていた越川の笑顔を正視することができず、瞳子は居室の片隅に据え付けられたキッチンへと逃げるように向かった。
清廉な彼にとってこれから自分が曝け出す真実は、大切にしていた恋人が信じ難いほど最低な女だっという酷い事実を突きつけるものになるだろう。
怖気づいて逃げ出したくなる気持ちをぐっと押さえてコーヒーを淹れると、越川の前にカップを差し出した瞳子はとうとう礼隆とのことを切り出した。
「圭介さん……。先日インフルエンザの時に私に付き添っていた男性のこと、覚えてますか?」
「ん? ああ、瞳子さんの
「彼…………実は従弟なんかじゃないんです」
「……え?」
コーヒーカップに指をかけた越川の動きが止まる。
きょとんと見上げた越川の眼差しにとうとう耐えきれなくなり、彼と向かい合って正座していた瞳子は震える指を手のひらに押し込め俯いた。
「彼……彼と私は……、いわゆるセフレの関係なんです……」
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