第37話「一番大切なこと」

「どうぞ」

 ドアを数回ノックすると、中から声が聞こえてきた。

 美桜と共に顔を見合わせ、ゆっくりとドアノブに手を掛け扉を開ける。

「失礼します」

 生徒会室へ入るのは、これが初めてだ。職員室とはまた違った、独特の緊張感を感じてしまう。ズラッとファイルや本の並んだ大きな本棚に囲まれ、ぐるっと教室を一周するように配置された長机と椅子。

 そして、扉の丁度正面に位置する場所に、明らかに他の家具とはレベルの違う、どこか仰々しささえ感じてしまうほど豪華な椅子に、一人の女性が座っていた。

「ようこそ、生徒会室へ」

 その女性──葉隠椿会長は、俺たち二人の顔をジッと見つめ、そう言葉を発する。

 生徒会室の雰囲気に飲まれているのか、それとも会長の持つオーラのようなものに気圧されているのか。会長の言葉を聞いた俺は、思わず緊張から背筋が伸びてしまった。

 何度か全校集会などで顔を見たことはあったが、この距離で会話してみて改めて感じた。この人は、すごい人なんだと。



「──葉隠先輩」

 数秒の沈黙の後、まず美桜が言葉を切り出す。

「私たちは、どうしてここに呼ばれたのでしょうか?」

 最もな疑問だ。

 まずはそこを聞かなきゃ、話にもならないからな。


「いやすまない。こちらから呼び立てておいて、本題をまだ伝えていなかったな」

「いえ、何となく想像はしています。なので、余計な前置きはいりません。率直にお願いします」

「分かった、率直に伝えよう。君たちに、花咲柚希君の説得をお願いしたいんだ」

「説得……ですか?」


 思わず聞き返してしまう。

 美桜は「やっぱりそうか」といった表情を見せているが、俺にとっては少しだけ予想外の答えだったからだ。

 生徒会長に呼び出される理由なんて、生徒会にまつわる何かだろうというのは分かる。ここ最近柚希が生徒会室に頻繁に出入りしていることを考えると、柚希に関する話の可能性も十分想像できた。

 だが……説得ってのは、どういうことだろうか。

「ああ、説得だ。君たちには初めて話すが、実は私は少し前から花咲君──ああ、君も花咲だったね、失礼。柚希君のことを生徒会にスカウトしていたんだ」

「スカウトって、ウチの学校伝統の……ってやつですよね」

「そうだ。我が校では代々その年の生徒会長が、次期生徒会メンバーをスカウトする仕組みになっている。まぁ私の場合は、来年も生徒会長を務める事が決まっているので少し特別なんだが、それでもその伝統は変わらず引き継いでいるのだ」

 北条が言っていたことを思い出す。

 柚希ももしかすると……なんて話をしたが、まさか本当だったとは。

「で、私は次期生徒会副会長に柚希君を指名した。もちろん適当に選んだわけではない。学業、生活態度、全てを加味した上での決断だということを理解してほしい。彼女にはぜひ私の隣で、一年間サポートして欲しいと思っているのだ」

「副会長……って、柚希はまだ一年生ですよね? 普通そういうのって二年生の方から選ぶものじゃ……」

「何を言っている。私が生徒会長に指名されたのは一年生のこの次期だぞ。副会長に柚希君を指名することに何の不思議があろうか」

 そう言われると、確かに。

 目の前に前例がある以上、変な話ってわけでも無さそうだ。

「だが、残念ながら柚希君には断られてしまった。私には出来ない、とね。そこで柚希君と近しい二人に説得を頼みたいという話だ」

「断られた……って、柚希のやつ誘いを断ったんですか?」

「ああ。……だが、私は諦めない。今の我が校で彼女以上に相応しい人材はいないと思っている。彼女なら出来るではない、彼女にしか出来ないと思っているんだ」

 なるほど、それで俺たちを呼び出したって話か。

 そういえばここ最近、時折柚希は何か悩んでいる様子を見せていたっけ。もしかすると、生徒会への誘いをどうするか考えていたんだろうか。

 ……けど、柚希は自分で決断して誘いを断ったんだよな。だったら俺たちが。

「頼む。生徒会の、そして我が校のためにもどうか柚希君の説得を──」


「──すみません。そのお願いは、聞けません」


 会長の言葉を最後まで聞くこと無く、美桜はハッキリと言葉を述べた。

「生徒会長は柚希のスカウトをした。けど柚希は断った。この話は、これでおしまいのはずです」

 美桜の言葉は、まさに俺が感じていたものと一緒だった。

 柚希は自分の意思で行動している。理由はどうあれ、キチンと断ったはずだ。

 ならば──。

「確かに、私たちが説得すれば柚希の考えが変わる可能性は十分あります。ですがそれは、柚希自身の答えじゃない」

「すみません会長さん、俺も同意見です。柚希がやらないって決めたのなら、その意思を尊重してやりたいので」

 俺たちが口を挟むのはナンセンスだ。

「……ふむ、なるほど」

 俺と美桜の返答を聞き、少し考え込む様子を見せた会長。

 だが。


「それでは聞くが、柚希君が私の誘いを断った理由が君たちにある、と言ったらどうだ?」


「……理由が、俺たちに?」

「柚希君は言っていた。君たち二人との時間を大切にしたいと。だが、それは生徒会に入っても十分可能だと私は思っている。何も四六時中ここにいろと言っているわけではない。私だってそうだ。こうして会長として一年間活動してきたが、一度も私生活より生徒会を優先したことは無いからな」

 俺たち三人との時間……。

「確かにこれまでよりは一緒にいられる時間は減るだろう。だが、そこまで極端に下がるものでもない。だが、どうも私が口にしても説得力に欠けそうでな。だからこそ、そのことを君たちから伝えて欲しい」


 一瞬、悩んでしまった自分がいた。

 もしかすると、本当は生徒会に入りたいと思っているんじゃないか。俺たちがそれを邪魔しているんじゃないか、と。

 柚希は昔から、誰かの役に立つのならば、自己犠牲は厭わないという性格だった。

 唯一アイツと同じクラスになった中学生の頃、誰もやりたがらないクラス委員に立候補していたのを覚えている。本人も決して前に出てみんなをまとめるってタイプじゃないのに、それでもクラスの役に立ちたいから……って、ずっと頑張ってたっけ。

 もし柚希が、あの頃のままの柚希だったら。

 俺は、どう答えるのが正解なのか。


「……それでも私の答えは変わりません」


 だが、美桜は俺とは違った。

 先ほど同様「会長の頼みは聞けない」というスタイルを貫いたまま。


「柚希が大切にしたい時間の重みを、会長は知らないでしょう。……いえ、多分隣の優斗──橘君も知らないと思います。これは、世界中できっと私しか分からない。同様に、私が大切にしたい時間の重みを知っているのは、多分柚希だけです」

「…………ほう」

「いま私たちは、互いに持っているその"重み"を、この橘優斗という男に伝えようとしている最中なんです。その前に、私たち姉妹は一つの約束をしました。それは『互いに後悔だけはしないように』というものです。彼は鈍いので、ハッキリと言葉や行動で示さないと私たちの気持ちに気づいてくれません。だからこそ柚希も、そして私も。この三年間という時間を、他の何よりも大切にしたいって思ってるんです」


 そこまで説明されて、俺はようやく自分の間違いに気づくことが出来た。

 柚希にとって、何が一番大切なのか、ということに。

 ……美桜が俺のことを「鈍い」って言ったのが、痛いほど刺さるな。


「……橘優斗。君の意見も聞かせてもらって良いか」


「俺も、美桜と同意見です」


 一瞬だけ迷った俺を許してくれ、柚希。

 あとで二倍にして返すから。

「俺はずっと、誰かの役に立つことが柚希にとって一番の喜びで……何よりも大切なことなんだろうなと思っていました」

 誰かの役に立てることを喜びと感じる、柚希はそういう奴だ。だからきっと、生徒会にスカウトされたことを喜んでいたと思う。

 ──だけど。


「ですが、美桜の言葉を聞いて分かったんです。柚希にとって一番大切なことは、誰かの役に立つことじゃない」

 

 多分、誰かの役に立つことが、柚希にとって大切なことであるのは間違いない。


 だけど、俺は一つ勘違いをしていた。

 柚希にとってその喜びこそが、行動の底にあるものなんだと思っていた。

 だから、本当は生徒会に入りたいと思ってて、それを俺たちが邪魔してるんじゃないかって勝手に思い込んで。


 けど、誰もやりたがらないクラス委員もそう。困っている誰かを助けるのも、自分が犠牲になっても構わないというあの姿勢も、きっと──。


「きっと柚希は、自分が後悔しない選択をしていただけなんですよね」

 だから生徒会を断った。誰かの役に立つこと以上に、自分が後悔しない選択をすることが一番だから。

 それに、アイツは。

「何より柚希は、自分に嘘を吐くことを嫌いますから」


 中学三年生の時だったか。何があったのかは知らないが、柚希は今まで以上に「自分に嘘を吐く」と言うことを嫌うようになった。

 だから、柚希が生徒会を断ったのは紛れも無い、自分自身の意思だ。


「なので俺は、柚希の考えを尊重するだけです」

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